凍火

水沢おうせい

魔女と火竜

 振動。


 ズ  ズ   ズシン


 冷たい揺籠が揺れる。眠りへ誘うためではなく、眠りという扉を壊すために。


 重く、重く。ずっと開くつもりのなかった瞼をゆっくりと開けた。

いつの日か見送った光景と変わらない部屋が瞳に染みこむように映る。外の光をたっぷりと吸った透明な壁や柱が、星や宝石のように煌びやかに瞬く。そんな眩い光から逃げ出したくて、再び目を閉じたくなる。

 だけれど、それを許してくれないのがこの振動。

ズン  ズン  ズンと、感覚を置いて与えられる振動は外からの衝撃だと分かる。

(だれ)

 まだ昏い毛布の中にいる頭が考える。

そう、私は眠っていた。どれくらい。分からない。でも長いということは分かる。ずっとずっと、百年でも二百年でも。いいえもっと、永遠の時を闇の中で過ごしていたい。他でもないこの私が思って瞼を閉じたのだ。

(誰なの)

 ここは塔の上。

永遠に融けることのない氷で作った塔。己を閉じ込める牢獄として織り成した塔。

凡百の人間には近づくことも許さない僻地に在るこの氷の塔に、近づくばかりか接触し、今もこうして振動を与え続けている何者かの正体を、まだはっきりとしない頭で思い描いてみる。

そして。

 ズ  ズウッ  と。強い振動を受けたことで意識が完全に覚醒した。

もうこの塔は持たない。皹が入るのがわかる。基礎が踏み砕かれたのがわかる。塔が自身の重さに耐えきれずにどんどんと傾いて行く。その勢いはどんどん加速していき、強い浮遊感に襲われる。

崩壊する塔の中で、私は右腕を持ち上げた。長い時間動かすことも見ることもなかった腕は、なんだか自分の身体ではないように感じる。記憶をたどって右の人差し指に幾何学的な紋様を描かせ、完成したそれは私の身を守る結界として起動する。

それを待っていたかのように塔がバラバラに崩落する。氷の柱と壁という支えを失った、部屋が落ち始める。悠かなる時間、私という存在を秘匿し続けるためだけに沈黙を保っていた塔は、轟音を立ててその役目を終えることとなった。


「……誰なの」

 声帯を震わせて出た声は、記憶より少し掠れていた。

 崩れた塔の魔法は解けた。巨大な建築物を構成していた氷が一気に融けて、大雨の日の翌朝のように周囲の草や花を濡らす。空気中の水蒸気は急激に熱を奪われ、霧となって周囲の空気を白く染め上げていく。

「何を、お望みなのかしら」

 私の揺籠となっていた部屋は地に落ちた衝撃で見事なまでに砕け散り、影も形もなくなった。もう少し目を覚ますのが遅かったら私もあのように滅茶苦茶になっているか、それともこの氷と水に飲まれて窒息していたか。

 いいえ。そのくらいで死ぬ私ではない。そんなに簡単に死ぬことができるのならば、永い眠りにつく必要もなかったのだから。それに塔の崩落に巻き込まれたところで、せいぜい骨を何本か折ってしまうくらい。魔力が十全にある今の私なら、相当な重症であっても息をするように容易く癒すことができるだろう。

「力かしら。……違うわね、あなたは十分に強い」

 衝撃から身を守った結界を解き、氷のタイルを踏みしめながら私は問う。

「富かしら。……いいえ、塔を崩す労力に見合わない」

 氷の塔を手折り、私を眠りから起こした何者かに。

「時間に取り残された魔女にいったい何の用かしら」

 その時、霧の向こうで何かが動くのが見えた。広い領域を占めるその黒々とした影はどんどんと濃くなっていき、何やら地を引きずるような音と割れた氷をさらに砕いて行く音と併せてその存在感を遺憾なく伝えてくる。やがてそれは、霧の向こうから正体を現した。

 最初に見えたのは左右に広がる双翼。折りたたまれてなお巨大な翼が開かれれば天を覆うことだろう。厚い筋肉に覆われた骨格、その隙間を埋める皮膜は朝焼けの空のように美しい。

 膨大な質量でありながらも鈍重さを感じさせない胴体を支える大木のような四肢。その先端からは岩のように頑強で剣のように鋭い鉤爪が鈍く光る。背後から伸びた尾が蛇のようにゆらゆらと揺れている。

 全身を包む分厚い真紅の鱗の奥からは、黄金色の巨大な瞳がじっとこちらを見据えているのがわかった。少し視線を落とすと細く開けられた口の奥に何かが輝くのが見える。それは一本一本が私の身長ほどはある牙、家一つ容易に噛み砕ける強大な咬合力を想像させる。

 見事な大きさに成長した竜。死ぬ日まで成長をし続ける竜種に於いて、これだけの巨大さとなれば寿命は百を優に超えるはずだ。いくつかの身体的特徴から居留の種類を断定する。

「イフリート、ね」

 竜種は習性や生息域によっていくつかの種に分かれる。

森や洞窟に潜む土竜、ファブニル。自由に天を駆る飛竜、ワイバーン。湖底で生涯を過ごす水竜、ガルグイユ。大洋を支配する海竜、リヴァイアサン。原種かつ最大種で怪力を誇る巨竜、テュポン。

