最後のひととき


 パーティという名のお夕飯をいただいた私たちは、客間に移動してお茶を飲んでいた。

 パトリシア様にドン引きされることを心配していたのだけど、それより彼女は「エルザ様のお席」に座れたことで浮かれてしまわれてね。一緒になってはしゃいでいたからまあ良かったわ。……良かった? ええ、良かった。シエラもクラリスも食事だけパーティと同じものをいただいたって聞いたし。


 ちなみに、今飲んでいるお茶は、以前パトリシア様からいただいたローズマリーを使って作ったものね。今回も、ザンギフと一緒に作ったから、味は大丈夫だと思うの。

 それと一緒に、イリヤがチョコを出してくれたのよ。今日は、特別だって。


「美味しい! ベルって、お茶を作る才能もあったのね」

「ザンギフと一緒に作りましたので、私じゃなくてザンギフの才能ですよ」

「確かに、お夕飯もとても美味しかったわ。でも、ベルもすごいのよ。だって、私は誰かと作っても作れないし」

「そうだぞ、ベル。俺様も、ベルの作った紅茶が美味しい。いつもは砂糖とミルクを入れるんだが、ここに来てから一度も使ってないしな」

「……ありがとうございます」


 客間では、対面したソファにパトリシア様、私の隣にサヴィ様、その後ろにサヴァンとイリヤが勢揃い。こんな年齢の近い方たちとワイワイやるなんて、パトリシア様のお茶会以来かもしれないわ。

 前の私だったら、マナーや社交辞令、周囲の顔色を気にしてお茶なんて飲んだ気にならなかった。少しは成長したって思って良いかな。


 やっぱり、ザンギフと一緒に作って良かったわ。

 1人で作っていた時のままで出したら、フォンテーヌ家として恥をかくところだった。アンナが本当に言ったのかはわからないけど、あの夢のおかげね。


「これに、食用の香料を入れても良いかもね」

「そんなこともできるのですか!?」

「できるわよ。以前、お父様がオレンジエッセンスという香料を隣国からもらってきていたもの。今度、持ってくるわね」

「ありがとうございます!」


 オレンジエッセンス? どんなものかしら。

 名前の通り、オレンジの香りがするとか? 香水との違いは何かしら? 舐めたら、オレンジの味がするとか? でも、それならオレンジを使っても良いと思うけど。

 ああ、楽しみだわ。企画書に書き加えておきましょう。


 机に置いてあるメモ帳にそれをまとめていると、おかわりの紅茶を注ぎながらイリヤが話しかけてきた。


「ザンギフと作る前にお嬢様が作っていらした紅茶の方が、イリヤは好きでしたけどね」

「えっ! どんな味なの、イリヤ?」

「とても深い味わいがあり、心が落ち着きます。以前は、カモミールティを良く作られていましたが、もう作らないのですか?」

「……作らないわ。美味しくないもの」

「イリヤは、あのカモミールティを寝る前に飲むのが好きでした。良く眠れるのです。でも、最近なくて良く眠れません。よよよ……」

「え、ちょ……」

「まあ! それは大変。私も、味が気になって今日から一睡もできそうにないわ!」

「パトリシア嬢、わかるぞその気持ち!」

「サルバトーレ様もそうなのね!」

「え……」


 って、これは何!?

 言い出したイリヤを睨むと、どこ吹く風のごとく窓の外を見ている。もう外は暗いから見ても仕方ないのにって思っていたけど、良く見ると鏡に写った自分の顔を見てるわ……。マイペースすぎる!


 それよりも、今はこの状況をどうにかしないと。

 みんながみんな……イリヤ以外、私の顔をニコニコしながら見てるの。「人の気持ちがわからない悪魔」と領民から言われてきた私ですら、何を言いたくてこっちを見ているのかは明白だった。

 そんな光景に耐えきれなくなった私は、観念するしかないところまで追い詰められる。


「……少しでしたら、お部屋に自分用で飲もうと思っていたものがあります」

「イリヤ、持ってきてちょうだい」

「はあ〜い。お嬢様、よろしいでしょうか」

「……不味くても知りませんよ」

「大丈夫! 私は、イリヤの舌を信じてるもの」

「うむ。俺様も信じてるぞ!」


 あ、イリヤの舌は……まあ、水を差すことないか。


 でも、そうね。サヴィ様には飲んでいただきたいわ。

 正直、不味すぎて顔を歪められても良い。なんでも良いから、彼の表情を目に焼き付けておきたいって思ってしまう。


 だって、ずっと考えているのに、彼を救う手立てが全く思い浮かばないのだもの。

 署名を集めても、国外に逃げても、名前を変えて生活してもそれは一時的な時間稼ぎにしかならない。今更慈善活動を始めたところで、薄っぺらい目的が見え見えだわ。城下町に行って診療所を手伝うにも、諸悪の根源であるダービー伯爵の嫡男を歓迎してくれることはないでしょう。


