第6話 黒南風が吹く夜に。 01章

 今日から俺たちの住む町も梅雨入りをした。空は端から端まで黒い雲に覆われていて、強い風と一緒に大粒の雨を振らせている。朝起きてからずっとそんな天気だったからある程度覚悟はしていたけれど、いざビショビショに濡れるとため息が出てしまう。

比較的この町は高低差があるから水はけがいいけど、平野部や石畳になっているこの商店街は水たまりが多く出来ている。


 花の金曜。俺は嵐の一歩手前な天気の中、これ以上濡れてしまわない様に気をつけながら歩いている。辺りは真っ暗で、激しい雨のため街灯もほとんど役に立たない。聞こえてくるのは風に波打つシャッターの音だけだ。

 商店街の通りの真ん中辺りに位置するクリーニング店の角を奥に入って、さらに道をもうひとつ奥へと進む。お世辞にも立地がいいとは言えないこの場所に、定食からおしゃれな洋食まで出してくれる喫茶店がある。外の壁に木やツルなんかが生えてて、少し不気味な雰囲気だけど、安くて美味しいごはんが食べられる。それにここの店員さんはどの娘もかわいいから、お金に余裕がある時にはついつい無駄に足を運んでしまう。


 俺は傘を畳みながら、入り口のドア窓から店内を覗く。こんな日だからお客さんは数人だけで、店員さんもいつもいる金髪の女の子がひとりみたいだ。

 店内に入って、そのままお気に入りの一番手前の席に腰を下ろす。もう見慣れてしまったメニューを開いて、一息ついていると、スマホの着信音が鳴る。画面には「佐藤」の文字。



 「もしもし? 今どこ~?」


 『うぃー! 悪い! 俺まだ大学でさー なかなか用事が終わらなくて、ちょっと遅れるかも。』


 「えっ~ オレもう「風ノ唄」に着いてるよぉ~? 彼女、見せびらかすんじゃなかったの?」


 『見せびらかすとは人聞きが悪い! 俺に彼女が出来たから、一応赤城にも紹介しとこうって思ったからだぞ?』


 「あぁ~はい、はいっ! いいから早く来てよ~ オレお腹空いたっ!」


 『お前はそればっかりじゃん! どっちにしろ、すぐには行けないから、先食べててくれていいよ?』


 「えぇ~ それは流石に悪いよっ!」


 『大丈夫だから! それにたぶん俺より彼女の方が先にそっちに行くと思うから!』


 「いや顔わかんないしぃ~」


 『彼女には俺から連絡しておくから! どうせ昼間と同じ格好だろ?』


 「どうせって! ・・・・・・同じ服だけどぉ~」


 『とりあえず、こっち出る時また連絡するから! それじゃ!』


 「えっ! ちょっと待って! 彼女の・・・・・・」


 俺が聞き返すも、電話は一方的に切れてしまった後だった。

 (彼女の名前知らないのにぃ・・・・・・ あいつ!)


 相変わらずな態度に腹を立てながら、スマホをポケットに仕舞ったそのタイミングで、店員さんが水を運んできてくれた。


 「ご注文は~?」


 俺は机の上にメニューを立てて、コソコソと財布の中身を確認する。

 (次の仕送りまで、残り2000円ちょっと・・・・・・ デザートにプリンも食べたいしぃ~ ひとりで食べる訳だしぃ~・・・・・・)


 「このトーストセットでっ!」


 「トーストセットがおひとつ。」


 女の子は注文を繰り返しながら、小さな紙にメモしていく。その姿をまじまじと見つめる俺。黒いスカートに白いブラウス、フリルがついたかわいいエプロン。頭にはメイドさんとかがよく付けているヘッドドレスが乗っている。またその格好が、金髪にツンとした顔つきとのアンバランスで、余計に可愛らしく見えた。

 (佐藤も彼女連れてるんだし、ここでこの女の子をオレが誘ってもいいよねぇ? うん! 問題ない‼)


