「善意」の悪



 ルフェーブル侯爵が部屋に入ってくると、真っ先に視線がサレン様へと向いた。とはいえ、それは俺の目から見てもマイナスのものではない。どちらかと言うと、興味津々な印象を受けた。

 しかし、その手に握られている分厚い書類が気になって仕方ない。あれには、何が書かれているのだろうか。


「では、始めようか。簡単な自己紹介から」


 全員座ったことを確認した陛下は、部屋いっぱいに響くような声量でそう言った。

 俺はその声に、膝の上に置いていた拳に力を入れる。上着を羽織っているのに隙間風を感じるのは、きっと気のせいだ。


 それからすぐ、自己紹介は問題なく終わった。

 全員が、名前と所属、それに普段どんな仕事をしているのかをサレン様に向かって話し、それに彼女が1人ひとり頭を下げるというのを繰り返した。

 無論、ラベルも自己紹介をしたのだが、ルフェーブル侯爵は特に何も言わなかったから良かったよ。こんな広い部屋の中で何かあった時、俺1人で対応できる自信がないから。


「早速だが、質問をさせてもらおう。私からで良いかな?」

「どうぞ」

「では失礼して」


 ラベルが話し終え、サレン様の下げた頭が戻るか戻らないかのタイミングで、ルフェーブル卿が資料を片手に立ち上がる。彼は、ゆっくりとサレン様の方へと歩んで行った。……まさか、側までは行かないだろう。

 そう思ったが、ルフェーブル卿はサレン様との距離が1mもないだろう場所まで接近した。それ以上は、マスクをしているとはいえよろしくない。


 俺は、急いで立ち上がりルフェーブル卿を止めに行く。……いや、行こうとした。すると、


「ごめんなさい、それ以上は近づかないでください」


 と、サレン様が言いながら、手錠のついた両手を前に出す。ジャラッとした金属音が響き、思っていたよりも重量のあるものだと思い出した。

 それを、あんなか細い手で持ち上げているからか、両腕が小刻みに震えている。


 その様子を見たルフェーブル卿は、顔に笑みを浮かべながら立ち止まった。そして、持っていた資料を読み上げるためか、顔の近くに寄せている。

 そうだ、彼は目が悪いんだった。いつもはメガネをしているが、きっと今日はマスクで曇ってしまうため外してきたのだろう。


「なるほど。では、1つめの質問です。なぜ、貴女様は私を止めたのですか?」

「……私の全身が、他の方にとって毒だとわかっているためです」

「ふむ。私の身を心配してくれた……という解釈でよろしいかな」

「はい。それに、私自身もう人を傷つけたくありませんから」

「そういえば、報告にご兄弟を殺したとの記述がありましたね。そちら、詳細をお話ください」

「ルフェーブル卿、そんな辛いお話を「ロベール卿。今は、戯れるための時間ではない。疑問を解消させる時間だ。口を慎みなさい」」

「っ……。失礼しました」


 以前、そのお話をしてくださった時は、とてもお辛そうにしていた。

 それを、また話させるのか。もう本人へ聞かないよう、詳しく記載したのにこのお方は。


 案の定、サレン様の表情が一気に歪んだ。だから止めに入ったのに、ルフェーブル卿は何とも思わないらしい。

 俺の発言を淡々とした声で制し、再度サレン様の方へと身体を向ける。


「邪魔が入ったな。どうぞ、話してくれ」

「……はい。私が8歳になった年に、自家中毒が治り毒人間……お父様は「毒の寵姫」とおっしゃっていましたが、そんな「毒」が完成しました。8年に渡る研究の成功を示した私をモデルに、2人目、3人目の「毒の寵姫」を作ろうという話になり、4歳の妹マーサと2歳の弟ガルマンが選ばれました。お父様が、「誰も治験に名乗り出ないから、私が声を上げた」と誇らしげに言っていたのを、今でも思い出します。自分が治験者になるわけじゃないのに」


 サレン様は、以前お話してくださった時より、更に詳しく掘り下げて言葉を紡いでくださった。正直に話してくださっているのは、真剣な表情でわかる。だが、話がエグすぎるんだ。

 8年に渡る、ということは、彼女は生まれながらにして毒を食んで生きてきたということか。それを、親が強要した……。こんなことが、あって良いはずはない。



 チラッと見ると、遠くに奥で対面している陛下も、サレン様の近くに座るクリステル様も、双方お顔の色をどんどん真っ青にしていく。多分、俺と一緒だ。

 そんな中、ルフェーブル卿だけは、興味深そうにその話に耳を傾けている。


 止めようと思ったが、先ほど注意を受けたばかりだ。「出ていけ」と言われたら、それこそサレン様を守れない。

 そう思い、大人しく話を聞くことにした。


「誰も、ということは、研究員が他にも居たということかな」

「はい。元々、お父様は医療関係の薬を調合する施設を持っています。そこの一角で、調剤師を買収して毒の研究を秘密裏に進めていました」

「その施設は、モンテディオというところかな。医療施設に薬をおろしている有名なところだね」

「えっ……あ、はい。そこです」


 モンテディオ。

 俺も、その名前を聞いたことがある。

 名前の通り、山の中でひっそりと佇んでいるようで、悪い噂も良い噂もたたない「無」の施設と呼ばれている場所だ。まさか、そこで毒を作っていたとは。万が一薬と混ざってしまい、医療施設に毒を送ってしまったらどうするのだろうか。

