第6話 娘とデート

 まま、あそぼう。ここで、ねんね。

 などと、カタコトながらもテレビ電話の向こうで言ってくれる董子。

 病院通いが多いせいか、言葉が少し遅れ気味ではある。しかし、意味の通る事は言えているので問題はない。

 4歳の月例としては小さめの娘が、スマホの小さな画面の向こうで笑う。

 自分がいなくても機嫌良くしてくれているのは、実母が傍で見てくれているお陰だ。血が繋がっていないのが不思議なくらいに、可愛くて愛おしくてたまらない。

 元々、実莉は子供好きな上に、この愛らしさではメロメロもいい所。

「あと、ふたつ寝たら帰るからね。それまでおばあちゃんの言う事聞いて。いい子でいてね。」

 とうこ、いいこばもん。ね、ばあちゃ。

 背後で抱っこしてくれている実母が、どっこいしょ、と言って姿勢を変える。

 そうだねぇ。董子はおりこうさんだもんね、と年老いた母が付け足す。

「董子は手のかからないいい子だ。だからばあちゃんもどうにかお守が出来るんだよ。これがわんぱくだったら無理だわ。いたいたいも、ちゃんと我慢するしね。それにしても、尚寿さんはなんなんだい。いつの間にか帰ってきて、また勝手に出勤したらしいよ。こんなにも可愛い董子に挨拶もしないで。薄情なパパだ。」

 実母の言い分は実莉の言い分と全く同じだ。

 嫁の親にこれだけの負担を強いているというのに、挨拶もないなんて。

 だが、子供の前で父親の悪口は控えたい。

「申し訳ないけど、お母さん、董子の事よろしくお願いします。」

「いいさ。あんたも体に気を付けて早く帰って来るんだよ。」

 名残惜しいが、TV電話を切った。

 以前は尚寿自ら董子を連れて病院にも行ってくれていた。実莉が同行すると言えば、”娘と水入らずのデートを楽しみたい。”などと言って目尻を下げていたのに。

 家の事、だけならばまだともかく。董子の事も全て任せきりになってしまった。

 実莉の父は最後まで結婚に反対していた。今も許してくれていないのだろう、音信不通だ。実母からその近況を聞くだけで、直接話はしない。

 父には、こうなることがわかっていたのだろうか。だから反対したのだろうか。

今となっては、その真偽を問うことも出来ない。

 実莉はスマホを充電器に繋ぎ着替えを始める。遅い朝食を食べて、仕事に行かねばならない。

 董子が傍に居る生活ならば、尚寿の無責任さを考えてもしょうがない。可愛い娘と一緒に過ごす時間の方が余程有意義で楽しい。夫への不信は溢れそうなほどに抱えていたが、董子の事を思えば忘れてしまえた。

 だが、今は違う。董子とも離れ、お金のために仕事をしているのに、協力することもない夫に失望する。

 いっそ董子を連れて離婚してしまおうかとさえ考えるが、彼女を養える経済力は、自分にないのだ。それに万が一にも離婚になった時、いくら養子縁組をしているとしても、血の繋がりのない実莉は親権を取れるかあやしいだろう。

 出産経験のない実莉だが、子供はたまらなく可愛いのだ。その気持ちは夫には絶対に負けない。

 紺色のスーツに着替えて、部屋のロックを掛ける。一回のロビーラウンジで朝食が食べられるはずだ。そのまま仕事へ行ってしまうつもりで、鍵を手にする。

 エレベーターでホテルの一階へ下りると、見知った顔がフロントにいることに気が付いた。

 なんでいるのだろう?

 佳蓮が、フロントのお姉さんと楽しそうに談笑しているのが見える。

 思わず注視してしまったせいか、視線に気づいた彼がこっちを見て軽く手を挙げる。

 光沢のある赤いスカジャンに、穴の開いたビンテージ加工のジーンズ。金髪に三つもピアスを空けた耳。色白で端正な顔には緑のコンタクトレンズ。どれをとってもビジネスホテルのフロントには相応しくないいでたちなのだが、受付のお姉さんは愛想良く彼に会釈した。

「おはよー、ミノリお姉さん。これから朝飯?」

「お、おはよう、カレン君。どうしたの朝から。」

「うん、通学途中で腹が減ったから立ち寄ってモーニングでも食おうかと。一緒にどう?」

 こんな時間に通学するのか?

 ああ、大学だから時間割が遅い事もある?

 あの格好でよくホテルに入れたな?客の何人かはちらちらと見ているのに。

 というか、なんでここでモーニングを?他にいくらでもあるだろうに。

 色々と頭の中を駆け巡るが、とりあえず、彼は年下の少年である。少年と言う事は子供なのだ。実莉の中では子供にはとにもかくにも優しくしたいのが信条だ。

「・・・じゃあ、一緒に食べようか。お姉さんがご馳走したげる。昨夜送ってくれたお礼に。」

「それは遠慮しておくさ。だってお礼のお礼のお礼なんて、きりがねぇ。」

 ハハっと陽気に笑う佳蓮の口元で、八重歯が光った。

 可愛いなぁ、と思ってしまう。

 二人で肩を並べてラウンジに入ると、他の客の視線がちくちくと痛い。痛いが、次第に気にならなくなる。注文を取りに来たホテルマンも、他のスタッフも、誰一人として佳蓮の見た目を気にしている様子がないからだ。

 

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