第3話 傘越しに見る雨。 06章

 外に見える遠くの明かりが、クリスマスのイルミネーションのようになっている。雨粒が窓ガラスに尾を引いて、暗くなった辺りの様子を魅力的なものに変えているせいだろう。バスの中はシンとしていて、椅子に乗せた頭にエンジン音だけがこだまする。ありふれた日常の一コマが、少しノスタルジックに感じられて仕方がない。特にあんな体験をした後だと尚更だ。


 黒崎がドアの向こうに吸い込まれるように消えていくのを見送った後、池田さんと少し遅いおやつを食べながら、自分達の体験した奇妙な時間について話をした。彼女は薄い半紙に自分の名前を書いたところまではしっかり覚えていたが、そこから私が駆け寄るまでの記憶がごっそり抜け落ちていた。それどこか黒崎の名前や顔さえも曖昧で、何か悪い夢でも見ていた様な感覚らしい。

 人には知らなくても良いことがあると思う。たぶん池田さんにとって、あの見るからに怪しい男のことも、除霊の時に発した別の人の声のことも、忘却の彼方に追いやってしまった方がいいのだろう。だから彼女へは無事に身体から霊が抜けて空に登っていったと、そう嘘をつくことにしたのだった。

 池田さんはそれで納得してくれた様で、その後普通の女子大生のするファッションの話しで少し盛り上がり、喫茶店の前で解散した。


 私はそのままバスに乗って大学方面に行く。頭の中はこの1週間で浮かんでは消える疑問でいっぱいだ。だから誰かと少しでも話がしたくなってサークルに赴くことにした。もちろん気分転換も兼ねてだ。こういう時には思いっきり歌うに限る。


 本日2度目の大学には6時過ぎに到着した。いつもの場所へと向かう道を歩いていると、大学内には意外にもまだ学生が多くいることに気がついた。皆が皆、それぞれ思い思いのことに夢中になって、友人と話をしたり、サークル活動に夢中になっている声が聞こえる。私はここまで来てはじめて帰ってきた気がした。


 体育館横の喫煙スペースに、ひとり空を見上げながらタバコを吸っている部長がいる。


 「お疲れ様です! 何ひとりで黄昏れてるんですか⁉」


 「おぉっ! お疲れちゃん! 別に黄昏れてないでしょっ? 白石ちゃん今日は遅かったねー?」


 「ちょっと友達とご飯食べに行っててー 今日は色々とあった1日でしたー・・・・・・。」


 今の返事の何が愉快なのか分からないが、どこか楽しそうに笑って返す部長。普段のサークル活動では、誰よりもその場を楽しませようとおちゃらけた感じの人だけど、哲学を専攻していて、こと勉強に関しては非の打ち所がないほど優秀な学生のひとりらしい。だからなのか後輩からの人望は厚く、私自身なにかとお世話になっている。

 そんな先輩は吸い殻を灰皿に投げ入れるとこちらを改めて見て、ニタニタと独特な笑みをこぼしている。


 「白石ちゃん何か悩み事?」


 「えっ⁉ やっぱり分かっちゃいます? 部長にはやっぱり敵わないなぁー。」


 「いやー 分かりやすいよ?」


 「部長はー・・・・・・。 霊って信じてますか?」


 不揃いなヒゲの生えた顎に手を当てながら、唸っている。普通はそういう反応になるだろう。私だっていきなりこんな質問をされたら解答に困る。


 「・・・・・・どうして死を恐れるのだろう? 俺達は誰も死後がどういうものなのか知らないはずだ。 今まで誰も死んだ人から死後の話を聞いたことがない。 知りもしないのに恐れるのはいかがなものだろう。 死後のほうが生前よりも素晴らしいことが起きるかもしれないのではないか。 ・・・・・・俺が敬愛するソクラテスの言葉だよー。」


 部長の言っていることは難しくて理解が出来なかった。けれど私の体験した事の本質を得ているような気がした。頭の中で一言一言を整理する。そしてうまい返しが見つからず、今日の出来事を順を追って説明することで、その言葉への返事とした。


 先輩は私の話を驚きもせず聞いてくれた。こういう時に彼の顔からは遊び心が消える。だからついつい話してしまう。辛気臭い男のことも、池田さんの悲鳴にも似た声のことも、私が何も出来ず横で見ていたこともだ。


