第5話 五月川とカゲロウ。 02章

 次の火曜日、朝から雨が降り続いていて、空模様は1日を通して安定していない。こんな日の駅前はそれなりに慌ただしくて、買い物へと急ぐ人はもちろん、タクシーや黄色いカッパに身を包んだ小学生の集団などが行き交う様子は、まるで夜店のヨーヨー釣り屋さんみたいにカラフルできれいだ。


 いつもだったら夕方からサークルがあるけれど、今日は体育館が消防設備の点検とかで使えないらしくて、特にやることのない俺は、まだ太陽が明るい夕方のこの時間に、日課となっている緑川のとこに向かっている。

 大学から駅まではそれなりに距離があって、特にこんな雨の日は移動にバスを利用する人がほとんどだ。だけど今月の仕送りの大半をすでに使ってしまった俺にとって、片道180円ですら惜しくてここまで歩いて来た。いつの間にか骨が折れてしまっていたビニール傘を片手に、ノートや教科書が詰まった鞄だけは濡らさないようにと、しっかり抱きかかえながらだから余計に時間が掛かってしまっている。そんな俺の状況を知ってか知らずか、さっきまで同じ講義を受けていた緑川は一足先に自宅へと帰っていった。きっと今頃は適当に家事でもして、のんびり待っているのだろう。



 人の通りが激しい駅を抜けると、この辺りで一番大きな川が目の前に現れる。この間の日曜の事故以来、はじめてここを通る。川原には立入禁止を促すテープが風に揺れ、そばに白い花束やお菓子なんかが供えられている。


 (あぁいうの見ると、改めて人がひとり亡くなったのを実感するよなぁ・・・・・・)


 直ぐ横を何台目かの車が通りすぎるのを傘越しに見ながら、橋の上の歩道を半分近く渡った時、不意に右の肩を誰かに叩かれた。


 『 俺のこと分かるのか? 』


 思わず振り返ると、そこにはひとりの大学生が立っていた。一瞬にしてそれが誰だかわかった。この間ここで亡くなった男の子だ。


 『 もしもーし? 君も無視すんの? 』


 驚いて言葉を失っていた俺の目の前で、手を振りながら透き通った声で話しかけてくる。堪らず一歩後ろに下がりながら、出来る限り悪意のある目で少し年上の先輩をにらみつける。


 「・・・・・・だっ、誰ですか? いきなりっ オレ急いでるんで、それじゃ!」


 俺は緑川から言われた通り、出来るだけ関わらないようにその場を急いで離れようとした。けれど走り出そうとした瞬間、傘が引っ張られてバランスを崩してしまった。


 『 あっ! ごめんね? 大丈夫? 』


 そのまま後ろに倒れて、歩道のブロックの隙間に出来た水たまりに尻もちを着いてしまったため、ズボンはおろか濡れないように頑張って運んでいた鞄までもがしっかり雨水に浸ってしまっていた。帆布生地から滴る雫が中まで染み渡っていることを物語っている。

 改めて俺は後ろで手を差し伸べている男の子を睨みつける。けれど両手を左右に広げて悪気がなかったことをジェスチャーで語る彼に、それ以上何かする気になれず、無駄と分かっていながらお尻と鞄についた水を手で払いながらひとりで立ち上がる。


 『 いきなり掴んだのは悪かったよー だけど君も失礼だろ? 走って逃げようとするなんて! 』


 そういう大学生に何の返事もせず、濡れたズボンが貼りつかないように少しガニ股になって歩き出す。それを何とかして止めようと、色々と話しかけてくる先輩。


 『 怒ってるの? 謝っただろ? 少しだけでいいから話さない? ねぇ? 新入

生だろ? なぁ? 』


 相変わらず降り続けている雨と彼のしつこい態度に、いい加減うざったく感じて最後に何か文句を言ってから立ち去ろうと、振り返ると。



 『 ・・・・・・なんでだよ⁉ みんな、まるで俺が透明人間にでもなったかのように・・・・・・・ 』


 棒立ちに空を眺め、世界が終わってしまうかのような顔をした少し年上の先輩が、誰に言うでもなくため息交じりに叫んでいた。


 「・・・・・・少しだけだからね? この後人と会う約束があるからっ」


 『 ・・・・・・いいの? よし! ここじゃアレだから青春っぽく川原で話そ! 』


 俺の言葉に対して、まるで今見せた表情が嘘だったかのようにニコニコ顔で強引に腕を引っ張っていく。


 (あ゛ぁ~もぉ! また緑川に怒られるっ!)


