夢か現か、貴方を想い手を差し伸べる



 いつもの暗闇へ足を踏み入れた。

 いつもの、ベルと会話する暗闇へ。


「……ベル?」


 でも、いつも居るはずの彼女が居ないの。呼んでみたけど、返事もないし。

 ただただ、私の声が反響するだけで何も起きない。これは、何?


 ベルが居ないとわかった瞬間、この場所がとても寒いところだと気づいた。

 風が吹いているわけじゃないのに、どこからか吹き荒れる隙間風が心の中に入ってくる。


「ベル、どこに居るの?」


 それでも、じっとしているのは性に合わない。

 私は、そのままベルを探して歩き出した。


 硬い床にヒールの底が当たり、コツコツと音が響く。

 それに、緊張しているからか、自分の息遣いも聞こえるの。……緊張していたら聞こえないはずよね。でも、聞こえるんだからそれ以上何も言えない。


「ベル? 私を呼んだ貴女が居ないってどういうことよ。どうせ、またいたずらでもする気なんでしょう」


 暗闇は怖い。

 そして、静かなところも。


 毎日のように夜を過ごしているのに、なぜかそう思った。


 暗くて、静かで、狭くて。 ザラッとして、息苦しくて。

 これは、ベルの記憶? それとも……。


「キャッ!?」


 その答えを出す前に、地面にぽっかりと空いた穴の中へと落ちていく。今までなかったのに。

 ベルったら、こんないたずらを用意していたのね! そう、本気で思ったの。

 身体を借りてるのだから、少しは遊びに付き合ってあげましょう。あの子も、毎回暗いところで退屈してるって言っていたことだし。


 仕方ないなあって。

 これも「家賃」ってやつなのねって。


 そんなことを思って微笑んでいたのに、数秒後の私はそれが違うことに気付く。




***




『ははは! 愉快だ、愉快』

『ねえ、誰かワインを持ってきて。お祝いに』


 気づいたら、とても懐かしい場所に立っていた。


 そう、グロスター家の中庭に居たの。これは、何をしているところなのかしら。お父様やお母様、お兄様にお祖父様、お祖母様……みんな揃って、どうしたの?

 それに、使用人も全員居るわ。全員で、私に背を向けて同じ方向を見てるみたいなの。とても楽しそうな笑い声が聞こえる。私も混ざって良いかな。


「ねえ、どうしたの? 今日って、何かあった?」


『ほら、ハンナ。今までの恨みをぶつけろ!』

『はい、旦那様』


 声を出しても、みんなは私を無視して何かをしている。聞こえてないのかなって思ってもう一度声をかけようとしたけど、そもそもアリスが使用人にも嫌われていたことを思い出した。

 フォンテーヌ家に居る時間が長いと、人との距離感が良くわからなくなるのよね。そうよ、私はベルじゃなくてアリスだったわ。


 それを思い出した私は、喉まででかかった声を唾液と共に飲み込んだ。

 ここに自分が居たら、空気が悪くなるかも。そう思って、みんなに背中を向けたその時だった。


『お前の作る茶が毎回まずかったんだよ! ずっとずっと我慢して飲んでたんだよ!』

『良いぞ、ハンナ! みんなも続け!』

『毎回仕事を盾にして、良い子ぶって! お前の代わりなんて、いくらでも居るのに気づかないのか!』

『バラがなんだ! 洗濯を干すのに邪魔で仕方なかったのに!』

『いつも男に媚び売って』

『お前の分の食事を用意する時間がもったいなかった!』


 その声は、怨みつらみの数々がこめられたものだった。みんなが、どんな顔をして居るのかはわからない。でも、聞いているだけで胸が突き刺さるほど痛む。

 伯爵家の使用人が、そんな言葉使いで居たらダメよ。どんな時も笑っていろとは言わないから、せめて誰も居ないところでそういうのは言うものだと思うの。……なんて、私の意見は聞いてくれないわよね。だって、いつもそうだったのだから。


 でも、言われている人が可哀想だわ。

 他人の私だってこんなに胸が痛いんだから、言われている本人はもっと痛いと思うの。きっと、みんなでいるところを見ると、使用人の誰かね。このままだとヒートアップして大変だから、一旦私が間に入りましょう。


 そう思って再度みんなの方を向いた私は、そのままの足取りで少しずつ近づいていく。


『毎回、食器を戻しに厨房まで来て鬱陶しかった!』

『仕事ができるからって、陛下に話しかけられて!』

『私だって、エルザ様とお話がしたい!』


 距離はそんなにないはずなのに、なぜかみんなの場所までが遠い。こんな距離があったかしら?

