「悪」は私を離さない
「アレン、素敵な街並みですわね」
「お褒めいただき、ありがとうございます。この国一番の城下町なので、様々なものが入手可能ですよ」
今日案内を任された隣国のご令嬢は、かの有名なロバン公爵のご息女だった。
成金一家と噂されているため身構えてしまったが、蓋を開けてみればなんてことない、普通の女の子だ。やはり、偏見は良くないな。
彼女はとても素直で、見るもの全てにおいて反応を示してくれる。短時間でも、それだけはよくわかった。
なお、俺が案内役に選ばれたのは名前が似ていたかららしい。以前聞いた理由と違うじゃないか。
いつも通り、皇帝陛下は茶目っ気が酷すぎる。
「そうなのですね。アレンのおすすめはどちらでしょうか」
「私は、この道を真っ直ぐ行ったところにある武器屋ですね」
「さすが直属部隊の隊長だわ。でも、私はそこに行ってもやることはないわ」
「その武器屋の隣に、練り香水のお店がございます。サレン様、いかがでしょうか」
「良いわね! アレン、案内してくださいますか?」
「はい。こちらに……」
城下町は、今日も人通りが多い。少しでも気を抜けば、はぐれてしまうほどに混んでいる。
護衛の意味も兼ねている俺は、サレン様に手を伸ばした。
制服で来ているから、変な輩に絡まれる心配はない。迷子になる心配だけしていれば済みそうだ。
しかし、彼女の手が触れ握り返した時、俺の思考は全停止する。
「アレン?」
今、すれ違いざまに、誰かに呼ばれた気がした。
女性で俺の名前を呼ぶのは、母親と今日教えたサレン様、それに……。
「アレン、どうしたのですか?」
「……」
「アレン? 人酔いでもしましたか?」
「いえ、失礼しました。知り合いがいた気がして」
「ご挨拶しなくてよろしいのでしょうか?」
「大丈夫です。気のせいだったようで」
「そうですか。そのようなことは、遠慮せずおっしゃってくださいね」
「お気遣い感謝いたします、サレン様」
「いいえ。こちらこそ、案内してくださりありがとうございます」
気のせいだ。
死んだ人が生き返るわけはない。俺の幻聴だった。そうだとも、そうだとも。
俺は、振り返らずにサレン様の手を握りしめ前に進む。
練り香水の店に行ったら、次はどこに行こうか。宝石店が数店あるから、その中から好みのものを選んでもらって……。
違う、あのお方ではない。
「アレンはとても優しいお方ですね。私のことを、偏見の目で見ない」
「噂は噂ですから。俺は、……いえ、私は、自分が見たものしか信じないので」
「そう、嬉しいわ。また案内にご指名しても?」
「ええ。光栄の極みでございます」
似たような境遇のご令嬢を相手にしているから、勘違いしただけだ。
そうだ。
アリスお嬢様は、お亡くなりになった。
俺の力が足りなくて救えなかったんだ。この目で見たじゃないか。
俺は、あの悪魔の一家が行った埋葬方式を一生忘れない。使用人を集め、見せしめのように彼女を晒し者にしたあいつらを。
俺は、一生許しはしない。
皇帝陛下の計らいがなければ、今でもあの悪魔の庭に埋まっていただろう。
あの出来事があったから、俺は今も皇帝陛下に忠誠を誓っているんだ。
「本日は、その付近にあるフレンチを予約しております。ご一緒してくださいますか?」
「ええ、喜んで」
サレン様は、ご令嬢らしい微笑みで俺の言葉に頷いてくれる。その笑みには、やはりアリスお嬢様に似た何かがある気がしてならない。
守らなきゃ。今度は。
今の俺は、昔よりも力がある。必死に鍛えて、今じゃ皇帝陛下直属部隊の第一騎士団と第二騎士団をまとめる長まで上り詰めたんだ。この力を使って、今度こそ。
今度こそ俺は、この目の前で微笑むアリスお嬢様を守るんだ。
***
デュラン伯爵のお屋敷に着くと、赤やピンク色の立派なバラが出迎えてくれた。
とても広いお庭に、会場が用意されている。大きなティーテーブルにチェアー、それに陶磁器。全て真っ白だから、真っ赤な髪色のパトリシア様が映えるわ。