 晴れている日には川原にあるグランドで野球やサッカーを楽しむ姿や、ランニングに勤しむ人たちで賑わうけれど、今は大きな水たまりに降雨音がだけが聞こえている。


 俺達は橋の向こう岸まで来て、直ぐ横の川原にあったベンチに並んで座った。小さな水たまりが出来ていたけど、さっきズボンを濡らした俺や、こんな日に傘もささなくていい彼にとっては最早、些細な問題だった。


 「それで? 何を話したいんですか?」


 『 ん? そうだなぁー・・・・・・ 改めて聞きたいんだけど、俺どっか変か? 』


 真っ黒な瞳でこちらをまっすぐ見据えて、少し真面目な表情で質問してきた。


 「・・・・・・いえ、別にはないですっ」


 『 良かった! なんかおかしいんだよー! 気がついたらあの橋の上にいて、財布もスマホもないのよ。 とりあえず近くにいた人に話しかけても、全員無視するしさぁー あげく、家に帰っても鍵掛かってて入れないの! 俺が変になったのか、周りが変わったのか、すごく心配になっちゃってさぁー 』


 「・・・・・・。」


 先輩はコロコロと表情を変えながら、こちらの様子をお構いなしに轟々と流れる茶色の川に向かって話し続ける。


 『 んで、しょうがないからここまで戻ってきてー 誰か話が出来るやついないかなぁーって思って片っ端から色んな人に話しかけてたんだよ・・・・・・・ そしたらたまたま君が通りかかって、目が合ったって訳! ––––––ん? ところでまだ名前聞いてなかったよな? 』


 ひたすら自分語りしていた彼は、突如こちらに向き直り、キラキラした顔で聞いてくる。


 「赤城ですっ 文学部心理学科1年、赤城 翼ですっ」


 『 赤城くんかぁー 俺は経済学部経営学科2年の鈴木 一樹だ! 』


 俺は敢えてこちらから学科が分かるように自己紹介した。


 (経営学科かぁ~ 知り合いにはいないなぁ・・・・・・ 後で緑川にも聞いてみよ~)


 『 それで赤城くん! 彼女はいるの? 』


 「えっ⁉・・・・・・ 今はいないですっ・・・・・・」


 『 そっか! 俺はいる! 同い年でかわいいんだ! 』


 そう言う鈴木先輩の顔はニヤニヤと笑っている。なんだか今直ぐ帰りたくなってきた。


 『 それでその彼女がさぁー ちょっと前にここに、来たんだよ! 話し掛けても返事しないし、なんだかよく分からないけど、泣いててさぁ・・・・・・ その後に来た俺の両親もそんな感じだし・・・・・・ 』


 段々と彼の顔が曇っていく。


 『 いったい何が起きているか知らないか? 』


 先輩は俺の目の前に顔を近づけて来た。それに驚いてベンチから転げ落ちてしまった。そしてそのまま俺はどう返事をしていいか分からなくなって、泣きそうな顔をしている鈴木先輩をひとり残し、直ぐ後ろにあるマンションの方向へと走り出した。


 『 おい! ど–––行くんだ––– 戻っ––––––よ! お–––––– 』


 雨の音と川の流れる音で、ほとんど何を言っているか分からない叫び声を背中で受けながら、ただひたすら足を動かした。



 6階の隅にある緑川の部屋の前まで来た時には、ドクドクと高鳴る心臓の鼓動と、逃げ出してしまった後悔だけが体中を巡っていた。


 いつもより冷たく重たい扉を開け、リビングへと向かう。


 「おう! 遅かったなぁ? 寄り道でもしてきた? っていうかなんで毎回お前はびちゃびちゃなの?」


 「・・・・・・ごめん。 途中で転んだ~」


 さっきまで晩ごはんを食べていたようで、空になったお皿やお茶碗を前にお茶をすすっていた緑川が、キリッとした目でこちらを上から下まで舐めるように見つめてきた。


 「洗濯してやるから脱げよ。 お前がこの間置いていった服がそこら辺にあるはずだから。」


 「・・・・・・ごめん。 ありがとう。」


 俺は彼との約束を破った後ろめたさから、背中を見せながら、そそくさとその場で服を脱ぐ。


 「・・・・・・そう言えばさぁ~ さっきの講義、難しかったね~ 緑川わかった?」


 「あぁー 脳神経の話なぁー 数式とか出てきて分かりにくかったけど、電気のスイッチみたいなやつだろ? それが心臓とか肺みたいにオートで動くとこと、マニュアルで動く手足みたいに別れてるってだけで。」


