交わらない交差点で



 フォンテーヌ家から戻りエルザ様をお部屋に送った俺は、サレン様のお部屋で一晩を過ごしてしまった。

 いや、待て誤解するな。何もやましいことはない。いつ起きるかわからず、ベッド近くのソファへ座って本を読んで過ごしていただけの話だ。それに、陛下に許可は取ってある。取ってあるぞ……。

 故に、一睡もせずに朝を迎えてしまった。不思議と眠気はないものの、罪悪感がすごい。カイン皇子、ごめんなさい……。


 とはいえ、俺はビニール製の手袋をはめ、口元を布で覆うという少々奇妙な格好をしている。こんな格好で、夜這いもなにもないだろう。

 2時間に1回、アインスからもらった解毒薬も飲まないといけないし、眠っている暇も罪悪感を覚えている暇もない。それに、窓を全開にしていることもあってかなり冷えるし。


「……はあ」


 本来ならば、医療者がつくべきだ。それはわかっている。しかし、見せる気は毛頭ないがジャックは消えたし、他の医療者は城下町の診療所へ応援に行ってしまっている。

 隣国の公爵令嬢なのだから、数人連れ戻せば……と思うだろう? 事態は、そう簡単な話ではなくなってきているんだ。ため息ひとつもつきたくなる。


 俺は、夜中に何度も彼女の顔を見にベッドまで行った。

 眠っている顔は、どこからどう見ても普通の少女だ。ニコニコと笑いながらお茶やお菓子をつまんでいるような、そんな普通のご令嬢なんだ。なのに、彼女は「毒」なんだと。

 最初は、イリヤとアインスの妄想かと思った。しかし、ここに入ってきた時のクリステル様の様子でそれが現実のものだと理解してしまった。


 なお、クリステル様は別室で休まれている。

 アインスからもらった解毒薬を飲み意識を取り戻しているが、身体が思うように動かないらしい。先ほど部屋前まで報告に来たラベルがそう言っていた。

 しかし、クリステル様を外の医療施設に見せるにしても、毒の出どころを聞かれるに違いない。それを彼女もわかっているようで、命に別状はないからと診察を断っている。


『サレン様を第一に考えて』


 意識が戻った彼女は、俺の話を聞いてそう言った。話を否定するわけでもなく、怒るでもなく。

 きっと、クリステル様も俺と同じ考えを持っていたのだろう。


 俺が今、サレン様の近くに居るのは、少しでも目を離した瞬間にどこか遠くへ行ってしまう気がしたからなんだ。ラベルやヴィエンが交代すると言ったが、俺が側に居たかった。

 誰かを迎え入れたらそのまま、彼女が居なくなってしまうという不安に駆られるんだ。もしかしたら、これも毒の幻覚症状なのかもしれない。


 何がしたいのか、正直自分でもよくわかっていない。

 ただただ、ボーッとしながら読書をするだけの時間を過ごしている。そろそろ、解毒薬を口に含まないといけない時間だ。


 しかし、俺は薬を飲めなかった。


「……サレン、様?」

「気づいちゃったのね、その格好をしているってことは」


 なぜなら、いつの間に起きたのか、いつの間にここまで移動してきたのか全く気づかなかったのだが、ベッドで眠っていたはずのサレン様が俺の目の前にきていたから。


「ずっと、夢の中に居たかったのに。……覚めたくなかったのに」


 その声は、以前城下町を歩いた時の彼女のもの。しかし、表情は違う。

 額に汗を浮かべ、今にでも泣き出しそうな、それでいて苦しそうな表情で俺を真っ直ぐに見つめていた。美しい瞳に囚われそうになるも、それどころじゃない。


 目の前に居る彼女の手には、鋭く尖ったナイフがしっかりと握られ、刃先がこちらを向いているんだ。



***



 イリヤの声でいつの間にか眠ってしまった私は、いつも通りの時間に目覚めた。

 カーテンの隙間から差し込む朝日が、少しだけ重い瞼を開かせてくれる。不思議と、昨晩の夢の不快感はない。イリヤに感謝しないとね。


 私は、ネグリジェの姿のままベッドの上で背伸びをする。

 きっと昨日は、アリスの時の記憶をたくさん思い出したから変な夢を見たのでしょう。アレンにエルザ様に、毒の話に。

 真実を知りたいと言っていたのに、少しでもそこに近づけば怖気付いている自分が居る。どうしようもない。


「……はあ」


 真実を知るのが怖いのは、認めるわ。でも、それだけじゃないの。

 自分でもよくわからない何か大きなものが知らないところで動いている気がして、それが怖いの。考えれば考えるほど、得体の知れないものは私の背後にピッタリと張りつているように感じる。気を抜いたらきっと、私は飲み込まれて消えてしまう。そう、直感的に思うの。


 ため息で気を紛らわせるくらいしか、できることがない……なんて、おかしいわよね。

 この気持ちを口に出せるほど、今の私は言葉を持っていない。


 それよりも、今日は何をしましょうか。

 シエラの様子を見つつ、アインスに歩けるようになるのか確認して計画書を作る。……これは、今日できそうね。昨日採ったカモミールが乾燥したかの確認もしないと。あれでお茶を作って、みんなに……みんなに。


『お前の作る茶が毎回まずかったんだよ! ずっとずっと我慢して飲んでたんだよ!』


 いえ。お茶を作るのは止めましょう。素人の作るお茶なんて、誰も好き好んで飲むわけないじゃないの。少し考えればわかるのに、私ったら。

 きっと、今までみんな我慢して飲んでいたのでしょうね。悪いことをしたわ。自分が楽しい時間を過ごす裏側では、誰かが泣いているって良く言うじゃない? 次から気をつけましょう。……そう、今の私は「次」があるのだから。


 唐突に脳内へ再生されたハンナの声が、ずっと響いている。静かな部屋の中だからか、まるで目の前で言われているような錯覚を起こすの。罪悪感なんてものじゃない。もっともっと、深い感情が私の中を渦巻いている気がした。それに、ずっと思っていたなら面と向かって言って欲しかったなって気持ちは少しだけある。……勝手よね、私も。

 きっと、アレンも我慢して飲んでいたんだわ。イリヤもアインスも、みんな。


 そう考えるだけで、涙が出てきそうになる。

 私はみんなに守られて生きているのに、こんな無神経な令嬢で良いの? だから、「悪」だと言われるのでしょう。言われて当然だわ。

 でも、それだけじゃ終われない。今日は、ザンギフにお茶の作り方を教えてもらいましょう。自分にできることを少しずつ。アリスの時にできなかったことを、ベルでやらなきゃ。今の私なら、それができる気がするから。


 そう、決意と共に床に足をつけた時だった。


「……イリヤ? どうしたの?」

「……おはようございます、お嬢様」


 いつもと違う小さなノック音がしたかと思えば、おずおずとイリヤが入ってきた。その顔は、どこまでも悲しみに満ちている。……いえ、悲しみというより? なんと言うんでしょう。ええっと……。


「アインスに、昨夜無断でお嬢様のお部屋に入ったことを怒られました。お嬢様に嫌われてたらって考えたらもう……」


 その声は、いつもの自信に満ち溢れたものではない。目も合わせてくれないし。なんだか、頭の上にぺたんと伏せた耳がある気がするわ。尻尾も見える気がする。へにゃって感じのね。

 どうして私がイリヤを嫌うの? 迷惑をかけたのは、私なのに。良くわからないな。


 ネグリジェの裾を翻した私は、そんな彼女に向かって笑顔を向けながら、お礼の言葉を口にする。

 


 

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