 ほかにも亜種がたくさん存在するが、今私の目の前に現れたのは火竜、イフリート。火炎を吐き溶岩を喰らう竜種である。

 私の魔法を乗り越えてやってくるほどだから人間でないことはほぼ間違いなかったけれど、なるほど成長を遂げた火竜であればそれも可能であろう。

 さて、そんな強力な生命力を誇る火竜殿が私に何の用があるというのだろうか。

 私は再び問う。

「かなり名のある竜とお見受けするけれど、いったい私に何の用かしら。どこから聞きつけたのかは知らないけれど、私の下にやってくるだなんて余程のことなんでしょうね」

 つまらないことを言うようなら氷漬けにしてこの塔のように粉々にしてやろう、などと考えていると火竜は黄金の瞳を数度瞬かせ。

「グッグッグ」

 と奇妙な音を喉から漏らした。何かと思って不審に思う視線を向けていると、竜は長い首を振って鉤爪をガツガツと地に打ち付けた。

「失礼をした。ヒトにそのような態度で接されるのは本当に久方ぶりなもので、つい可笑しくなってしまった故な。無礼を許して欲しい」

 例の変な音は笑う音だったらしい。竜の笑う所なんて初めて見たので何とも新鮮な気持ちになる。

 それにしても、下手に出たものだ。竜種はヒトの力を超越する最強の誉れ高い生物種であり、彼ら自身がその自負を持っていてプライドが高い者が多い。個人的に人間と友好関係を持ったり、他の生物に敬意をもって接したりするような者も存在するけれども、それらはあくまで例外であってこのような態度で人間に言葉をかけるはずなどないのだが。私のことをある程度知っているのだとしても、ここまでお行儀よく話かけてくることなどあるだろうか。

「本当に、なんの用なのかしら」

 訝しむ、を通り越して強い警戒心を持ちながら私は尋ねる。このような事態は何か裏があって然るべきだと考えたからだ。しかし、やがて竜は巨体を震わせると首をぐっと下ろして棘のある顎をピタリと地につけた。その格好はまるで土下座を思わせる。


   #


 星と月を読んでみたところ、正確には千と四十九年、二月と十三日間、私は眠っていたらしい。眠りに入る前は二十歳だったから、実に千と六十九歳という事になる。世界広し言えども、私より長生きな生き物は居ないだろう。

 例の火竜は二三一歳だそうでモルデンと名乗った。私の名は教えていない。竜に名前を教えるという事はその竜に支配されるということだからだ。

「俺にそのようなつもりはない」

 じろりと瞳を向けて(大きすぎてよく分からなかったけれど、たぶん睨んだのだと思う)彼は言っていたけれど、一応ということがある。それに支配の力は無意識的に発生する類の呪だ。彼にその気がなくともやはり名前を教えるのは危険だと言えた。

 そして、私は彼を殺さなかった。

 その気になれば容易いこと。氷漬け、串刺し、窒息、毒に侵すなど普通の殺し方から、なんの因果もなく心の臓を止めたり、この世の裏側に放逐したりと、ありとあらゆる方法で彼を殺すことが、私には可能だった。

 でも、殺さなかった。

 理由は、特にない。

「なあ」

 モルデンはにゅうっと首を伸ばして私を覗き込む。

「いつになったら俺を殺すのだ」

 私はにっこりと笑って彼の鼻先を軽く叩いてやった。彼のこんな行動は昔……昔買っていた馬のような雰囲気があって親しみを覚えてしまう。

「私がその気になったらって言ったでしょう。大人しくしていればそのうち殺してあげるわよ」

 鱗の一枚一枚がとても大きい。私が両腕を広げたのと同じくらい。よく観察すると何重にも重なった年輪が見える。撫でた時のザラザラ、ゴツゴツとした触感の理由はこれかな。

「……」

 グゴゴ、と喉を鳴らしてモルデンは顔を離す。もう少し撫でていたかったので少し残念に思う。不満そうな様子で(尾が軽く地を叩いたのが見えた)彼は山の方にのそのそと歩いて行った。あの山は活火山であちこちから高温の温水や有毒ガスを噴き出す。人間の身体では一分と持たないような環境でも、モルデンにとってはむしろ心地の良い温室のような場所らしい。一度訪れたことはあるけれど、熱いし臭うしで最低だった。氷の属性を持つ私には相性最悪でもある。


 彼が死を望む理由、それは一族の火竜を悉く人間に殺されてしまったからだ。最後の生き残りの彼は人間に殺されるくらいなら、私に殺されることを望んだのだ。その話を聞いて私は少なからず仰天した。

 竜種は強い。膂力もさることながら、体内で作り出す魔力は濃く膨大だ。生身の人間が何人でかかっても、何年かかっても一匹倒すのすら難しい。だからこそ竜種を打倒した人間は英雄と称えられる。そのはずだった。

(強くなったものだわ、人間も)

 千年も寝ていれば世界も変わるものなんだなと、妙な感慨に浸ってしまう。

人間の身体能力が上がったり、私のような特殊な存在が増えたわけでもない。ただ地道に技術を積み上げてきた人間は竜種を研究し尽くし、彼らの能力、弱点、習性、生態を全て解き明かした末に竜種を効率的に狩る方法を編み出した。

 竜種が人を蹂躙するのではなく、人が竜種を絶滅に追い込む。そんな時代。

(それを悪とも思わないけれど)

 竜種だけでない。幻獣や妖精たちもまた急激にその数を減らしているらしい。人間の個体数増大と生息範囲の拡大、そして技術の革新が彼らを消していく。別段おかしな話ではない。力ある者が勝つ。この星の霊長はヒトが獲得した、それだけの話だ。

(私には何の関係もない。……まあそれはそれとして)

 モルデンは哀れだと思う。火竜の鱗は高い耐熱性を持つ。加工すれば、それこそ竜種の炎をものともしない武器や防具を作ることができるくらいに。火山のような特殊な環境で人間が活動するための装備だって作れる。だから狩られた。

 人間の活動は悪ではない。だけど犠牲者は生む。

 ゆっくりと手を振った。モルデンが隠れ家にしている火山ももはや安全な環境とは言い切れない。こうして定期的に結界へ魔力を送り込まなければ、彼もきっと。

 私が彼をすぐ殺さないのは、彼が余りにも哀れだったからではない。ただ単にせっかくできた話し相手をすぐ失ってしまうのは惜しく感じたからだった。

(独りぼっちは嫌だもの)