 ……いや、俺が心配するところではない。


 それより、サレン様の表情が驚いているのはなぜなのか。

 有名な施設なら、情報を多く取り扱うルフェーブル卿が知らないわけがない。先ほど、自己紹介で「様々な情報を集めて、国をよくする仕事だ」と言っていたのを彼女も聞いているはずなのに。

 それに、俺だって名前くらい聞いたことがあるところだったし、驚く場面ではなかったかのように感じる。

 そんな疑問は、次の会話で明らかになった。


「なぜ、数ある調剤施設の中でモンテディオの名前を出したのか。驚いているね」

「はい……。他にも、有名でお父様が管理している調剤施設は2つありますので、少々驚きました。何か、噂でもあったのですか?」

「私の部下たちが、優秀なだけさ。それよりも、続きの話をしてくれたまえ」


 いや、明らかにはなっていないな。

 俺の目から見ても、「部下が優秀だから」ではない何かをルフェーブル卿は隠している。その手にある書類の分厚さも相まって、とても恐ろしく感じてしまった。

 サレン様に不利なことがないと良いのだが。


 俺は、チラッと入り口に立っているラベルに顔を向けた。外の景色を見ながらも、しっかりこちらの話を聞いているようだ。右手で小さく手を振っているのが見える。


「はい、失礼しました。実験を初めて数日間は、ただ毒草を……曼珠沙華にベラドンナ、それにエンジェルトランペットを乾燥させたものを、いつも眠っているベッドの下に入れておくようなものでした。私は、毒を遠ざけたくて毎晩みんなが寝静まってから兄弟の寝床へ行き、毎回その毒草を捨てて2人を守っているつもりでした」

「つもり、というのは?」

「私にとっては、その毒を捨てることで兄弟を守っていました。ですが、それは研究の第一段階に過ぎす、2ヶ月後には、口に入れるものに少量の毒を混ぜていく第二段階へ移行しました。お父様の話によると、子どもは眠っている時が一番よく空気を吸うらしいです。だから、寝るときに毒草を仕込み身体に覚えさせ、毒を受け付ける身体にさせる……と。でも、兄弟のベッド下にあった毒は、全部私が捨てていました。故に、マーサもガルマンも、その毒入り食事を受付ない身体のままで、毒を……いつも、わたしが口にしていた食事を摂取したのです。突然目の前で苦しんでのたうち回って、最期は口をパクパクと開けて空気を吸い込もうとした格好のまま倒れ、2人ともそれきりでした。だから、……私が殺したのも同然です」


 サレン様の話が事実だとすれば、ロバン公爵は親ではない。子を実験材料にし、挙げ句の果てに殺してしまうなどありえない。

 当時8歳の彼女が、毎晩兄弟の部屋を訪れていれば気づくだろう。それを、わかっていながらも第二段階に移行したとしか思えない。優しさで行動したサレン様が、結果報われなくなってしまったなんて……。


 それに、彼女が普段召し上がっていたもので人が死んでしまうのを目の当たりにし、どんなに心を痛めたのか。計り知れない。

 俺は無意識に、サレン様と大衆食堂で食べたパフェの味を思い出す。


「なるほど」


 なのに、ルフェーブル卿は、顔色ひとつ変えず相槌を打つだけ。

 怒れとは言わん。ただ、そうやってポーカーフェイスを決め込むのは……ああ、そうだ。彼は、ロボットだった。バッテリーを主食とするんだった。

 ここにくる前にラベルとした冗談が、ここで俺の中にあるモヤモヤを取ってくれるとは。


「では、貴女様につけたサンダル伯爵とリンルー伯爵のご息女が体調を崩し帰省しています。貴女様の侍女としてあてがったのに、なぜ消えてしまったのですか?」

「……私のお世話を直近でしていれば、必ず体調を崩しますから。これ以上殺したくないから、「侍女はいらない」と言って追い出しました」

「ほう、辻褄は合ってるな。君がよく1人で中庭へ出て本を読んでいたのも目撃情報にあるし」

「信じてくださって、ありがとうございます」

「貴女様を信じたのではなく、私の部下が見た光景と貴女様の証言が同じだから信じたまでです」

「それでも、嬉しいです」

「それでは、次の質問に行こうか」


 ルフェーブル卿は、まだ質問したいことがあるらしい。

 今以上に、彼女を苦しめるような言葉がないと良いのだが。


 俺は、座り直して次の質問を待つ。その間、陛下もクリステル様も口を挟まない。


「先程、「寵姫」という言葉を使われましたね。意味をご存知ですか?」

「はい、存じております。閨の教育は受けていますから」

「では、貴女様はカイン皇子を毒殺する役目も背負っていた……という解釈で良いかな」

「……はい。間違いありません」

「そうですか。……では、これが最後の質問です」


 その会話の中、初めて陛下の表情が動いた。

 子を殺そうとしていた、という話を聞いたんだ。当然か。


 でも、その表情は、悲しみが強く感じる。そう思った矢先、ルフェーブル卿の落ち着いた声が部屋に響く。


「貴女様は、ご両親を憎んでおられますか?」


 その質問に、サレン様は初めて難色を示された。


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