悪夢が追いかけてくる



「お嬢様! ミミズを持って参りました!」

「え、うわ! ちょっとイリヤ、こっち持ってこないで」

「あら、とても肥えたミミズだわ。土の様子が良いのかしら」

「ダメ! イリヤ、来ないで!」


 アランが淹れた白湯を飲みながら読書をしていると、そこに手を土まみれにしたイリヤがやってきた。満面の笑みを浮かべた彼女は、その手にミミズを数匹持っている。


 アランってば、見た瞬間びっくりするほど地面から浮いたわ。

 サミーから巻尺を借りておけばよかったな。


「イリヤは、お嬢様に持ってきたのです。アランに持ってきてはいないけど……そのリアクションが楽しいイリヤは、アランにも持っていきます」

「やめろ! やめてくれ!!」

「ふふ。アラン、土の様子が知りたくて私が頼んだのよ」

「え……いや。でも、その……見せないで! うにうに見せないで!」


 どうやら、彼はミミズが苦手らしい。

 まあ、誰にだって苦手はあるわよね。


 本を閉じた私は、サイドテーブルにカップと本を置きイリヤを近づけさせた。……と、同時にアランが私から遠ざかっていく。顔色がすごいわ。本当に苦手なのね。


「この土は、貝化石が主かしら?」

「はい。このミミズがいたところはそうですが……。なぜお分かりに?」

「だって、イリヤの手にたくさんついてるもの」

「これだけで? お嬢様すごいです! どこでそんな知識を」

「あ、えっと。本で読んだのよ」


 まさか、アリスの時に勉強したなんて言えない。

 私は、イリヤの質問を濁しつつ、丸々としたミミズに手を伸ばす。すると、


「ヒェ! お、お嬢様。まさか、お手を触れるなど……」

「いいじゃないの。目で見ただけじゃわからないものもあるのよ」

「でも……」

「じゃあ、危険かどうか判断させるためにアランが先に触りましょうか」

「あ、イリヤ! お前、わざとやってるだろう!?」

「なんのことでしょう、イリヤわかんない」

「ふふ。イリヤ、アランのことをいじめないでね」

「はい。あまりいじめないようにします」


 ってことは、少しはいじめるのね。

 前もミミズを見せてもらった時、全く同じ会話をした気がする。


 やっぱり、イリヤって面白いな。アランも、なんだかんだ言って逃げないでここにいてくれるし。

 でもこれ以上は可哀想だから、アランには部屋の外で待機してもらって……。



『楽しい?』

「え?」

「お嬢様? どうされたんですか?」

「ベルお嬢様?」

『ベルは、楽しい?』

「……貴女は」



 誰?


 そう思った瞬間、場面が一転する。



 今まで部屋のベッドに居たのに、いつの間にか周囲が真っ暗になっていた。

 いくら目を擦っても、その景色は変わらない。イリヤもアランも居ない、少しだけ寒さを感じる空間のまま。


 そこから、声がするの。いえ、私の居る近くから。

 隣とか、目の前とかじゃない。自分の中から、というのが正しいのかも。そのくらい、近くから声がする。


「愛されて、楽しい?」

「……ベル」


 周囲を見渡していると、暗闇の中からベルが現れた。無、という言葉がよく似合う表情で。声だって、起伏が全くと言って良いほどない。

 アインスが言った通り、「口数が少なく滅多なことで表情を変えない」ベルがそこにいる。


 驚いて自分自身の姿を確認すると、視界に金色のふわっとした髪が見えた。病的に細くないけどペンダコの多い手、グロスター家で良く見たドレス、それに、声も……。


 私は、アリスになっていた。


「貴女は良いね。ベルじゃないのに愛されて」

「……ベル、ごめんなさい。私、別に貴女たちを騙してるわけでは」

「だったら、言えば良いじゃない。「私はベルじゃない」って。3秒もあれば言えるでしょう?」

「……それは」

「貴女、ベルになって何日経つの? 言えないわけないわよね」

「……そうね」


 ベルは、ただ淡々とした声で私を攻めてくる。感情がない分、それは私の心によく刺さった。

 攻められて当然のことをしているから、何も言い返せないわ。


 だって、そうでしょう。

 私はアリス。ベルじゃないって、わかってるもの。

 わかっていて、このぬるま湯のような幸せに浸ってしまっているんだもの。


「私の家族、とても良い人たちでしょう」

「ええ。私にはもったいないわ」

「そうよ、自慢の家族だもの。だから、子爵だって没落貴族だって気にしていない。仕事ができなくたって、お金がなくたって、それがなんだって言うの? 私の大切な人に変わりはないのよ」

