第5話 五月川とカゲロウ。 05章

 ずっと袖を通していなかったスーツを着て、昨日の帰りに緑川から借りた黒いネクタイをしめる。普段、丈の短いズボンや、裾を膝まで上げて履いてるから、久々のスラックスは足元がとても気持ち悪いけど、なんだか特別な感じがして身が引き締まる。汚れた洗面台に映る自分の姿をまじまじと見ると、ボサボサの髪の毛をワックスで整えたのもあって、思っていた以上に似合っている様な気がする。


 鈴木先輩のお父さんに言われた火葬場は、駅の近くに最近できたショッピングモールを越えて、更に郊外の畑が並んだ道を真っ直ぐ進んだ所にある。バスで30分ほどの距離で、車で都市部に行く時にしか通らない様な道だ。だけど1円のお金もない俺にとって徒歩以外の選択肢がないため、予定の時間より早く家を出た。そのためだいぶ余裕があった俺は、少し寄り道になるけど、例の橋に行ってみるとことにした。


 川は緩やかに流れているけど、まだ濁っていて土色になっている。所々サビが目立つ支柱の間を時々風がすり抜けていく音を聞きながら、俺はいつも先輩が立っていた橋の真ん中辺りまで来た。


 (まぁ~ いないよな~・・・・・・ きっとあれで無事成仏できたのかなぁ~)


 周りには車の一台も通らない、静かな風景が広がっている。もしかしたら先輩に会えるんじゃないかと思っていたけど、そんな俺のほのかな期待は足元にあった小石と一緒に、下を流れる川に吸い込まれていった。




 俺はそのまましばらく川を眺めてから、いつもより広く感じる歩道を駅前に戻り、仕方なく郊外へと続く道へと進む。そのまま交差点もないような道を一時間程歩いていると、目的の火葬場が見えてきた。緑と茶色の畑が並ぶ中、真っ白な建物はこの場所に異質なものとして見える。そしてこの場所だけ異様に黒いモヤ状の幽霊がたくさん揺れ動いている。俺が近づいて行っても、こちらに全く興味がないようで、白い塔のように突き出した煙突の方をじっと眺めているだけだ。その様子を見ていると、以前緑川に教えて貰ったことを思い出した。



 ––––––––––––––––––。



 「結局、だいたいの霊ってのは成仏したがるものだ。 だから死とか、あの世のイメージが強い場所に集まり易いんだよ。 」


 「なんでさぁ~?」


 「うーん・・・・・・ 生きてた頃のすり込み? そこに行けば成仏できるんじゃないかってね。 だから墓場の近くとか、葬儀場とかはうじゃうじゃいる。」


 「うじゃうじゃ?」


 「うじゃうじゃ! 集まってるのは、もう殆ど霧みたいな黒い影で、自分がどんな姿だったか分からなくなった奴らがほとんどだからなぁー あれをもう霊と呼んでいいのかすら分からない。」


 「・・・・・・。」



 ––––––––––––––––––。



 敷地内に入って、入り口を目指す。外から見た時よりも幽霊は多くいるようで、間違って襲われないように、霊感をきちんと閉じてから建物の入り口の自動ドアまでなんとかたどり着く。入って直ぐのロビーには、途中寄り道をしたから予定時間が迫っていたため、もう同じ様な喪服を来た人たちが集まっていた。俺はとりあえず中に入ったものの、どうしたらいいか分からず、手に汗を滲ませて困っていると、人を掻き分けて白いエプロンを付けた鈴木先輩のお母さんがこちらに近寄ってきた。


 「緑川くん! 忙しい中、今日はありがとうねぇ。 この後すぐにおさしきが始まるから、奥の部屋にお願いね。」


 「いえ、こちらこそっ 先輩の最後に立ち会わせて頂いて、ありがとうございますっ」


 おばさんの言葉通り、周りにいた人たちはみんな通路の先にある厚い扉の中へ進んでいく。その流れに従って奥の部屋へ向かうと、綺麗な棺が置かれていて、手前の台の上には先輩の写真と位牌が置かれていた。俺の後に数人続いて、最後にお坊さんが入室すると扉が閉められた。


