第1話 蛍火の季節。 05章
流れる水の音が聞こえる。草の匂いと雨の混じった匂いが、俺がまだあの沢にいることを教えてくれる。さっきまでの汗が冷えて、今は体の熱を奪っていく。
俺は涙を流していた。自分の記憶ではない、誰か他の人の記憶。たぶん今後ろにいる女の人の記憶だろう。それが一気に流れ込んできた。
相変わらず息苦しい。背中から入ってこようとする感覚が、気持ちの悪さを加速させている。俺はそのままゆっくりと立ち上がろうとした。頬からは石で切ったのか、血が出ているようだ。
(体が言うこと聞かないだけで、重い訳じゃない・・・・・・ これならどうにか・・・・・・)
一度大きく息を吸いこみ、それをなるべくゆっくりと吐く。
「––––––っす!–––っふぅぅぅっ––––––」
なんとか立ち上がることはできたが、そこから一歩も動くことが出来なくなった。その間にも後ろの人がゆっくりと俺に侵入して来て、意識が薄れそうになる。
「––––––ぉ–––ぇ、すご–––ぁ–––」
今にも暗闇に包まれそうな目の前に、長髪に前髪の一部を白く染め、黒いスーツを着た男の姿が現れた。
「––––––ぃ–––どうにかするから、ちょっと待ってろ!」
そう言って上着を脱ぎ、適当に投げると、腕まくりをし始めた。
「・・・・・・どうにかってっ! この女の人をどぉ・・・・・・どうするつもりだよ!・・・・・・」
「なんだ! やっぱりしっかり見えてんだな!! 安心しなー、消したりしないから・・・・・・」
「消す」の意味が分からなかったが、自分では動くことができない。彼に任せるしか他に方法はなかった。
俺は大きく2回うなずいて、彼の目をまっすぐ見返した。
彼はそのままこちらに1度うなずいてから、少し離れた。その場で両足を揃えて、深々と深呼吸をし、静かに目を閉じた。両の手を拝むように合わせた後、何か呟いている。
「・・・・・・ん・・・もん・・・っ・・・ぉう・・・・・・・・・・・・ょっ・・・・・・」
彼がとてつもなく大きくなったような気がした。けれどそれ以上にひとつひとつの動きが優雅で、とても美しくみえた。
合わせていた手をゆっくりと下ろし、大きく目を見開き、そしてニヤリと笑った。
「––––––歯。食いしばれ!」
言い終わる前に、左手で俺の背中を勢い良く殴りつけた。
–––––– パーンーーッ! ––––––
左手には月明かりに反射した、水の玉をいくつも繋げたようなブレスレットが光っていた。
全身が痛い。ひどい筋肉痛のような感覚が襲う。特に背中の真ん中はジンジンと重く痛む。まるでまだ彼の左手が背中に乗っているようだ。
––––––まだ乗っていた。
「まだ動くなよ? もうちょっと時間が掛かる」
「・・・・・・あの女の人は?」
「一応無事?・・・・・・かなぁー。 もう少しでお前から離れる!」
「・・・・・・それなら良かったぁ~っ・・・・・・」
「はいっ、終了!!」
そう言うと彼はまた俺の背中を強く叩いた。
「いってぇっぇつぇぇ~~~!! お前バカなの!? 死ぬの~!!?」
「っんな! お前、誰のおかげだよ!!? 自分から林に走ってって、そのまま霊に憑かれて自滅してんの、わざわざ助けてやったんだろがぁ!?」
「っんな訳あるか! 林に向かって走っていったお前を追いかけて来たら~ こんなんなったんだろ!?」
彼は一度びっくりしたような顔をして、すぐにニヤリと笑いこう言った。
「お前完全に《魅入られてた》のな。 俺の幻ー? 霊に見せられてたんだよ! お前は人より霊感が強いからなぁ。 ・・・・・それで俺も気になってた訳だし・・・・・・。 お前このままだと同じような目にあって死ぬぞ!? せっかくお前を守ってくれてる霊がいるのによ!!」
俺は頭が混乱して来た。
(魅入られていた!? 守ってくれてる霊がいる!!? 意味がわからないぃぃ~~~)
「その顔じゃ全く意味が分かってないようだな? お前これから時間ある? 俺ん家でちょっと説明してやるから来いよ! ––––––ってか、お前漏らしてるだろ!!?」
「 !!? っうわぁ~~~! しょうがないだろ!? あえてそこに触れるとかお前は鬼か!? 悪魔か!!? いや! 変人かぁ~~~」
「––––––ひとを変人扱いとはいい度胸してんな! このまま置いて帰ってもいいんだぞ!!?」
「––––––いやそれだけはっ! ごめん! けどお前は変人だろ!!」
「・・・まったく・・・・・・!」
彼は脱いでいた上着をこちらに投げてよこした。
「・・・・・・他のやつらには黙ってるよ。お前が漏らしたことも、ここでのことも!」
「当たり前だろ!? それにオレは漏らしてないっ! ・・・・・・ちょっとチビっただけでっ・・・・・・。」
そのまま俺は彼に抱えられながら林を抜けた。
林の入り口まで来たところでカエルの大合唱が響く中、佐藤がこちらに何か叫びながら近づいて来たのが見えた。
「・・・・・・約束は守れよぉ・・・・・?」
「・・・・・・分かってるって・・・・・・」
第1話 蛍火の季節。 完
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