第5話 五月川とカゲロウ。 04章

 梅雨半ば。ここ1週間は毎日のように雨が降って、洗濯物がまったく乾かなかった。元々そんなに服をもっていない俺は、同じ服を着回すことでどうにかそれを回避することにしたけど、逆に自分では気が付かない汗の匂いがしてしまって、周りの人からひんしゃくを買った。


 先週の土曜日、橋の下で鈴木先輩と約束した通り、今日は朝から河川敷へと出向いた。幽霊が相手なら匂いも気にならいと思って、木曜から変わらない格好にしたけど、近づいた瞬間コンビニに消臭スプレーを買いに行く羽目になった。その道中で今日の目的を聞いたり、そのための準備をして、気がつけばもう12時を過ぎていた。


 駅前を抜けて商店街の方向に向かっている。相変わらずパラついている雨は、道端に咲いている紫陽花の花を、とても麗しいものに見せてくれる。それに負けじと行き交う人の傘も少し華やかなものが目立って、遠目に見るとまるで絵画の中に飛び込んだ感じがする。


 体中からレモンのきつい香りをさせながら、商店街の入り口にある郵便局の壁に背を預けて、直ぐそばにある肉屋さんを2人で眺めている。と言っても、周りの人から見たら大学生が1人で挙動不審な行動を取っている様にしか見えないのだけど。


 「あそこで間違いないんですか?」


 『 あぁ。 あそこが俺の実家だ。 』


 「オレ、前あそこでバイトしてたことあるから気まずいんだけどぉ・・・・・・」


 以前来た時には、「肉屋 青鉢」と書かれた大きな看板の下に、通りに向かってショーケースとレジがあった。今はそこに灰色のシャッターが掛かっていて、手書きの文字で書かれた紙が1枚貼られている。


 『 それじゃ俺たち、生きてる時に出会ってたかもな⁉ 』


 「そうですねぇ~ けど1週間ぐらいでクビになったっちゃんで、微妙ですけどっ」


 『 なんで? 』


 「・・・・・・・この体質のせいです・・・・・・。」


 『 ん? 汗臭くて? 』


 「違いますっ!! そんなことよりお店! 休みみたいですよ?」


 『 大丈夫! 中に両親がいるはずだから。 シャッター叩いてみろよ! 』


 そう言う先輩に俺は、なるべく目立たない様にシャッターの前まで歩いて行き、そこで深呼吸した。


 『 何してんだよー 早くしろよ! 』


 俺がモタモタしているのにしびれを切らし、後ろからバンバンと2度扉を叩く。すると中から誰かがドタバタと音を立てて近づいてくるのが分かった。そして直ぐに女の人の声で「はーい」と掛け声と一緒に、目の前のシャッターが音を立てて上がっていく。薄暗い店内から現れたのは割烹着姿のおばちゃんだった。俺のことを頭の先から足元まで眺めてから、困った顔を向けてきた。


 「・・・・・・あのー、どなたでしょうか?」


 『 母さん! 母さんだ! 』


 バイトをしていた2ヶ月前と比べて、目は赤く腫れ、クマが出来ている。心なしか顔のシワも深くなったようで、お団子に結んでいる髪は白髪が目立つ。


 「・・・・・・あの~ すみません。 すずっ、一樹先輩にお世話になってた大学の後輩ですっ この間亡くなれたって聞いて、それで~・・・・・・ お線香を上げさせて貰えないかと思って・・・・・・・」


 俺は鈴木先輩と打ち合わせした通りの言葉を言った。それに対して先輩のお母さんは一度深々と頭を下げてから、何とも優しい笑顔をこちらに向けてきた。


 「息子の後輩? ありがとうねぇー まだお骨になってないから良かったら顔、見せてあげて」


 店の奥に招かれて、独特の匂いのする店内に入っていく。直ぐ後ろにいた先輩をそっと手招きしながら、おばさんの後を着いて、見覚えのある店内を抜け奥の茶の間に通された。


 「お父さん? お父さん⁉ 一樹の! 一樹の後輩さんが見えてるの! お線香上げたいってわざわざいらしてくれたのよ?」


 「あぁー こんにちは? わざわざありがとうねぇー」


 奥の部屋からおじさんが出てきた。出迎えてくれたおばさんよりもやつれた感じが強く、少し伸びた髭や、ボサボサの髪からは以前の活気ある様子は伺えない。


 『 親父・・・・・・。 』


 黙ってついてきた先輩が、その姿を見てお父さんのそばに駆け寄るも、すぅっと通り抜けてしまった。


 「どこかで見たことある顔だね? 以前、遊びに来てくれたことがあったかい?」


 「・・・・・・・1、2回。 コロッケを買いに来た時に、お邪魔させて貰ったことがあると思いますっ ・・・・・・ですっ・・・・・・・」


 鈴木先輩のお父さんの質問に、聞かれてもいない偽名を答えた。

 (これ、緊張しすぎて吐きそうだぁ・・・・・・)