 私のワガママさは千年経っても変わらなかった。


   #


 いや本当に、見事なものだ。

「本当に大丈夫なのか魔女よ」

 隣を歩くモルデンが不安そうに尋ねてくる。少し見上げて私はにっこりと微笑んだ。姿が変わっても彼の黄金の瞳は綺麗だと思う。

「私の力を信じなさい。私は何でもできるのだから」

「……うむ」

 モルデンは今ガタイの良い人間の男の姿を取っている。人の身になることを嫌がったものだけれど、付き合わなければ殺してあげないと脅した(なんだかおかしなものね)ところ、しぶしぶ私の魔法を受け入れた。

 当世の人間がどのような生活を送っているのか気になった私は、モルデンと二人で近隣で最も大きな街へやって来た。

 まず驚いたのは街の規模だ。とても広い。

 私の知る街と言えば、中央に市場があってそれを囲むように住宅がいくらか立ち並ぶ。所によっては領主の屋敷が少し高い位置に建てられ、街の外れには寺院がある。柵で囲まれていたりもする。その程度だ。

 でも、今の街は。

「この前のお芝居は御覧になりまして」

「ええ、大変すばらしかったですわ」

「この前酒場で引っ掛けた女はどうなったんだよ」

「どうもこうも、寝ている間に金を袋ごと持ってかれた」

「バカだなぁ。やめとけって言ったのに」

「また税が上がるらしいよ、嫌になるね」

「関所でも心付けを要求されるし、商売あがったりだ」

「おい、聞いたか。例のエルフの噂」

「ええもちろん。良い声で啼くそうですね」

「俺は聞いたぜ。一週間分の給料を払う価値はあったよ」

「そこのあんた、ちょっと寄って行かない」

「ごめんな綺麗な姉ちゃん、今懐が寂しくて」

 人、人、人。人の群れだ。

 うごうごとする人の塊は一時たりとも音を絶やさない。人が賑わうのは市場だけじゃない。飲食店、劇場、学舎、宿屋、娼館、寺院。ありとあらゆる場に人が満ち満ちている。

「ちょっと待ってよエィミー」

「へへん、悔しければ塀まで追っかけておいでオレオ」

「くそっ。あいつ女のくせに」

「おい待てこら!」

 子供たちの一団が街はずれの方へ駆けていく。塀というのは街を取り囲む巨大な壁のことだ。高さはモルデンの身体(もちろん竜の)くらいあり、中は武器庫や厩があったりする。大きな門が東西南北にあり、兵士が出入りする人間を見張っている。


 私とモルデンは、さっきその兵士に捕まった。

「おい其処の二人、見慣れぬ格好だな」

 声を掛けられた私たちは、大人しくその兵士に連れられて門に近い兵舎に入った。実際、私たちの着ていた服は他の人間とまるで違う、端的に言ってかなり貧相なものだった。

 仕方がない。私の生きた時代の一般民衆の格好(麻で出来たボロ)をして街に来たのだから。さしもの私も知らない服を作ることは難しい。

「そんなみすぼらしい恰好をして……脱走した奴隷じゃないだろうな」

 私たちに問い詰めるひげを蓄えた男。私がそっと隣を見るとモルデンはカチコチに固まっていた。彼に掛けた人化の魔法は彼の意志では解くことができない。今の彼は少しばかり力持ちなだけで一般的な男と何ら変わりがない。

(ビビっているのかな)

 黄金の瞳がちょろちょろと辺りをうかがっている。髪の毛がぴょこぴょこと動くのは、尾を動かしているからだろうか。

「おい、聞いているのか」

「ええはい。もちろん」

 苛立っているのか指先をコツコツと机に打ち付ける男。

「すみません。何しろとんでもない田舎から来たものですからここらの文化に疎くて」

 嘘ではない。木こりや山師だってなかなか立ち入らない山奥から来た魔女と人外一匹。男はふんと鼻を鳴らす。どう見ても信用していない。

「まあいい。身分証、あるいは通行証。他にそれに類するものを持っているなら見せるがいい」

「みぶんしょう……」

 そんなものが今はあるのか、と呑気な感想を抱いてしまった。昔はどこへ行くにも自由だったのに、便利になったのか不便になったのか分からないわね、これでは。

「どうした、早くしないか」

 などと考えているうちにすっかり怪しまれてしまったらしい。気付けば男の後ろに一人、私たちの後ろに二人の兵士が立っている。モルデンがだらだらと冷や汗を流していて可哀想なので、そろそろ手を打つことにした。

「ああ、どうもすみません」

 手を前に差し出す。

「……何も持っていないじゃない、か」

 そっとついたため息に魔力を乗せる。少し意識を弄るくらいなら詠唱も必要ない。沈黙した男がやがてぼんやりと右手を上げると、まさに武器を構えんとしていた兵士たちが部屋の隅に戻っていく。

