第7話 意外な事実

「今日はスカートか。」

「え」

 窓側の小さなテーブルに向かい合って座る。

 佳蓮がトーストにコーヒーとサラダを並べたテーブルの下を覗き込んだので、思わず足を閉じる。

「・・・スカートで何か問題でも?」

 昨日はパンツスーツだったが、今日はタイトスカートだ。流石に毎日同じスーツと言うのはみっともない気がして一応変えている。

「いんや。俺も学校行くんで、一緒に行こうぜお姉さん。電車で行くんだろ。」

「別に構わないけど、昨日の今日でいいの?平気?」

「俺はなあんにも悪い事してないぜ。」

「まあそうだけど。」

 それにしても、痴漢冤罪などという不名誉な目にあったら普通その交通機関を避けないだろうか。中々神経太いな、と思った。 

「きみ、家はこっちの方だったんだ?だから昨日はちょうど帰り道だったんで乗っけてくれたのかな?」

「そんなとこ。お礼も兼ねて。」

 意味ありげに笑う。白い八重歯がのぞく。何故か、どきりとする。

 昨日初めて見た時から印象的な子だとは思っていたけれど、彼のちょっとした表情の変化に心が動く。そんな自分が恥ずかしかった。

 コーヒーカップからカフェオレを飲み干すふりをして、カップの陰からこっそり少年の顔を見る。きょろきょろとよく動く瞳は確かに緑色で、そして、朝の陽光の中だとコンタクトレンズなのもはっきりわかった。本当の瞳の色は、どんな色なんだろう、なんて思ったりする。色白だから、もしかしたら金髪も地毛に近い色なのかもしれない。色素が薄いのだろう。小柄で細身に見えるけれど、何故か優男という感じは全く無かった。

「なんだよ、じろじろみちゃって。惚れた?」

 佳蓮が、なんでか妙に嬉しそうに言って、身を乗り出す。

「年上のお姉さんを揶揄うんじゃない。私は既婚者よ?そんなはずないでしょうが。」

「だよなー。可愛い娘ちゃんもオウチで待ってるんだもんなー。」

 会った事もない娘の事を”可愛い”と少年に言われ、それだけでちょっと気を良くしてしまう実莉は単純だ。

 それでも董子の事を思い出すと、必然的に夫の事も思いだしてしまい気が沈む。

 好きで結婚したはずだけれど、この頃は尚寿のどこを好きになったのか思い出せなかった。ただただ、董子を可愛がっていた記憶だけが鮮明で。二人きりのデートもしたことも無かった。いつだって董子が一緒だったから。そして、それが嫌だとか駄目だとか思ったことも無かったのだけれど。

 ふと、気付く。もしかして、見ようによっては、佳蓮と二人きりで朝食を食べている姿は、まるで恋人同士が熱い夜を過ごした翌朝の様子に見えてしまうかもしれない。そんな事実は皆無だけれど。

 それは、マズイかも、などと思いつつも。

 自宅から離れた出張先であるという解放感も手伝い、何より、佳蓮という少年と一緒にいることに居心地の良さを覚えていて、罪悪感や後ろめたさをそれほど感じなかった。

 


 時間帯が通勤通学ラッシュをはずしていたせいか、昨日ほどの混雑がない駅構内を二人で出てくる。

 実莉にミントの飴玉を手渡した佳蓮が、軽く手を上げる。彼の口の中には既に入っていると見えて少し口がもごもごしていた。

「じゃ、ここで。お姉さん、仕事頑張ってな。」

「うん。ありがとう。カレン君も気を付けて。」

 大阪のおばちゃんかな、と思う様な少年の気遣いに思わず口元がほころんだ。

 手を上げて彼が離れていくのを見送っていると、軽く肩を叩かれた。

「おはよう。早いじゃない。・・・誰に手を振ってるの?」

 上司である酒井がビジネスホテルから出てきたところだったようだ。朝食とコーヒーを買い求めた後らしく、手には紙袋があった。

 上司は黒のパンツスーツ姿で長い髪をひっ詰めている。きりっとしたキャリアらしい見た目だ。

「ああ、あの子。昨日、電車で知り合ったんですよ。あの、赤いスカジャンの」

 と指差して言いかけた瞬間。紙袋を押し付けられる。

 上司は切れ長の目を大きく見開いて、走り出した。ハイヒールなのに大した瞬発力だ。

 速足で駅前の交差点を横切っていく少年の方へ一目散に駆け出した彼女に、実莉はびっくりしてしまい、その場に立ち尽くすしかなかった。

 酒井に追いつかれた少年が逃げ出そうとした瞬間に、首根っこを掴まれる。何か悪態を付いているらしいが、距離があるためはっきりは聞こえなかった。

 眉毛を釣り上げた酒井はそれにぴしゃりと言い返したらしく、少年が口を閉じる。そのまま彼女に引きずられるようにこちらへ戻ってきた。

 もしや、知り合いなのか。

 思わず身構えて待っていると、息を切らせた上司と仏頂面の少年が揃って実莉の前に立った。

「あんた、彼女に何かしたの!?」

「してねーよ!」

 険しい顔で追及する上司の酒井は、本当だろうな、と念を押す。

 なんだか、彼女もいつもと様子が違う。こんなに荒っぽい女性だっただろうか?

 引き摺られたままの彼のスカジャンの襟が伸びてしまう。

 佳蓮が放せよと何度も言うが無駄だった。

「あの、本当にカレン君は何も悪い事してませんよ。一緒に電車に乗ってここまで来ただけです。・・・ていうかお二人はお知り合い?」

 上司は実莉の言葉を聞いて、ようやく少年を解放した。

「従兄弟」

 短く答えたのは、佳蓮だ。

 はああ、と大きくため息をついた酒井が、さっきまで釣り上げていた眉毛を一気に下げる。

「・・・そうなのよ。」

 腰が抜けるかと思ったくらいに、実莉は驚いた。

 

 


 

 

 

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