それに、彼女は「私を見て」と言わんばかりに大きめの胸を張り、そこに輝くダイヤモンドのネックレスを見せつけてくる。アランが言ったように、負けん気が強いのね。
「本日は、ご招待くださりありがとうございます。ベル・フォンテーヌと申します。このような格好で、また、侍女を側に置くことをお許しくださりありがとうございます」
「ご丁寧にどうも。私は、パトリシア・ロレーヌ・ド・デュラン。昔、あなたに1度だけ会ったことがあるのだけれど……記憶がないんじゃあ仕方ないわね」
「申し訳ございません。このように、太陽にも負けない輝きの美しい髪を持つ方を忘れるなんて」
「……いいわ、ベル。今日は、楽しんでちょうだい」
「ありがとうございます。こちら、お好きと聞いたのでダージリンの高級茶葉を用意しました、受け取って下さると嬉しいわ」
「ありがたく受け取るわ。サヴァン、受け取って」
「かしこまりました」
イリヤが茶葉の入った袋を渡すと、彼女の侍女が前に出て受け取ってくれた。
このような時は、すぐにアフタヌーンティの場には出さないのよ。毒が盛られていたら、大変だから。
本来贈り物は良くないのだけれど、今回は車椅子やイリヤを連れてきてるからそのお詫びも兼ねてね。うちの国では、そういうマナーなの。
「じゃ、席は好きにして。決まったら、サヴァンに。椅子を退かすから」
「ありがとうございます」
私が頭を下げると、パトリシア様はさも当然のような表情で他のご令嬢のところへと行ってしまう。
先ほどから彼女、子爵令嬢ばかりに挨拶周りしている気がするわ。ほら、また子爵令嬢へ行った。
取り巻きでも探しているのかしら。お母様……アリスのお母様にそっくりだから、きっとそうね。
「次は……」
主催者への挨拶を終えたら、次は招待客が誰なのかを確認しないといけない。大体の目安はつけてきたし、アランから顔写真ももらっていたから楽だわ。
見渡す限り、見せてもらった写真のご令嬢しかいない。さすがアランね、情報が正確すぎる。
それらが全て終わったら、お茶会が始まるの。
ここで顔を覚えて、スムーズにお茶会ができるようにって意味があるんだって。
「こんにちは。私は、ポレット・ロートリンゲン。あなたは?」
「初めまして、ポレット様。こんな姿で失礼します。私はベル。ベル・フォンテーヌと申します」
すると、私のところへ1人のご令嬢がやってきた。
オレンジに近い茶色の髪がご自慢なのね。見せびらかすように近づいてきたわ。
この方は、ロートリンゲン伯爵のご令嬢。とても好奇心旺盛で、他人の粗探しが趣味だとアランが言っていたのを覚えている。
ちなみに、このようなところでも爵位って重要なのよ。
自分のところよりも高いお家には「様」を、同等なら「嬢」、低いなら「嬢」か呼び捨てで相手を呼ぶの。それを間違えたら、大変なことになるわ。こういうのも事前調べが役に立つ。
今の私は子爵だから、伯爵令嬢である彼女には「様」をつけなくてはいけない。
「ベルね。すごく痩せ細ってて、可哀想。どうしたの?」
「1年間も眠っていたらしいのです。起きたらこのような姿でした」
「そう。自殺したって噂は本当だったのね」
ああ、聞かれると思ったのよ。
こんなストレートに言われるとは思っていなかったけど。
良かったわ。事前に、イリヤにこういう類のことを言われても黙っていてねって言っておいて。きっと、言っていなかったら今頃大変なことになっていたもの。
後ろで、どんな表情をしているのか見れないわ。車椅子を握る手に力が入っているのは、震えでわかる。
にしてもこの方、取り巻きもいるって聞いていたのだけれど。
……ああ、いたいた。リシャール子爵とマルタン子爵のご令嬢さまだったかしら。酷い格好だわ、深紅のドレスに真っ赤なドレスなんて。
赤を基調としたドレスは、主催者のパトリシア様の髪色と同じだから着てきてはいけないのに。そんなことも知らないのね、この子爵令嬢方は。
「ええ。でも、記憶がすっかりなくなってしまって覚えていないのです。お話しできず、ごめんなさい」