 「そうそう! それっ! っていうかなんで緑川はそんな頭いいの?」


 適当に畳んでおいてくれた服に着替えて振り返ると、自慢げに鼻の穴を膨らませながら、腕組みをしている彼の姿が目に入った。


 「そんなん! 日頃の読書量の差だろうな! 赤城くんも少しは本を読むべきだろ?」


 「あぁ~ 分かってるんだけどねぇ~ 挿絵が少ないとつい眠くなっちゃって~」


 「ついてるだろ? 特に専門書とか。」


 「あれは挿絵じゃなくて図解ねっ」


 「似たようなもんだろ? っていうかそんなことより、早く来たんだから練習! いつもより長くできるだろ? リラックスモードになってんじゃねぇよ!」


 お気に入りのモコモコのロングソファに顔を埋めていると、少し機嫌が良くなった緑川から催促が入った。また機嫌を損ねないように、慌ててシャキンと座り直してから、目を閉じて深呼吸を始める。


 「最初はゆっくりとだぞ? 身体にまとっている霊力をしっかりと感じ取れるように。」


 いつもと同じ様に緑川の声に従って、身体を覆う見えないカーテンをイメージしていく。


 「そのまま頭の後ろにある霊感の穴を絞っていく。 呼吸を乱さないように。」


 想像の中にあるそれを、言葉のままにしていく。何度目か分からないいつもと同じ動作。こうすることでフィルターの中にいるように感じて、彼から見ても気配というか、俺の存在が少し薄くなるようになるらしい。

 けれど今日はうまく出来ない。むしろ身体の中からよく分からない力が溢れてくる。


 「おい? どうした? なんか不安定だぞ?」


 (あれっ? あれ~⁉ いつもここまでは出来ていたのにっ なんでだ??)


 焦る気持ちからか、今までどうやっていたのか全く分からなくなってきた。


 「––––––ストップ! 止め止め! このままだと変なの呼び込みそうだ。」


 そう言って俺の肩を強く叩く緑川。それに反応して規則的な呼吸から変な呼吸の仕方になってしまい、咳き込んでしまった。


 「––––––ぐっふっ! ごほっほっ・・・・・・ なっなんでだろっ? ごほっ・・・ 」


 「お前なんか悩みでもあんの? なんか心ここに有らずって感じで集中できてないぞ?」


 「・・・・・・ごめん。 ねぇ緑川~? 人って死んだ後ってどうなるの?」


 「ん? いきなりだなぁー うーん・・・・・・ 肉体と霊体ってのはわかるよな?」


 半ば呆れた表情の彼が、人差し指を突き出しながら、一個一個丁寧に説明し始める。


 「わかるよ。 死んだら肉体は燃やされて骨になるってのは知ってる。 それじゃ霊体は?」


 「宗派とか価値観によって様々だけどー 一番有名なのは仏教の四十九日だな。 7日ごとに地獄で裁判が行われる。 それによって極楽行きか、地獄での罰が決まる訳だ。」


 「それじゃ~ 死んでから直ぐにあの世に行くってこと?」


 「まぁ仏教ではそういう話だ。」


 「・・・・・・それなら、実際どうなの?」


 「この世に留まっているのがほとんどだ。 大体の霊は死んだことに気が付かないで、死ぬ直前の行動や、生きていた頃とあまり変わらない生活を場合が多い。 姿形もそれに合わせて変わるし。 そして大体死んでから50日頃までには消えていく。 それが俗に言う成仏ってやつだと思う。 俺たちが普段見えてるのはこの50日間で消えなかった霊だ。 死んだ時の衝撃が大きかったり、自分が死んだってことを受け入れられないってのが理由だったりするんだけど。 もちろん一概に全部が全部そうとは言えないけどなぁー 」


 「それじゃ~ 死んだことを受け入れるにはどうしたらいいの?」


 「それは死んだ理由によるけどー うーん。 葬式だったり、自分のために供えられた花とか線香だったりを見て死んだことを自覚したり・・・・・・ 後はやっぱり家族とか友達の悲しんでる姿じゃね?」


 「確かにそれはそうだねっ それじゃお経とかって効果ないの?」


 「ない訳じゃないよ。 ただあくまでも俺の力と一緒で、言葉の力で浄化して成仏しやすい様にするだけだなぁー むしろ誰が読み上げるか、どんな願いを込めるかの方が重要だろうな。」


 「なるほどねっ!」


 「・・・・・・まったく・・・・・・。 何考えてるか分からないけど、あんま変なことするなよ?」


 そう言って緑川は少し恐い目をした。俺はなんだか座り心地が悪くなったけど、直ぐにニヤリと笑って見せた彼にそれ以上追求されることはなかった。


 「気は晴れたか?」


 「少しはっ~」


 「それじゃ練習の続き!」


 再び俺は目を閉じて、深く息を吸う。さっきより気持ちが落ち着いた分、周りの空気が少しだけ静かに、柔らかく感じた。





 * * *


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