「……誰かにそんなことを言われたの?」


 その問いかけに、初めてベルの顔に表情が見えた。


 でも、それは負の感情。

 私に向かって、嫌悪の表情を見せつけてくる。


「貴女は私の家族を大切にしてるから、今はまだ何もしないであげる」

「それって、どういう……。待って。ねえ、待ってよ。私、まだ貴女に聞きたいことが」


 私の話の途中、ベルは忽然と消えた。

 そこに残るのは、暗闇だけ。でも、身体だけははっきりと見える。


「……ベル」


 いつの間にか、私はベルに戻っていた。この細い手に、銀髪に、これだけ安堵したことはない。

 私は暗闇の中、鈍い光を放つ銀色の髪の毛を握りしめる。



 どうしても、震えは止まらない。




***




「お嬢様、大丈夫でしょうか」

「へ?」

「朝からなんだか顔色が」


 ベルの夢を見て、なんて言えない。


 目が覚めてすぐは、どっちが現実なのかがわからなかった。

 イリヤの「冷や汗がすごいです!」で、やっとアレが夢だと気づいたの。

 それによくよく考えてみれば、ミミズのくだりは以前イリヤたちとした会話だった。何度も同じ会話をするなんてこと、現実じゃあり得ないわよね。


「大丈夫よ。今日のお茶会が不安で」

「左様ですか。イリヤ、一発芸でもしましょうか」

「ここで!?」


 お茶会当日。

 私たちは、城下町をゆっくりと歩いていた。

 本来なら馬車を使っていくのだけれど、私が外の景色をゆっくり見たいって頼んだの。だって、お庭には出ていたけど、お城の外は久しぶりだし。

 この通りを過ぎたら馬車が待っているのよ。そこまでは、イリヤが車椅子を押して連れて行ってくれるんだ。


 城下町は、お店が開いたばかりなのに活気に溢れている。少しでも手を離せば、はぐれそう。

 車椅子を使ってるから、人に当たらないかソワソワしちゃうわ。でも、みんな器用に避けてくれてるの。ありがたいよね。


 それに、いろんな地方の人たちが確認できる。さすが、皇帝陛下に1番近い城下町。

 きっと、ここにくれば買えないものはないのでしょう。見た限り、品揃えがとても良いもの。


「イリヤは、どこでだってお嬢様の笑顔のためならなんでも……ピクルスは勘弁」

「ふふ。大丈夫よ、食べさせないわ」

「お嬢様はお優しい」

「誰にだって、苦手なものはあるもの。アランがミミズを苦手なようにね」

「でしたら、お嬢様はお茶会が苦手ですか?」

「いいえ、緊張してるってだけ。おしゃべりするのは好きよ」

「なるほど。では、城下町を堪能して緊張を吹き飛ばしましょう」

「ええ。……こんな賑やかな場所なのね、城下町って」

「以前のお嬢様は、よくいらしていました。旦那様に言えば、少しは外出許可が出るかと」

「アインスが許してくれなさそう」

「そこはあれです。賄賂」


 そんなもので折れるアインスじゃなさそうだけど……。

 イリヤったら、すごく自信ありげな態度で車椅子を押してくれてるわ。何か、策でもあるのかしら。


 私は、膝に置いていた手で髪飾りを確認しながらイリヤに話しかける。


「イリ……」


 いえ。

 話しかけようと思ったの。でも、出来なかった。


「アレンのおすすめはどちらでしょうか」

「私は、この道を真っ直ぐ行ったところにある武器屋ですね」

「さすが直属部隊の隊長だわ。でも、私はそこに行ってもやることはないわ」

「その武器屋の隣に、練り香水のお店がございます。サレン様、いかがでしょうか」

「良いわね! アレン、案内してくださいますか?」


 私は、「アレン」という言葉に反応して口を閉ざす。