 「そうかい。 ささ、奥にどうぞ 母さん! お茶! お茶出してあげて!」


 「はいはい、ちょっと待っててね」


 ショックを受けた顔をして固まっている先輩の横を通って、奥の座敷に向かう。そこには小さな祭壇があり、綺麗なお花や線香が添えられている。その前に白い布を顔にかけれ、布団に寝かされた先輩がいた。俺は部屋の入り口におじさんと一緒に立っている先輩の顔を見てから、祭壇まで行き線香を上げた。お鈴を鳴らしてから静かに合掌したところで、鈴木先輩のお父さんが近くまで来てくれて、そのまま顔の布を取ってくれた。先輩の顔は左頬に大きな傷があるものの、すごくきれいで、本当に眠っているようにしか見えない。


 「一樹。 緑川くんが来てくれたよ。」


 『 俺がいる 』


 「これでも事故の後は、もっと傷とか泥で汚れててね? 警察署から帰ってくる時にきれいにしてもらったんだよ。」


 『 ってか緑川って誰だよ! 』


 「なんだか眠っているようにしか見えないですねぇ・・・・・・・」


 『 そうかなぁ? 』


 「だろ? 今にも起き上がって、また元気な声で・・・・・・・ うぅ・・・・・・」


 おじさんはそこまで言って、そっと立ち上がって離れていった。入れ替わりでおばさんがお茶を持って部屋に入ってきた。


 「つもる話もあると思うから、良かったらお茶でも飲んでゆっくりしていって下さいな」


 俺にお茶を渡してから、先輩に向かって一度手を合わせると、そのまま部屋を出ていく。線香のいい香りが立ち込める部屋の中に、先輩と俺とそして、鈴木先輩の亡骸の3人で残された。縁側から見えるきれいに整えられた庭には、音もなく雨が降っている。

 俺は改めて先輩のご遺体を眺める。横にいた先輩の幽霊も一緒になって、身を乗り出しながら眺めているのが分かった。

 (生まれて初めて死体を見るけど・・・・・・・ まさか横に本人がいる状況とは思わなかったぁ・・・・・・ しかもさっきからうるさいしっ!)


 『 なんか不思議な感覚だなー・・・・・・ 自分の死に顔を見るのって・・・・・・・ 』


 「そうですよねぇ~ 鏡を見てるのとまた違うと思いますしっ だけど先輩? 先輩は生きている頃の方がかっこいいですね~」


 『 そうか? なんか化粧してるから気持ち悪いだろー 』


 幽霊の先輩の方を見ると、少しげんなりした顔をしていた。俺が見ているのに気がつくと、真顔になった先輩は立ち上がり、足を大きくあげて、死体の先輩を踏もうとした。俺は慌てて止めようとするが、ワタワタするだけでどうしていいか分からない。


 「先輩! 鈴木先輩! 何しようとしてるんですかっ⁉」


 『 ん? 何って・・・・・・ 自分の身体なんだから、戻れるかなぁって・・・・・・・ 』


 「いや~無理だと思いますよっ! 流石にっ!」


 『 流石に? ・・・・・・冗談だよ! ちょっと試そうと思っただけ! 』


 (いやっ! 今マジでしようとしてただろ~⁉ しかも戻れたところでっ!)


 俺は渋い顔をしながら、出されたお茶をすすった。その間も先輩は祭壇の後ろを見に行ったり、お供え物のお菓子をつついてみたりと、落ち着いていることが出来ないみたいだ。


 『 なんだか本当に不思議な体験だなぁー 』


 「まぁそうですよねぇ~ っていうか先輩? そろそろ本題に移らなくていいんですか?」


 『 そうだったなぁ! ブツは俺の部屋の机の引き出しだ! 』


 俺は立ち上がり、入り口の方へ向かった。茶の間に行くと、2人とも何かのパンフレットを眺めながら、相談している様子だった。


 「もういいの? 緑川くんが来てくれて、一樹も喜んでると思うよー」


 「ありがとうなぁー 最後に顔を見てもらえて良かった。」


 「いえっ! こちらこそありがとうございました。 帰る前にちょっとお願いがあるんですが~ 一樹先輩の部屋を見させて貰えませんか?」


 「一樹の? 別にいいわよ。 ただ亡くなる前のままにしてあるから散らかってるけど・・・・・・」


 そう言っておばさんは2階への階段を昇り、一番奥の部屋の前まで案内してくれた。扉には「Kazuki」と書かれたプレートが吊るしてあり、古くなって所々剥がれたシールがいくつも貼ってあった。


 「いつも私が勝手に掃除しちゃて怒るのよ・・・・・・ だけどいなくなってしまってからは、片付けるに片付けられなくて・・・・・・」


  扉を開けると、妙な既視感がある部屋が広がっていた。脱ぎ散らかした部屋着に、丸まった布団がそのままになっているベッド、部屋の真ん中にある小さな机の上には丸まったティッシュが転がってる。


