任されたお仕事
どこをどうやって戻ったのか、全く覚えていなかった。
「あれ、早かったじゃん。まだ30分くらいしか……ってどうしたの?」
「……」
気づいたら、俺は待機室に戻っていた。というか、気づいたら勢いよく待機室に滑り込んでいた。
勢いが良すぎて転けそうになるも、なんとか足を踏ん張ってそれに耐える。でも、その顔は隠しようがない。
「ははあん。さては、アリスお嬢様に愛でも囁かれたのか? 5年越しの告白か!?」
「……」
「……アレン?」
炎天下の中にいるかのように、俺の全身は熱を帯びていた。
それに、鼓動で周囲の音が良く聞こえないし、心臓が口から出る気がする。
あれから、ベル嬢の笑顔がどうしても頭から離れないんだ。紅茶を飲み、ドライフルーツを美味しそうに口にした彼女の笑顔が。
なぜ、俺が淹れたとわかったのだろうか。
「……俺、結構惚れやすい?」
「は?」
「なんか、最近おかしい」
「なあに言ってんだよ。どっちかって言うと、引くほど一途だぞ。引くほど。もっと遊べよ」
「はあああ……」
二度も言うな! そして、お前は遊びすぎだ!
いつもなら、そう言った……いや、怒鳴っただろう。
でも、今はそんな気分になれない。
俺は、良くわからない感情にため息をつきながら、待機室のドア前にズルズルと座り込む。
***
「ベル嬢の評判がどんどん広がっていくなあ」
「……え?」
ガロン侯爵と一緒に、国内で発行されているさまざまな新聞を読んでいると、何かが聞こえてきた。
領民や貴族たちの情報を幅広く取得したいなら、やっぱり新聞よね。何社分か読んでいると面白くなっちゃって、無言で読み漁ってしまったわ。
ちょうど昨日の夕刊を読んでいた私は、反応に遅れてしまう。
今日案内された椿の間も、アリス時代には知らなかった場所だった。前回案内された場所より、少しだけ広い。それに、装飾品も高価そうなものばかりなの。
子爵での生活に慣れてしまったから、全く落ち着かなくてね。今日は、イリヤも一緒に入室したのよ。ちょっと離れて、扉の前で待機してくれているわ。
「ここ。ベル嬢が先日私に送ってくれた半年分の作物カレンダーが載っているんだ。それに、隣には旬の作物の種まきから収穫までにかかる時間や必要な水や肥料の量も」
「まあ! もう使っていただいていたのですね」
「当たり前だろう。この素晴らしいスケジュールを1日でも早く領民に伝えたくて、新聞社に駆け込んだんだぞ。無論、すぐに差し替えてくれたよ」
「あ、ありがとうございます……。でも、その場所は」
ガロン侯爵が指さしたのは、新聞の2面に当たる場所だった。そこは普通、事件とか外交関係のこととか載るのだけれど……。どうなってるの?
「初回だから、目立つ場所に入れてもらったんだ。次回から3面に移動するよ」
「3面でも驚きですわ……」
「実際、この号だけいつもより3倍多い発行部数にしたのに、在庫がないって状況らしいからね。ベル嬢がまとめてくれたもの以外は代わり映えしない内容だったし、読者はこれ目当てで買ったのは間違いない」
「確かに、3倍はすごいですね。読者様たちにお気に召していただき嬉しい限りです」
「それだけの内容を作ったんだ、当然だよ。今後は、気候や季節に合った植物の栽培方法を載せていくという話でまとめてしまったが、良かったかな?」
「……それって」
「これからは、君が直接新聞社と連携しながら進めて欲しいってことだよ。できるかい?」
すぐには、返事ができなかったわ。
だって、ガロン侯爵がお持ちになられている新聞は「ロイヤル社」という、国の中で一番信頼度の高い新聞社のものだったから。
以前、アリスの時に同じような内容を持ち込んだことがあったのだけれど、その時は門前払いだったわ。領地を管理している侯爵に依頼を受けて作って行ったのに、「そんな話は聞いていない」って。
3日3晩寝ずの作業をしたのに、一瞬で無駄になったからちょっとだけ泣いちゃったの。みんなには内緒ね。
それに、情報を扱うのには少なくとも伯爵以上の爵位が必要なの。
ほら、情報って間違って流したら大変でしょ? だから、その責任の取れる爵位……法で、伯爵以上と決められているの……が必要なのだけれど。
「……ベル嬢、勝手に決めて怒っているのかい?」
「あ、いえ! そんなことはございません。ただ、私にそんな大役が務まるかどうか……」
「大丈夫。君の優秀さは、私が認めている。無論、持ち込む前に私の確認は必須だが、配置や内容、出す時期などは全てお任せするよ。そう、先方とは話がついているんだ。君の家の爵位も伝えてある」