 振り返ると、そこには皇帝陛下直属部隊第一騎士団の赤と白の制服を着る男性と、どこかの御令嬢かしら、ブロンズのとても美しい髪を披露する女性の後ろ姿が見えた。


 男性は、とても良く見慣れた黒髪だったわ。

 髪の長さも身長も違うけど、あの声は。あの声は……。


「アレン?」


 その名前は、アリスの時に執事を勤めてくれた青年のもの。

 仕事の話を聞いてくれ、私に薔薇の花を届けてくれた人の名前。


 驚いて口を開くも、その2人は人混みの中に消えていく。


「お嬢様? アランがいらっしゃったのですか?」

「え?」

「さては、またサボって城下町に来てるんですね!?」

「またって……。よくサボっているの?」

「そうなんですよ! 前は、皇帝陛下が視察でこちらを通った時に」

「ふふ。アランは、皇帝陛下がお好きなのね」


 なんとか誤魔化せたかな。

 でも、イリヤの方は向けない。だって、きっと今の私は顔色が真っ青だと思うから。

 アレンの名前を聞いて、全身の血がサーッと下がっていく感覚がしたの。


 イリヤは、先ほどと同様車椅子を押してくれている。このままよろしくね。こっちは見ないでね。

 私は、視線だけをお店に向けた。イリヤが心配しないように。


「今度、お嬢様からもサボらないよう言ってください」

「ええ。お仕事を放棄するのはダメですからね。でも、アランはちゃんと勤めてくれるから少しくらいは良いのでは?」

「じゃあ、イリヤも休憩欲しいです!」

「良いわよ。イリヤも皇帝陛下を見に行くの?」

「いいえ。厨房でお菓子作りをしたいのです! お嬢様に出来立てのアップルパイを」

「却下!」

「ええ……」


 夢で「ベルじゃない」と言われたことが、頭の中を駆け巡る。

 ベルの、あの虫けらでも見るかのような表情も鮮明に。


 アレン、貴方も私がベルじゃないって言いに来たの?

 私がベルとして生きていくのを否定するの?


「お嬢様、馬車が見えてまいりました。アインスも来ているようです」

「え、ええ……。イリヤ、ありがとうね」

「お嬢様のためなら、車椅子で地球1周……いえ、2周まででしたらできます!」

「……それは、私が疲れるわ」


 私は、頭に響くアレンの声から逃れるように、イリヤが指差した方に顔を向ける。すると、アインスが微笑みながら手を振っているのが見えた。

 どうやら、いつの間にか城下町の通りを抜けたみたい。


 ……ダメね。夢の影響で、アレンの幻覚まで見て。

 今日はお茶会なんだから、楽しまなきゃ。


 アレンがこんなところに居るわけないじゃないの。名前が同じ人が居ただけよ。声だって、彼だと思うからそう聞こえただけ。

 彼は、グロスター家の執事なのだから。あの人たちは、ここじゃなくて隣地方の城下町で買い物をするのよ。


「お嬢様、お疲れ様でした。いかがでしたか?」

「とても新鮮だったわ。今度、食堂に行ってみたいの。あの、たくさん人が集まるところの」

「大衆食堂でしょうか? 良いですね。ご体調がよろしい日に、旦那様に聞いてみましょう」

「ええ」

「イリヤも行きます!」

「行きたくなくても無理矢理連れて行くわよ」

「お嬢様……! ズッ友!」

「ズッ友?」


 って何?


 私は頭に「?」を浮かべつつ、イリヤとアインスの肩を借りながら待っていた馬車に入っていく。衝動的に後ろを振り向くも、先程の騎士もご令嬢も見当たらない。

 やっぱり、幻覚だったんだ。忘れよう。


 それより、お茶会を楽しみましょう。

 サミーの直してくれた、この素敵な翡翠色のドレスで。

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