「ああ」

 焦点の合わない目で男が口を開く。

「失礼をば いたしました ようこそ ポルネアの街へ」

 どうやらこの街はポルネアというらしい、一応覚えておこう。小さく頷きながら私はさらに深く術をかける。

「ねえ、大変申し訳ないのだけれど私たちに丁度いい服を用意してくれないかしら。あまりセンスに自信がないのよ」

 男はがくがくと頭を振る。

「承知 いたしました ただいま お持ちいたします」


 なんてことがあって、とりあえず誰にも怪しまれない格好をすることはできた。

 私は白いブラウスとふわりとした丈の長い水色のスカート、それに濃い青色のショールを肩に掛けた。さっきまでのものよりはるかに肌触りが良い。

「どうモルデン、似合うかしら」

 くるりとその場で一回転してみる。

「俺は人の衣装のことなど分からん」

 ぶすりとした表情のモルデンは少し日に焼けているけれども丈夫なシャツに灰色の吊りズボン、それに灰色のマントを着ている。

「なによ、つまらないことを言うわね」

 まあそれも仕方ないか。流石に服を用意させるだけでは申し訳がないので、迷惑料としていくらかの砂金粒を生み出して机に置いてきた。

 自分で使うようにいくらかは腰に付けた袋に忍ばせて、私は街の様子を一回り見て回ることにした。途中製図屋に寄って地図を購入した。

「驚いた、私の知っている国が一つもないわ。それに国の一つ一つが大きい事」

 大きくなったのは街だけではないらしい。

 私が国として認識している範囲は、今では地方領主の一区画程度でしかなかった。なんとも時の流れは怖いもの。

「なあ、そろそろ帰らないか」

 露店でお茶を飲みながらわくわくと地図を眺めている私にモルデンが小声で言う。やっぱり多くの人の中に紛れるというのは慣れないらしい。だけれど私としてはせっかく久しぶりに会う同族たちなので出来るだけ長く観察していたいという気持ちがある。

「ごめんねモルデン、もう少しだけ」

 しかめっ面をして紅茶を啜るモルデン。飲むたびに舌を突き出すのがちょっと面白い。竜種の舌には合わないのだろう。いつもは身体の動きでしか読み取れない感情が、人の身体を得たことで表情となって表れるのが何というか新鮮で、可愛い。

こんな風に過ごせるなら、この世で生きていくのも悪くない、そうな風に思ってしまう私がいる。彼はどう思っているだろうか……。

 と、どやどやと人相の悪い男たちがやって来た。一、二、三……七人。ぐるりと私たちの座っている席を取り囲む。

「なあお嬢ちゃん」

 一人がにやりと笑いながら話しかけてくる。

「この街は初めてらしいけれど。どうだい、俺たちが案内してやろうと思うんだ」

 親切なことを言ってくれる。

「あら、じゃあお世話になろうかしら」

 そう言って一気に紅茶を飲み干して立ち上がると、男たちは一瞬毒の抜けたような顔をしたが、再び笑顔を顔に張り付ける。

「へへ、そうこなくっちゃ。おい、連れのヤロウはどうするんだ」

 目を白黒させているモルデンに目配せをする。

「彼は私の従者だから一緒に行くわ。ね」

「お、おう」

モルデンも慌てて立ち上がった。露店のテントを出ると、二人が私の両側に立って、右に立った男が私の肩に手を回す。

「お嬢ちゃん、どこか行きたいところはあるのかい」

先程の男が前に立って尋ねてくる。私は少し考えて言葉を選ぶ。どう言えば一番効率的に目的地にたどり着けるだろうか。

「そうね……」

 この男たちがまともな人間でないことは分かっている。だけれどこの場合、相手がまともでない方が都合がいい。

(モルデン、聞こえるかしら)

 気付けばモルデンとの距離がだいぶ離されている。モルデンを取り囲む男四人がわざとゆっくり歩いていて、逆に私の傍に居る三人は少し速足だからだ。

(……これは何かの魔法か)

 少し戸惑った様子ながらもきちんと返事が返ってきた。

(そう、遠話を可能にする魔法よ。このままだとあなたは路地裏なんかに連れ込まれて袋叩きにされちゃうと思うから、適当なタイミングで彼らを捲いて頂戴)

(あまり無茶を言うな。今の俺は人並みの身体能力しかない)

(大丈夫よ。筋力だけは元のようにしといたから、それでどうにかしなさいな)

(相変わらず何でもありだな)

(それで、その後なんだけれど)

 いくつかの指示を出した後に改めて男と向き合った。

「そう、私行きたいところがあるんだった」

「任せておきな。俺たちはこのポルネアで知らないところなんかねえからよ」

 私は薄く笑った。それは助かる事。

「見世物小屋に行きたいのだけれど」


 せっかくの服が汚れるのは少し、いいえかなり嫌だったけれども仕方がない。裏町に連れ込まれた私はそのまま怪しげな屋敷の裏口に連れて行かれた。

「ほら、お望みの見世物小屋だよ」

 金が入った袋を奪ってから、男たちはドアを開けて中に私を放り込みどこかに行ってしまった。それと入れ替わるように現れた白髪の女が鞭を鳴らす。

ヒュウッ パチン。

「ほらそんなところで何時までも蹲っているんじゃないよ、愚図だねえ今度の新入りは。早く奥へ行くんだよ」

 パチン、パチンとなる鞭を避けているうちに鉄格子のついた暗い部屋に押し込まれる。女は「ふん」と鼻を鳴らし、格子に着いた鍵をかけて出て行った。

 虜囚に対する配慮というものを一切感じない、ただ籠の鳥にしておくためだけの狭い部屋だ。重くのしかかる空気は闇だけがもたらすものではない。この部屋に集まった黒い感情が渦を巻いているのが見えるようだった。

暗闇に慣れてきた目でよく見てみると、部屋には私ひとりではなく何人かの人間が座ったり横になったりしているのが見えた。彼らは全員女性で、誰もが目に光がなく絶望しているように見えた。

 私は目を凝らす。彼らは特徴的な形の耳をしている。そう探すのに手間は取らなかった。

「ねえ、あなた」

 その子は部屋の一番隅で膝を抱えて座っていた。私が声をかけても反応がないので、隣に座ると少し顔を上げてこちらを見る。怯え切った瞳が余りにも哀れでどう声を掛けたものか少し悩んでしまうけれどもとりあえず微笑んでみた。