 喫茶店を出て彼女と別れたところまで話すと、ズボンのポケットからタバコを1本出して火をつけた。


 「・・・・・・アタシ自身今まで霊の存在なんて信じていなかったんですけど、それ以前に色々と腑に落ちないことの方が気になってしまって・・・・・・。」


 「確かにー。 本当に霊がいるかどうかは別として、その男が全てように感じるよねー」


 頭を掻きながらため息と共にタバコの煙を吐き出した。部長はそのままどこを見るでもなく続けた。


 「・・・・・・ただねー 深淵を覗き込むと深淵もまた、っていうニーチェの言葉の通り、もう終わったことだ。 白石ちゃんもこれ以上はかかっ––––––––––––」


 そこで喫煙スペースの向こう側から、赤いパーカーを着た男の子が顔を覗かせた。


 「・・・・・・部長、すみませんっ さっきの続きお願いしますょ~」


 「おっ! ごめんごめん! 一服のつもりがー」


 目の前にはさっきまでの顔ではなく、いつものどこか間の抜けたサークルの部長の姿があった。


 「白石ちゃん! 悪いんだけどー、この続きはサークルが終わってからでー。」


 「大丈夫ですよ! すみませんねー」


 「・・・・・・そのー、代わりって訳じゃないんだけどー 赤城君に続き教えてやって貰っていい⁉」


 部長はそう言ってニヤリと笑い、腰元で小さく親指を立て、グッドサインを男の子に作って見せた。そのサインの意味が分かったのか、私の顔と部長の顔を交互に見ながら顔を真っ赤にさせて興奮した様子の赤城くん。 まったくこの人は、時々お節介が過ぎて困ってしまう。



 後輩のギターレッスンの途中で、休憩がてら一服していた部長を長話で引き止めてしまったせめてものお詫びに、コードを教える代打を快く引き受けた。ただ、前を歩く少年に先程の会話を中断されて、少しモヤモヤもしていた。あのタイミングでこの子が呼びに来なければ、もう少しすっきりした気持ちでサークルに参加できていただろう。


 体育館の入り口ロビーはこの時間真っ暗だ。私達の他、様々なサークルが活動しているが、節電のためなのか活動場所以外は電気が消されている。

 薄明かりの中、私の靴とそう違わない大きさのサンダルを脱ぎ散らかす男の子を見ながら、私は部長の言葉を思い出す。


 「怪物と戦う者は、その時自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。 長い間深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた君をのぞきこむ。」 


 確か正しくはこうだ。今日私は深淵を覗き込んだのだろうか。もしそうならいっそ怪物になってしまおうか。そうすれば池田さんと別れてから感じる、このもどかしさを少しはどうにか出来るような気がする。


 「・・・・・・赤城くんはさー 霊って信じてる?」


多くの学生が汗を流しているであろう場所と、ここ玄関との間には重たい扉がある。そこにつけられた鉄格子の窓から指す明るい光が逆光になり、今彼がどんな表情をしているのかわからない。


 「・・・・・・しんっ・・・信じてますよ~  白石さんは信じてないんですか?」


 「アタシ⁉ アタシはー ・・・・・・信じてない。 そんなもの人が創り出した幻に過ぎないよ。 みんな原因が分からないものがあるとそれを霊のせいにする。 まるで神様の天罰のように、原因と結果が結びつかない突拍子もないこじつけ・・・・・・」


 「・・・・・・あぁ・・・・・・まぁ普通そうですよねっ! 幽霊なんている訳ないですよね~・・・・・ハハッハハハッハハハッァ・・・・・」


 何故かいつもふざけた感じの彼が、その時はどこか自虐的に笑っているような気がした。


 「・・・・・・でもね~白石さん。 たぶん同じ曲を聞いてもイメージがそれぞれ違うみたいに、オレが見ている世界と白石さんが見ている世界は違うと思いますよ~」


 「・・・・・・ん?」


 もしかしてこの子、霊が見えるのではないか。もしそうなら以前新歓の時の事件について尋ねた時に、何か隠しているような様子だったのも説明がつく。


 「赤城くん・・・・・・。もしかして君、見えてるの?」


 「・・・・・・見えてませんよ? オレ、白石さんの見てる世界はわかんないです!! だから~見せて下さいっ! ・・・・・・そのためにもまずぅ~ 連絡先教えて下さいっ! いいでしょ⁉ オレと一回デートして下さいよぉ~」


 前言撤回。こんな発情期の犬みたいな奴がそんなはずがない。

 私は目の前の能天気に笑う男の子の首にラリアットを食らわせ、そのまま体育館のよく滑る床を引きずって行く。ジタバタと藻搔きながら連絡先を教えてくれとせがむ後輩に、今日1日で色々悩んでいた自分が馬鹿らしく思えた。




 * * *



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