歪み始めるは、過去か未来か
食事を終えた私たちは、紅茶を飲みながら香油について話し込んでいた。
先ほど隣に座った貴婦人に、早速試してもらったのだけど好評でね。1瓶丸々持っていかれたわ。お友達と試すって言って。
パトリシア様ったら、それが嬉しくて先ほどからずっと笑顔なの。紅茶が薄すぎて文句言っていたのに、それも忘れていると思うわ。本当、可愛いお人。
今、目の前にあるのは、香りの強いものと色が鮮やかなもの、それに、その辺によく生えていて量産可能なものの3種類。香りの強いものは、流石に食堂だから開けてないわ。
見た目にもこだわりたいなと思い瓶を見ていると、パトリシア様が急に立ち上がって私の後ろに向かってお辞儀をしていた。どうしたのかしら。
「どなたかいらっしゃったのですか?」
「ええ。先ほど食堂の方に香りものを開けて良いか聞いた後、ロベール様にお会いして。女性を連れていらっしゃって、ご挨拶したの」
「ロベール様?」
「ロベール侯爵の御子息でね。今は、陛下直属部隊を統括する隊長をしていらっしゃるのよ。お堅い人と聞いていたのだけれど、隣国の公爵令嬢を連れていてびっくりだわ」
「直属部隊……」
「後ほどご挨拶の場を作っていただいたから、ご一緒してね」
「え、ええ。ありがとうございます」
私は、無意識に後ろを向き、そのロベール様を見ようとした。でも、人が多すぎてその姿が確認できない。
まあ、確認したところで、その人が以前見たアレンに似た人とは限らない。第一、第二と騎士団も分かれていることだし。夢と混合してたのかもしれないし!
それよりも、今は隣国の公爵令嬢が気になった。
「パトリシア様、まだ間に合うようでしたらその瓶の中で最高傑作と思うものを持ってください」
「これだけど……。どうして?」
「隣国って、カウヌですよね。確かそちらは、香りの付いたものが流行しております。うまくいけば……」
「待ってて、行ってくる! 貴女の分までご挨拶するから、ここで待っているのよ」
「ありがとうございます」
私の言いたいことがわかったらしい。
パトリシア様は、色が鮮やかなものと香りが強いものの2種類を持って走っていかれたわ。私もご挨拶に行きたいけど……この人混みだと、車椅子を動かすのが大変そう。ここは、パトリシア様に甘えてしまおう。ごめんなさい。
それにしても良かったわ、先週読んだ文献が役に立って。
フォンテーヌ子爵……ベルのお父様の取引先の一つ、フォワード男爵のご夫人がカウヌ国の方でね。お土産にいただいた最新の観光誌の中に、流行りが書いてあったの。5年前までは「自然が一番」ってところだったのにな。
やっぱり、5年って大きいわね。色々な変化がある。
私は、少し離れた席に座ってこちらを見ている……いえ、見ていないわ。今は大きなパフェをせっせと食べているイリヤに目を向ける。大きな口を開けて食べている様子は、とても美味しそうに見えた。
にしても彼女、さっき3人前くらい食べていた気がするのだけれど。あの細い身体で、どれだけ食べるのかしら……。
***
「〜♪」
「お気に召したのですか?」
「ええ!」
パトリシア嬢から受け取った香水の瓶を持ち、鼻歌を唄うサレン様。
あれだけ楽しみにしていらしたデザートよりも、その瓶の中身が気になるらしい。しかし、ここは先ほどのような大衆食堂ではない。貴族が使うところなので、中身を開けることができないのだ。
「カウヌでは、このような香りの付いた化粧品が好まれるのです」
「そうなのですね。以前はなかったのに、いつ頃から流行り出したのですか?」
「1ヶ月前からかしら」
「なるほど、勉強不足でした」
「ふふ。そんな直近では、わかりませんよ。むしろ、パトリシア嬢が知っていたことに驚きです」
「彼女も流行に敏感ですから」
「であれば、先々週配布された観光誌でもお読みになられたのでしょう。早く付けたいですわ」
「どうやって使うものなのですか? 恥ずかしながら、女性ものには疎くて」
知らないことを人に聞くのは恥だ。そう言われているが、今は彼女に聞いて話題を広げた方が良さそうだ。
俺が質問をすると、前のめりになりながら使い方や種類、その魅力を伝えてくれる。相当お好きなようで、今にでも蓋を開けて使ってみてとでも言いそうなほど。
