第5話 五月川とカゲロウ。 01章

 季節の移り変わるこの時期の空は、目まぐるしく次から次へと変化する。特に高低差があるこの町では、場所によって雨雲を見下ろすこともあり、さっきまで晴れてたのに、急に暗くなったかと思うと、次の瞬間には土砂降りの雨で全身びしょ濡れになったりする。


 ある日曜日の昼、友達の緑川 翔真に日頃の感謝を込めて、彼の大好物である寿司をご馳走した。もちろん板前さんがつくる本格的なものなんて高くて手が届かないから、全国チェーン店の回転寿司だったけど、それなりに喜んで貰えた。


 「緑川ちょっと食べすぎっ! もう財布からっぽだよ~」


 「だって注文すると電車で運ばれてくるんだぞ⁉ ついつい頼んじまうだろ?」


 (小学生かよ・・・・・・)


 「まぁ味はイマイチだったけどなー」


 「だろうね~ お金持ちの緑川からしたらあんなの寿司じゃなくて・・・・・・ あっ、雨。」


 緑川のマンションまでの帰り道、駅前まで来たところで急に雨が降り出した。出かける時には晴れていたから傘の用意がない。けれど隣の彼は玄関脇に置いてあったのを持って来ていて、何食わぬ顔でひとり傘の下に逃げ込んだ。


 「自分だけずるっ!」


 「お前と相合い傘は嫌だ! それに朝の天気予報じゃ夕方から雨だって言ってたろ? 何で持って来てないんだよ?」


 「たまたま忘れただけっ! そんな意地悪言わないでさぁ~」


 無理やり黒い雨傘の下に入ろうとする俺を引き剥がし、そのまま走って帰ろうとする。そんな彼に追いつこうと、ますます激しくなる雨の中、足元で音を立てて水しぶきがあがる。俺の方が足が早かったみたいで、すぐに追いついて柄に手をかける。けれどその瞬間、肘鉄をみぞおちに食らって思わず水たまりに膝を着いてしまった。


 「いてぇ~~~!」


 一度こちらを振り返り、まるで勝利の宣言かのようにニヤリと笑い、優雅に傘を高く掲げて、再び帰り道を急ぐ緑川に対して、後ろから腰にタックルする。

 もう豪雨となった雨の中、一本の傘を巡ってお互いビショビショでじゃれつく姿は、通りを歩く人達から見ると、実に幼稚だと思う。




 いつもより長い時間をかけて大きなアーチ橋のところまで来ると、笑いながら傘で俺の攻撃をガードしてた緑川が突然立ち止まった。俺も慌てて止まろうとするが、手前の側溝で派手に転んだ。


 辺りは騒がしく、人だかりが出来ている。水泳でもした後のようにぐっしょり濡れた身体を起こすと、川辺には救護服を来た大勢の人がいるのが見える。近くに停められているパトカーや消防車などが、サイレンの明かりで雨を赤く照らしていて、目の前で起きている事の深刻さを物語っていた。


 「なにー? どうしたの?」


 「バーベキューしてた大学生が川に流されたみたいよ?」


 「やだー 何で?」


 その様子を野次馬から少し離れたところで2人して眺めていると、直ぐ近くにいた年の若い主婦達が話しているのが聞こえた。


 「・・・・・・知っている人かなぁ?」


 俺は不安を抱えながら、隣りにいる緑川に尋ねるも、彼は何も答えず、橋の下のカッパを羽織った集団を見つめているだけだ。


 「––––––下がって! 道を空けて下さい!!」


 雨の音に混じって後ろから救急車のサイレンの音が聞こえたと思ったら、人の群れが割れ、1台の担架が運び上げられてくる。

 その上には白いカッパが掛けられ、眠ったように静かに瞼を閉じた男の子が乗っている。


 (この人亡くなったんだ・・・・・・)


 理由は分からないが、そう直感した。

 そのまま数人の救急隊員に引き継がれ、救急車は残音を耳に焼き付けて、来た道を慎重に戻っていく。それを目で追いながらも、未だに騒がしい周りの様子が気になって仕方がない。


 「・・・・・・もう、行こう。」


 ずっと黙っていた緑川が傘を半分差し出して、つぶやく様に言ってきた。俺はそれに従い、歩道を塞ぐ人達の間をすり抜け、無機質に伸びる鉄骨の下をゆっくりと並んで歩く。激しく音を立てて流れる川を横目で見ながら、今しがた目の当たりにした人の死のショックを隠しきれないでいた。


