変わらない味


「なあ、アレン」

「なんだ、シエラ。口じゃなくて、手を動かせ」


 ジョセフの尋問内容とミミリップ地方の後任リストをまとめていると、隣で書き物をしていたシエラが話しかけてくる。このニヤついた口調は、絶対に仕事関係ではない。


 俺は、書類から目を離さずに返事をした。今は手を止めている時間も惜しい。


「お前さ、もう少しあの。アリスお嬢様? についててやれよ。嬉しくないのかよ」

「……話はそれだけか?」

「それだけって……。ちょっとお前、冷たすぎるぞ。5年越しで照れてんのか?」

「そんなんじゃない」


 ほら見ろ、仕事関係じゃない。

 一瞬だけ書類から目を離しキッと睨みつけると、シエラの茶化しがおさまった。


 しかし、諦めていないようだ。

 部屋に俺たちしかいないのを良いことに、馴れ馴れしく近寄りやがって。俺は、昨日お前がまた女を部屋に連れ込んでいたのを知っているんだぞ!


「あ、もしかして、信じてないとか? クリステル様が認めてるんだから、それはないだろ。いくら非合理的とはいえ、認めろって」

「……いや」

「え?」

「……放っておいてくれ。俺だって、混乱してるんだ」

「まあ、そうか」


 俺だけじゃない。このことを知る他の奴らもみんな、大混乱だ。

 陛下なんて、何度も何度もサレン様のお部屋を訪れて「アリスなのか?」と聞いていた。クリステル様は、それ以上に部屋に通ってお話をされている。

 カイン皇子だってなんだかんだ言ってるが、アリスお嬢様に好意を抱いていたことくらいわかっているさ。彼だって、今の状況を楽しんでいるじゃないか。サレン様のことをそっちのけで。


 それに、ロバン公爵がすぐこちらに来れないというのもなんかな。

 なんでも、グロスター伯爵の領地に居た民がそちらに流れているとかで調べてくれているとか。彼がしなくても、他の奴に任せて娘の心配をすれば良いのに何をしているんだ全く。

 俺は、その事実が一番モヤモヤする。


 サレン様が居なくなったような状態は手放しで喜べないし、そもそも、彼女がアリスお嬢様だとわかっていても身体がそれを拒絶してるんだ。

 俺だって、自分が何をしたいのか良くわからない状況だよ。


「でも、アレン。急に生き返ったアリスお嬢様が一番混乱してるんだから、できるだけ側にいてやれよ。仕事は、僕ができるものはやるから」

「……それは、その通りだな。なら、ちょっと休憩しても良いか」

「どうぞ。今やってたやつ、貸して」

「悪い」


 サレン様のお部屋に行ってみようか。

 そうだ、カモミールティを持って行こう。確か、厨房にドライフルーツもあった。チョコは……あったかな。でも、オレンジピールは確実にある。


 書類をシエラに託した俺は、厨房へと向かった。



***



 私は今、車椅子に座って、王宮と宮殿を繋いでいる中庭に居る。

 ガロン侯爵のご予定が少し変わったみたいで、30分ほど待つことになったの。


 懐かしいわ。5年前と、全然変わってない。

 ベンチは新しくなっているけど場所はそのままで、植物は何一つ変わっていない。やっぱり、陛下に仕えている庭師は優秀ね。どんな肥料を使っているのかしら? お水の量や頻度も知りたいわ。


 いえ。でも、今はこっちね。


「……あ、あの」

「はい! 何か!」

「私、1人でも大丈夫ですのでお仕事に戻られては……」

「そそそそそんなことできません!」

「でも、お仕事があるのでは?」

「ございません!」

「……そう」


 一緒にきてくれたイリヤが、ガロン侯爵とお話をする場所を取りに行ったの。予定が狂ったから、最初から取り直しなんだって。

 で、ちょうど近くを通ったヴィエン卿……以前、アレンが、いえ、ロベール卿がお怪我をした時に一緒についてきた騎士団の方ね。……が、イリヤが戻ってくるまで側にいてくれるのだけれど。