しかし、そこはマナーをわきまえているらしく、決してその一線を超えない。
隣国では、バラやベルガモット、ローズマリーから摘出した植物油を使うらしい。その中でも、ローズマリーから採れる量が少なくあまり出回らないとか。
パトリシア嬢からいただいたものは、その出回らない香りと似ているらしく、カウヌに持っていけばすぐ売り切れになるだろうとのことだった。
「そうなのですね」
「ええ。少ししか嗅げなかったけど……。これは、なんて植物でしたか? 聞き覚えがなく」
「確か、パトリシア嬢はラベンダーとおっしゃっていましたね」
「らべんだー? どんなお花ですの?」
「自国で一番多く咲くハーブの一種です。一番多い種類だと、紫の小さな花弁を咲かせますね。希少な種類には、ピンクや青、白もありますよ」
「お詳しいのね」
「以前、仕えていた主人が花……と言いますか、作物や土がお好きでして」
「そうなのね。女性?」
「ええ」
「そう……」
正直に答えない方が良かったかもしれない。
俺の話を聞いたサレン様は、声のトーンを一段階落としてしまった。
気まずくなって下を向いてしまったのもいけなかった。急いで顔を見ると、少しだけ寂しそうにしている彼女と目が合う。辛いのは、それだけじゃない。
店内に流れる音楽が、俺の言動を責めるように軽快な音を鳴らすんだ。気のせいと言われればそれまでなのだが、一度聞こえてしまったらそうとしか思えなくなる。人間って不思議だな。
「そのお方が忘れられないのね」
「……はい」
「そう。先に聞いておいて良かったわ」
「……」
「そんな顔しないでくださいな。誰にだって、想い人はいますから」
それは、誰ですか。
なんて。それこそ、お節介と言うものだ。
俺は、目の前に置かれているコーヒーカップを手に取り言葉と一緒に飲み込む。
サレン様も、俺の様子を見ながら目の前の紅茶を飲んでいた。
「……実は私、皇子の婚約者なのです」
「カオン皇子、ですか?」
「ええ。ちょうど6ヶ月前もこちらに遊びに来たのよ。その時、貴方が演習場で剣を奮っている姿を見てね。最後のお願いに、今回貴方を指名して連れ回してしまったわ。黙っていてごめんなさい」
「……いえ。こちらこそ、気づかずすみません」
「良いの。あの時は、本当に遠くからチラッと見ただけだったから。気付けと言う方が難しいわ」
そうか。
だから、サレン様を連れ出すと行く先々でカオン皇子の側近を見るのか。俺が手を出すとでも思って……いや、ただの護衛かもしれないな。
だとすれば、皇帝陛下もお人が悪い。先に言ってくれれば良いのに、名前が似てるからなどとお戯れを。
それに、彼女はなぜ演習場で俺を見たのだろう。
シエラの方が、女慣れしてるだろうに。こんな場面だって、あいつなら彼女の欲しい言葉をかけてやれるだろう。
「……こちらに来たら、仲良くしてくださるかしら」
「カオン皇子に嫌な顔されない程度でしたら、いつでも」
「ありがとう。私、貴方と名前が似ていて良かったわ」
「こちらこそ、光栄です」
サレン様は、目元に涙を浮かべながら「アイスというものを食べてみたいわ」と言った。俺は、彼女から視線をそらして給仕係に声をかける。
「すみませ……」
しかし、その声は途中で止まってしまった。
「……ジョセフ」
振り向いたそこには、あいつが居た。数年ぶりだが、間違えることは絶対にない。
この成金のような服装、吊り目、それに、彼女と同じ……。
「久しぶりだな、アレン。まさか、陛下直属の騎士団のやつだったとは」
「……」
そこには、彼女と同じく金色の髪を後ろ手にまとめたジョセフ・グロスターが立っていた。
しかも、立っていただけではない。
「助けてくれよ、昔のよしみで」
ジョセフは、手に短剣を握りしめ充血した瞳でこちらを睨みつけていたんだ。服装の煌びやかさとその様子が、彼の異常さを際立たせている。
入り口に立っていた店番は何をしているのだろう。そう思うも、視線をそらして後ろに居るサレン様に傷でも付けたら国際問題だ。今は、目の前の敵に集中した方が良い。
俺がそいつを無言で睨みつけると同時に、店内は一瞬にして大混乱に陥っていく。
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