 (オレ達とあんま、年変わらなかったなぁ・・・・・・)


 橋の半ばまで来た時、不意に後ろの喧騒が気になり振りかえる。豆粒みたいに小さくなった警官が黄色と黒のテープを張るその手前に、自分の目を疑う様な人がいた。


 さっき救急車で運ばれていった男の子だ。人だかりから少し離れた所で、土色をした川を見下ろしている。頬の傷や顔色こそ違うものの、服装などは同じで遠目にもはっきりと本人だと分かる。

 周りの音が聞こえないほど、激しく降っているにも関わらず、ひとりだけ傘もささず、その姿は遮られることもなく、そこにはっきりと存在している。


 俺は無言でとなりにいる彼の濡れたワイシャツを引っ張り呼び止める。


 「なに! 何だよ⁉ ・・・・・・手つなぎたいの?」


 「違うっ! あそこ!」


 「ん?」


 地団駄を踏みながら俺が指差す方向を、目を細めてよく見ようとする。そして何かを察したかのように声にならない声でつぶやくと、眉にシワを寄せて何やら難しい顔をしている。


 「あー うん。 何かいるのは分かる。」


 「えっ? あの人さっきの大学生だよ? 見えない?」


 「俺は赤城くんほど強くないから、あそこまで弱い霊だとはっきりと分からない。」


 「そうなんだぁ~・・・・・・」


 彼は俺の頭に手を置き、ニカッっと乾いた笑顔見せた。


 「まぁもしそうなら霊に成りたてなんじゃね? たぶん直ぐにいなくなると思うけどー そんな心配そうな顔すんなよー」


 俺は自分でも知らず知らずの内に顔が曇っていたらしく、彼は優しい声で語りかけてくれた。




 その後も雨足は変わらず、濡れた服が肌に張り付き、緑川のマンションに着く頃には鳥肌が立つほど寒くなっていた。部屋に着くなり、お互いバスタオルで全身を包み込むように拭き、俺は以前借りた派手な紫色のスエットをまた借りた。


 「お前来る時、気をつけろよ?」


 緑川がピンクのスエットに着替えながら俺に言ってきた。


 「何を~?」


 「さっきの大学生の霊。 ここに来る時必ずあそこ通るだろ? 変に同情して地縛霊とかにしそうだから。」


 「じばく霊??」


 俺の質問に対して、得意げにニヤリと笑い、いつもの定位置である赤色の縞々ソファーにドカリっと座った。


 「普段町中とかで見かける霊を浮遊霊とかって言ったりするんだけどー それに対して、一定の場所に留まっている霊を文字通り地縛霊って言うんよ。 基本的に一つの場所に決まって出現する霊ってのは力が強いか、特別思い入れがあるもんだ。 それでお前の場合、意図せず霊に力を与えちまう。 だからそのまま消えてしまうものや、浮遊霊としてある程度の期間彷徨ってるヤツまでも地縛霊や悪霊にしかねないんだよー ・・・・・・って聞いてんのか⁉」


 程よく温まった身体と、緑川の教授風の話し口調で俺は瞼が半分落ちかかっていた。


 「・・・・・・んはぁ?・・・はいっ!」


 「それじゃ俺の説明したこと言ってみろ!」


 「う~ん・・・・・ 要はオレが近づくだけで、あの人を悪いものに変えちゃうから~ あんま関わらないようにしろってことだよね?」


 「・・・・・・まぁー そんなとこだ。」


 俺は立ち上がって、リビングのベランダへと出られるガラス扉を開けた。雨はさっきと比べて弱くなっているけど、辺りはどんよりと鉄色をした雲が太陽の光を遮っている。そのままベランダの手すりまで出ると、階下の先には駅前から商店街までが一望でき、来る途中通った橋の様子もはっきりと見える。川辺にはまだ数台のパトカーが停まっていて、水かさが落ち着いた川の近くには警察官らしい人影が慌ただしく動いているのが分かった。


 (さすがにここからじゃ、あの人がまだいるか分からないかぁ~)


 橋の上には数台の車の行き来があるだけで、人だかりになっていた野次馬はもういなくなっていた。


 「おい! 雨が降り込んでくるだろ? 閉めろよー」


 「ごめん。」

 

 「部屋が濡れるから、ちゃんと後ろ足を拭いてから入れよ?」


 「・・・・・・オレは犬じゃないっ!!」





 * * *



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