第3話 再会

 新しい人員の手配に備品の発注などの打ち合わせを終えると20時を回ってしまった。

「同じホテルが取れたらよかったのに・・・ごめんね。」

「仕方ないじゃないじゃないですか。なんでも、イベントかなんかと重なって混んでいるんでしょ。大丈夫です、二駅くらいの距離どってことないですよ。最悪、タクシーでも帰れる距離だと思いますし。」

 工事中の縞々模様のテープが貼られたドアを開き、上司の酒井と共に店を出る。店内の内装はほぼ問題ないが、まだ外装や外壁などが終わっていない。足元に気を付けないと躓いてしまう。

 とっぷりと日が暮れてしまった空を見上げ、

「じゃあ、また明日。11時でいいですか?」

「うん。今日は東京からの長旅で疲れたでしょう。ゆっくり休んでね長勢さん。」

 駅の前で別れ、上司は駅前のビジネスホテルのエントランスに吸い込まれて行く。

 地方都市とは言え政令指定都市だ。駅も大きいからこの時間帯でも人通りも多くまだまだ街中は明るかった。家から新幹線に揺られてここに辿り着き、ようやく自宅に連絡をいれる余裕が出来た。

 駅の中に入るとすぐに見えるコーヒースタンドへ入る。ここも有名なチェーン店だ。手軽に買って飲めるのが売りで、実莉も商売敵と思いつつよく利用する。

 窓側の小さなテーブル席には本当に小さな椅子が備えてあり、ガラス張りの窓から駅の構内を往来する人の様子が良く見えた。

「お母さん?うん、やっと仕事終わった。董子の様子どうかな?」

『今日は機嫌よく保育所にも行ってくれたよ。何事も無かった。腹膜透析もOK。』

「よかった。・・・で、あの人は帰って来たの?」

『いや、まだみたいだけど。待ってられないので先に休むよ。』

「そうね。ありがとう。明日の朝また、電話するわ。そしたら董子と話せるし。」

 電話を切って大きくため息をつく。

 そして、ラインの画面を開いたが相変わらず既読さえついていない。どれだけ仕事が忙しいのか知らないが、娘の事が心配ではないのだろうか。理解に苦しむ。

 出会った時の尚寿は、小さな董子を目の中に入れても痛くないと言う程に溺愛していて、微笑ましかった。こんな小さくてか弱い娘を置いて出て行った元嫁の事を許せない、と愚痴る姿は見ていられなかったが、離婚の原因を知らない実莉からすれば正直に言って同感だった。

 生まれつきの腎不全のため、董子は常に通院し自宅でも治療を続けなくてはならない。保育所に行ってはいるが、あくまで体調が許す範囲での通所なのだ。必ず近くで世話をする人間が必要だった。

 子供好きな実莉は董子が可愛くて、父に猛反対されても尚寿と結婚することを選んだのだ。勿論、娘思いの尚寿も好きになったが、何より董子には自分が必要なのではないかと思ってしまった。

 だが治療にはお金がかかる。そう思うと働かないわけにも行かない。元看護師の実母は、渋々ながらも頼み込めば董子の面倒を見てくれるのでどうにかやっていけるのだ。

 結婚した時には、二人で協力して董子を育てようと誓った。

 そして、董子に腎臓移植をした後に、妹か弟を作ってやろう。二人でそう決めて。

 それなのに、この頃の尚寿は仕事ばかりで余り家に戻ってこない。そのうち董子には「お父さんお帰りなさい」ではなく、「いらっしゃいおじさん」と言われるようになるだろう。

 今回の出張は三日間。それ以上長くは無理だと、上司の酒井にも伝えてある。夫の尚寿が協力してくれればもう少し長くいられるのだが、この分では無理だろう。

 電話を掛けても繋がらない。あえて夫にはラインではなくメールで自分の予定を伝える。出張の間くらいは早めに帰宅して、娘の世話をして欲しいと入力したが、果たして意味があるのかどうか。ラインだと読まなくてもメールならば読むはずだ。中身を開かなくては内容がわからないから。

 何度目かのため息をついて、実莉はスマホの画面を地図検索のアプリに切り替えた。宿泊予定のホテルを探す。

 かたん、と軽い音がして誰かが小さな丸テーブルに手をついた。

 実莉が飲んでいたカフェラテのコップが少し揺れる。

「俺、そのホテル場所わかるぜ。教えてやろうか、おばさん。」

 低いがまだ少年らしさを失っていない。そんな無邪気さを感じさせる声だった。

 顔を上げれば、金色に染めた髪の少年がにやっと笑って八重歯を唇の端からのぞかせる。

「きみは」

 問いかけて、思いだす。

「さっきの、電車の」

 立ったままの少年は実莉の手の中のスマホを覗き込み、探しているホテルの矢印を指差した。驚いたことに、少年は形の良い爪にマニキュアをしている。深く濃い群青色は、白っぽい画面の上でとても目立った。

「さっきはありがとうな、おばさん。礼をさせてくれ。送って行くよ、このホテルまで。女の夜の一人歩きは危ねぇからな。」

 整った顔は、やけに機嫌がいいようで。

 白い頬を紅潮させながら少年はもう一度にっと笑った。

 



 

 

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