 こうやって笑っている間も、騎士団や元老院たちが血眼になって探していると言うのに。残された彼との時間を思い出に残そうという思考になってる自分が憎い。逃げることしか頭にない自分も。


「……イリヤ、机の二番目の引き出しに入っているからお出ししてちょうだい」

「ガッテン承知ぃ! ……あ、寝る前に飲む用で、イリヤも少しいただきたいのですが」

「良いわよ。ただし、ちゃんと寝ること」

「はい!」


 でも、今は湿っぽくなってちゃダメね。パトリシア様もいらっしゃる、のだ……し?


 イリヤが出て行った客間の中、パトリシア様がサヴィ様を見てポーッとなっていることに気づく。

 どうしたのかしら? 今日のお洋服もチェックで奇抜だから、度肝を抜いていらっしゃるとか。単体で見ると、まあ見られるお顔だから良いんだけど、背景と全く馴染まないからやっぱり浮くし。……お父様は大絶賛してるけど。

 私もここ数日で目が慣れてきたけど、パトリシア様は慣れないわよね。


「ベルのお茶、楽しみだな」

「ええ、そうね」

「ここに来るまで、炭酸水に蜂蜜やレモンを入れたものばかり飲んでいたが……。紅茶も悪くないな」

「ハーブティと言うのよ、サルバトーレ様」

「む、その辺は良くわからん!」

「ふふ」


 いつの間にか、お2人は親しそうにおしゃべりをしている。……ああ、そうか。敬語じゃないんだわ。良いな、こんな関係。爵位が同じだと、やっぱり話しかけやすいのかしら?

 私も、アリスだったらこうやっておしゃべりできたのかな。ううん、きっと私がいたらみんな笑顔になんかなれやしない。こうやって、笑顔でおしゃべりしているところを見れるだけで私は幸せだわ。


 そうやって微笑んでいると、パトリシア様の後ろに居たサヴァンが急に咳払いをする。それにハッとしたパトリシア様が、急に黙られてしまったけど……。どうしたの?


「ご、ごめんなさい。私ったら……」

「どうされたのですか?」

「あ、えっと……。その、ベルの婚約者なのに、親しげに話してしまって……」

「何か、ダメなことでもあるのですか?」

「……普通はダメよ。ごめんなさい」

「む、すまなかった。俺様も、普段ご令嬢と関わる機会がなかったから、距離感がわかってなかった。ベルよ、許してくれ」


 そう言われても、よくわからない。

 私の昔の婚約者は、よく他のご令嬢と遊びに出かけていたけど。親しげに身体を寄り添って歩いている姿を何度も見ていたけど……あれって、ダメだったの? 親しげに話してダメなら、あれもダメってことよね。

 その辺りのマナーが良くわからない私に言われても、なんのことやら状態だわ。


 それよりも、こうやって湿っぽくなってしまう方が、何倍も嫌。


「あ、あの! ごめんなさい、そういうマナーを全然知らなくて。仲良くしたらダメなのですか? みんなで笑っていることの、何がダメなのか良くわからないです……。勉強不足でごめんなさい」

「……ベルが謝ることないのよ」

「私は、みんなで楽しく会話がしたいです。笑っているサヴィ様とパトリシア様を見たいです。それは、良くないことでしょうか……」

「……」

「……」


 自分の気持ちを伝えてみたのだけど、ダメだったかしら。

 私の言葉を聞いたお2人は、全く同じ顔して固まってしまわれた。もしかして、私ったら常識のない貴族だと思われた!? それは嫌だわ!


 急いで何か発言しようと慌てふためいていると、突然パトリシア様が立ち上がった。そして、私の目の前に来て「失礼するわ!」と勢いよく言って隣に座ってくる。

 右にサヴィ様、左にパトリシア様とお2人に囲まれた私は、どちらに逃げたら良いのかわからず首を左右に振って情けない姿をさらけ出す。


「ベル! あなたは優しすぎる!」

「へ?」

「私が言うのもなんだけど、もっと危機感を持ってちょうだい! 私がサルバトーレ様を奪ったらどうするの!」

「どうって……。それは私が決めることではなくて……」

「ああ、もう! 奪うわけないでしょう! そこは、堂々としていなさい! 婚約者に失礼よ!」

「えっ……。サ、サヴィ様、ごめんなさい」


 パトリシア様の発言で気づいてサヴィ様の方を向いたけど……。一瞬だけ、とても悲しそうな表情が見えた。でも、勘違いかも。すぐに、笑顔になって私の身体を抱きしめてきたから。

