それでも朝は、やってくるから


 サレン様は、震えた声を出しながらこちらに向かってナイフを突き出した。


「ずっと、夢の中に居たかったのに。……覚めたくなかったのに」


 額に汗を浮かべ、立っているのが辛いと思わせるほど息遣いが荒い。その身を支えてあげたいが、下手に動くと彼女まで怪我をしそうだ。ここは、向こうの出方を見た方が良いだろう。

 とはいえ、あまり長引かせると彼女が倒れてしまう。どうすべきか……。そうやって考える余裕は、あったらしい。


 俺は、そのまま読んでいた本を閉じる。


「刃物を持つのに慣れていない印象を持ちます。下手に振ると怪我をしますよ」

「別に、私がどうなろうとあなたに関係ないわ」

「一応、これでも騎士団の総隊長なので、貴女様を傷つければ減給になります。降格もありえますね」

「私の知ったことじゃないわ」

「まあ、そうか。でも、とりあえずそのナイフは置いてください。女性が持っていて良いものじゃない」

「あなたも所詮、お父様と同じ人間ね。口を開けば女がどうだ、地位がどうだ。家族のことは顧みないのに!」


 怒らせるのは得策じゃない。でも、情報は欲しい。

 だから、今はこうやって挑発するのが一番の近道だと思った。彼女との会話で、何が地雷なのかを探ると案の定すぐに乗っかってくる。


 しかし、あまり興奮させるのは良くないな。いつ倒れてもおかしくないほど、顔色が最悪だ。

 それに、以前隣合った時は気づかなかったが、体調の悪い彼女と対面すると後頭部がチクチクと痛む。めまいと吐き気も追加され、どんどん症状がひどくなってくるんだ。それは、アインスの言っていた毒の症状に良く似ていた。


 薬はポケットにある。だが、今動いて彼女を刺激するのは良くない。敵意がないことを伝えるには、動かず彼女の目を見てそれから……。

 それから、どうする? 彼女の中にある壁を取り去って安心させるために、俺ができることはなんだ?


「そんな布切れ1枚で私の毒が防げるとでも思っているの? この国の騎士団も大したことないのね」

「……では、取りましょうか」

「え……」

「貴女様の声が響かないよう、窓も閉めましょう」


 何か策があるわけではなかった。

 ただ、彼女との壁を取り去って話したかった故に、俺は口を覆っていた布をゆっくりと外した。すると、自分が思っていたよりも息苦しかったらしい。布を外した瞬間、無意識に大きく息を吸い込んでしまう。