「……誰ですか」

 か細く震える声が形のいい唇から漏れる。その聞くものを天上へ導く蜜のように甘く美しい声は、明るくさえずり朗らかに歌うために在るのであり、断じてこのように縛りつけて啼かせるために在るのではない。

 まだ年若いエルフの少女。街で噂を聞いたときから助けてあげようと思っていたのだ。

 竜種が狩られるこの時代には、彼女のようなエルフも金糸雀として飼われてしまっている。そんな事実を改めて目の当たりにした私は少しやるせなく感じた。

 私は肩をすくめる。

「誰か、と聞かれても困ってしまうけれど。あなたを助けに来た者よ」

 驚きからか瞳を見開いた彼女は、しかしすぐにそれを曇らす。

「無理ですよ……。ここからは出られません」

 そう言って手首にそっと触れた。見るとそこにはエルフの透き通るような柔肌に似合わない、無骨な腕輪が装着されていた。

「これ、なんだかわかりますか」

 私の時代にはなかったものだ。首を傾げると彼女は寂しそうに笑う。

「私のように魔法を扱う者から能力を奪うためのアイテムなんです」

 とんでもない道具が作られたものだ。恐る恐る触ってみると、なるほど、それだけでみるみる魔力がそがれて体がだるくなっていく。触っただけでこうなるのだ、拘束具として装着されている彼女の苦痛はどれほどのものか想像がつかない。

「あなたは人間、ですよね」

 顔を顰めた私を見て、私が魔法を使うも人間と察したのだろう。エルフの彼女は少し怪訝な表情で尋ねてきた。

「ええそうよ」

「なのに魔法が使える……。人間の魔術師は皆、国に登録されて宮廷付きになっていると聞きましたが」

「魔術師、ね」

 私は少し笑ってしまった。何もかもが自分の知っている者と違うというのはやはり奇妙な体験で、街へ来てよかったなと心から思う。

「私は魔術師ではないもの、そんな仕組みは関係ないわ」

「魔法を使うのに……、ではあなたは一体」

 と、入ってきた鉄格子の引き戸とは反対にあった鉄扉が開いた。唐突な明かりに目を細めていると、男が一人こちらに寄ってきて、例の拘束具についていた鎖を引っ張ってエルフの子を無理矢理立たせた。

「ほら仕事の時間だぞエルフちゃん。今日もたっぷり稼いでもらうからな」

 苦痛に歪んだ彼女の顔は、行動を開始するのに十分な理由になる。

「ちょっといいかしら」

「あん」

 鎖を引いて部屋を出ようとしていた男の背に声をかける。振り向いた男は面倒くさそうな顔をする。

「新入りか。余計な正義感を燃やすもんじゃないぜ」

「でもこんなのおかしいわ。エルフの子を縛り付けて人前で歌わせるなんて。彼らは自然の嬰児よ。こんなところで働かせるなんて間違ってるわ」

 男は鼻を鳴らし、脅すようにジャラリと鎖を打ち鳴らす。エルフの子の他、何人かの女性がびくりと体を震わせた。

「はっ、そりゃ理屈だな。だが人間だろうとエルフだろうと、ここではただの見世物、犬や馬と同じだ。ここでの正しさっていうのはな、いかに効率よく金を稼ぐかってことなんだよ」

 男は下卑た笑みを浮かべてエルフの子の人より長い耳を掴んだ。魔法やほかの生き物の気配を察知するために多くの神経が通っているから、彼女らの耳は人間のそれより敏感だ。それをあのように掴むのは、人間であれば鳩尾や喉を踏みつけるに等しい、相当の痛みを伴う仕打ちである。声にならない悲鳴を彼女があげるのがわかった。

「こいつはまさに金の生る木だ。伝説にも誉れ高いエルフの歌なんて、そこらの町人から王族様まで聞きに来る。最近じゃあ滅多に捕れなくなったから稀少だしな。一生遊んで暮らせるだけの金、いやそれ以上の金が手に入るまで手放しゃしねえさ。その邪魔をするってなら、お前をもっと環境の悪いところに連れていってもいいんだぜ」

 苦悶の表情を浮かべたエルフの子が、細く開けた目を涙でいっぱいにしながら私を見る。

(いいの、放っておいて)

 怒りのあまり私は一歩踏み出した。

「そんなお金儲けの話、この子には何の関係もないでしょう。さっさとこの子を開放しなさい」

 男はせせら笑いをする。

「話の分からねえ奴だな。誰だこんなバカを連れてきたやつは。多少器量が良くても頭が回らねえんじゃどうしようのない」

 笑顔を引っ込めて、剣呑な表情になった男は懐からナイフを取り出した。

「傷付きが好みのもの好きもいるからな、お前はそういう変態ヤロウ向きの商品にするとするか」

 男がナイフを持った手を振りかぶる。周りの女性たちが悲鳴を上げて離れていく。エルフの子も縮み上がってふるふると頭を振っている。

 私はため息を吐いた。あまり大事にはしたくなかったし、あの(・・)誓い(・・)もあるのでたとえこの男がクズ野郎だとしても傷つけるわけにはいかない。大事にもせず、この男に害をなさないようにこの場を制圧する。なんとも繊細な作業だ。

「   」

 私のこぼした言葉は男には理解できなかったようだ。

「あん」

 振り下ろしかけたナイフを止めて怪しむように私を見つめる。それに対し、エルフの子は私の詠唱をきちんと理解したらしい。驚いたように目を丸くし私を見つめている。

(表情豊かで可愛い子ね)

 なんて、場違いな感想を私は抱く。こんな可愛い子を売り物にするだなんて、やはり許しては置けない。

「っ、なんだ」

 振れらることもなく唐突にナイフを跳ね飛ばされた男は動揺する。慌ててナイフを拾い上げようとするので、男の手元からナイフを浮き上がらせて手が届かないようにする。勢い余って頭からすっころんだ男が無様で笑ってしまう。