 「お飲み物はどちらにいたしますか~?」


 「飲み物は~ オレンジジュースでっ! それよりこの後予定あります⁉ 良かったらこの後友達も来るんだけど~ 一緒にご飯食べませんか⁉」


 「いえ~ まだバイト中なんで~ また今度誘ってください。」


 日頃、目についた可愛い女の子に声を掛けまくっている俺は、その言葉が完全なNOを意味することを悟って、早々と諦めた。ただ店員さんが離れ際ため息交じりに、まるで嫌らしいモノを見る目でこちらを見てきたのには、ちょっと傷ついた。


 すぐ横の大きな窓に、雨粒が音を立てて当たっては落ちていく。


 (佐藤のヤツ、来る時大丈夫かなぁ~?)


 そんなことを心配しつつも、スマホに来ている女の子からのメッセージに、片っ端からから返事をしていく。こういった隙間時間こそ、彼女を作るための努力をするのにうってつけなのだ。

 はっきり言って俺は全くモテない。高校まではちょっとでもそういう素振りを見せようものなら、ネタとしてからかわれていた。最初はものすごく落ち込んで、いっそ整形でもしようかと悩んでいた。だけど段々とそうやって女の子に声を掛けてる内に、ナンパが趣味みたいな感じになってきた。大学に入ってから、少しは興味を示してくれる娘が増えてきたみたいで、話を聞いてくれたり、連絡先の交換ぐらいならって、気がついたらスマホの連絡先は軽く100件以上あった。それでもデートまでしてくれるような人は未だにいなくて、ひとまずマメなメッセージアタックでどうにかしようとしている感じだ。


 一通りメッセージに返事をし終わった頃、入り口すぐ横にあるレジの前に、どこかで見たことのある後ろ姿を見つけた。

 (あれ~っ? アノ後ろ姿はどこかで・・・・・・ 誰だっけかぁ~?)


 長い黒髪が優雅に宙を舞い、その間から横顔が覗く。水曜毎朝、哲学の講義で会う桜井先生だった。黒いワンピースでシックに決めた姿が、大人の魅力を醸し出している。

 俺はまさかこんな場所で、大学教授一美人と噂される人と会うなんて思ってもみなかったから、思わずそばまで駆け寄った。


 「さっ・・・・・・桜井先生っ! こんばっんわっ!!」


 興奮しすぎてしまい、俺は一言目から噛んでしまった。それに対して、先生は優雅にこちらを向いて、首を傾げながら軽く会釈した。1mも離れていない距離なのに、時間の流れがまるで違うみたいだ。


 「はーい、こんばんはー あれ? 貴方・・・・・・?」


 「毎週哲学のこっこっ、講義を受けさせて貰ってる赤城ですっ! 先生はお食事ですかぁ?」


 「あぁー、赤城くん。 赤城くんねー 今日はオムレツ。」


 優しい微笑みが俺を襲う。イマイチ会話が噛み合ってないような気がしたけど、そこがミステリアスで余計に魅了されてしまう。


 「桜井先生はっ よくここに来るんですか?」


 「・・・・・・赤城くんはー まだしばらくここいるの?」


 「・・・・・・? はいっ! 今日は友達とご飯食べに来てっ 友達はまだ来てないですけどっ!」


 「ふーん・・・・・・ 私はここで、気をつけてと言うべきかしら?」


 「・・・・・・はぃ・・・・・?」


 先生はその言葉の後、何かを考えているような顔をして、ドアベルの音と共に雨の中に吸い込まれていった。


 (よっしゃっ! 桜井先生に会ったって言ったら佐藤のヤツ、羨ましがるかなぁ⁉)


 さっきまで座っていた位置まで戻っても、興奮が冷めない俺はそんなことを考えていた。ちょうどその時、奥の厨房から店員さんが注文を持ってきてくれた。オレンジジュースにトースト、マーガリンに、粒あん、ローストビーフ丼。綺麗な机に並べられていく。


