01
アリスとベル
『お嬢様、そろそろ休憩を』
アレンの言葉で我にかえると、自室が薄暗くなっていた。びっくりして外を見ると、夕陽の輝きが私を照らしている。
どうやら、集中しすぎてしまったみたい。さっき朝食を摂ったばかりなのに、もう暗いなんて。
『ごめんなさい。何か、予定があったかしら』
『いえ、特に。ただ、お身体に差し支えますので、休息をと思ったまでです』
『ありがとう、アレン。でも、もう少しで終わるの』
『……では、終わりましたらお茶でも?』
アレンは、終わるまで頑として席を立たない私の性格をよくわかっている。だから、こうやって苦笑しながらも応援してくれるの。
彼の前に専属だったメイドのシャロンも、こんなふうに待っていてくれたわね。……彼女、突然辞めてしまったけど、どうしたのかしら。お別れの挨拶くらいはする仲だと思ってたのに、残念だわ。
『今日、お客様は?』
『いらしておりません』
『じゃあ、お茶は要らない。お客様が来ていれば、そこに出したお茶の出涸らしでももらおうと思ったのだけど』
『……仮にも、グロスター伯爵家の娘としてそれは感心しません』
『仮にもって何よ。私は、正真正銘のグロスター伯爵家の娘。お母様にそっくりな容姿をしてるじゃないの』
『そうですが……』
見事な金色で、腰まであるウェーブのかかった髪。毎日とかしてるから、ちゃんと艶もあるんだから。
それに、少し吊り目で、口は小さめ。顔を見た人は、私のことを「猫」と比喩するわ。
どれもこれも、全部お母様の小さい頃に似ているんだって。……今のお母様は、お化粧でよくわからなくなっているけど。
『とにかく、後少しだからやらせてくださいな。終わったら、そうね。……お庭に咲いている真っ赤な薔薇が見たいわ』
『承知しました。庭師のジェームズに言って、1本お持ちいたします』
『ありがとう。ジェームズに、後でお菓子をあげないとね』
贅沢はできない。
お茶1杯だって、領民からしたら贅沢品よ。私が飲むくらいなら、今から広場へ出向いてみんなに分け与えた方がずっとずっと良い使い方だわ。
だって、そうでしょう? 上に立つ人は、贅沢をするために居るのではないの。下の人たちに、贅沢をさせるために居るのだから。
でも、私が植えた薔薇くらいは、楽しんでも良いわよね。シャロンから貰った苗を、ジェームズと私で植えた薔薇くらいは。
『こちらで用意いたします』
『ありがとう。いつも悪いわね』
『いいえ。私は、お嬢様の執事ですから。もっとお世話させてください』
『ふふ。アレンと話していると、気が楽になる』
これ以上会話をしていると、夜中までかかってしまいそう。
私は、その言葉を最後に、再び机に向かう。
今日こなさないといけないのは、領地に新しく引く水道管の配置、それに、水を浄化させる機械をいくつ注文するのか、いくらになるのかの計算。……そうそう、水の料金も設定しないといけない。
『よし!』
私が気合いを入れると、それを見たアレンは頭を下げて出て行ってしまった。次帰ってきた時は、真っ赤な薔薇と花瓶を持っているだろう。
その光景を楽しみに、私は筆をとる。
***
「……あれ」
目覚めると、真っ白な天井があった。
さっきまで机に向かって、水道管の配置や料金設定をしていたのだけれど。それに、まだアレンから赤い薔薇をもらっていないわ。外が明るくなっているし、あのまま寝てしまったのかしら?
だとしたら、大変! まだ執務が終わっていないんだもの。皇帝陛下にご迷惑をかけてしまうわ!
「…………!?」
そう思って起き上がると、見慣れない調度品の数々が視界に飛び込んでくる。ベッドも、ソファも私の部屋にあったものじゃないわ。それに、この部屋には机がない。どうして?
「お嬢様……!? お、お、お嬢様!!!」
「……えっと」
ベッドの上で、上半身を起こしてボーッとしていると、入り口が勝手に開きメイド姿で2つ縛りの女性が入ってきた。同い年か、ちょっと上って感じね。
許可なく部屋に入ってはいけません、と言おうとするも、その女性が口を覆いながら震える姿に唖然とする。
というか、あなた誰よ?
「お嬢様、お身体はいかがですか?」
「なんともないわ。それより「旦那様ー! 奥様ー! お医者様ー! メイド長ー! それに、ええっと……と、とにかく誰か! お嬢様が。お嬢様がっ!!」」
「ちょっ、ちょっと、あなた急に大きな声出さないで」
「すっすみません! なんせ、1年ぶりですので……」
「何が1年ぶりなの?」
ここはどこ?
あなたは誰?
それに、私のお仕事はどこにあるの?
色々聞こうとしたけど、それを遮って開け放たれた扉に向かって大声を出されたわ。隣でするものだから、鼓膜が破れるかと思った。……え、破れてないわよね? うん、大丈夫みたい。会話は出来ている。
1年ぶり、という言葉が引っかかった私は、目の前で大興奮する女性に話しかけた。すると、
「……ま、まさか、記憶喪失!? それとも、記憶抹殺!?」
「その2つの違いは何かしら……」
「口調まで変わってしまっております! もしや、ベルお嬢様の第二人格なんてことも……」
「ちょっと、私のことなんだと思っているのよ。それよ、り……」
待って。
今、この人私のこと……?
