第1話  蛍火の季節。 04章

 俺たちの話し声以外は時々風が草を揺らす音だけだ。その風が空では雲を勢い良く動かしている。ここに来るまでに見えた町の明かりも、もう見えなくなった。規則的に並んでいる鉄塔が、地面に大きな影を映している様を眺めていると、大学からそう遠くないこの場所も、非日常性を帯びてくるように思える。


 1組目が林の中に消えていくのを見ながら、俺は前に佐藤が話していた噂話を思い出していた。もしあの噂の通りなら、ここからでも何かしら見えておかしくはない。けれどここまでの道でも数人すれ違っただけで、この場所に来てから何もいないように見えた。

 (噂はやっぱり噂に過ぎないかぁ・・・・・。)


 夜風が小川を吹き抜けていく。もう少しで梅雨と言っても夜はまだ寒い。特に今日みたいに雨が降った後なら尚更だ。

 俺はパーカーについているフードを被ろうと、手を後ろに回した時、その手がすぐ後ろにいた誰かに当たってしまった。


 「––––––あっ、ごめ––––––」


 反射的に振り返るとそこにはまたあの「変人」がいた。

 

 「・・・すみませんっ・・・・・・」 


 嫌悪感を隠しつつ改めて謝るが、そいつは微動だにせず固まっている。それどころか目は俺を通り越して、さっきの1組目が入っていった林の奥を見ていた。その時だ。


 「 キャあっぁっぁぁーーーーーーーーーっ!!!」


 奥の闇の中から悲鳴が聞こえた。それと同時に俺は全身を泥で包まれたような感覚に襲われた。こんなことは初めてだ。


 「おぉっ!」


 その悲鳴に、周りの何人かが笑いながら間抜けな声をあげていた。けれど後ろにいたそいつは違った。俺を押しのけ、一目散に林へと走っていった。

 

 その後ろ姿がどんどん闇に消えていく。


 

––––––––––––そして俺は何かに引っ張られるように、そいつを追いかけてうっそうと茂る木々の間を走っていた。

––––––自分でも訳がわからない。


 林の中は舗装さえされていないが、踏み固められた獣道だ。前を走るのはこんな場所に似つかわしくないスーツ姿。

 後ろからは声が聞こえる。––––––たぶん部長と佐藤だろうか?


 しばらくするとその後姿は急に立ち止まった。

 俺はブレーキが間に合わず、そのまま追い越してしまった。少しひらけた場所に出たようで、目の前には最初の2人がいた。男子が女子を後ろから抱きかかえて引っ張っている。確か2人とも同じ新入生だったと思う。

 走り込んで来た俺を同時に振り返り見つめた。


 「うぉぉっぉおぉぉっ~~~!」



 何かを思い出したように、泣きそうな顔をした2人が叫びながら俺の横を通り過ぎ、そのまま今来た道を猛スピードで走っていった。



 地面には昼間部長が用意したと思われる缶コーヒーが転がっている。さっきの、うっそうとした林と違い、ここは少し先にある沢が、月明かりに照らされキラキラと輝いてきれいだ。少し寒々しいのさえも、じんわりと汗をかいた体には心地よく感じる。

 泥のような感覚が、全身を撫でていることを除けば。



 そのまま俺は2、3歩進み、地面に落ちている缶を何も考えず拾おうとした。


 「––––––バカっ!–––っそ–––に触っ––––––な––––––っ!」


 屈んだ瞬間、後ろの方から叫び声が聞こえた。と同時に、次の瞬間には俺は背中から誰かに覆いかぶさられていた。


 (息が苦しい・・・・・・。)



 【・・・サビシィ・・・・・・サビシィョ・・・・・・】




––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––。



 病院のベッドだろうか。目の前に真っ白な天井が見える。横にある窓からは大きな湖が見える。


 (行かなくてはいけない)


 いくつかベッドが並ぶその部屋から出ると、同じような部屋が並ぶ廊下に出た。そのまま廊下の突き当り、白いドアの向こうには小さな船着き場が見える。ゆっくりと一歩一歩進む。


 向こう岸には何件か家が見える。空はどんよりと曇っていて、風も強い。もう少しで雨が降りはじめるだろう。

 

 小さなボートに乗り込み、力の入らない手でエンジンをかける。大きな音とともに、舟は力強く波をかき分けて進んで行く。前から後ろに向かってふく風が、水しぶきを顔にかける。

 

 (あと半分)


 大きな音とともに目の前にボートの床が見えた。座礁したのだろうか。大きな水しぶきとともに一面が濃い群青に染まる。何か大きな音だけが響く暗い世界。


 (あぁ 寂しい)




––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––。




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