 そのまま台の前でお坊さんによるお経が始まった。普段の俺だったら一定のリズムの優しい声を聞いていれば、直ぐに眠くなってしまうところだけど、この時だけは緊張とリラックスが同時に起こる、不思議な感覚に包まれていた。

 そんな中、予想以上に早くお経が終わり、次に何が行われるのかとボケッとしていると、お坊さんが粉をひとつまみ取って、台の上に置かれていた灰の中に入れた。それを皮切りに、一番前に立っていた鈴木先輩のお父さんから順番に、続々と棺のところまで行き、一度拝んでから同じ様に粉をつまんで入れている。

 俺のいる位置からだと、額にこすり付けて何やら印を付けているようにしか見えない。けれど粉が入れられた灰からは煙が上がっているのだから何か燃やしている様にも見える。


 (やばぃ・・・・・・ お葬式なんて来たことないから、どうしていいのか分からないっ)


 いつの間にか再開されたお経が響く中、少しつま先立ちになりながら前で行われているのを見ていると、直ぐ横にいた知らないおじさんが小声で話しかけてきた。


 「・・・・・・・坊主? 初めてか?」


 「・・・・・・・はい。」


 「焼香って言ってな? 線香みたいなもんだ。 三本の指で粉末の香を取って、目より高い位置まで持っていって、香炉に焚べるんだよ。」


 「・・・・・・・えっと・・・ 香炉ですかぁ?」


 「・・・・・・分かんなきゃ前の人の真似しときな。」


 その人にお礼を言う前に、後ろから腰を突かれ前に進むように促されてしまった。前の人に続いて、列に並ぶ。


 (まずおじさん、おばさんに礼をして~ 棺に礼。 手を合わせて、お香をつまんで、目の上に上げたら灰に落として~ また手を合わせて~ 礼をして~ ・・・・・・余計訳わかんなくなってきたぞ・・・・・・)


 自分の番が回ってきて、軽くパニックになってるのを悟られない様に見様見真似でやってみる。うまく出来たかどうか自分では分からなかったけど、なんとか元いた場所まで戻ってこれた。

 入ってきた時には気が付かなかったけど、男女に半分で別れていたらしい。お焼香も男の人達が終わったら次に女の人達が一通り回った。低音響くお坊さんのお経の声も一段と大きくなって、きれいなお鈴の音を最後に静かになった。


 その後式は滞りなく進み、最後に鈴木先輩のご遺体の顔を拝見してから、火葬場の職員さんの手で先輩の入った棺は真っ暗な炉の中へ消えていった。もっと泣いたり、嗚咽を漏らす人がいるかと思ったけれど、想像と違って皆淡々としており、どこか客観視している様にも見えた。ただそれ以上に火葬の間、来てくれた人をもてなすために、別の部屋でお茶やお酒、食事などを振る舞っている今の状況は、軽くお祭り騒ぎに見えてしょうがない。



 「さぁさ、どんどん召し上がって下さい!」


 「あら、それじゃあたしゃ、お寿司でも頂くとするかねぇー」


 「お父さん? シゲル兄さんにお酌を。」


 なんだかその様子に、ちょっと場違いな気がして遠巻きに眺めていると、俺とあまり年の変わらない綺麗な黒髪の女の子が、お茶くみを手伝っているのが見えた。鈴木先輩のお母さんとも仲がいいみたいで、最初は親戚の子かと思ったが、どうも話している内容を聞く限り、先輩の彼女だということが分かった。


 (あんなかわいい人が彼女かぁ~ 羨ましっ だけどおじさんとおばさんはともかく、他の人は悲しくないのかなぁ~? こうやって死体も火葬されて、いよいよ何もかもがなくなっちゃったのに・・・・・・)