「まさか貴様、魔術師か」

 荒事が常なのかなかなか頑丈な男だ。額に血がにじむ程度の怪我でなんなく起き上がった男は大声を上げる。

「おおい、魔術師が紛れ込んでる。応援頼む」

 勝てないと知ってすぐに助けを呼ぶのは正しい判断だ。やっぱりこういう環境で日々を過ごしているだけあるなあと変に感心してしまう。

「まあ意味ないんだけれど」

 この部屋には孤立の結界が既にかけられている。内部で何をしようと、私の意識が保たれている限り外に音や衝撃が漏れることはない。

 そうとも知らない男は安心したかのように「へへっ」と笑う。

「こんなこともあろうかとうちには魔術師の偉い先生がついているんだ、お前のようなひよっこが小手先の魔法を使ったって無駄なんだよ」

 男がそう言ってなんの警戒もなく扉を通って部屋から逃走しようとする。

「あ、ちょっと」

 さっきも説明したように、この部屋は孤立の結界が掛けられている。音や衝撃を外に出さないだけでなく、人もまた私の許可なく外へ出ることはできない。無理に外に出ようとすると。

「ぐわああっ」

「……まあこれは事故だし仕方ないよね」

 結界に弾かれて見事に吹き飛んだ男が、扉と反対側、私が通ってきた鉄格子に頭を強く打ちつけられて気絶する。私の魔力の干渉もあったから衝撃に精神が耐え切れなかったのだろう。白目をむいている男の鼓動が止まっていないことを確認してから、私はエルフの子の手を取った。

「ほら、早く逃げるよ」

「人間にこんなに強力な術者がいるなんて……」

 呆然としているエルフの子は、そこではたと気付いたように私を見る。

「もしかしてあなたは」

 そこで彼女の唇に人差し指を乗せて黙らせた。なにやら嫌な予感がしたからだった。

(……っ)

 何者かがこの結界に干渉している。まだか細い魔力がつついてくる程度のものだけれど、しかしそれだけのことが私を震撼させた。結界の糸口を見つけるのが余りにも早い。

 あらゆる現象を外に漏らさない私の結界でも、見る人が見れば露骨な空白に違和感を覚え、結界と見抜くことができる。偉い魔術師の先生がついているというのはまんざら嘘でもなさそうだった。

(なら完全に見抜かれる前に突破する)

 エルフの子と違って何が何やら、という表情でぽかんとしている女性たちを見やる。彼らも助けてあげたいのは山々だったけれど、どうやらそこまで手は回らなそうだ。

「一気に行くよ、覚悟はいい」

「はい」

 エルフの子も覚悟を決めたようで、私の手をしっかり握っている。いよいよ結界の構造を把握したのか、本格的に解呪にかかっているのがわかる。また新しい結界を開発しなくちゃなと思いながら遠話を飛ばす。

(モルデン、聞こえているわね)

 少し遅れて返事が来る。

(……ああ。指示通り大通りで人に紛れているが、これからどうするのだ魔女)

(どうするも何も、もう一分以内にはここから飛び出すわ。幻をバラまいて気を逸らすから、私たちを合流したらこの街から脱出するわ)

(了解した)

 作り出したのは飛竜と二角獣に大毒蜘蛛。こいつらに一重、二重、三重と掛けた魔法のニオイは探索の魔法を大きく混乱させてくれるはずだ。

 そして、いよいよ結界が。

 解除される。私は結界に回していた魔力を飽和させて、軽い爆発を起こした

「行くわよ」

 まず走らせたのは二角獣、背に私たち二人の写身を乗せてあるとっておき。それを負わせるように飛竜を飛ばして、毒蜘蛛は部屋の中で暴れさせる。悲鳴を上げる女性たちを背後に走り出す。

「こっちね」

 左に飛ばしたダミーの飛竜が一匹倒されたのがわかる。こちらは手練れの人間がいて危険だとすぐにわかるので、逆の方向に向かって走る。そんな感じでようやく見世物小屋を飛び出した私は、道を見渡してモルデンの姿を探す。

「こっちだっ」

 呼びかける声の方を向くと、モルデンが手を振っているのが見える。彼の服にエルフの子をしがみつかせ、その上から抱きかかるようにして私もくっつく。

「人化を解くわ、思いっきり飛んで頂戴」

 掴んでいたシャツはごつい鱗になり、灰色のマントは翼と化す。唐突に現れた巨大な生き物の姿に町の人は大混乱の様相を見せている。

「お、おいなんだこいつ」

「火竜よ、兵士を呼んで」

「関所は何やってるんだ」

「兵士なんか役に立つか。狩猟団じゃないと」

「魔術師様に連絡するんだ、早く早く」

「待ってあそこにいるのエルフじゃない」

「うわあ、見世物小屋から化け物が出てきたぞ」

 金貨袋をひっくり返したかのような大騒ぎをする人間たちの中、大きく翼をはためかせたモルデンが浮き上がる。

「なあ魔女よ」

 飛び際にモルデンが言う。

「火炎の一つでも吐けば人間どもを混乱させ、より安全に行けると思うがどうか」

 とんでもないことを言う。私は柔らかい腹を狙って蹴りを入れてやった。

「バカなこと言わないで。そんなことより早く行くわよ」

 確かに人々が混乱すればするほど逃げおおせるのはたやすくなるだろう。だけどそれはダメ。絶対に。

 モルデンが鼻を鳴らす。彼は大きく咆哮すると急速に速度を上げて、壁を目指して飛んでいく。エルフの子をしっかり支えてあげながら、時折とんでくる矢をあらぬ方向へ跳ね返す。

