C16H16N2O2, C2H8N2= R'-C(=NR'')-R



「貴女様は、ご両親を憎んでおられますか?」


 私の隣に座るサレン様は、その質問の答えを詰まらせた。今まで、スラスラとまるで台本を読んでいるかのように答えていらっしゃったのに。

 きっと、その答えを持っていない……いえ、探している途中なのね。そんな感じがしたわ。


 真っ直ぐに背筋を伸ばし、話す相手の顔を見る。そんな基本動作は、今の質問で全て崩れ落ちていく。

 サレン様は、何かを思い出すかのように眉間のシワを深め、そのまま下を向いた。


「……サレン様?」

「……」


 私が声をかけても、それが聞こえていないらしい。

 窓が開け放たれて鳥の声や風のざわめきが聞こえてくるけど、そんな微かな音にかき消されるような音量で話した覚えはない。でも、聞こえていないみたいなの。

 何を考えていらっしゃるのか、隣に居る私にもよくわからない。


 もう一度声をかけようか。

 そう思ったと同時に、彼女は顔を上げる。


「……恩が」

「はい?」

「あの人たちには、恩がありますから。育ててくれた恩に学びの場を儲けてくれた恩、それに、……」

「それに?」

「……いえ、なんでもありません。とにかく、私が憎むのはお門違いです」


 その答えは、模範解答のようなものだった。

 ここで、下手に「憎んでいます」と言っても「全く憎んでいません」と言っても、ここに居る全員が納得しなかったと思う。

 特に、質問を投げかけているルフェーブル卿は、理由のない発言を嫌う。よく知っているわね、サレン様は。それとも、偶然?


 ルフェーブル卿の狙いはわかっている。

 彼は、サレン様を困惑させ激怒させ……とにかく、極限まで追い込んだ時に牙を見せるかどうかを確認したいのだと思う。

 以前、王族殺しの判決をもらった罪人にも同じ手順で尋問をしていたから。あの感情のない淡々とした話し方はそうに違いない。まあ、その前にロベール卿が火を吹きそうだけどね。サレン様も、そんなことじゃ怒らないし。


 でも、あの書類は何が詰まっているのかしら? ここからだと、よく見えない。


「なぜですか? 貴女様をそのような身体にした張本人でしょう?」

「では、私が恨めば体内から毒が抜けますか? 自家中毒にならず、これからも生きられる道に出られますか? でしたら、いくらでも憎みましょう。そんな感情です」

「ふむ。貴女様は、賢明なお方だ」

「……」

「まあ、安定した地盤があっての話だな」


 出たわ、彼の皮肉。

 本人はそう思ってないようなんだけど、他人から聞けば圧のある皮肉なのよ。あの明るいイリヤが、これによって何度落ち込んでいたのかわからない。「気にするな」とかそういう次元じゃないの。

 本音だから、そうやって相手に響いてしまうのでしょうね。


 それに、この皮肉は後に続く言葉が必ずある。

 それも、爆弾級の。


 私は、いつでも動けるように少しだけ体勢を変えた。

 ルフェーブル卿を守るためではない。サレン様を罪人にしないために、だ。


「質問に答えてくれて、ありがとう。私からのプレゼントだ、受け取りなさい」

「……ありがとうございます」

「礼は不要。真実を知り、それを伝えていくのも仕事ですから」


 ルフェーブル卿は、そう言って近くにあったテーブルへとその分厚い書類を置いた。

 そして、そのまま陛下の居らっしゃる方の席へと歩いていきストンと座る。その表情は、満足そうだ。

 どうやら、サレン様へのプレゼントとして持ってきたものらしい。……何が書かれているの? 嫌な予感しかしない。私が読んで大丈夫だったら、彼女に渡した方が良さそうね。


 にしても、もっと質問があるように感じるのだけど。

 なぜ、アリスお嬢様を名乗っていたのか、それに、サレン様とジャックの出会いや関係性。あと、本来の目的や相手の望む結末は何かとか。

 どうして、彼はそれらを聞かずに、核心から離れているような家族の質問ばかりしたのかしら?


