驚愕の犯人


「……ジョセフ」

「久しぶりだな、アレン。まさか、陛下直属の騎士団のやつだったとは」

「……」


 サレン様のアイスを注文しようと後ろを振り向くと、そこにはアリスお嬢様の兄、ジョセフ・グロスターが立っていた。その手に短剣を握りしめ、刃先はこちらに向いている。

 服装の煌びやかさは、5年前と全く変わっていない。しかし、数日眠っていないような充血した瞳は、今までに見たことがなかった。

 こんな余裕のないジョセフを、俺は知らない。


「助けてくれよ、昔のよしみで」


 俺がそいつを無言で睨みつけると同時に、店内は一瞬にして大混乱に陥っていく。

 まずは、周囲の人間が逃げるだけの時間を稼がないといけない。短剣だけなら良いが、そのジャケットの奥に爆弾でも仕掛けられていたら大惨事だ。

 近年は、火薬が市場に出回っている。彼が持っていない保証はない。


 俺は、カオン皇子の側近が動いたのを背中で感じつつ、ジョセフと向き合うため立ち上がる。


「……どうしたのでしょう」

「それがさ、殺されそうなんだ。匿ってくれよ」

「それが、相手にものを頼む態度ですか」

「良いじゃないか。騎士団は、どこの領民だろうが守る義務がある」


 どうやら、ジョセフは俺がロベール侯爵の息子だとまでは気づいていないようだ。気づいていれば、爵位を重要視するこいつはこんな話し方をしない。

 と言うことは、この第一騎士団の制服を見て職業を判断したのだろう。


 ジョセフが取り乱せば取り乱すほど、俺は冷静になっていく。

 

「話を聞きましょう。ただし、その短剣をこちらに渡してください」


 空っぽの店内には、本来なら聞けば安らぐだろうクラシック音楽が延々と流れている。

 それを聞きながら、サレン様を含め店の人間が全員外に出たのを確認した俺は、ジョセフに向かって声をかけた。




***



「あら、何かしら」

「大道芸人でもいらっしゃるのでしょうか?」

「そういうのは、告知がないとできないはずですが……」


 パトリシア様と大衆食堂を堪能した私は、外へと出ていた。太陽のてり付けが少しだけ眩しい。

 今日は、デザートを2つも食べてしまったわ。アインスには内緒にしてねってイリヤに釘をさしたけど、聞いていたかしら。タルトのイチゴを幸せそうに頬張っている時に言ったから、聞こえていないかもしれない。


 なんて考えていると、目の前に人だかりができていたの。

 パトリシア様が言うように、城下町の共有スペースは使われる前に告知が出されるの。使用者が城下町を管理しているところに届出して、それから1週間程度の時間をかけて承認が降りて告知が出るって感じで。

 そんな話は聞いたことはないから、違うわね。と言うことは、誰か有名なお方が来ているとか? 皇帝陛下だったら、嬉しいわ。


「……あら、サレン様」

「パッ、パトリシア嬢! あの、中に! 中に!」


 イリヤにお願いして少し近くまで行くと、パトリシア様の方へどこかで見たブロンズ色の美しい髪を持つ女性が近づいてくる。なんだか、とても慌てているわ。


「サレン様、どうされたのですか?」

「あの、あのっ!」

「サレン様、私たちの側を離れないように」


 サレン様と呼ばれたご令嬢は、後ろから来た男性に声をかけられている。

 男性の着ている制服は、アリスの時に宮殿で良く見かけたものだわ。この方、確かカオン皇子の側近の……。


「……サリエル」

「え?」


 後ろにいたイリヤから、とても平坦な声が聞こえてきた。


 どうして貴方が知っているの?

 サリエル様は、基本皇子に張り付いているから外に出ないのよ。宮殿に何度もお呼ばれした私だって、1回しか名前を聞いたことがない。子爵に仕えるメイドが知っているわけがないわ。


 そのことに驚き、急いで後ろを振り向くと、


「どうされましたか、お嬢様?」


 いつもの元気なイリヤがいた。視線は、これまたいつも通り私に向けられている。

 それがちょっとだけ不自然に、私の瞳に映り込む。


「い、いえ……」


 ……ううん、そんなことない。イリヤは、大袈裟なほど感情が豊な人よ。

 最近変な夢や幻聴が多いから、私が聞き間違えただけ。疑って見たから、不自然に見えただけ。


 ……というか、口元に生クリームが少しついてるじゃないの!