 「ん? あの~すみませんっ ローストビーフ丼は頼んでないんですけど・・・・・・ あと粒あんも。」


 俺がオーダーミスを指摘して女の子の方を向くと、ソファのすぐ隣に座ろうとしていた。


 「えっ、ちょっと・・・・・・ えっ~!?」


 さっきの態度と全く違う様子に、俺は困惑していた。だけどそれ以上に目の前のブラウスの襟元から胸元が見えそうで見えない状況や、石鹸のいい香りに頭がついて来ない。


 「・・・・・・粒あんはサービスですよ~ ローストビーフ丼は私のです。 一緒に食べようと思って~」


 「なっ、なんで?」


 「さっき誘ってくれたじゃないですかぁ~? 他のスタッフ休憩に入って、このお店にボク達2人だけですよ~?」


 (えっ? 何っ? どゆことぉ~? ・・・・・・でもこれは~・・・・・・ チャンス・・・・・?)


 今にも顔に擦りついて来そうな女の子を少し手で抑えつつ、俺は一度咳払いをしてから平然を装うことに決めた。一番近くにあった、きつね色に焼けたトーストを手に取り、出来る限り男らしく、そのままかぶりつく。


 「それじゃ・・・ 熱々の内に食べようぜ?」

 (決まったっ!)


 考えられる一番の決め顔をして金髪の女の子の方を向いた。その途端、彼女はソファの背もたれに顔を埋めた。急に恥ずかしくなったのかと思って、そっと肩に手を置くと次の瞬間、俺は女の子に抱きつかれていた。


 「・・・・・・けどその前に、せっかく2人きりなんだから~ ・・・・・・イチャイチャしよ?」


 そう言って目を閉じて顔を更に近づけてくる。俺は突然のことに動転して、自由な左手でバタバタと逃げようとしてしまった。


 「ちょっと~・・・・・・・ 落ち着いてっ! 一回っ 落ち着こうっ!!」

 (ムリっムリっムリっムリっムリっムリっムリっ!!!! こんな展開期待してたけどっ! どうしていいのか分からないっ!!!)


 なんとかテーブルの端を掴んで強くホールドされた腕から抜けるけど、ズボンのベルトに手を掛けられて、これ以上逃げたら脱げそうになる。


 「ちょっ! エッチ過ぎっ! ごめんっ!! 無理ですっ!! すみませんっ!!」


 俺はもうどうしていいのか分からなくて、手で顔を覆った。


 ––––––––––––カシャ!––––––––––––


 突然、シャッターの音がした。

 手をどけて見てみると、スマホをこちらに向けて、ニヤニヤと嫌らしい顔で女の子が笑っている。


 「・・・・・・へぇ?」


 「ギャギャギャギャッハァハァハァッハァ~ ・・・・・・ドッキリ大成功~!!」


 「・・・・・・・えっ!?」


 金髪店員さんは何度か俺の様子をカメラに收めると、ニヤニヤ顔のままスマホで何やらし始めた。その様子を少し涙目になりながら見つめる俺。


 「ごめんね~ 赤城くん。 優太からナンパ癖がひどいから、少し懲らしめてやってって~」


 「・・・・・・優太??」


 「佐藤 優太。 友達でしょ~? ボクはその彼女! 青柳。 よろしくね⁉」


 そう言って自分のことを青柳と名乗った女の子は、こちらに握手を求めて来た。俺は力なくその手を握るけど、途端に恥ずかしさで顔が赤くなっているのが分かった。


 「けど~ 流石にあのセリフはないわ~ 「熱々の内に食べようぜ?」って! 決め顔まで作っちゃって~!」


 再び青柳さんはお腹を抱えて笑い出した。俺は更に顔が赤くなって、もう床を見つめる他なかった。




 * * *



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拝啓、誰そ彼時の闇から。 とりもも肉 @torimomoniku0401

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