「クリス。あの書類が読みたいのだけれど、私は動いても良い?」

「あ、えっと」

「私がお持ちします」

「ありがとう、アレン」


 思考をめぐらせていると、サレン様が私にお願いをしてきた。

 読んでから渡そうと思っていたのもあり、返事が遅れてしまう。すると、パッとロベール卿が動く。


 きっと、いつでも動ける準備をしていたのね。私も同じような気持ちでいたけど、流石に現役騎士団の隊長にはスピードで敵わない。

 私は、隣に座るサレン様に資料が手渡されるのを見ていることしかできなかった。


「ルフェーブル侯爵、拝見してもよろしいでしょうか?」

「どうぞ。貴女様に差し上げたものだ」

「ありがとうございます。では、失礼しま、し……!?」


 書類を読み始めたサレン様は、一気に顔色を真っ青にした。案の定、というよりそれ以上だわ。やはり、私が先に見るべきだった。

 その変わりように、ロベール卿も……ラベルも気づいたらしく、素早くサレン様の周囲へ集まってくる。陛下の方を向くと、私に「下がれ」と指示を出していた。

 私は、それに素直に従う。サレン様を、犯罪者にしないために。


 彼女は、書類を手に持ち泣いていた。

 唖然としたその表情を見る限り、きっと泣いていることに気づいていないと思う。あれだけ「人を殺したくない」「自分の体液は毒」と言ってきたのに、隣に居る私に気づいていないかのように泣き続けていた。


 なぜ、彼は家族の質問ばかりしていたのか。

 その答えが、あの分厚い書類の中に記されていたらしい。


「ルフェーブル卿、何を見せたのですか」

「私が調査した内容だよ。詳しくは、3日前に火災になったモンテディオの情報と言ったところだ」

「え!?」

「……なんと。よく3日で情報を持ってこれたな」

「陛下、私は元老院のトップ3に入ります。不可能なことはないのですよ」

「そうか、怖いな」

「何を言ってらっしゃる」


 一旦その場を離れた私は、素早く彼女の元に戻り、書類の1枚目を覗き見した。すると、そこには、


『モンテディオ全焼』

『焼け跡から30人前後の男女混ざった遺体を発見』

『その半数が毒や一酸化炭素による死亡』

『歯科的所見により、その中に「ジャック」と「エレン・ロバン」、「イミン・ロバン」の遺体があったと確認済み』


 と、簡潔にまとめられた文章が書かれていたの。続いて、2枚目からは詳細が。


 きっと、この分厚い書類はその火災の詳細でしょう。

 建物の様子や近隣住民への対応を始め、火災になったら実況見分が行われ事細かに記録しなければいけないから。それこそ、1体1体の遺体の様子とかも。

 今の今まで信じていなかったのだけど、これでジャックが完全に黒だったと証明されたわね。でないと、そもそも毒を作っているような施設に出入りしているわけない。


 それに、イミン・ロバンとはロバン公爵のご夫人だ。何度かお会いしているから、名前を知っている。エレン・ロバンは……聞いたことがない。

 でもきっと、家族よね。彼女は、家族の死を知って泣いている……ということ?


 その間もサレン様は、泣きながらも手を止めずに、一心不乱になって紙をめくっている。読む度に漏れる声は、落胆の色が濃い。


「……ジャックも亡くなったのですね」

「ええ、残念ながら。この国の法律で捌きたかったのですが」

「彼は、5年も私たちに正体を隠して宮殿に居続けた、と……」

「そうですね。もしかしたら、アドリアン・ド・トマ元伯爵も誰かにはめられたのかもしれません。まあ、時効ですが」

「……そうですね」


 元老院が、トマ伯爵を死刑に! と叫んでいたのにこの人は。今更になって、ケロッとした表情で言う事ではない。

 文句を言おうと口を開くも、私が言ったところで陛下が居づらくなるだけ。すぐに思い直して、今まで座っていた席から少し離れた場所に腰を下ろした。


 今、サレン様の後ろにはロベール卿とラベルが立っている。双方、解毒薬を口に含んだということは、こうなることも予想して用意していたのかしら。


「真実を知る必要が出てきたので、アドリアン・ド・トマ元伯爵には事情聴取をさせていただきます。居場所は押さえてありますので。陛下、よろしいですな」

「……私に止める権利があるのか?」

「ないですね。ここからは、法律が絡んでくるため元老院の領域だ。もちろん、ロバン公爵も見つけ出して私が罪を名をつけましょう」


 そう言って、ルフェーブル卿は笑った。

 見間違いじゃない。笑ったの。


 さらに「他に質問がある人は居ないのか?」と、泣きじゃくるサレン様が見えていないかのように、ケロッとした態度で私たちに問うて来た。


 でも、サレン様は特に気にしていないみたい。


「……本当に、水が無くなったのね」


 と、よくわからない言葉を吐いて泣いていたから。


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