第4話 蛍火の跡で。 01章

 今日の昼頃まで変人呼ばわりしていた奴の肩を借りながら、林の入り口まで来た。カエルの大合唱が響く中、同じサークルの友人である佐藤がこちらに何事か叫びながら近づいて来たのが見える。その奥にさっきまでいた物音一つしない沢とは大違いで、10人ぐらいが騒いでいる。


 「赤城! お前まで・・・・・・赤城大丈夫か⁉」


 「・・・・・・んぁあ~ うん・・・・・」


 「––––––大丈夫だよ。 転んだだけみたい。 ただどっか打ったみたいで意識が朦朧としてる。」


 俺が答えようとしたところで、頭のすぐ横で代弁してくれた。


 「・・・・・・まじで⁉ とりあえず俺、部長呼んでくるから! そっちの方で休ませておいてよ!」


 「おう!」


 佐藤は林の手前を流れる小川の向こう側からこちら側には来ないで、そのまま人だかりの出来ている方へ走って行ってしまった。


 (・・・・・・佐藤のやつ、怖くて林には近づけないのか? まぁ当たり前かぁ~ 叫び声が聞こえたり、逃げ帰ってきたやつがいれば普通そうなるよなぁ~・・・・・・)


 俺は奥の沢にいた時より気分が悪くなって、ここまで歩いて来たのが嘘の様に頭がぼんやりとしてる。左手に触れている助けてくれた人の身体が熱く感じて、自分がすごく冷えているのも分かる。だれどその割に頭は冴えていて、遠く見渡せば目に入る全てのことが把握できる程だ。


 「大丈夫か?」


 俺より身長が高い彼が心配そうな声を掛けながら、ずり落ちそうになるのをなんとか支えてくれている。そのまま小さな橋を渡り、苗がきれいに並ぶ田んぼの横に優しく下ろしてくれた。そして自分も同じように俺の横に座り、俺の足に黒いジャケットをかけてくれた。


 「・・・・・・たぶん、さっきより気持ち悪いと思う。 俺も初めて憑かれた時はそうだったし!」 


 「・・・・・・あぁっ?」


 「お前の身体がさっきまで入ってた霊に反応してるんだ。 大丈夫! たぶん一晩寝れば治るだろうから!」


 目の前に彼のニヤリと笑った顔が見える。その時俺は気持ちの悪さがピークを迎えた。胸の下の方から何かこみ上げてくる。思わず口に手を当てるけど、うえっとなるだけで何も吐けない。

 (俺吐くの下手くそなんだった・・・・・・。 気持ち悪い・・・・・・。 けどここで吐かないで良かった。 助けてくれた人をゲロまみれにする所だった・・・・・・)


 「大丈夫か? 吐きそ? 少しでも吐けばスッキリすると思うけど・・・・・・?」


 返事をしようと口を開けると、余計気持ち悪くなる。首を大きく左右に振ってなんとか意思表示をした。すると俺を肩で担ぎ、キラキラ光る川辺のそばに連れてきて四つん這いの格好にさせた。


 (・・・・・・えっ⁉ ここで吐けって事!!? いやっ・・・えっ⁉)


 「吐ける?」


 「・・・・・・・むりっ・・・・・・。」


 「しゃーない! 後で怒るなよ?」


 彼はそう言うと、きれいに整った指を揃えて俺の口に入れてきた。次の瞬間、水と一緒に胃の中のものが流れていく。幽霊に取り憑かれた時とは別の涙が目から溢れ出てくる。横を見ると先程俺の喉を貫いた手を、川の水で濯ぎながらどこか楽しそうに笑う変な髪型のやつがいる。

 だいぶ体調は治まり、今までの吐き気に代わって、今度は怒りを通り越して、こいつをここでどうしてやることも出来ない自分の情けなさがこみ上げて来た。


 そんなことを考えていると、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえてきた。佐藤が部長を連れて来てくれた様だ。


 「––––––赤城! 大丈夫か⁉」


 「赤城くん大丈夫かー? どこか怪我してない?」


 2人がそばまで来ると、急に立ち上がり、さっきまで俺が握りしめていた自分のジャケットを慌てて俺のズボンにかけてくれた。


 「部長! こいつ先に入った2人を追いかけてる途中で転んだみたいで・・・・・・ その時に頭かどっか打ったみたいで気分が悪いみたいなんっすよー」


 「マジかぁー 一応病院行っとくー? 先に出てきた2人の内ひとりは大丈夫そうだけど、女の子の方がさっきまで騒いでたんだけど、そのまま気絶しちゃって・・・・・ 今どうしようか考えてたところなんだけどね? もし赤城くんがこのままじゃまずいってことになったら2人一緒に病院に連れてった方がいいと思うから・・・・・・ 赤城くんどうする?」


 俺は部長の呼びかけに対して全力で首を振った。

 (・・・・・・この状態で病院になんて行ったら、また幽霊と遭遇する・・・・・ 流石に今日はもう会いたくないっ)


 「・・・・・・そっかー まぁ本人がそういうなら仕方がないか。 緑川くんの方は大丈夫?」


 「俺は平気っす! もし良かったら今日ここまでバイクで来たんでこいつ送っていきましょうか?」


 「バイク⁉ 大丈夫?」


 「荷物用のロープで結べば大丈夫っすよ!」


 (・・・・・・俺は荷物かよっ!!)