「……でしたら、喜んで引き受けさせていただきますわ」
今日は、水道管の効率の良い配置方法と清掃頻度についての話だけかと思ってたわ。ガロン侯爵からも、そう聞いていたから。
まさか、こんなお話をいただけるなんて。
本来なら、お父様を通さないといけないのだろうけど……。今日、ここに呼ばれていないってことは、私が決めて良いのよね。
こんな大役、伯爵令嬢だったあの時だってなかったのに。ガロン侯爵は、とてもお優しいお方だわ。子爵令嬢の私にもお仕事をくださるなんて。
今、とても胸が温かい。後ろを振り向くと……イリヤがにっこりと笑いかけてくれたわ。それだけで、この瞬間が現実だってわかる。
「そう言ってくれて、こちらも嬉しいよ」
「本日、お仕事を分けてくださるとのお話でしたが、この件だったのですね」
「ああ、その話を忘れるところだった! 新聞に関しては、直近で決まってね。君に依頼したいと言っていた仕事は……ああ、あった。こっちだ」
「いただきます。……え!?」
どうやら、お仕事は別にあるみたい。
新聞が山のように積まれた机上で、ガロン侯爵が手につかんだのは2枚の羊皮紙だった。受け取って内容を確認しようとすると、見出しの文字に目を奪われる。
そこには……。
「新事業の立ち上げ、と記載されておりますがこれは……」
「そうだ。君には、その立ち上げの初期メンバーに入ってもらおうと思ってね。若い女性という立場とその頭脳が欲しくて」
そうなの。新事業の立ち上げに関する計画書を、ガロン侯爵は私に渡されたのよ。
しかも、これはまだ本当に初期のものだわ。所々が空欄になっていて、大枠が決められているだけだもの。
その新事業に、女性という立場で参加して欲しいという要望の意味はよくわかった。だって、内容が美容に関連するものだったから。
「……サッと見た感じ、隣国の香りものが流行ったのを受けてといったところでしょうか?」
「なんと、隣国の情報も承知済みか……。そうなんだ。この国は、香りものに弱い。私にはわからん分野だか、うちのやつが「匂いが薄い」だの「すぐ消える」だの言っていてな。貴族間の茶会でもよく話題になるらしい。王宮会議に持ち込んだら、他の侯爵家も飛びついてきたよ。投資先はもうすでに用意されているのだが、如何せん内容がまとまらない。そこで、君の知識を借りたいのだが……。どうだ?」
「面白そうですが、すぐには完成しないかと存じますわ。流行り廃りを先読みして香りや種類を用意しないといけませんので、モニター期間が必要です」
「わかってるさ。ミミリップ地方が大変で、今はこの計画はストップしてしまっているから急ぎではない。ただ、しっかりとした計画書ができたらすぐ進めようという運びにはなっている。ここだけの話……」
いただいた計画書の全体を眺めていると、ガロン侯爵が近寄ってきた。何か、伝えたいことがあるみたい。車椅子をそちらに向けると、耳元で、
「私がしばらく、グロスター伯爵の管理していた領地を見ることになりそうでね。先ほどそのことで陛下に呼ばれて、君との約束の時間を遅らせてしまったんだよ」
と、言ってきた。
急にグロスターの名前が出てきてびっくりしてしまったけど、どうやらガロン侯爵は別の意味に捉えてくれたみたい。
「伯爵が管理するところと言いたいのだろう? 本来ならそうなのだが、今回は特殊でな。領民の不満が爆発している状態だから、下手に伯爵を置いても良くないと判断されたんだ。だから、この香りものの計画書までてが回らなくてね」
「……そんな酷い状態なのですか?」
お父様がお亡くなりになられて、確かに後任が必要なのはわかる。それは、お兄様ではないのね。イリヤの情報では、まだ拘束されているとのことだったから適任ではないのもわかるけど……。
そんなすぐに、しかも侯爵を置かなくてはいけないほどに酷い状態なのね。
普通、領地管理していた人物が亡くなれば夫人か息子が、その双方がいなければ近隣の伯爵家の当主が選ばれるのに。
「酷いも何も。私は王宮に入ってまだ3年しか経っていないが、今までの中で一番荒んな状態だよ。店が機能していないのはもちろん、畑も干からびていて、最低限の暮らしすらできていないらしい」
「そんな……」
「明日から視察だから、それを見てどうするかだな。だから、君には悪いけどしばらく私は連絡がつかなくなる。もちろん、何かあったら王宮に報告をしてくれれば私の耳にも届くからね」
お店が機能していない?