 「また帰る時になったら言ってね?」


 先輩のお母さんはそのまま下に戻っていった。俺は隣にいる先輩の顔を見る。


 『 なんだよその目はー? ちょっと散らかってるだけだろ? 』


 「まぁ~ オレも似たようなもんですけどねぇ~ それでどこにあるんですか?」


 『 その勉強机の一番下の段! 』


 俺は言われた通りに、床に散らばってるものを避けながら、机の引き出しを開けた。中には写真が数枚と、使い古されたグローブ、参考書などが入っており、目的のものは底の方にあった。


 「これが先輩の心残り?」


 『 そうだ! 処分して欲しい! 』


 「って! エロ本じゃないですかぁ~~~!」


 『 バカ! 声が大きい!! 』


 「・・・・・・すみませんっ」


 パラパラとページを捲ると、男の人が女の人になぶられる描写が多く、いわゆるSMものの様だ。しかも大事なところにモザイクが掛けられていない無修正もの。

 (これは・・・・・・ 確かに他の人に見られたくはないかも・・・・・・)


 「ところでこれ・・・・・ オレが貰ってもいいですかぁ?」


 『 えっ? 赤城くんもそういうの好きなの? 』


 「・・・・・・まぁ~・・・はいっ・・・・・・ いつもは妄想で・・・・・・」


 『 しょうがないなぁー! 大切にしてー 』


 「ありがとうございますっ!!!」


 『 シッーー! だから静かに! 』


 「・・・・・・すみませんっ!」


 俺は思わぬ戦利品に心も身体も膨らませて、意気揚々とパーカーの下に忍ばせて持って帰ることにした。一通り用事が済んだので、そそくさと下の階へ向かうため、廊下に出た。その時先輩がまだ部屋の中に残っていることに気がついた。鈴木先輩はカーテンが閉まって薄暗い中で、ただ何も言わず散らかった部屋を眺めている。


 「先輩? 行きますよ?」


 俺がそう小声で呼びかけると、寂しさと名残惜しさが混ざったような、そんな顔で俺の後に続いて部屋を後にした。



 その後先輩は階段を下っている時も、1階にある茶の間で2人にお礼を言ってる時も終始無言だった。帰り際、鈴木先輩のお父さんとお母さんは店先まで見送ってくれた。


 「それじゃありがとうございましたっ! お線香あげられて良かったですっ!」


 「いえいえ! 何のお構いも出来ず、本当にありがとうねー」


 「ありがとうなー」


 そこで俺は予め用意していた便箋を3つ、ポケットから出して渡した。


 「・・・・・・これ。 先輩から預かってたんです・・・・・・ もし何かあったら両親と彼女に渡してくれって・・・・・・」


 「えっ? 手紙? お父さん・・・・・・」


 「一樹からか? あぁ・・・・・・・ 何で あの子は・・・・・・」


 言葉にならない声を出しながら、震える手でそれを受け取るおばさん。俺はいたたまれくなって、その場から逃げる様に帰ろうと一歩後ずさりした。けれどおじさんに肩を掴まれてしまった。


 「・・・・・・緑川くん、ありがとう。」


 (オレ、嘘ばっかじゃん・・・・・・ 手紙だってオレが代筆したのだしぃ・・・・・・)


 ポツポツと雨が降る中、おばさんは割烹着で涙を拭い、おじさんは大粒の涙を今にも溢れさせそうになっている。俺のすぐ横では下を向いたまま黙っている先輩がいる。思わず耐えきれなくなって、傘を握る手に力が入る。


 「ごめん。 おじさん、おばさん。 実はオレ・・・・・・・ ゆうれ・・・・・・」


 『 赤城ーーー!!! 』


 俺の言葉を打ち消すかのように、大きな声で先輩が俺の名前を呼んだ。びっくりして思わずそちらを向いてしまう。鈴木先輩の体がひくひくと小刻みに震えているのが分かった。


 『 赤城くん。 帰ろう。 』


  「・・・・・・・緑川くん? 明日、息子を火葬するんだよ。 もし良かったら最後、見届けて貰えないかい? 身内だけだけど、11時から郊外の火葬場で執り行う予定なんだけどねぇ?」


 鼻水をススリながら、おじさんが俺に言ってきた。


 「オレなんかが・・・・・ いいんですか?」


 「退屈かもしれないけど、是非お願いします。」


 「・・・・・・・わかりました。」



 俺は2人に一度深く頭を下げて、別れを告げた。商店街から駅に向かう途中、人混みの中を2人並んで歩く。分厚い雲からまばらな雨が降ってくる。


 「先輩の両親、いい人ですね・・・・・・」


 『 そうだなぁー 尊敬できる親だと思う。 』


 「だったら何でさっき、オレの言おうとしてたこと遮ったんですかぁ? ・・・・・・本当のこと言っても良かったのに~」


 『 ・・・・・・。 』


 目の前を歩く人が空を見上げて、差していた傘を畳んでいく。俺も同じ様に見上げると晴れ間が覗き、さっきまで降っていた雨がいつの間にか止んでいる。そして隣りにいたはずの鈴木先輩の姿はもうそこになかった。




 * * *


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