第5話 生きるとは
(一)
上杉はショックを受けた様子で前を歩いている。私にも最後の内容は衝撃すぎた。
「竹田さんは適正人口という話をご存知かな?」
Gの顔は実に静かだった。内容のエグさに比して…。
適正人口とは、少子高齢化対策をする中央省庁で、30年ほど前に言われていた考えだ。次第に内容の危険さが言われ出し、表だって取り上げられることがなくなった。その考えとは、簡単に言えば国ごとに自給自足率や居住可能国土面積などに応じた適正人口というものがあり、我が国はそれを大きく越えてしまったというものだ。その理論によると、我が国の適正人口は戦前の産めや増やせや体制の前の3000万人前後として、少子高齢化とは適正人口に戻すためのいわば神の手、自然の摂理と考える。
「当時は役人の無策を正当化するだけの議論だったが…。」
現政権の福祉切り捨て政策のベースには、この考えがあるんじゃないか。単なる仮説や憶測と言うわけではなく…。
「残念ながらと言うべきか、我々はその証拠の一端を押さえている。」
もしそれが本当なら人口調整ということ、立憲主義を建前とするこの国では人権擁護上許されないことだ。社会がひっくり返るような大事件だろう。Gの団体はどうするつもりなのか?もっと証拠を抑えて公表したりしないのか?
「我々に何ほどのことができようか?出来ることと言えば、今のような活動を地道に続けることだけさ。苦しむ人たちに食料やほんの一瞬の楽しみを…。何事も生きていくのに大事なことは、自分の間尺を越えないってことだ。」
(二)
上野公園を出たころには深夜を回っていた。明日も仕事、ここから自宅に歩いて帰ってもわずかな時間しか休めない。私は上杉と一緒に新宿へ向かって歩くことにした。山手線沿いを歩いていけば明け方までには西新宿に着く。私たちは暗い夜道を押し黙ったまま歩いていた。
日暮里を過ぎたころ、沈黙に気が塞がれてきた私は、珍しく自分から上杉に話しかけた。
「Gのあの話、本当だと思いますか?」
上杉は前を向いたままぶっきらぼうに答えた。
「わからん。」
話が切れ再び沈黙が訪れるのが嫌な私は、珍しくしつこかったと思う。
「もし本当なら、現政権の足元を揺るがす一大事じゃないですか。」
私の言ったことは誰でも思うことだ。しかし、何か思い詰めている様子の上杉の反応は鈍かった。
「ああ………。」
「上杉さん、Gの団体は本当に何もしないと思いますか?」
「わからん。」
場所は田端を過ぎ、駒込、大塚へと近づいても、うわの空の上杉との不毛なやり取りは続いていた。池袋へと差し掛かり、空が白み始めたとき、上野を出て以来初めて上杉は私の方を向いて話しをした。
「すまないが…俺をしばらくひとりにしてもらえんか。」
「えっ…。」
「すまん…。」
突然、上杉は走り出した。ポケットから何か落ちたが、気づかぬ様子で一目散に走っていく。まるで何かから逃げるように…。
「上杉さん、これっ!」
落ちた物を拾って叫んだが、後ろ姿はみるみる小さくなっていった。
握つた手を見ると、上杉が落としたのは新宿八王子間転送機用の国からの支給定期だった。
(三)
翌日、職場で上杉を探したが休みのようだった。その次もそのまた次の日もいない。別れた日のあの思い詰めた様子が気になった。
人に関わりすぎるのは私の流儀に反するが、あの日一緒にいた者として放っておけない感じがあった。その日、仕事が終わった私は歌舞伎町へと向かった。
片翼のミカエル
ドアを開けるとカウンターに埋もれるようにして、あの日と同じ巨体が見えた。
「あらっ珍しい。竹田ちゃんじゃない…。」
タバコをもみ消しながらアンジェが立ち上がった。
何にすると聞く、相変わらずの黒ショールにビールを注文すると、私は奥のカウンターに座った。
「何か食べる?」
あの日と同じオイルサーディンを注文した。ポケットからエコーを取り出すと、アンジェが灰皿とライターを差し出した。タバコに火をつけ、すうーっと一気に煙を肺に入れ口と鼻からゆっくり吐き出す。目の前にコップが置かれ、なみなみと冷えたビールが注がれた。タバコを灰皿に置き、ビールに口をつける。冷えた液体が喉から胃へ流れていき、身体はほんのりと熱くなってくる。
「今日来たのって、ひょっとして上杉ちゃんのこと?」
表情のない顔でアンジェが聞く。
そうだと言うと、アンジェは深いため息をついた。
「まったくびっくりよね。急にあんなことになってさ…。」
あんなこと…嫌な予感がした。
「あんた、まさか知らなかったのっ?」
だから、何のことですか?