 先ほどから、ものすごい勢いで怖がられているの。私がちょっとでも動くと「申し訳ございません!」って声を張り上げてね。私も、貴方が怖いわ。


 イリヤ、早く帰ってきてくれないかしら。


「あ、あの……」

「はい!」

「私、フォンテーヌ子爵の娘ですの。だから、貴方よりも爵位は下なのです。そんなかしこまらないでくださいな」

「い、いえ! 貴女様より尊いお方などいらっしゃるわけがない!」

「……皇女様は?」

「ああ!」


 でも、ちょっとだけ面白いお方だわ。ユーモアがある。……いえ、ただ単に真っ直ぐな性格のお方なのかもしれない。


 もしかして、ベルのお父様って結構すごい人だったり? まあ、お仕事ができないって点では有名かもしれないけど。

 だって、いまだに足し算引き算に指を使ってるのよ。6桁の計算になると、投げ出すんだもの。フォンテーヌ家の将来が不安で仕方ないわ。


「ふふ。ヴィエン卿、私のせいでお仕事の手を止めさせてしまい申し訳ございません」

「いいえ! 貴女様をお守りができること、光栄でございます!」

「だから、私は子爵の……」


 ああ、ダメだわ。話を聞いていない。

 この調子だと、イリヤが帰ってきても私の側を離れないかもしれないわ。そのくらい必死に、私を守ってくれている感じがすごいの。


 そんな時だった。


「……ヴィエン? 何サボってるんだ」


 後ろから、聞き覚えのある声がしたの。びっくりして振り向くと、


「ロベール卿、ご機嫌麗しゅう。今、ヴィエン卿は私のお守りをしてくださっているのです」

「はい! イリ……えっと、ベルお嬢様のお侍女のお方様があの、お守りしろとおっしゃってですね」


 そこには、トレイを持ったアレンが立っていた。その上には、カップにポット、それになんだろう? ここからだと良く見えないけどお皿が置かれている。こう見ると、懐かしいわ。まるで、5年前の彼を見ているよう。

 騎士団のお方は、こういう給仕のお仕事もあるのかしら? 大変ね。


 そして、ヴィエン卿。「お」が多いわ。多すぎる。お侍女って何?


「そうだったのですね。それは、失礼しました」

「いえ。こちらこそ、侍女が勝手に申し訳ございません。今お話していたのですが、私は1人でも大丈夫ですのでお仕事に戻られてはいかがですか? 王宮に危険はございませんし」

「で、でも……」


 これは、チャンスだわ。この調子でヴィエン卿に怖がられていたら、私の精神がもたないもの。

 なんかね、ここにいるだけで悪いことしているような気がしてしまって。1人の方が、気楽だわ。そうでしょう?


 そう思って発言したのに、結局私は1人になれなかった。


「では、侍女が戻るまで私がお守りしましょうか」

「え?」

「ヴィエンは持ち場がありますが、私はフリーなのでありません。ですので、侍女が来るまでご一緒させてください。いかがでしょうか?」

「……でも」

「ヴィエン、持ち場に戻れ」

「はっ! では、失礼します!」


 私が躊躇していると、すぐにアレンがヴィエン卿に向かって指示を出している。アレンって、そんな地位が高いの? それとも、ヴィエン卿が一番下とか?

 うーん。どう見ても、ヴィエン卿の方が年上だわ。どんな所属なのかしら。


 いえ、今それを考える時間じゃないわ。今は、こっちをどうにかしないと。

 ……というか、もうヴィエン卿が居ないわ! 逃げ足早すぎない!?