 それに、全身がこの場から逃げ出したくて震えている気がする。止まって、止まって、引き返してと心が叫んでいる。


 でも、ここまで来て引き返せないでしょう。

 誰が言われているのかしら? ボーン? カロリーナ? それとも、アレン?

 ティムが居るから、シャロンは居ないと思う。彼が入ってきた時は、既にシャロンは姿を消してしまった後だったから。


「みんな、ちょっと落ち着きましょう。一旦、クールダウンして……」


 でも、思っていた人物の誰でもなかった。

 みんなの間をかき分けて前線に立った私の視界に、とても良く見慣れた人物が飛び込んできたの。


『こんな妹を持って、私は苦労した! ボートンの腕時計が欲しかったのに、あいつがそれを邪魔したんだ!』

『いいぞ、ジョセフ!』

『限定出荷で、もう手に入らないのにお前は!』


「……う、そ。なん、で?」


 みんなが罵声を浴びせていた人物は、白目を向いて土の上に置かれていた。しかも、ただ置いた感じじゃない。人間1人分以上の穴が掘られて、そこにまるで投げ入れられたかのように置かれているの。私は、その人物の顔を良く知っていた。


『止めろ! これ以上、お嬢様を汚すな!』

『うるさいぞ、アレン。邪魔をするなら、お前も同じ目に合わせてやろう』

『やれるもんならやってみろ!』

『なんだと?』

『ちょっとあなた、アレンは紹介所の執事よ。傷つけるんじゃなくて、後でお金をあげて黙らせれば良いじゃないの』

『しかし、こいつが居たら楽しみが半減する!』

『私は楽しいわ。だって、仕えていた主人がこんな無様な姿になっているのよ? これぞ、忠誠心! ワインが進むわあ』

『……っち』


 土がなければ金色に輝くだろう髪色に、今は無惨に乱れたウェーブヘア。ペンだこの多い指先に、土の詰まった長い爪。


 そうよ、これは……。これは、私だ。


『これで、許されると思うな!』


 みんなが園芸用のスコップを順番に手にし、私の口の中に土を詰め込んでいた。元の顔がわからないほど、たくさんの土が口の中に……あれはきっと、食道まで入っていると思う。それほどの量を、口が裂けるほど入れられた私が居たの。

 その隣には、なぜか取り押さえられているアレンが。


 これは、何?

 ベルのいたずらにしては、手がこんでいるわ。こんな酷いことを、あの子はしない。

 口は悪いけど、そのくらいはわかる。だって、私もベルの身体に入っているのだから。


「……やめて。ねえ、お父様、お母様。やめさせて!」


『ねえアリス。シャルル卿に、貴女が惚れ込んでいる話をしたらすぐ乗っかってきたの。あの人にも婚約者が居るのに! やっぱり、男っていつまでも若い女が良いのね。こんなドケチな女でも』

『領民に、金銭を分け与えていたそうだな。でも、安心しろ。お前の悪い噂をたくさんばら撒いておいたから! だから、安心してくたばってくれ!』

『おいおい、もうくたばってるだろう』

『ふふ、そうね』


「やめてえええ!!!」


 不思議なことに、いくら頑張っても誰にも触れられないの。みんな透明人間にでもなったかのように、すり抜けていく。それだけじゃない。いくら叫んでも、声も届かないみたいなの。


 そんな中、醜い姿の私は大きなシャベルで土を被せられていく。


 苦しい。

 深呼吸しようとすると、途中で胸が痛みうまくできない。反射的に両手を首に持っていくけど、なんの効果もないわ。これなら、両手で目を覆った方が良いのに。私は、「自分」から目を逸らせない。


「ああああああああ!!!」


 そこは、地獄だった。

 みんながみんな、怨みつらみの数々をぶつけ、私に土を被せていく。死んでもなお、私はこうやって身体を汚されたの? それとも、これは悪夢?

 私は、ここまでみんなに嫌われていたの……?