 そんなことを考えていると、俺のそばにおばさんが近づいて来た。


 「緑川くんも。 そんな所に立ってないで何か食べてって? お寿司や唐揚げもあるしー 何飲む?」


 「あっ! ありがとうございますっ! それじゃジュースでお願いしますっ!」


 慣れない場所で緊張していたからか、さっきまでお腹は空いていなかったけれど、皿に山盛りになった唐揚げを見た瞬間、一気によだれが溢れてきた。


 俺は一通りご馳走になり、今度はトイレに行きたくなった。騒がしいその場所を後にして、係の人に聞いた1階の端に向かう。ここに到着した時はそれなりに人の賑やかさがあったけれど、誰もいないロビーはシーンっと静まり返って寒々しい。

 何事もなく用を足して、宴会が行われている場所にいざ戻ろうと思った矢先、玄関の自動ドアのはるか先、駐車場の端っこに見覚えのある人物を見つけた。


 (ん? あれはぁ・・・・・・ 先輩だっ! なんで? なんでここに鈴木先輩が⁉)


 俺はそのまま外に駆け出した。自動ドアを抜けた先には来た時と同じ様にモヤ状の幽霊が等間隔に並んで、頭上を眺めている。その間を器用に避けながら先輩の目の前まで進んだ。あんなにも晴れていた空は、中に入っていた間に曇って、小雨まで降っている。


 「先輩っ! なんで⁉ 成仏したんじゃないんですか?」


 『 ん? いや、してないよ? なんで? 』


 「いやだって~ 未練がなくなったから・・・・・・ それでなんでここにいるんですか?」


 『 あぁー 昨日、駅に向かってる途中から記憶がなくってー 気がついたらここにいた! 』


 笑いながら話す先輩は、どこかぎこちなくて、昨日までとはまるで違う人のように見えた。


 「っていうか先輩っ! ここにいたら危ないですよ?」


 『 なんで? 』


 「周りにいる幽霊が見えないんですか? 下手に触ると大変なことになりますよ?」


 『 あぁやっぱりこれ幽霊なんだー ってかそんなことより! 中に美奈ちゃんいた? 』


 「彼女さんですか? いましたよっ!」


 『 そっかー いたか・・・・・・ 会いたいなぁー 』


 そう言ったかと思うと、鈴木先輩は急にどこか焦点の合っていない目をして、建物の上の方を眺めだした。


 「・・・・・・先輩大丈夫ですかっ⁉」


 『 ん? あぁ・・・・・・ 赤城くんは美奈ちゃんに会ったんだよなぁ・・・・・・ いいなぁ・・・・・・ 俺、死にたくないなぁ・・・・・・ 』


 先輩の右肩に降り続ける雨粒と一緒に、黒い霧が掛かっていくのが見える。


 『 あぁ・・・・・・ 俺ももっと生きたい。 もっと・・・・・・ 羨ましい・・・・・・ 妬ましい・・・・・・ 』


 「・・・・・・鈴木先輩?」


  (なんで? オレが近づき過ぎたからっ? どうしよう・・・・・・ 先輩を悪いものにしちゃう・・・・・・)


 突然あらわれた黒い霧の様なもので、膝から下はもうほとんど見えなくなっている。肩から手の先にかけても広がっていて、顔と胴体だけしか原型をとどめていない。


 「先輩っ!! オレの声がわかりますか⁉ 鈴木先輩ーーー!!!」


 俺は反射的に声を荒げる。依然としてどこを見ているのか分からない目で、頭上を眺めている。絶えずうわ言を呟く口は開き、こちらの呼びかけにもただボーッとしてて反応がない。俺は自分でも気が付かない内に先輩の両肩を揺すっていた。徐々に黒いモヤが俺の手に伸びてきて、しびれたように痛くなってきた。


 (このままじゃ先輩を・・・・・・ それにオレもやばいかも・・・・・・ なんとかしなきゃ・・・・・・・!)