「ロベール卿。私、騎士団のお方の時間を邪魔するために来たわけではございません。どうか、お仕事にお戻りください」

「大丈夫ですよ。先ほど仕事を1つ片したばかりで待ち状態なので、ご一緒していただけると嬉しいです」

「ダメです。騎士団に護衛を依頼したわけでもないのに、こうやって守っていただくのは体裁的にも良くありません」

「では、お嬢様のご友人という体でどうでしょうか」

「どうでしょうかと聞いている時点で、それは違います!」

「あ、そうか。失礼しました」


 ああ、このやりとり。

 そうだ、こんなやりとりを貴方と良くしていたわね。懐かしいわ。思わず、笑ってしまうほどに。


 私が笑い出すと、同時にアレンも笑顔になった。

 こうやって意見が割れて言い争いをした後は、決まって彼はこういうのよね。「せっかくですから、お茶でもいかがでしょうか」って。


「……せっかくですから、お茶でもいかがでしょうか」

「え?」


 まさか本当に言うと思っていなかった私は、その言葉に固まってしまった。なんなら、驚きすぎて車椅子から落ちそうになった。危なかったわ。

 あまり、過去に浸るのはやめておきましょう。怪しまれでもしたら、それこそ王宮から追放されてガロン侯爵とのお話どころじゃなくなる!


「大丈夫でしょうか? 今日は暖かいので、冷たいカモミールティとドライフルーツでもと思ったのですが」

「……でも、それって誰か他のお方のものですよね」


 少ししゃがんだアレンが、私に向かってトレイの上に置かれたものを見せてくる。

 そこにはやはりカップとポット、それに、ドライフルーツが乗ったお皿とナプキンが置かれていた。ドライフルーツなんて、チョコレートがかけられているわ。さすが、王宮ね。


 私、オレンジピールのチョコがけが大好物なの。でも、贅沢でしょ? だから、あまり食べられなくてね。……1つだけなら、良いかな。

 いえ、これは私のじゃないって!


「王宮で使っているカモミールは、芯が少ないのです。すぐ淹れられるので、お気になさらず」

「ああ、芯があると蒸らし時間が多くかかりますものね。ありがとうございます」

「良くご存知ですね」

「あ、えっと。……パトリシア様にローズマリーの苗をいただきまして。それから、ハーブに興味を持って調べたのです」

「フォンテーヌ子爵は、このような勤勉なご令嬢をお持ちになり幸せ者ですね」

「……買い被りすぎですわ」


 って、私! いつ、カップを受け取ったの!?


 気づくと、右手にカップが握られていた。さっきまで空だったのに、ちゃんと中身も入っているわ。……アレン、執事のレベルをあげたわね。さすがだわ。

 ここまで来たら、飲まない方が失礼かも。そう思った私は、カップに口をつける。


「……美味しい。貴方が淹れたのね」

「……」


 アレンは、決してハーブのえぐみを出さないの。かといって、色のついたお湯になっていない絶妙すぎる味で。私も何度か淹れたけど、アレンのように上手に淹れられたのは数えるほどしかなかったわ。

 また貴方の淹れたハーブティを飲めたってだけで、生き返ってよかったって思える。時間が経っても、身体が違っても、こうやって味を覚えているなんて不思議ね。


「とても落ち着く味だわ」

「お褒めくださりありがとうございます。ついでに、ドライフルーツもどうぞ」

「いえ、そこまでは……」

「オレンジピールのチョコがけなんて、いかがでしょう? クーベルチュールを使用した、とても滑らかな舌触りのチョコがけです」

「え、クーベルチュール!? ……贅沢すぎるわ。私は、このカモミールティだけで十分です」

「……」


 本当は、喉から手が出るほど欲しい! けど、クーベルチュールって確か、食事1回分と同じお値段のチョコレートよ。恐ろしい!


