第3話 傘越しに見る雨。 01章
朝は苦手だ。高校生の頃も母親になんとか起こして貰って、朝ごはんもろくに食べないで出かけていた。それは大学に通い始めても変わらない。
寝癖でボサボサになった頭を掻きながら、カーテン越しから入ってくる光をぼんやりと眺める。頭と体がつながるのに5分ほどかかる。その間布団から上半身だけ起こしてスマホでメッセージのチェックだ。2回目のアラームが鳴ってからようやく起き上がる。簡単にベッドを直して、シャワーを浴び、他人に会っても恥ずかしくない程度の身支度を済ませる。そしてそのままアパートをあとにする。
普通の人より起きてから出かけるまでの時間は短いと思う。年頃なのだからもう少し見た目を気にするべきなのだろうけど、今は恋愛より食い気、食い気より好奇心が勝る。
昨晩から同じサークルの女の子とメッセージを交換している。その子の名前は池田さんだ。少し前の同サークルの新歓で、ちょっとした幽霊騒ぎがあった。その時に彼女はペアだった男の子と一緒に林の奥で、女の人の幽霊を見てしまったらしい。戻ってきた時には錯乱状態で、そのまま気絶してしまった。
周りの人は気絶こそ心配していたが、本人は幽霊に呪われてしまったのではないかと、霊感があると噂されている人のところへ、片っぱしから日夜連絡を入れている。
どのようなルートを通ってこちらの連絡先を知ったのか分からないけれど、この娘とのやり取りも今日で3日目だ。スマホでのやり取りは嫌いではないけど、いい加減今後の展開がはっきりしないのはどうにも居心地が悪い。
そんなことを考えながら大学への道を歩いていると、なぜか無性にアイスが食べたくなった。
もともと食事に関してルーズだから朝食代わりにアイスやお菓子を食べることはあった。けれど今はコンビニなどに売られているようなものではなく、それなりに美味しいものが食べたい。
ここから大学までは15分ほど。今日の講義も午後からだけど、昼過ぎにのそのそとベッドから這い出てそのまま行くのが何となく嫌だから、それなりの時間に起きた。だからここは少し大学から離れてしまうことになるけれど、喫茶店に行こう。時間はたっぷりある。何よりあそこのアイスサンドの口になってしまった。
眠そうな顔をしながら歩く人たちとは逆の方向へとひとり向かう。先程まで自分も同じような顔をして歩いていたが、今はもう違う。いつの間にか鼻歌まじりだ。
このまま商店街まで歩いて行ってもいいけれど、少し億劫でもある。何よりあの喫茶「風ノ唄」は今の時間モーニングで、学生なら少し安くなる。
そう思って近くにあったバス停の時刻表を確認する。
ちょうどその時空っぽのバスが坂を下ってきた。そのままバスに乗り込むと、どこか気の抜けた音とともに発車する。少し空いた窓からは気持ちのいい風が舞い込んできて、乾かしたばかりの髪を撫でる。まるで世界が味方しくれているみたいだ。今朝はアイスサンドを食べよと。
はやる気持ちを後押しするかのように駅の方へどんどん進んでいく。それもそのはず、他に乗客はいない。ましてやこの時間大学から駅まで乗る人もほとんどいない。
歩いても10分掛からない道のりを2分ほどで商店街の中程まで来た。そのまままた気の抜けた音を出して去っていくバスを見送り、商店街の一本奥の路地に入り、さらにその奥にある喫茶「風ノ唄」を目指す。
ベッドを出てからここまで30分と経っていない。目の前には白い壁に、背丈より少し高い木を這うようにあしらった外観のお店が見える。海外の絵本の挿絵に出てきても、なんら違和感がない見た目だが、少し重いドアを開けるとウッド調に統一された明るい空間が広がる。「喫茶」という文字が看板に書かれているため、喫茶店という枠組みなのかもしれないが、広めに使えるテーブルがいくつも行儀よく並んでいるため、レストランに近いと思う。
テスト期間や節目の打ち上げなどでは多くの学生が集い、ここの売上に貢献しているみたいだ。
だからなのか、いつも満席にならない程度の混み具合なのにも関わらず、朝7時~夜11時という比較的長い営業時間であっても採算がとれるのであろう。
金髪の女の子が水の入ったグラスを持ってきてくれた。淡いピンク色のメニューを眺めていたが、自分には全く関係のない店の営業について考えにふけっていたため、まだオーダーが決まっていない。とっさに「今日のコーヒー」とお目当ての「アイスサンド」を頼む。
店員さんはそのまま手短に返事をして、奥へと消えていく。そのあとを何の気なしに眺めていると、少し先の席からどこかで見た顔がこちらを覗いていた。