畑が干からびているって、食料はどうなっているの? 領民長は、そんな場所を見て改善しようとしなかったの? それとも、その報告すらお父様たちは無視し続けていたの?
「……あの、ガロン侯爵。私」
「なんだい?」
5年前は、そんなことなかった。
お父様たちが領民や男爵から金銭を搾取していたけど、それだって法外な値段で砂糖や蜂蜜などの甘味を売ったり、イカサマ賭博をしたり。物やお金の動きはちゃんとあったわ。そのことで、何度税関に交渉しに行ったか。
なのに、今はそれすらないってこと? 5年の間に、何があったの……?
「あ、……いえ。お気をつけて、行ってらっしゃいませ」
「ありがとう。君は、優しい子だね」
「……」
私も連れて行ってください。助手として使ってください。
喉元まででかかった言葉を、私は笑顔と共に飲み込んだ。
車椅子の私が行ったところで、足手まといになることが目に見えている。そもそも、ベルになった私がついていく理由はないから変に思われてしまうわ。
でも、以前管理していた領民が苦しんでいるという事実は、他人事として処理できるほど私の頭は賢くなかった。考えれば考えるほど、「どうして」とまるで子どものように疑問をぶつけるだけの幼い自分が露見する。
胸が痛い。先ほどまで歓喜していたのが嘘みたいに、胸がキュウッと痛む。
「とりあえず、ロイヤル社で次号の打ち合わせが4日後にある。日にちは決まっているから、時間の交渉を自分ですると良いよ」
「……はい。ありがとうございます」
下を向いていると、席に戻ったガロン侯爵が私に向かって名刺を差し出してきた。受け取ると、そこには「カリナ・シャルル」と書かれている。このお方が担当らしい。
シャルル、シャルル……。この名前、どこかで聞いたことがあるのだけれど。ダメね、思い出せない。
「では、次私との話し合いは2週間後を目安にしようか。キリの良いところで連絡を入れるから、そこで日程を合わせよう」
「かしこまりました。それまで、こちらの計画書を進めておきますわ」
「流れだけでも決めてもらえると、後々のスケジュールが組みやすいからありがたいよ」
それから、ガロン侯爵と「香りものの何が良いのか」と言う話題で少しお話をした。
侯爵夫人に以前香りものをプレゼントしたけど、「違う!」と怒られた話とか。そりゃあ、フローラル系を好む方にウッディを渡したら反感食うかもしれないわ。「香りにも種類があるってそう言うことか」と納得されていたから、もう彼は間違えないかな。
ガロン侯爵、こう言うところが可愛らしいわね。
ああ、今日のお話をフォンテーヌに持ち帰ったらまたパーティだわ。
***
「ねえ、クリス」
「はい、なんでしょうかお嬢様」
仕事の合間にサレン様のお部屋を訪れると、ベッドの上で新聞を読む彼女のお姿があった。その真剣な眼差しは、アリスお嬢様のもの。見れば見るほど、懐かしさが込み上げてくる。
ああ、貴女は本当に戻ってきたのね。
彼女は、私のことを「クリス」と呼ぶ。本当はシャロンと呼んで欲しいのだけれど、それは私のわがままだ。
「この作物スケジュール、とても素敵なの。私が以前考えていたものに似ていない?」
「失礼します。……そうですね、野菜中心で紹介されているのもそっくりです」
部屋に入るなり、アリスお嬢様は私に向かって新聞を見せてくる。近寄って確認すると、確かにアリスお嬢様が以前楽しそうに書いていたものに似ているわ。
確か、あの時はロベール侯爵が領地管理をする前だった。お嬢様が当時の侯爵に言われて徹夜で作ったこのスケジュール、結局使われることなく水の泡になったのよね。
「私、このお方とお話ししてみたいわ」
「え?」
「私と同じ考えをする人が居るってことでしょう? 会って、お話してみたいの」
「……どなたなのかお調べしますが、必ず会えるとはお約束できません」
「いいわ、無理なら無理で。わがまま言ってごめんなさい。寂しくなって、話し相手が欲しくなっただけだから」
「承知しました。すぐ調べますね」
「お願い」
これは、ロイヤル社の新聞ね。
この新聞社なら、陛下直属だから話をしやすい。
一体、誰なのかしら?
見れば見るほど、お嬢様にそっくりな考えをするお方だわ。特に、肥料の種類やお水の量を書くあたり。
私は、入ってきたばかりの部屋をものの数分で退室することになった。
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