 その香りは、どこかフルーツを連想させてきた。なのに、不快感と武者振るいを俺に与えてくる。


 そこからだ。徐々に、頭痛が強くなったのは。


 それでも、勢いよく立ち上がった俺は、言葉通り窓を丁寧に閉めていく。最後の窓を閉め終わる頃には、ガンガンとまるで後頭部を殴られているかのように痛み出した。

 これをクリステル様も経験したのかと思い、まだ限界ではないと自分に鞭を打つ。

 アリスお嬢様だって、こんなんじゃ倒れない。彼女は、もっと辛い思いをされたんだ。比べる方が失礼だろう。だから、まだ行ける。


「おっと、忘れていました。手袋も必要ないですね」

「……あなた、死にたいの?」

「まさか。騎士団を馬鹿にされたので、この国の誇りをかけて証明しようとしたまでです」


 幸いなことに、それだけの効果はあったらしい。

 俺の行動を見たサレン様は、後退しながら持っていたナイフをゆっくりとした動きでおろしてくれた。


 そして、こう呟いてくる。


「……国って、そんな大切なものなの?」


 それは、少女のものではない。

 もっと大人びた何かに、身体を乗っ取られているのではないか。そう本気で思うほど、今の彼女は外見と中身が伴っていない。

 だからか、俺には彼女が泣いているように見えたんだ。


「大切ですね。平和に生活できる場所を作るために、騎士団に所属していますから。言うなれば、俺の生き様と言えます。国の奴隷です」

「……馬鹿みたい」

「ええ、そうですね。俺もそう思います。でも、こんな馬鹿が居たって良いでしょう?」


 彼女の方に向かってゆっくりと近づくと、それに合わせて相手も下がる。

 近づくならまた別のやり方を見つけようと思ったが、距離を保とうとしている……いや、むしろ距離を離そうとしているところを見ると、救いがありそうだ。

 彼女は、そうやって俺を守ろうとしている。


 でも、ここで引いたら何も変わらない。

 だから、このままゆっくりとサレン様へ近づいた。布も手袋もなしで。彼女へ、自身が敵ではないことを知らせるために。


「来ないで!」

「嫌です、と言ったら?」

「お願い、来ないで。これは、隣国の公爵令嬢としての立場から言うわ。来ないで。命令よ」

「……ははは!」

「な、何よ!」


 頭痛がひどい。キーンと、どこからか耳鳴りが聞こえる気がする。それに、フォンテーヌ家で食べたものが出てきそうだ。しかし、ここで出してどうする。今は耐えろ。吐くのは、後でもできるだろう。

 それに、サレン様が面白いんだ。いくらでも気が紛れる。

 なぜ、俺が笑っているのかわからないらしいから、教えてあげようか。


 俺はフラつく足取りで、壁際に追いやられたサレン様へ近づきながら、どうしようもなくおかしい感情を表情に出す。


「先ほど、ご自身で性別がどう、地位がどうとおっしゃっていたのに、公爵令嬢の立場を利用するんですね」

「……それは」

「違いませんよ。貴女様も同じ、国の奴隷なんです。そうやって、生きているんです」

「……違う。違うわ。私は、違う」

「では、私はその命令を無視してもお咎めなしですね」

「……っ」


 そう言って近づくと、サレン様は周囲を見渡し始めた。どうやら、逃げようとしているらしい。

 隣がベッド、ドレッサーでは抜け出せないだろうな。なぜ、ナイフを使って威嚇をしないんだろうか。今の俺には、きっとその刃を避けられない。なのに、なぜ……。いや、理由はひとつ。


 こんな時なのに、やはり笑ってしまう

 ……いや、こんな時だからこそ笑うしかないのかもしれない。何かに意識を向けていないと今にでも倒れそうな、こんな時だからこそ。


「……もう、誰も殺したくないの。お願いだから、私から離れて」

「ということは、誰か殺したことがあるのですか?」

「今は、その話じゃなくて」

「では、教えてくださったら離れましょう」

「……弟と妹を1人ずつ」

「どうやって殺したのですか」

「……私が毒を排出する人間になれたから、他の兄弟も、と。お父様の施設の研究員が毒を毎日摂取させて、身体が耐えられなくなって死んだの」

「それは、サレン様が殺したことにはなりませんね」

「いいえ! 私が成功しなければ……成功しなければ、マーサもガルマンも死ななかった! 苦しまなかった!」


 俺の誘導で、サレン様は視線を合わせずポツポツと話し始めた。


 その話が本当だとすれば、これは人権を無視した行為になる。

 いくら我が子でも、そんな扱いをする親が居てたまるか。きっとサレン様の作り話だと、脳が拒絶する。……しかし、彼女の顔を見ていればそれが全て本当のことだと理解せざるを得ない。


 だとすれば、サレン様は今までどれだけ自分を傷つけてきたのだろうか。

 彼女が優しい性格なことは、城下町を一緒に歩いた時から知っている。今だって、本当は傷つけたくないから、ナイフを向けずにただただ離れてと懇願しているんだ。

 なぜそんな優しいお方が、こんな目に合わないといけないんだ? 俺には、わからない。


「貴女様のせいじゃありませんよ」

「いいえ! 私が失敗して死んでいれば……。死んでいれば、弟たちを救えたのに。死んでいれば、他国を混乱に落とすことを思いつかなかったのに!」

「……そのお話、詳しく聞かせてくださいますか?」

「あっ……。……は、離れて! 話したのだから、離れてよ!」


 と言われても、離れる気は毛頭ない。


 俺は、嘘つきなんだ。

 アリスお嬢様にも、サレン様にも、嘘をつき続ける。最後まで、嘘を突き通せばそれは誠になるだろう?