 そうしているうちに高い壁を越えて、とうとう街の外に脱出することができた。

「あ、貴女は」

 胸元から声がする。エルフの子だ。

「おばあさまから聞いたことがあります。人の身で神様みたいに魔法が使える人がいるって……でも」

 エルフは長寿だ。一世代が凡そ四百年くらい。もしこの子の祖母というのなら私と同じ世代なのだろうか。私はそっとエルフの子の頭を撫でた。金糸のように美しい髪は羊毛のように柔らかく、温かい。

「同じ人間を、ん」

 えい。あまりスタイルに自信はないのだけれど、彼女の口を塞ぐぐらいどうってことはない。身体を密着させて何も言えなくしてしまった。

「そんな昔の話より、あなたのお名前を教えて欲しいわ。それに故郷も。連れて行ってあげるから」

「……連れて行くのは俺なんだがな」

 またお腹を蹴ってやった。


   #


 夢を見た。

ずっと昔の夢だ。

「お前は昔から危ない子だと思っていたが」

 父親の怒ったような、違う。

呆れたような、いいえ、これも違う。

そう、怯えた表情が私を見つめる。

「こんな子を産むんじゃなかったわ」

 私を疎ましく感じている母親の顔。

 少し違う、厄介に感じている。

 それでもない。そう、絶望している顔だ。

 良かれと思ってやったこと。両親に喜んで欲しかっただけのこと。持って生まれた能力を、大好きなみんなのためにと思って使った。

「悪魔の娘だ」

 将軍様は吐き捨てた。

「幽閉しなければ」

 大臣が慄く。

「貴女が女王になればいい」

 貴族は囁く。

「神に許しを請いましょう」

 聖職者は祈りをささげた。


「あんたにとっちゃあ大したことじゃないのかもしれねえ。でもな、そんなことができるあんたの心はもう人間とは呼べねえよ」

 うるさい。

首を締めあげられた男はそれでも嗤う。

「そうやって何も分からないまま生きるんだな、全能の魔女様は」

 私にもう何も、誰も残っていないことに気づいたのは、弟を殺してからすぐのことだった。


   #


「うなされていたな」

 目を開けるとモルデンの黄金の瞳が見えた。最近では彼の表情がわかるようになってきた私は、その鼻先を叩いて「なんでもないのよ」と言ってあげた。

「そのようには見えなかったがな」

 生意気なことをいうものだ。夢見の悪さから苛立っていた私は、気を使ってくれたのであろう彼に反発的な気持ちになり、つい意地の悪いことを言ってしまう。

「モルデン、あなたが最後の生き残りになった時はどんな気持ちだったかしら」

 そんなこと思い出したくもないはずだ。だけど私はそれを聞く、ただの八つ当たりで。言ってしまった後に強い自己嫌悪に襲われるけれども、今更引っ込めることもできない。

しばらくの沈黙の後、モルデンは牙をガチャガチャと鳴らして口を開く。

「そうさな」

 真紅の鱗が心なしかくすんで見えた。

「長年共に生きた親兄弟、友や群れの長。彼らが一人、また一人と死んでいくのはやはり辛かった。子が捕らえられた時には周囲の村を焼き払ってやった。だが」

 いつの間にか彼の尾は、ぐるりとその巨体に巻きついている。

「それで何かが変わるわけでもない。人間をいくら殺しても先に行った者たちが戻るわけでもなし、むしろ報復と称して狩られる仲間が増えるだけだ」

 彼の右足には大きな古傷がある。人間の「勇者」からかろうじて逃げおおせた時、大剣で切り裂かれたのだという。その傷は今しっかりと尾で隠してしまっている。

「一人になったその時に、何か思ったことなどないさ。そのころにはもう何も感じなくなっていたからな。そう、強いて言うなら何も感じなかった、それが答えだな」

 再び黄金の瞳が私を見据える。

「魔女よ、そなたはそうではなかったのだろうな」

「……」

私も人間だ。

酷いことをする、間違いを犯す、嫌われもする。私の本質は先日の見世物小屋の男と何も変わらない。ただ少し、多く物を知っていて、特殊な能力を持っているだけ。

 多くの人を殺して、身内からも怖れられ、疎まれて。

 最後には

だから今日も失敗した。

「私がどういう『人間』なのか、あなた本当は知っているんでしょ」

 少し空いた間が彼の優しさなのだと思う。

「……俺は貴女のことは話に聞いたことがある程度で、深く知っているわけではない」

 だが、と続ける。

「知らぬ存ぜぬをしていればよかったエルフの少女を、危険を冒してまで助ける、慈悲深い魔女だということは知っている」

 小さくため息を吐いた。なんだか恥ずかしくなって鱗を軽くはたいてやると、モルデンは首をゆっくりと下ろしてきて私の手の甲をちょいちょいとつつく。

 まったく、敵わない。長々眠っていただけで、自分はまだまだ莫迦な子供なんだなと感じながら鼻先を撫でる。ゴツゴツしていて、温かい。

「ごめんなさいモルデン」

 そんな莫迦な私でも、謝ることくらいはできるようになっている。子供から大人に成長をしている。

「気にすることはない」

「……ありがとう」

 今この一時を彼と過ごせてよかった。最期を迎える前に、誰かにきちんと謝ることができてよかったと。その相手が大切な友人でよかったと。

 心の底からそう思う。


   #


 恐れ入った。素直にそう思う。

 まさか街の名前に魔法をかけているとは思いもしなかった。そういう手法があるというのは分かっていたのに、それを警戒しなかったのは盲点、というより自分ならどうとでも対処できるという奢りだろう。

「モルデン、先に逃げて。私が食い止めておくから」

 私たちを襲ったのはポルネアの街からの追手だった。エルフの少女を奪われたから、というよりは絶滅したと考えていた火竜を狩りに来たという様子だった。

どうやら人間にとって火竜というのは喉から手が出るほど欲しい存在らしい。鱗、皮膜、牙から内臓まで余すことなく使え、絶滅したと考えられていたことで価格が跳ね上がっている。まさに生きた金鉱と言える。