「・・・・・・おはようございます! 奇遇ですね~」
今朝のメッセージの送り相手である、池田さんだった。彼女は先程までいた席から食べかけのメープルパンケーキとアイスティーを持って来て、こちらの向かい側に座った。あまりに自然な一連の動きに、どこから突っ込んでいいか分からない。
こちらが慌てて挨拶を返そうと口を開くと、それを池田さんが遮った。
「いきなりメッセージを送ってしまってすみませんでした~ 会ってお話をしたかったので、偶然ここで会えて良かったです! 今私、友達の家を転々としてるんですよ! っていうのも~ お話したように、新歓から何かに見られているような気がして~ ひとりじゃ心細くて・・・・・・。 今日も同じサークルの娘のとこにいたんですけど、1限目から学校があるっていうから一人でここにご飯食べに来たんですよ~」
「それは確かにたいへっ・・・・・・・」
「––––––そうなんですよ! だから誰か除霊できる人を知らないか探してたんですけどねぇ・・・・・・」
池田さんは基本的に誰に対しても礼儀正しい人だ。きっといいとこのお嬢様かなんかだろう。ただ喋っている相手の返事をしっかり聞かない。純粋な娘なんだろうけど、どうにも苦手だ。
「結局新歓の時に、あの林の奥で池田さんは何を見たの?」
「女の人です。 全身びしょ濡れで、部長が用意してくれていた缶コーヒーを持った私たちの方にゆっくりと近づいて来たんです・・・・・・。 それで私。あんな場所にあんな姿でいる人なんてゼッタイいない! だからこれは幽霊だ! ってそう確信したんですよ・・・・・・ けどそう思ったらその場に立っていられなくなっちゃって・・・・・・ 後で一緒にいた男の子に聞いたら、彼は女の人なんて見ていないって。黒い影が私に覆いかぶさろうと襲ってきたのを見たみたいです。それで座り込んじゃった私を抱きかかえて逃げようとしてくれたみたいです・・・・・・ 信じてもらえますか?」
「・・・・・・。」
ちょうどその時、頼んでいたコーヒーとアイスサンドが来た。テーブルに置かれた瞬間、なぜこの喫茶店に来ていたのかを思い出した。ナイフとフォークを使い、まずは一口。お腹が空いていた訳ではないけれど、頭の中まで美味しさでいっぱいになる。
目を前に戻すと、それを微笑ましい顔で見守る池田さん。思わず自分の食い意地が恥ずかしくなる。
「・・・・・・それでですね? お願いがあるんですが・・・・・。 一緒に除霊してくれる人を探して欲しいんですよ! 私の話を信じられなくても当然だと思います。 ・・・・・・・自分でもあれは夢なんじゃないかって思います・・・・・ けど、このまま何もしないと今までと同じように過ごせないと思うんですよね・・・・・」
アイスティーのストローを弄ぶ彼女の手は少し震えていた。
「わかったよ・・・・・ 実際見つかるかわからないけど、探すだけさがっ・・・・・・」
「––––––ありがとうございます!! 今日この喫茶店に来たのは運命だったんですね!」
そう言って身を乗り出して手を強く握ってくる池田さんを見つめながら、内心これから始まるであろう、普通ではない日常を期待している自分がいることを感じていた。
その後、2人で自分の体験した怖い話や、人から聞いた怪奇現象などの話で盛り上がった。
テーブルに置かれた皿の上がきれいに片付いた頃には、どちらが先にと言う訳でもなく帰り支度をし、入り口へと足を運んだ。
「それでは除霊の件、よろしくお願いします! 私はこのまま一度家に戻ってから大学の講義に行くので! ありがとうございました!」
そう言って池田さんは、今日一番の笑顔を見せながら駅の方角へと歩いていく。それを完全に見えなくなるまで見送ってから、さて大学へと向かおう、そう思った時。不意に空から雨粒が落ちて来た。
朝の天気予報では1日通して晴れると言っていたはずだ。美人なお天気お姉さんに責任転嫁しても仕方がない。小雨の内に近くのコンビニでビニール傘を買おう。バス停の方へ足を進めようと思った矢先。入り口横の傘立てにきれいなビロード色のステッキ傘が一本立っているのが目についた。一瞬このまま持ち逃げしようかとも思ったが、池田さんのさっきの笑顔を思い出し、そのまま髪を雨露に濡らすことを決めた。
女心と秋の空なんて言うけれど、春の空も十分女々しいではないか。そんなことを思いながらひとり商店街を小走りでかけていく。
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