 何が起きているかわからない中、パトリシア様も私の身体を反対方向からギュッと抱きしめてくる。苦しいのに、それはとても温かい苦しさだわ。不思議な感覚。


「……ベルを置いていきたくないなあ」


 その時、サヴィ様の口からそんな言葉を聞いた気がした。

 でも、パトリシア様は何も言わずに私を抱きしめ続けている。だから、きっと気のせいね。彼の身体が震えているような気がするのも、きっと。


 私は、その温かさに身を起きながらニコニコする。サヴァンと目が合ったけど、彼女も笑ってくれてるから一件落着かしら?

 なんて、そんなことはなかった。


「!?」

「!?」

「!?」


 背後から、誰かがまたもや私のことを抱きしめてきたの。

 この甘い香りはイリヤね。いつの間にか戻ってきていたらしく、必死になって私にしがみついている……と、思われる。


 何が起きたのか良くわかってない。

 後ろを振り向こうにも、首が動かないんだもの。こんながっちり固定されるなんて、普通に生きてれば経験しないことでしょう。


「ちょっと、イリヤのお嬢様を取らないでくださいまし!」

「何を言っているのだ、俺様のベルだ!」

「私のベルよ! 2人とも、女性にみだりに触るなんて無礼だわ、手を引きなさい!」

「え、あ、……ちょっと、喧嘩は」

「「「ベルは黙ってて」」くださいまし!」

「……あ、はい」


 怒られちゃった。

 しかも、3人ともすごいシンクロ。でも、嫌な気はしない。


 私は、目の前……というか顔面前というか耳元と言うか良くわからない場所で言い争いをする3人を、少し離れたサヴァンと一緒に眺めることしかできなかった。


 カモミールティ? もちろん、その後みんなで飲んだけど美味しいって言ってくれたわ。

 パトリシア様なんか、「お土産に包んでくださる?」とまで言ってくださって……。何度も、ザンギフと作った方を勧めたのだけどこっちが良いのですって。「エルザ様のお席に座れたし、ベルのハーブティもらえたし今日は良い日!」と高らかに言って帰っていかれたけど……。

 お父様お母様には、エルザ様がいらっしゃったことは内緒でお願いしますね。



***



 そんな一時を過ごした次の日だった。

 結局、疲れてしまってイリヤと会話ができないまま朝を迎えた私は、朝食をいただこうとダイニングへ向かっていた。その途中にある玄関先に、騎士団のお方が手錠を持って立っていたの。そこに、支度を終えたお父様お母様と一緒に、サルバトーレ様とクラリスも居る。いつの間に帰ってきたのか、アインスの姿も。


「サルバトーレ様、王宮へ向かいましょう。ご両親が見つかりまして、護送中です」


 ついに、その時がやってきてしまった。

 素直に応じるサルバトーレ様の手に手錠がつけられる光景を目の当たりにし、私は床に崩れ落ちる。


 何もできなかった。

 呑気に笑っていただけで、何も。


 こんな日はこないと、頭のどこかで思っていたの。


「サヴィ様! 私も、私も連れて行ってください!」


 その言葉は、外へ出るサヴィ様が小さく微笑んでくれるだけの効果しかない。彼は口元で、「なくな」と声を出さずに伝えてくる。

 それを見た私は、グッと涙を堪えて歩き出す。……いえ、歩き出そうとしたの。どんどん遠ざかるサヴィ様とクラリス、お父様とお母様、それにアインスの背中を見ながら、イリヤの力強い手がそれを静止させてきた。


「ここからは、旦那様とアインスにお任せしましょう」

「でも……」

「大丈夫ですよ。今日は、旦那様と奥様がいらっしゃらないので、お嬢様がお仕事を進めてくださいますか? そう、旦那様より伝言を預かっております」

「私も、サヴィ様と一緒に」

「お嬢様。今日は、イリヤがお側に居ますから。使用人もみんな、お嬢様と一緒に居ますから」

「……う、う、うわああああ」


 いつの間にか、玄関先には使用人が勢揃いしていた。

 ザンギフをはじめとした料理人、フォーリーを先頭にメイドに執事たち、そしてバーバリーも。全員が全員、頭を下げてサヴィ様たちを見送っている。


 そんな中、私は堪えきれなくなった涙を流し、声をあげて泣き出す。

 もう、その瞳にサヴィ様の背中すら映っていない。昨日抱きしめてくれた記憶が、私を「無力」と罵ってきた。


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