 その時鈴木先輩の力が抜け、その場に膝を着いた。肩を掴んでいた手が自然と頭の後ろに行き、俺が体全体で先輩の頭を抱きかかえるような格好になった。俺の心臓の音が早鐘の様に鳴り響いているのが聞こえる。


 『 ・・・・・・あかぎ・・・くん? 』


 「先輩っ? 大丈夫ですかっ⁉」


 顔を上げた先輩は未だ焦点の合わない目であるけど、今度は俺の顔をしっかり見ている様だ。


 『 ・・・・・・ごめん。 俺死にたくない。 そして俺、生きている赤城くんが妬ましい・・・・・・ 』


 「・・・・・・ごめんなさいっ オレ、先輩の気持ちとか考えないで・・・・・・ けど先輩、先輩はもう戻れないです。」


 『 ・・・・・・。 』


 「オレ、鈴木先輩が迷わず成仏できればって! 最初イヤイヤだったけどっ でも・・・・・・ 先輩の家に行って、線香上げられて、エロ本貰ってって、おじさんとおばさんに手紙渡して・・・・・・ 段々と何かオレにも出来ることがあればって・・・・・・ そう思ってたんです。 けどたぶん、あの川原で言った通り、オレが近くにいると、先輩にいい影響を与えなかったみたいですっ ごめんなさい・・・・・」


 『 ・・・・・・そんなことはないよ。 』


 目の前にいる大学生は俺の目をしっかり見つめながら、とても寂しそうな顔をしてそう答えた。


 『 赤城くんは最初から最後まで、俺のこと支えてくれた。 俺、自分がもう死んでしまっているって気がついて、どうしようもなくなった・・・・・ ずっとあの橋の上から川の様子を眺めて、この先どうしたらいいのか、ずっと考えていた・・・・・・ もう死んじゃったんだから、この先なんて無いのにおかしい話だけど。 それでも一人じゃ何もする勇気がなくて・・・・・・ エロ本を取りに帰ったのだって、本当は最後に自分の部屋を見ておきたかっただけだし、親父や母さんに気がついて貰えたらって・・・・・・ 』


 先輩が話すたびに、体の半分以上を覆っていたモヤも少しずつ薄くなって行く。


 「・・・・・・そうですよねぇ・・・・・・。 死んだからって簡単にサヨナラなんて出来ないですよねぇ ましてやいきなり、突然ですもんねぇ・・・・・・ でも、たぶんもう、これ以上先輩は生きてる人に関わってはいけないと思う・・・・・・」


 『 ・・・・・・うん。 』


 「今日、ここに来ていた人はみんな笑顔でした。 もっと悲しんだり、泣き喚くって思ってたんですけどね~ たぶん心の中に押し込んでるのかも知れないですけど・・・・・・ でも今の先輩の言葉でわかった気がしますっ たぶんみんな、この先をしっかりしなきゃって! 鈴木先輩がいなくなっちゃって寂しいけどっ・・・・・・ 今の悲しさをバネにして、立ち上がろうって思ってるんだと思いますっ!! 」


 鈴木先輩の目から大粒の涙が流れていく。その雫はまるで雨粒の様だ。すごくきれいで、思わず手で触れてしまいたくなる様な、淡い色をしていた。


 『 ・・・・・・あぁーぁ、 人生、短いねぇ・・・・・・ 』


 「・・・・・・そうですねぇ・・・・・・ けどまだ終わりじゃないと思います。 鈴木先輩はまだ先に進まないといけない。 じゃないとこのまま周りにいるのみたいになっちゃいます。」


 先輩はそのまま力なく座り込んでしまった。すると次の瞬間、今まで降っていた雨が止み、一筋の光が降り注ぐ。まるで舞台のスポットライトの様に、俺たちを照らしている。そしてその光は先輩をどんどん薄く見えなくしていく。


 『 雨が・・・・・ 光が見える。 』


 「・・・・・・先輩っ?」


 『 赤城くん⁉ 』


 「––––––はいっ⁉」


 『 もう少し早く会いたかった。 先輩と後輩・・・・・ もっと続けてたかったなぁ・・・・・・ 』


 鈴木先輩はその言葉を最後に、光に同化していって見えなくなった。跡には一滴の雨粒だけが、陽の光に照らされてきれいに輝いてる。



 頭上では煙突から煙が静かに空へ登っていく。それを俺はずっと眺めていた。




 * * *


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