「ですって。ミレーユ嬢、サンドラ嬢」
「可哀想に。ええ、本当に」
「お気の毒だわ。これでは、男性が寄ってこなくてよ」
「お心遣いいただきありがとうございます」
こういう時は、なんとも思っていないよう振る舞うのが正解。
変に情報を与えたり引っ掻き回したりしたら、相手を怒らせてしまうもの。招かれた場所でそれをするのは、マナー違反だわ。自分の城ならともかく。
そんなのもわからない方を相手にするほど、私も世間知らずではない。
私がニコニコしながら3人の顔を見ていると、先に痺れを切らしたのはミレーユ嬢だった。次いで、サンドラ嬢。
「……ポレット様、こんな没落貴族の片隅にも置けないご令嬢を相手にすることございませんわ」
「そうですわ。それより、パトリシア様のところにご挨拶でも」
「……ええ。でも、その前に」
眉をピクピクさせたポレット様は、一礼すると真っ白なティーテーブルに向かっていく。その様子を、不審な笑みで見守る2人が、とても怖いわ。
何が始まるのかしら。まさか、こんなところで湯を浴びせられたりはしないわよね。さすがに、そんなことされたらイリヤが黙っていない。
しかし、私の心配は杞憂に終わる。
戻ってきたポレット様の手には、水滴のついたワイングラスが握られていた。これは、お水ね。
お湯だったら、グラスが耐えられず割れているはずだもの。それに、氷はないけど結露しているから100%冷たいお水よ。
「はい、お近づきの印にどうぞ。お茶会前でも、味のないものは口にして良いってマナーくらいは知ってるわよね」
「え、ええ……」
ポレット様は、そう言って不気味なほど親しい笑みを私に向けてくる。無論、取り巻きの2人も。
別に、毒は入っていない。そんなことを他人の城でやれば、爵位剥奪の騒ぎになる。だから、飲んでも害はないはず。
でも、私はそれを受け取るのを躊躇してしまう。
なんだか、身体がうまく動かないの。受け取ろうにも、腕が動かない。
体力を使いすぎた? ううん、そんなことはないはず。
「どうしたの、早く受け取りなさい。それとも、貴女は悪魔なのかしら」
「……え?」
私が固まっていると、パトリシア様がそう言って笑ってくる。
悪魔? どうして?
「もしかして、ベル嬢はこのことを知らないのでは?」
「そうね、記憶をなくしていらっしゃるとお聞きしましたし」
「ポレット様、お教えしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、そうね。サンドラ嬢はお優しいわ。ぜひ、教えて差し上げて」
「……何かしら」
そんなマナーやしきたりがあった? 最近できたとか?
だって、私のそういう知識は5年前で止まっているから。
……あれ? 5年前?
5年前……冷たいお水……。グラスで飲む……。
「あのね、ベル嬢。このお水を飲んで、悪魔の子だったら口から真っ赤な血を吐いて死ぬらしいわ。死ななかったら、その人は天使。数年前から、このようなお茶会で遊びの一貫として広まっているの」
「これからもお茶会に招かれるなら、知っておいた方が賢明よ。……悪魔の子じゃなければね」
「ふふふ、ポレット様ったらご冗談を」
「……そんな遊びが流行っているのね。知らなかったわ」
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう」
イリヤの心配そうな声にハッとして、私は震える手でそのグラスを受け取った。震えていても変に思われなかったのは、この細すぎる手のおかげかもしれない。
そうだ、この遊びは。この遊びは……。
アリスの死因に準えて広まっているものだわ。
死してもなお「悪魔の子」「悪役令嬢」と呼ばれているアリス。
しかも、こんな低俗な遊びで自身の死に様を広められて。なんて無様なの。
「飲むのよ、ベル」
私は、手に持つグラスへ視線を向けて、生唾を飲み込む。
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