短録 インドラの網
俺がこの身体になった理由か?
あー……悪いが俺も知らん。戦い続ける為ではない事は覚えているが、それならば何のためにヒトとしての身体を棄てたんだと疑問を感じている位でな。
──もう俺が人間だった頃の名残はなにもない、この脳を除いてなにもないんだ。この脳ミソに残る記憶が俺を、俺として生かしている。
……俺の名前か?
それは失礼した、終戦後も中々癖が抜けなくてな。許してくれ、小さなお嬢さん。
それでええと、俺の名前は────だ。
なに、聞き取れない?
少し待ってくれ、機能に問題ないか確認する。
言語機能、発音機構共に異常なし。ならば文字はどうだ?
……参ったな、これも読めないというのか。
これならどうだ?
──sheetus──
文字としては認識出来てるんだな?
ならそれでいい、俺はsheetusだ。名前を呼んで貰えないのはちょいと寂しいが仕方ない、そこは我慢するさ。
それじゃあ、改めて宜しくなお嬢ちゃん。
それで、君は何を知りたくてこんな僻地にまで来たんだ。ガイドブックもなく若者向けのレジャー施設もない、住人だってギリギリ三桁届くかどうか……そんな町に若い女が一人で来るんだから相当な理由だろう?
「h2t5w3s1g1s2t4ir3」
……人探し?
で、誰を探しているんだ。
「y5uh4i,d1ib5ueis4nz2d1in5」
なに、大防衛戦時代の傭兵だって?
……お嬢さん、大防衛戦は今から3000年も昔の話なんだ。お前さんは生まれてすらないだろう?
「w1t1s2w1,h3r3iit2z5k3n5ik2n5k5r2.」
古い一族の生き残りだと言ったってお嬢ちゃん、お前は幾つだ。それにその言語はどこで学んだんだ、古い軍用の暗号で俺もギリギリ解るかどうかの代物だぞ?
「t2t2oy1k1r1,os5w1tt1m5n5d1」
父親から教わったって、お嬢ちゃんの親父は何者なんだ。俺も多様な言語ソフトを詰んじゃいるが、この言語を使用するのは久しぶりだぞ。大体そうだな……3097年と287日14時間39分34秒ぶりの起動になる。戦後じゃそんな面倒な暗号使う事もなくなったから、なんだか昔馴染みの友人に会ったような気がするぜ。
「n1t3k1s2s1h1,k1nj2r3nd1n4.」
懐かしさはある、欠け代えのない大切な俺の記憶だからな。
「d5nn1k2ok5g1ar3n5?」
どんな記憶かと言われてもなぁ……殆どは戦場の記憶さ。撃って撃たれて傷付いて、痛みに泣いて仲間同士で悪ふざけして怒られて。どれも下らない記憶だが、俺にとっちゃ宝物さ。
……その中でも一番輝いてるのは嫁との記憶だ。こんな身体になる前に知り合って、共に大崩落を生き延びた。俺から告白して、その二週間後には結婚してな。あのさらさらしたブロンドヘアーに
そういやお嬢ちゃんも綺麗な青眼だな、もしかして嫁の親戚か?
「s5uk1m5s2r4n1iw1n4,oz2s1n?」
オジサンなんて年は越えてるよお嬢ちゃん。
それと悪いな、俺ばかり話しちまった……お嬢ちゃんには大事な記憶、思い出はないのか?
「ar4.t5t4m5h3r3k3t4……at1t1k1ik2ok3」
古くて暖かい記憶だなんてお嬢ちゃんは詩人だな、その言い回しを聞いてると娘を思い出すぜ。
それで、その古くて暖かい記憶のエピソードとか教えちゃくれないか?
「──…………、……………!
………、……………。…………?」
おいおい、どうしてお嬢ちゃんがその暗号プロトコルを知ってるんだ。ソイツはな、戦時中に作られた暗号プロトコルだ。それも俺が個人的に作った特別な暗号プロトコルなんだよ、どこで知った?
