第2話 出張先
「その子ずっと両手あげてました。私見てました。」
駅員に駆け寄って丁寧に訴えると、女子高生たちが睨み付ける。
「ちょっと、なんなのおばさん。」
「関係ないのに、引っ込んでてよ。」
よく見ればまだ若い女子高生だというのに随分と化粧が濃い。社会人である実莉の方が薄化粧だ。
少年を囲んでいた女の子たちがまるで威圧するように実莉の周囲に迫って来る。
だが、それでも実莉から見れば少女だ。まだ女子高生というひよっこなのだ。
「駅員さん、なんなら私証言しますよ。警察に届けて裁判になったらちゃんと行きます。まだこんな若い子が冤罪で一生を棒に振るなんて見てられない。あ、私の身分証明はいりますか?」
つらつらと述べる実莉の言葉に、女子高生たちは顔色を変える。
「知り合いにやり手の弁護士が居ますから、いくらでも受けて立ちますけど。お嬢さんたち、それでもこの子を訴えるの?そんなお金持ってるのかしら?」
少女の一人に視線を合わせて尋ねる。
狼狽えるとはまさにこのことだった。少女たちは、予想外の人物の乱入と言葉にすっかり顔色を無くしている。裁判などと言われて焦ったのだろう。
「も、もう、いいわよ!」
どうしていいかわからなくなったのだろう。言い返す事も出来ず、五人の女子高生たちは少年と実莉と駅員をその場に残し、走り去っていった。
ぽかんと口を開けてその様子を見ていた少年と駅員は、やがて我に返ったように実莉の方を見た。
「では、何事も無かったという事でいいんですよね。」
まだ青年と言っていい年代の駅員は、帽子の鍔を直して少年に向き直る。
「お、おうよ。」
少年は緑色の眼を丸くして、短く答えた。
実莉よりいくらか年下だろうか、という駅員は、再び彼女に向き直り、
「この所ああいう手合いが多くて・・・苦情が出てるんです。でも、現場を見ているわけでないので、鉄道職員にはどうにも出来なくて。痴漢が嫌なら女性専用車両にご乗車してくださいとご案内しているんですが。今の所大事には至ってないんですけど」
それから、声を潜めて。
「訴えられたくなかったらお金を都合しなさい、みたいな恐喝もあるらしいです。どうぞ、お気をつけて下さいね。」
最後の台詞は少年に向けて言ったようだった。
軽く会釈してその場を去った駅員を見送ると、実莉は腕時計を見る。
待ち合わせの時間まで余裕がない。
「じゃあ」
と言って実莉もホームを駆け出した。
「あ、待て」
言いかけた少年に、後ろ手に手を振って改札へ走る。
仕事の前にいい事をした、などと思いながら。混雑したホームの人をかき分
けつつも、実莉の足取りは軽くなった。
新店舗の場所は駅を出て2分ほどの物件だ。
以前はコンビニエンスストアだった建物をリニューアルしている。まだ工事は終わっていないが、屋内の設備は使用できるらしい。
「酒井さん。お待たせしました。」
「うん、この場所すぐにわかったかな?」
「はは、グー●ル先生に聞きながらどうにか辿り着けました。」
紺のスーツ姿の上司は、東京でもお馴染みだ。
関東で10店舗展開しているコーヒーショップの半分は、この上司のテコ入れで順調に業績を伸ばしている。彼女はやり手の営業なのだ。
「ごめんね、急な出張なんかさせて。お子さん、大丈夫?」
「今回はなんとか・・・母が見てくれてます。でもそんなに長くこちらにいられないので。」
「そうよね。なるたけ早く起ち上げちゃわないとね。頑張りましょう。」
実莉にはまだ幼児の娘がいる。やっと4歳を過ぎたばかりだ。
内臓に疾患を抱えており目が離せない。通院は勿論、自宅治療も続けている。実莉の実母が元看護師だからこそ頼めるのだが、母も若くはない。連日病弱な孫の世話ではくたびれてしまう。とても神経を使うのだ。
立てかけてあった椅子とテーブルを配置し、荷物を置いて上司と向かい合う。
「ご主人は見てくれないの?自分の娘でしょ?」
「・・・忙しいらしくて。余り家にいないんです。」
「えー?でもさ、協力して貰わなくちゃ困るじゃない。」
「娘の医療費もかなりかかるので・・・これから移植手術をしようと思うならなおさらお金がかかりますし。」
疾患のために同年代の子供よりはるかに小さな娘。
それだけに不憫で可哀想で愛しい存在だ。大切に育てたい。だからこそ、先立つモノが必要なのだ。ハンドバッグのポケットに入れたスマホの画面を確認するが、着信の履歴はない。
夫には自分の出張の話をしてあるし、後を頼んできたのに。母一人では正直心配なのだ。高齢の母親はこのところ足腰が痛むと訴えている。だから看護師を辞めたのだから。
夫の
決して薄給なわけではないと思うが、彼一人の稼ぎでは妻と子供を養えないからと言われ、実莉は仕方なく近所にあったコーヒーショップに面接に行った。
細身で背の高い神経質そうな外見の尚寿は、初めて会った時まるで宝物のように小さな小さな娘を抱えていた。それが董子だ。
歩くのがやっと、という小さな董子は月例の割には余りにも小さくて驚いた。保育士の資格を取るため、実習に行っていた実莉は、子供支援センターに現れた親子と出会った。
離婚したばかりで、娘が不憫だとしきりに嘆く尚寿に同情するうち絆されてしまい、ついに結婚してしまった。
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