 そうそう、そっちの方が彼女らしいわ。


「イリヤ、屈んで」

「なんでしょうか、お嬢様」

「はい、生クリームついてたわよ」

「……失礼しました」

「ふふ、イリヤ可愛い」


 珍しい! 私がハンカチで口元を拭うと、イリヤが真っ赤な顔で視線をそらしてくる。

 これは、本当に恥ずかしがってるわ。やっぱり、さっきのは気のせいね。そうよ、イリヤはこんなわかりやすい子じゃないの。


「ベル嬢、大変なことが起こってるみたい」

「どうしたのでしょう、パトリシア様」


 イリヤと顔を合わせて笑っていると、前からパトリシア様が話しかけてくる。そちらに視線を向けると、堂々とした態度を決して崩さない彼女がオドオドとしていた。それに、お顔の色が優れない気がする。

 これは、大道芸人や有名なお方が来ている感じではなさそうね。


 それに、先ほど声をかけてきたご令嬢は、パトリシア様の袖から手を離そうとしない。よく見ると、身体が小刻みに震えているわ。

 その側に、サリエル様がぴったりと寄り添っている。この方は、カオン皇子となんの関係があるのかしら?


「あのね、そこの貴族専用の甘味屋に、ナイフを持った男が立てこもっているらしいの。これ以上は近づかない方が良いわ」

「え、ナイフ!?」

「サレン様のお連れのロベール様が、まだ中にいるみたいなの」

「ロベール様というお方は、騎士団所属よね。なら、大丈夫じゃないかしら?」

「でも、今日は丸腰よ。お仕事だったのに、私が無理矢理連れ出してしまって……。こんなことになるなら、大人しくしていれば……」


 相当思い詰めているみたい。サレン様は、パトリシア様にしがみついてポロポロと涙を零している。

 あまり見られるのも嫌かなと思い、私は人集りができている方を向いた。ここからだと結構距離があるから、危険はなさそうね。


 にしても、すごい野次馬。

 巻き込まれでもしたら、大変なのに。……なんて、私も人のこと言えないわね。


「ねえ、イリヤ」

「どうされましたか、お嬢様? これ以上は、お願いされても近付きませんよ」

「いえ、そうじゃなくて……」

「帰ろうにも、道が規制されてしまって動けないですね。すみません」

「イリヤが謝ることじゃないわ」

「やっぱり、イリヤは魔法使いになるべきでした。そうすれば、空を飛べたのに」


 イリヤも怪我しないでね、と言おうと思った。でも、私の車椅子を押してくれていれば、怪我するわけないわよね。

 よくわからない不安が押し寄せてきて話しかけたのだけれど、彼女の冗談で吹き飛んでしまったわ。やっぱり、イリヤは面白い。


 私は、視線を人集りの方へと戻す。

 すると、既に回っているらしい犯人の情報が聞こえてきた。


「犯人は誰だ?」

「隣町の領主の息子だそうだ」

「あの悪魔の息子か?」

「ああ、そうらしい。店の中にいた奴が、新聞社のインタビューに答えていたのを聞いたんだ」

「第一第二騎士団をまとめる隊長が相手だと言うじゃないか。犯人も可哀想だな」

「ありゃー、勝ち目ないな。バカな犯人だ」

「店前には、既に第一騎士団が固めている。こりゃあ、逃げられんな」


 周囲へ聞き耳を立てる限り、犯人と対峙している人はお強いらしい。犯人が「可哀想」と言われるほど。

 やはり、皇帝陛下直属の騎士様はすごいわね。5年前も、泣く子も黙る……なんて言われていたわ。


 でも、それをサレン様に伝える気にはなれなかった。「大丈夫ですよ」なんて、無責任すぎるもの。今は、その涙を拭くものを渡すことしかできない。


「サレン様、よろしければハンカチをどうぞ」

「……ありがとう。えっと」

「座ったままで失礼します。私、ベル・フォンテーヌと申します」

「ベル嬢、ありがとうございます」


 車椅子じゃなければ、直接拭いて差し上げたのに。もどかしいわ。

 立ち上がろうとしたけど、やっぱり足に力が入らないの。


 サレン様の涙を見て悶々としていると、前の方がざわつき始める。何かな? と思ってそちらを向くと、


「確保!」


 と、鋭い声と地面を蹴るような雑多音が響き渡った。

 複数の男性の声は、騎士団のお方かしら。「しっかり縛れ」と言う指示がここまで聞こえてくる。それに、「医療者はまだか!」の声も。どなたか怪我を負ったみたい。サレン様のお連れの方ではないと良いのだけれど。