「W1s2r3t1n5?」
忘れたの、じゃねぇよお嬢ちゃん。そもそも俺とお嬢ちゃんは初対面の筈だろう?
「T2g1u,t5im3k1s2n2att4r3」
遠い昔に会ってるだ?
お嬢ちゃん……寝言は寝て言え、もしも俺をおちょくってるのなら帰れ。
「──……、……………!!」
そのプロトコルを使うな、二度は言わない。
「w1k1tt1y5」
わかったならそれでいい。
……それと、怒鳴って悪かったな。
──報告.記憶領域二異常確認.──
「oz2s1n,d5us2t1n5?」
なんともない。ただのシステムメッセージさ、お嬢ちゃんが気にすることじゃない。
「S5r4d3m5,k2n2n1r3.
w1t1s2,eng2n2an5s2k1k3ar3」
エンジニアの資格があるってもお嬢ちゃん、流石に俺の型番は無理だろう。お嬢ちゃんが本当に大防衛戦の頃から生きていて、その頃にエンジニアとして雇われていたなら信用するけどよ。
「s3k5s2m1t4,im1m2s3r3」
……疑って悪かったなお嬢ちゃん。久しく見なかったがちゃんと記憶してる、こいつは本物のライセンス。しかも最上級資格のソレだなんて、お嬢ちゃんは本当に何者なんだ?
「……Om5id1s4n1in5n3」
思い出せないのね、なんて言われてもなぁ。何処かで面識があったか?
「Ar3y5.
Oz2s1n,k2ok3r2ly5uik2n2m5nd1ig1ar3h1z3 」
面識がある?
それに記憶領域に問題があるはずって変なこと言うもんだな、どうしてそう思うんだ?
「S2k5uw3m4g4r1s4r4y5un1s2g3s1n2,0.6h4r4-m4n5ok3r4」
思考を巡らせる動きに0.6フレームの遅れってお嬢ちゃん、この短時間でそんな所に気付いたってのか。それに見覚えのある仕草って……これは確かに昔からの癖だ、考える時に肘を触るのは変だと仲間内でよく笑われたのも覚えている。
「m4nt4n1ns3h1uk4t4r3n5?」
メンテナンスは暫く受けていない。正直に言えば、ここに俺を診れるエンジニアが居ないんだ。
技術の衰退した今、俺の様な局地戦闘義体はもう造れない。
それにお嬢ちゃんも知ってるだろう?
俺のような
だから知識の無い亜人種達の手に負えるものではないし、同系統の機人にだって整備不能だ。技術を継承し続けている天使達ならなんとかなるが、そうそう会えるものじゃない。
「n1r1,w1t1s2g1m2t4y1r3」
駄目だ、俺はまだお嬢ちゃんを信用している訳じゃない。確かに資格は本物だが
「1731n4nm1en2,1d5d1k4」
その証拠はあるのか。
「N1i」
なら無理だ。運動系の回路を弄るのならまだしも、記憶領域を触らせるのは嫌だ。俺にはもう脳しかないんだよ、脳の中にある記憶だけか俺を俺たらしめている。万が一にでも記憶を消されるような事があれば、俺はお嬢ちゃんを躊躇いなく殺す。
「Oz2s1nh1,om5id1s2t1k3n1in5?」
思い出したくないのって、なんの事だ。
「K1z5k3n5,k2ok3」
家族の記憶だと?
まて、それはd5うiu事d1。
──報告.言語機能ノ異常ヲ検知──
「──Or3k1」
……なぜ俺の嫁の名前をお前が知っている。一度も話した記憶はないぞ、会話ログn2も残さr4ていn1i。
──報告.発音領域二異常ヲ検知──
「w1t1s2n5,ok1as1nd1k1r1y5」
お前の母さんだ?
下らねぇ冗談は止めr5、俺n2娘は居なi。勿論息子もいない。o嬢ちゃんn5目的h1なんn1んd1?
人探しっt4のはあr4か、母ちゃんを探してるのか?
「Iie,w1t1s2h1ot5us1nw5s1g1s2t4ir3」
O父s1んw3探s2t4ir4?