「死んだのよ。どうも、自殺らしいわ…。」
えっ…誰のことです?
「誰って、もちろん上杉ちゃんよ。…一昨日急にね。」
タバコが灰皿から転がって、コンクリートの床に火花が散った。
(四)
翌日、私は仕事を休んでアンジェから聞いた上杉の自宅へ向かった。自宅から新宿までは自分の、新宿から八王子までは上杉の定期を使わせてもらった。
八王子駅からは観光用無料レンタサイクルを使った。大汗かきながら坂をいくつか越え、3時間ほど走ってやっと上杉の家についた。
畑に囲まれた古びた平屋の壁に忌中の張り紙がある。玄関で声をかけると、奥から痩せ細った中年の女性がよろよろと出てきた。
変死なので遺体はまだ警察にあるという。仏壇の遺影を見てもその死が信じられなかった。
「私もまだ信じられずに…。」
上杉の妻君は泣き腫らした目をしていた。
「上杉さんはどうやって…。」
3日前の朝早く、仕事に行くといつものようにハーレーで家を出た上杉は、その愛車と共に断崖から飛んだらしい。その日の午後、登山客が崖下で潰れている上杉とバイクを見つけた。
通勤ルートから外れ、わざわざバイクで走るような場所ではない。タイヤ痕は崖に向かって真っ直ぐ伸びて自殺しかないと思われるが、遺書などは無くなぜ死んだのか妻君にも不明だという。
「何か様子がおかしくありませんでしたか?」
そういえばと、思い出したように妻君は言った。
「自分は何もやって来なかったのかもしれないとポツンと言っていました。えっと聞き返すと何でもないと笑って…。」
(五)
新宿に戻ってきたときはもう夕方になっていた。仕事帰りの人々が塊になって駅に向かってくる。
竹田さん、竹田さん…。
ここで声をかけられたのは、わずか1週間ほど前のことだ。思えばたった1週間の付き合いだった男。
面倒くさい男だった。この世に多くあるおかしなこと、それから目を背けられない男だと思っていた。私のように流され、考えるのをやめた人間とは違うと。
嫌がりつつも、そのバカ正直な生き方にどこか惹かれるものがあった。彼に振り回されているようで、実際はついていきたかったのかもしれない。
上杉が何に絶望したのか、本当のところは一生わからないかもしれない。正直に生きているつもりが、実際は何かから目を背けていたと気づいた?政府の意図を知ってこの国で生きる将来に絶望した?
Gのことは立派だと思う。私にはとてもできない生き方
あんた、何のために生きているんだよ。
歌舞伎町で上杉に詰め寄られた。
しかしあの言葉、彼は自分自身にも投げつけていたのかもしれない。
私は何のために生きるのか?
自分でも今まで考えないようにしていたのかな。
プライドもプレスされた奴隷のような生活の中で…
答えは簡単に出そうにない。
だが上杉はひとつ大事なことを教えてくれた。
俺らにはこれがある。
楽しかったなぁ、久しぶりにわくわくした。
ポケットから定期を取り出した。上杉のものと自分の
大きく真っ白な満月が空に浮かぶ。
ぶんっ
月に向かって二つの定期を放り投げる。
「歩くか…。」
夜の闇が私を誘う。
楽しげにスキップでも踏んでみよう。
完
2030 宮内露風 @shunsei51
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