「ねぇ、今私のことなんて呼んだの?」
「へ!? ベ、ベルお嬢様とお呼びしましたが……。もしかして、第二人格のあなたはお名前が違うのでしょうか!?」
「……ベル、お嬢様?」
「しっ、失礼しました! 第二人格のお嬢様、お名前をご教示いただけませんでしょうか!?」
「……ベル」
「まだ名前がないのでしたら、ぜひ私、イリヤが命名して差し上げ……いえ、命名させていただけると」
私は、イリヤと名乗ったちょっとズレたメイドの言葉を全く聞いていなかった。
それよりも、自分が「ベルお嬢様」と呼ばれたことが気になって。
私の名前は、アリス・グロスター。ベルなんて名前じゃない。
「……痛っ」
「おおお、お嬢様!? ご乱心ですか!?」
「い、いえ。鏡が見たくて」
ちょうど対角線上にあった化粧台が目に入った私は、そこに向かって移動しようとした。けど、ベッドから出ようと足を地面につけただけで、痛みが全身を駆け巡る。
私は、怪我でもしたのかしら? でも、見た限り怪我なんて……!?
「……え?」
下を向くと、視界の両端に見慣れないものが飛び込んでくる。
「私の髪が……」
「ふふん。毎日、イリヤが櫛を通しましたからトゥルントゥルンでしょう。もっと褒めてくださっても良いのですよ、お嬢様」
「……銀色」
「さあさあ、鏡で全体を見てください。とても寝起きとは思えないほどの仕上がりですよ、イリヤ頑張りましたから」
嘘よ。私は金色の髪だったはず。
それに、こんなストレートじゃないわ。
私は、イリヤから鏡を受け取り自分を映した。けど、いくら映しても自分が鏡の中に入ってこない。
そこにいるのは、ストレートで美しい銀髪を披露した、とても線の細い女の子だけ。
「イ、イリ「ベル!」」
「ああ、ベル! 私の可愛いベル!」
「どいたどいた。まずは、脈を測らねば」
「私は、料理長を叩き起こしてきます!」
イリヤに「鏡が壊れている」と言おうとするも、開けっ放しの扉から次々と入ってきた人々によってかき消された。
そして、ワラワラと私の周りを囲むように集まってくる。
「ああ、頼んだ。ベルの好きなサーモンサラダを」
「ちょっと、1年も固形食を食べてない子に何食べさせるつもりなの!? 殺す気!?」
サーモンサラダと言った中年男性は、その隣で眉を釣り上げている中年女性に咎められ、顔を真っ赤に染めていく。
そして、隣では淡々と私の腕を取る初老の男性。……の、後ろでこれまた泣きそうになっている燕尾服の青年に、イリヤ。……全員知らない人だわ。
今、「サーモンサラダはなし」とぶつぶつ呟きながら出て行った年配女性も見たことがない。
「我が子を殺す親が何処にいるんだ!? こんな痩せ細ってしまって。……ああ、ベル」
「フォンテーヌ子爵、うるさいですぞ。脈が聞こえん」
「なんだって!? ベルの脈がないだと!?」
「お前がうるさくて聞こえんだけだ! 黙れ!」
「あ、あの!」
このままでは埒があかない。
そう思った私は、思い切って声を張り上げてみた。
すると、今まで言い争いやグスグスと声を出して泣いていた人たちが静かになった。
「なんだい、ベル」
「騒がしくてごめんなさいね。せっかく起き上がれたのに、この人ったら」
「1年越しの娘との再会だぞ! 喜ばない親の方がおかしい!!」
「私だって、わ、私だってぇ……」
「えっと……」
ああ、中年女性までもが泣き出してしまった。これで、初老の男性以外、泣いていない人がいなくなったわ。……ああ、私も泣いていないか。
「とりあえず、ここどこですか? 後、貴方達はどなたですか?」
「え?」
「え?」
「え?」
「え?」
「今、なんて?」
「ですから、ここはどこで、貴方達はどなた様なのか聞いたのですが……」
私が質問をすると、全員がピタッと泣き止んだ。そして、「え?」の嵐。
こう見ると、みんな同じ顔してるわ。なんだか、ちょっとだけ面白い。
「ここは、フォンテーヌ子爵家の貴女の寝室ですぞ。そして、ここにいるのは、左から父、母、専属メイドに専属執事。私は、貴女の主治医のアインスと申します」
「……私は?」
「貴女様は、ベルお嬢様。フォンテーヌ家唯一のご息女、ベル・フォンテーヌお嬢様でございますぞ」
いいえ、面白いなんて言っていられない。
だって、私はアリス・グロスター。ベル・フォンテーヌではないのだから。
「……夢。そう、これは夢だわ」
「ベルお嬢様?」
「夢、夢。だって、こんな、こんな……」
「お嬢様!?」
「ベル!?」
「ベル、しっかり!」
だって、こんなことってある?
さっきまでアリスだったのに。さっきまで、アレンと一緒に居たのに。
アレン、アレン。早く迎えに来て。早くしないと、締め切りが。
なんて思っていると、目の前が真っ暗になっていく。
ああ、やっぱり夢だったんだわ。早く起きてお仕事をしないと。皇帝陛下に、ご迷惑をおかけするわけにはいかないわ。
早く、早く。
アレン、私に真っ赤な薔薇をちょうだい。それを見れば、きっと寝ぼけ頭もすっきりすると思うの。
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