そんな金鉱の場所がわかった仕掛けのネタはポルネアという街の名前自体にあった。街の名前自体が一種の呪文になっていて、街の名前を知っている者の場所を遡る事ができるというのだ。

寝込みを襲われ、モルデンの怒号で目を覚ました私が対処し始めたころには既に二重三重の包囲網が完成していて、まさに絶体絶命の危機にあった。

「そんなことを言っても魔女よ、そなたももう限界ではないか」

 そういう彼は既に尾をぶつ切りにされている。死に直結するわけではないが放っておけば出血で大事になる可能性がある。

「何言ってるのよ、私はまだ全然」

 大丈夫と言いかけたところで、くらりと貧血や立ち眩みのような感覚に襲われる。モルデンの脚を掴んで気分が落ち着くのをじっと待つ。

「言わないことではない。もう魔力がほとんど残っていない証拠だ」

「こんなこと初めて」

 私は並の人間よりはるかに多い魔力を保有しているけれど、回復量は人並みだ。執拗な攻撃からモルデンを守っているうちにいつの間にか消耗をしていたらしい。

「いたぞ」

 林の中からぞろぞろと現れたのは甲冑に身を包んだ男たち。すべての鎧が魔法で編まれていて、魔力の干渉を受けにくい。

「ちっ」

 舌打ちをして林の木々をなぎ倒す。人間たちの争いに彼らを巻き込むのは本意ではないのだけれど魔法一つで彼らを止められないのなら物理的に道を阻むしかない。

「モルデン、お願い」

 彼は黙って火炎を吐く。私が倒した木を喰らって燃え上がる火炎が、少しの間追手を阻む壁になってくれるだろう。

「ふう」

 ほんの一時の間ができたのでモルデンに寄りかかってため息を吐く。ここから逃げおおせることができるだろうか。私一人なら、あるいは可能だと思う。モルデンの巨体を隠したり守ったりしないでいいのなら。

 でも。

「モルデン、例の約束だけど」

 見上げると丁度モルデンの方はこちらを見下ろしていて、バッチリと目が合ってしまう。初めてその目を見た時のことを思い出す。そんなに昔の話ではないのに遠い思い出のように感じるのは、彼との時間を私なりに楽しんでいたからだと思う。

「そろそろ殺されてみるのはどう」

 モルデンが白けた顔をする。そう、呆れた時の顔はこんな感じ。

「最期を任せる相手を間違えたのではないかと、今少し本気で考えたぞ」

「……へへ」

 強気に笑って見せた。私がこんな無様な笑いを見せるだなんて、この光景を見たらあの子はなんていうんだろうな。ようやく人間になった、なんて皮肉を言うかしら。

「まあ伝説なんて言われたところで、時代には勝てないってことがよく分かったよ。老兵はただ去るのみってね」

 心底の感想だ。私の時代の「国」なんてせいぜい千人前後。それが今じゃ二人を追いかけるのに動員できる人数になっているんだから怖い世の中だ。

「そりゃ竜種も狩りつくされるって。よいしょっと」

 身体を起こす。そろそろあの炎を乗り越えてくるだろう。あまりゆっくりばかりはしていられない。煤だらけになったモルデンの鱗を撫でる。これだけ走り回ったり攻撃を受けたりしながらも、尾以外には大した傷がないのは嗟嘆に値する。

 かつては踏破不能だったこの鱗を狩りつくし、神秘の象徴たるエルフを道具のように扱い。果たして人間という生き物はどこまで行くのだろう。いつ大人になるのだろう。

 そうと気付いたとき、人間の隣に誰かがいてくれたらいいなあ、なんて。少し同族の未来を気遣ってみたり。


「魔女よ、もう余裕がない」

 モルデンが首を伸ばして炎の向こうの様子をうかがっている。見れば立ち上る炎の向こうで何やら魔法陣が敷かれているのがわかる。炎を消すと同時に捉えてしまう算段だろう。

「じゃあやりますか」

 モルデンを殺すのは私の役目。この鱗の触り心地の良さを知っているのは私だけでいい。

 すこし距離を取って彼を見上げると、改めて大きいなあと思わされる。ここ最近、寝る時は彼のお腹のあたりで包まれてというのが常だったけれど、ひょっとしたら彼は私を潰さないようにするのは結構大変だったんじゃないだろうか。

「じゃあ、殺し方なんだけれど」

 いくつか方法はあるけれど、これと決めている手法があった。

「今から私たちを世界の裏側に転移させる。空気も水もない場所だから、私たちは一分と持たずにちゃんと死ねるはずよ」

 これなら死後の肉体を汚されることもない。

「手間をかける」

「お互い様でしょ」

 長々とした別れの言葉は必要ない。お互いにそれを告げるべき相手はもう先に行ってしまっている。

「  」

 詠唱を始める。

残っていたありったけの魔力を魔法陣の構築に捧げて、それでも足りない分は肉体を種火にして。モルデンレベルの巨体をこの世から外すというのは中々の手間だったけれど、さすが私と言ったところ、迅速かつ完璧に陣を完成させた。

「じゃあ、いくわよ」

 黄金の瞳が揺れる。流石に怖いのだろうか、相変わらず可愛い子だと最期まで思わせてくれる。

「ねえモルデン」

「なんだ」

「また会いたいって私は思っているけれど。あなたはどうかしら」

 私と違って優しい彼なら。

「それも悪くないな」

「なによ、それ」

 少し期待とは違った、でもどこか彼らしいと感じる言葉が可笑しくて、

ああやっぱりまたどこかで、会いたいな。

 魔法陣を起動する。世界から私たちが

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凍火 水沢おうせい @mizusawaosei

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