『止めろおおおお! お嬢様、お嬢様あああ!』

『アレンって、いつも冷静で口数が少ないと思っていたけど、ちゃんと声出るじゃないの。普段からハキハキしゃべれば良いのに』

『本当だな! ははは、もっと叫べ。どうせ、周囲には聞こえない』


 アレン。

 あなたは、陛下のスパイじゃないの?

 どうして、そんな必死になって私の名前を呼ぶの?


 あなたを取り押さえているマリーナとドイットは、武術の達人よ。あなたのその細腕じゃあ、敵わないわ。だから、暴れないで大人しくしていなさい。あなたにも、怪我をさせてしまうわ。


『お嬢様に触れるな! お前らが触れて良い相手ではない!』

『うるせえ!』

『っ……!』


 案の定、アレンはマリーナに拳を食らってしまった。バキッと鈍い音が響き渡り、でも、周囲の人間はそれをなんとも思っていないかのように笑っている。私に土をかける者、アレンを見て嘲笑う者、手を叩き喜ぶ者。

 ここに、普通の人は居ないみたい。私とアレン以外、みんな狂っている。


 そこで、私は「私」から目を逸らした。

 そして、ゆっくりとした足取りでアレンが取り押さえられている場所まで歩いていく。


「……アレン、泣かないで」


 膝を屈めてアレンに近づいた私は、触れられないとわかっていながらも彼の頭を撫で上げ話しかける。

 本当は、もっと言いたいことがあった。聞きたいこともあった。

 でも、今の私はそれだけの言葉を持ち合わせていない。


 周囲を見渡すと、相変わらず狂ったようにみんなが私の遺体に土を被せたり、髪の毛を引っ張ったり、スコップで腹部を何度も突き刺していた。それは怒りよりも、人間としての尊厳を失い彷徨っている何かにしか見えない。


 私は、今度こそ本当にみんなへ背中を向けて歩き出す。


『……お嬢様?』


 お父様お母様たちの横を通り過ぎた時、あの甘い香りが漂ってきた。

 それに驚いていなければきっと、アレンが私の方を向いて声をかけてきていたことに気づいたと思う。けど、私にはなぜベラドンナの香りがするのかで頭がいっぱいだった。


 だから、気づけなかった。

 貴方の視線も、その声も。

 



***




「いや!」

「お嬢様」


 目を覚ますと、目の前には火を灯した蝋燭を持つイリヤの姿があった。真剣な顔をして、私の方を見ている。

 私は起き上がり、それにしがみつく。


「イリヤ、イリヤ!」

「お嬢様のうめき声が酷く、申し訳ございませんがお部屋に入らせていただきました」

「イリヤ! 私、死んだ後に口の中へ土を入れられたの! みんなして、私に、私に……」

「……」

「私、みんなに酷いことをしたのね。役に立ちたくて頑張っていたのだけど、私はみんなの邪魔しかしていなかったのね! みんなに悪いことしたわ。嫌われて当然だわ! だって」

「お嬢様、落ち着いてください。今は、イリヤのことだけ考えてください」

「でも」


 蝋燭の火が揺れたけど、それを落とすことはなかった。イリヤは、私に身体を揺らされても片手に持つ火で私を照らしてくれている。


 その明かりで、私は自分が見た夢が現実のものと知る。

 イリヤのその顔で、察してしまったの。


「……お嬢様は、もう少し他人を恨んだ方が良いです」

「でも、私が悪くて」

「お嬢様。貴女様がここにいる限り、僕がいろんな感情を教えて差し上げます。だから今は、お休みください。イリヤは貴女様のお側を離れませんし、嫌うなんてもってのほかですから」

「……でも」

「大丈夫。大丈夫、お嬢様。……誰よりも頑張り屋で努力家で、優しい人だってイリヤはわかっていますから。大丈夫」

「……」

「ほら、眠りましょう。イリヤはここに居ますから」

「嫌わないで……」

「はい。天地がひっくり返っても、貴女様を嫌うなんてできません」

「嫌わ、な……」


 でも、今はなんでも良いや。


 イリヤの体温が身体を包み込むと、それだけで心地よくて瞼が重くなる。

 それに、フォンテーヌ家のベルの部屋で目覚めて、イリヤが目の前に居て安心したの。


「おやすみなさい、お嬢様」


 その後、朝まで夢は見なかったし、ぐっすりと眠れたみたい。  




 

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