──報告.発言及ビ言語領域二異常ヲ検知──
「S5u.」
──警告.異常ヲ検知──
「私n2任s4t4,o父s1ン」
──警告.運動機能ノ異常確認──
《目前の少女が見えなくなる程の警告が、視覚ディスプレイを埋め尽くす。これはもう自己修正プログラムでなんとかなる領域を既に越えている》
「………?
……、………!!!」
──警告.聴覚機能及ビ視覚機能ノ異常確認──
《砂嵐となった視覚ディスプレイには点滅する警告以外なにも表示されていない。
ここで俺は終わるのだろうか?》
──外部ヨリ主幹システムヘノ接触ヲ確認──
[……Optimization……Optimization……]
──報告.主幹システムノ更新及ビ最適化ヲ終了.
全機能再起動実行──
《アナウンスと共に視覚ディスプレイが回復した》
「あんな無茶苦茶なコードを走らせるなんて、本当に酷い話です」
《後頭部へ走った軽い衝撃と共に検知したのは、少女の音声》
……お嬢ちゃんが、直したのか?
「他に誰が居るんですか」
それもそうか、ありがとう。小さなお嬢ちゃん。
「違う、私が聞きたいのはそれじゃない」
なぜ憤る?
「……はぁ、取り敢えず記憶領域を再確認してください」
《膨大な容量となっている記憶領域を、順を追って確認していく。そうして確認する途中でとある記憶を見つけ、私の思考は暫し停止した》
……なんだ、この記憶。
「それは補助脳に搭載された管制システムが封じ込めていた記憶ですよ。
戦場において家族の話をする奴は死ぬ、なんて間抜けなジンクスを信じ込んだ残念な補助脳が勝手に閉じ込めていた貴方の家族の記憶です」
なら、この記憶にいる君が…… お嬢ちゃんか?
「残念ながらもう私はお嬢ちゃん、なんて歳ではないんですお父さん」
……なぁ、シルヴィア。
お前はいつから俺を探していたんだ?
「2962年と11ヶ月18時間と38分」
そんな長い間探してくれたのに、ごめんなシルヴィア。
「……なんで、謝るんですか」
母さんとお前を、お前達の事を探しもしねぇですまなかった。それにもう、俺は身体の殆どを
「姿は変わらないままですよ、お父さん」
見た目はそうだ、壊れても同じ規格の同じ材料の部品で修復し続けたからな。けど、中身はもう全くの別物さ。大事な記憶だと言っておきながらお前達を探そうともしなかった、お前の事を忘れ続けていた。
……そんな俺に、お前の父を名乗る資格はないよ。
「──下らない」
下らない?
「下らないと言ったんですよ。お父さん、自分で最初に言いましたよね?
脳に残る記憶が俺を俺として生かしているって。
ならお父さんはお父さんのままじゃないんですか?
貴方がどんなに姿を変えても。
何度パーツを変えても。
その記憶があるのなら、あんたはあんたなんだろう!?
面倒臭いこと言って、勝手に十字架作ってソレを背負って逃げようとしないでよ……お父さんは、お父さんなんだろ……もう、置いてかないでよ……ねぇ……!!」
し、しかし──
「うっさい!
さっさと認めればいいんだ、俺はお前の父だって……私の、シルヴィアの親父だって言ってよ、お父さん!
……それにさ、私が機人になるのを嫌がった時にお父さんは言ったでしょ?!
“お前が俺たちの娘であるという事は変わらない、その事実は形相因なんだ。その視点から見れば、身体を機械へと置き換えようとお前の魂を形造るものは変わらない。だから大丈夫だ、シルヴィア”
……ねぇ、あの言葉は嘘だったの?」
──嘘じゃない!
お前は俺と母さんの子だ、シルヴィア。
すまない、シルヴィア。お前の言葉に目が覚めた。そうだよな、俺はお前の親だ……それは変わらない形相因だ。俺を、俺の魂を形作ったものは何一つ変わっちゃいない。
俺は、お前の父親だよ。
こんなところまで俺を探しに来てくれてありがとう、シルヴィア。
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