 必死になって首を降っていると、アレンがニヤリと笑った。この顔、いたずらをする5秒前くらいの顔だわ。そう思って口を覆おうとしたけど、カップを持っているからできなかった。


「!?」

「お味はいかがですか?」


 アレンは、笑いながら私の口にオレンジピールを放り込んだ。私ったら、すぐ舌を絡めてもらってしまったわ。入れられるのは、わかっていたのに。

 気まずそうにしながらアレンを見ると、相変わらず楽しそうに笑ってるし。恥ずかしすぎるわ、これ。


「……ごめんなさい、はしたないことをしてしまったわ」

「私がしたので、帳消しです」

「忘れてちょうだい」

「はい。その代わり、お味をお聞かせください」

「……とても美味しかったわ。久しぶりに食べた」


 私がそう答えると、アレンはナプキンを使ってオレンジピールを包み出した。片手だけでそれをするって、結構器用ね。私には真似できない。


「では、こちら後ほどおやつにでも召し上がってください」

「……あの、別に私は」

「他の方にお出ししたお菓子は、廃棄するしかありません」

「いいいいただく! いただくわ、もったいない!」

「はい、是非お召し上がりください」


 廃棄するなら、私が食べないとね。……嬉しい。とても嬉しいわ。こんな贅沢ができるなんて、王宮に来てよかった。アレンがちょうど通りかかってよかった。


 綺麗に包まれたナプキンを受け取り膝に乗せて眺めていると、アレンが真顔になっていることに気づく。


「なにか?」

「……お嬢様」

「なんでしょうか」


 私が話しかけると、アレンは一歩さがって深呼吸をしている。目を閉じて、まるで瞑想でもしているかのよう。

 でも、すぐにその目は開かれた。そして、驚くような言葉を放ってくる。


「……突然、別人になってしまうことってありますか」

「え?」

「その身体に、別の意識が入り込むなんてことあると思いますか?」

「……それって」


 まずい。バレた?

 アリスと同じ好物だから、バレちゃった?


 懸命に言い訳を考えてみたけど、考えれば考えるほど、私の頭の中は真っ白になる。

 イリヤに、内緒って言われたのに。今、グロスター家が大変なことになっているから、ここでバレたらフォンテーヌ家にも確実にご迷惑をかけてしまうわ。

 どうしよう。どうすれば……。


「実は、あの時ご一緒したサレン様が「お嬢様あ、お待たせしまし……え、なんでアレンが?」」


 下を向いてグルグル考えていると、後ろからイリヤがやってきた。

 ああ、そっか。イリヤ、アレンと知り合いって言ってたわね。


「お前が来るまで、お嬢様をお守りしてたんだよ」

「ふーん。でも、頼んだのは違う人なんだけど」

「俺が変われって言った」

「ふーーん。じゃあ、もう良いよ」


 ……知り合いって、どんな知り合いなの? アレンって、侯爵家のご子息なのでしょう? そんなお方にこうやって話しかけられるイリヤって何者?

 2人の関係性が良くわからないわ。


「イリヤ。ロベール卿が私にお茶とお茶菓子をくれたの。貴女からも、お礼をお願い」

「そうだったんですねー、ありがとうございますー。では、お嬢様。ガロン侯爵のご予定がそろそろ終わりますので、行きましょう」

「え、ええ。……ロベール卿、とても楽しいお時間をありがとうございます。お仕事頑張ってくださいね」

「ああ。こちらこそ、ありがとうございます」


 私は、ナプキンを握りしめながらお礼を言い、そのままイリヤに押されて王宮へと戻った。


 貴方に言ったのは、お世辞じゃない。とても楽しい時間だった。

 でも、これきりにしましょう。これ以上一緒に居ると、アレンにバレてフォンテーヌ家にご迷惑だから。


 バイバイ、アレン。

 また貴方のお茶が飲めて、嬉しかったわ。


「イリヤ、お願いね」

「かしこまりました。今日は、椿の間で……」


 私が声をかけると、イリヤが頭を撫でてくれた。

 我慢したの、バレちゃったのかな。どうして、イリヤには私の気持ちがわかるのかしら。


 同性って怖いわ。

 ヴィエン卿のあの態度とはまた、違った怖さだわ。



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