 「それならまぁー お願いしようかなー 女の子の方も・・・・・・・ 佐藤くん悪いんだけど一緒に家まで運ぶの手伝ってもらっていい? 白石ちゃんも付添いお願い!」


 何故かこちらを睨むようにキリッとした目で見つめる佐藤の腕を引っ張りながら、様子を見に来たもうひとりの先輩と一緒に戻っていった。


 「さて! 早く行かないとお前のズボンのシミを誰かに見られちゃうからなぁー! ちょっと待ってろ!」


 さっき緑川と呼ばれていたやつはそのまま俺を残して、どこかに走り去ってしまった。目の前には俺の吐いたものが少しかかってしまった草が見える。場所を移動しようと腕に力をいれるけど、プルプル震えるだけで動けない。仕方がなくそのまま横にずれるように仰向けに倒れた。


 空には月が見える。頬をなでる風が心地よくて、疲労困憊していなければ最高のお月見日よりだと思う。少し離れたところで誰かが話す声がカエルの声と調和して、程よい眠気へと誘ってくる。

 (このままここで寝たら気持ちよさそうだ~ だけどTシャツもパンツもびちゃびちゃで風邪ひくかなぁ? いや、きっと大丈夫だ! バカは風邪引くって言うし、オレならきっと大丈ぶぅっ~・・・・・・)


 意識が深い闇に落ちそうになった時、耳をつんざくような低音が辺りに響いた。


 「お待たせ! ・・・・・・ん? 寝てんの?」


 少しレトロなオートバイが轟かす排気音と共に、悪魔が描かれたヘルメットをかぶった人がこちらに近づいて来て、ほっぺたをペチペチと叩いた。


 「・・・・・・んんっ・・・みぃ・・・誰っ・・・っ?・・・・・・」


 「お? 起きてたかー とりあえず行くぞ? 後ろでぜっーーーたいに! 吐くなよ⁉」


 「・・・・・・うん・・・・・」

 (そんな無茶なっ・・・・・・)



 俺はそのままバイクの荷台に括り付けられていたロープで腰をきつく結ばれ、シートに跨がらせられた。そして目の前の彼は前に腰掛けると、俺の両手を自分の腹に回し、ロープのあまりで器用に固定した。


 「彼女以外乗せたことないけど、まぁーしょうがない。 足だけしっかり乗っけておけよ?」


 その言葉の後、俺の頭はヘルメットにすっぽり覆いかぶさられた。


 (待って! オレ、バイク乗ったことない!! っていうか足届かないっ!!)


 慌ててそう伝えようとしたが、口がモゴモゴするだけで全く届いていないようだ。次の瞬間、低い音がより一層響いたかと思うと、俺は迫りくる空気の壁をすり抜けていた。俺が生まれて初めて風になった瞬間だ。



 バイクがどこをどの様に走ったかは分からない。気がついた時には駅の向かいにあるマンションのひとつの前にいた。


 「ここの6Fの角部屋! ・・・・・・大丈夫か? 息してる?」


 固く結ばれたロープをなんとか解こうと四苦八苦していると、窮屈なヘルメットが外され、新鮮な空気が肺に入ってくる。俺は過呼吸気味な息をなんとか落ち着かせ、目の前のやつに一言文句を言ってやろうと睨みつけた。


 「そう睨むなって? ゲロも吐かなかったし、漏らしてもないだろ? 俺のテクニックのおかげだろうなー」


 「・・・・・・3才児でもあるまいしそんなに漏らさないからっ! っていうかオレの扱い酷くないか⁉」


 「おぉ⁉ 文句を言えるだけには回復して来たようだねー それじゃそのまま部屋まで行こうか。」


 彼は俺の動きを制限していたものを小さくまとめ、一足先にエントランスへと向かっていく。その後をまだしっかりとしない足で追いかける。


 なんとか近くまで行けたのは、エレベーターの開くボタンを押して待っていてくれたからだ。たった数十メートルの距離を歩いただけで息があがり、自分がどれだけ体力を奪われているのかがよく分かった。

 (・・・・・・体力だけは自信あったのになぁ~ 今なら小学生にも敵わないかも・・・・・・。)


 そんなことを考えていると、どんどん上へ昇っていき、やがてチーンと景気の良い音とともにエレベーターが止まった。そのまま彼に付き添われる形で蛍光灯の照らす廊下を歩く。生きている人間も、幽霊さえもいない静かな通路にブーツの音と、ペタペタとサンダルで歩く音だけが木霊している。




 * * *


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