 サレン様にも医療者の声が聞こえたようで、泣き顔から今にでも倒れそうなほど真っ青な顔色に変わってしまったわ。


「犯人、捕まったようですね」

「私、向こうに行ってくる」

「まだ危険ですわよ」

「でも、あの人が……」

「サレン様、ご辛抱ください」


 サレン様が駆け出しそうになるのを、サリエル様が止めに入る。

 男性は、基本的に女性の身体にみだりに触れてはいけないの。だから、進路を邪魔するように両手を広げて止めることしかできない。

 それでも駆け出しそうな雰囲気があった彼女は、パトリシア様に腕を掴まれている。


 犯人が確保されたため、周囲には安堵の空気が広まっていた。先ほどよりも、ざわめきが大きくなる。

 その音にハッとしたのか、サレン様は冷静になられたみたい。下を向きながらも、パトリシア様の着ているドレスの裾をギュッと掴んでいる。


「イリヤ」

「はい、お嬢様」

「サレン様を見届けてから屋敷に戻っても良いかしら」

「そうですね。まだ規制が解除されていないようなので、許可します」

「ありがとう」

「その代わり、イリヤから離れたらダメですよ」

「大丈夫。車椅子だもの」


 前方では相変わらず騒がしく、人々が行き交う音が聞こえる。このまま犯人を護送するとなると、私の後ろにある南門からかしら。ここが、一番拘置所に近かった気がする。


「お嬢様、少し動かしますね」

「ええ」


 しばらくパトリシア様とサレン様の様子を見ていると、目の前の人垣がちょうど私のところで左右に分かれた。やはり、こちらの南門を使うらしい。ここからだとお顔がよく見えないけど、犯人はロープでぐるぐる巻きにされ足以外使えなくされている。

 短剣を持っていたとのことだったから、仕方ないわね。


 私は、イリヤに押してもらい端に寄る。

 それと同時に、第一騎士団の制服を着た男性が数人サレン様の方へと集まってきた。


「サリエル様、あとは私たちが護衛します」

「承知です。お城まで、丁重にお願いいたします」

「かしこまりました」

「待って! あのお方は……」

「大丈夫ですよ。無傷です」

「……ああ、良かっ」

「サレン様!?」


 パトリシア様の手を振り払い、サレン様は騎士団の1人に詰め寄り胸元を掴み、必死になって質問をしている。そしてその回答を聞くと、今度は気を失うように倒れてしまった。


 でも、さすが騎士団。地面に倒れる前に、素早く抱き抱えてことなきを得たわ。

 それを見たサリエル様は、「気絶していますね」と言いながら淡々と脈を見ている。……この動じない姿勢、強いわね。


「このまま、抱きかかえて馬車にお乗せします」

「私もついていきます。それでは、失礼します」


 サリエル様と騎士団の方々は、気絶したサレン様と共に南門へと行ってしまった。


 結局、彼女が誰なのかがわからなかったわ。規制が解除される前にここを出られるってことは、相当なご身分なはず。

 ……カオン皇子の婚約者とか? それなら納得ね。なぜこんな場所に居たのかは疑問だけれど。


「危ないので、離れていてください」

「通ります、通ります」

「お嬢様方、もう少し後ろに下がりましょう」

「ええ」

「ありがとう、イリヤ」


 今日のイリヤは、パトリシア様の侍女も兼ねているの。車椅子を少し動かした後、イリヤはパトリシア様に向かって手を差し伸べている。彼女、こう言うところは素早いのよね。頼りがいがあるわ。


 少し後ろに下がったところで、再度騎士団の制服を着た男性が数人、犯人と共にやってきた。周囲の人々は、静かにそれを見守っている。

 ここまで来たら、犯人の顔くらい見なきゃ。そう思って、目を凝らしたのだけれど……。


「通ります!」

「離れてください! 危険です!」

「……え」


 私のところから、犯人の顔が見えた。

 でもそれは、「ふーん、こんな感じね」で終わる顔ではなかった。


「お兄様……」


 騎士団に囲まれ、ロープでぐるぐる巻きにされている犯人は、間違えようもない。自身の……アリスの兄だった。

 あの目つきの悪さ、アリスと同じ金色のサラッとした髪、それに、領民1年の食事分はあるだろう高そうな服装。


 あれは、ジョセフお兄様だ。

 でもどうして?


「嘘……、ジョセフ様?」


 私が唖然としていると、隣にいたパトリシア様も驚愕の表情をしていた。彼女も、なぜか兄様をご存知らしい。


 パトリシア様が声を出すと、それに反応したお兄様がこちらを向いたの。そして……。


「お前は……! 助けてくれ! お願いだ!」

「!?」

「!?」


 お兄様は、暴れ出した。

 急な出来事に対応できなかったのだろう、拘束していた騎士団の人々の間を掻い潜ってこちらへとやってくる。


 充血した瞳、痩せ細った頬、それに、顔色だってまるで死人のような出立ち。

 そんなお兄様が、フラフラと彷徨うように、しかし、確実にこちらへ向かってくる。


「お嬢様、お許しください」

「え? わ!?」


 すると、後ろにいたイリヤから謝罪の言葉が聞こえてくる。……と、同時に身体が浮く。

 何が起きているかわからない私は、恐怖に目を閉じることしかできなかった。




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