 最後までアリスお嬢様を騙し続けた俺が、そんな毒に屈するほど弱いわけがない。


 孤独の中、葛藤を続けてきたであろうサレン様に少しでも近づき、自分が味方になると言おう。

 何があっても、貴女様を守ると。そう、誓おう。


「……やっと、届きました」


 手の届くところまで近づいた俺は、そのまま彼女の背中に腕を回した。思った通り、抵抗する様子は見せてこない。

 それより心配なのは、互いの体温が混ざり合い、どちらが熱いのかわからないことだ。高熱を出しているのが、サレン様じゃなければ良いが。


「死にたいの?」

「いいえ」

「私は、アリスじゃないわ。あの本を読んだらアリスになるよう暗示をかけられていただけ。毒を使った幻覚剤で……5年前の潜入捜査をした人物の炙り出しと、陛下の目を逸らす役割を担っただけ」

「……そうですか」


 あの本とは、なんだろう。

 それを確認するだけの体力は、残っていなかった。


 目を閉じると、目眩がひどい。

 かといって、目を開いたところで見えるのは壁紙の模様だけ。それも、いつもは真っ直ぐ縦に入った淡い線がグニャグニャに歪んだやつだ。見ても仕方ないだろう。


 サレン様の表情を見たいが、ここからじゃそれは拝めない。


「……でも、嬉しかった。以前騎士団の演習場に見学へ行った時に見た、あなたが相手だったと気づいて舞い上がった。私は、喜んでアリスになった」

「……」

「……まだ、夢を見ていたかったな。覚めない夢を、あなたと一緒に」

「それじゃあ、ずっと夜のままじゃないですか。孤独すぎます」

「弟たちを殺した……クリスや私についてくれた侍女を弱らせてしまった私は、夜がお似合いよ。1人で良い」

「1人じゃなければ、希望があるかもしれません」

「嘘よ! こんな身体で、希望も何もないでしょう! ……こんな、毒まみれの身体! 誰も、愛さない。愛してなんか、くれないわ!!」


 叫び声が聞こえる。

 その声は、俺に「愛して欲しい」と聞こえるんだ。彼女は、孤独の中でもなお、誰かからの愛情を欲している。

 おそらく、こうやって抱きしめられたこともないと思う。恐怖とは違うその震えは、慣れていないが為にどうしたら良いのかわからないように感じた。


 そこまでわかったのに、ここに来て本格的にサレン様の言葉がうまく聞き取れなくなってきた。身体が地面へ吸い寄せられる感覚に耐えるので、精一杯なんだ。

 せめて、窓を開けておけばよかったかもしれない。いや、それじゃ彼女は話してくれなかっただろう。しかし、他にやり方が……ダメだ、頭が回らない。


 でも、これだけは伝えたい。

 俺の嘘を信じてくれた彼女に、手を差し伸べよう。アリスお嬢様にはできなかったけど、今の俺ならできるはず。

 これ以上、毒で苦しむ人を見たくないんだ。あんなのは、2度とごめんだ。



「……それでも、希望あさは来ます。誰にでも平等に、来るんです」



 俺の言葉を聞いたサレン様は、全身を震わせ胸に顔を埋めてきた。

 泣くのを我慢しているのだろう。これ以上、俺に危害が及ばないよう必死になって歯を食いしばっているのだろう。

 そんな気配が、腕の中でする。


 ああ、息が苦しくなってきた。彼女の頭を撫でてやりたいのに、腕が動かない。

 顔色は? 体調は? 全部、確認できない。せっかく伝えられたのに、行動に移せないのか? 無様すぎる。


「サレン様、全部話してくださいませんか。その代わり、俺が貴女様を…………」


 それが、身体の限界だった。


「……アレン? アレン! だ、誰か! 誰か、アレンを!!」

「…………」


 サレン様の叫び声を遠くの方で聞きながら、俺は床に崩れ落ちる。


 俺はまた、彼女を救えないのか。あの日から、強くなったと思ったのに。

 所詮俺はあの日の執事、アレン・ロベールのままなんだ。



 

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