愛されたくて、飲んだ毒

細木あすか

プロローグ

私は邪魔者だった


 アリス・グロスター、16歳の冬。


 その日はいつもより暖かく、それでいて、何だか背筋が凍るような寒気を感じる朝だった。



「おはよう、アリス。よく眠れたかい?」

「アリス、早く席に着きなさい。朝食の時間よ」

「母さん、そんな怖い顔しちゃだめだよ。せっかくの朝が台無しじゃないか」

「そうさね。笑顔、笑顔」

「うんうん」


「おはようございます、みなさま」


 いつもなら、起床後は自室で軽い朝食を摂って執務をするのにおかしいな。

 今日は朝からメイドたちに囲まれ、いつの間にか着飾られていた。こんな服、いつの間に買ったんだろう。……きっと、お母様のお下がりね。


 なんて考えている間に、私はダイニングの扉の前に立っていたの。その隣には、いつも通り澄まし顔で立っている専属執事のアレンが。「こんな素敵なドレス、着るの久しぶりだわ」と声をかけると、「お似合いですよ」と返してくれた。


「お嬢様、お席は」

「わかってるわ。お兄様の隣よね」


 数ヶ月前からお世話をしてくれているアレンの言葉を遮り、私は家族の方へと近づいていく。


 家族揃って食事をするなんて、何ヶ月ぶりだろう。最後に食べたのは、確か皇帝陛下の訪問があった半年前だった気がする。その時の専属は、アレンじゃなくてメイドのシャロンだった。

 それからは、執務に追われてゆっくり食事する時間なんてなかったの。それに……。


「おいで、可愛い妹よ」

「ははは! ジョセフは、本当に妹思いの模範的な兄だ」

「本当、ジョセフはグロスター家に相応しい後継だわ」

「妹を可愛がるのは、兄の役目だからね」

「ありがとうございます、お兄様」


 会話をしつつサッと見渡すと、また新しいものが増えている気がした。


 全員の服はもちろん、見たことのない椅子や机、置物などの調度品の数々。それに、ワインだってラベルを見る限り年代物で、きっと領民1年分の食事が買えると思うわ。


 また領民から搾取したの?

 それとも、従えているどこかの男爵家からもらった賄賂?


 だって、そうでもしないとグロスター伯爵家にお金なんてあるわけないんだもの。

 見栄っ張りな父親に派手好きな母親、父方の祖父母だって負けちゃいない金遣いの荒さ。それに乗っかる兄も、相当な人物だわ。


 私は、そんな家族についていけなかった。


 だから、表向きは仲の良い家族なのだけど、裏を覗けば私なんて居ないかのように振る舞われているわ。

 それでも、私が伯爵家に課せられた執務……領主の管理から社交界の動向調査、皇帝直下に配属されている閲覧室の書籍選定まで全て請け負っているから、無下にはされないってだけ。だって、これをしないと爵位を剥奪されてしまうんだもの。まあ、だからってこの人たちが「やる」と言うはずがない。「面倒」なことは、全部私に押し付けるのだから。

 でも、私はこの仕事が好き。下手に首を突っ込まれないから、自分の好きなペースで進められる。


 こんな伯爵家で良いのかって?

 私だって、何度も注意したわ。


 任されている広大な土地に、住んでくれている領民たちのために。そして、信頼してお仕事を任せてくれる皇帝陛下のために。

 でも、お父様もお母様もみんな、口を揃えて「お前がおかしい」って言うの。せっかく与えられた地位なんだから、それを利用しなくてどうするのだ、と。


「ほら、そんなところに居ないで、座って食べましょう」

「そうだそうだ! 今日は、みんなで食事をする日なのだからな」

「はい、お父様、お母様」


 今日は、どうしたのかしら。

 もしかして、皇帝陛下の来る日? いいえ、それは再来週のはずだわ。

 スケジュールに変更があれば、私の耳に届かないはずはないもの。思考をフル回転しても、理由がわからないわ。


 うーん、ただ単に一緒に食事を摂りたくなったのかもしれない。

 あまり疑ってても仕方ないわね。お父様たちは気まぐれだから。食べ物も不味くなっちゃうし。

 そう結論づけた私は、アレンが引いてくれた席に腰掛ける。


「アリスの好きな、ブラッドオレンジのタルトを用意したよ」

「ありがとうございます」

「それに、ローストビーフも!」

「紅茶は、南海から取り寄せた最高級のダージリンよ」

「メインは、オマールエビのポワレだ」

「恐れ入ります。ありがたくいただきますわ」


 ……全部、貴方たちの好みでしょう?

 私の好みなんて、知らないくせに。


 でも、私はまだ諦めていない。

 いつか、……いつか、この人たちに自分たちがしていることがどれだけ周囲の人間を苦しめているのか、わかってもらいたいの。

 どんどん痩せ細っていく大地、家畜、そして領民たち。この風景を見て心が痛むまで、私は言い続けるわ。


 だって、こんな人たちだって、今まで私を育ててくれた家族ですもの。

 ……こんな家族だって、私にとっては大切な人たちだもの。


「うむ、では食べようじゃないか」

「そうね!」

「料理が冷めてしまう」

「……」


 食事前の祈りはないのね。

 この作法を教えてくれたのはお母様、あなただったのに。


 私は、机の下で簡易的な祈りを捧げてからフォークを手に取る。

 祈りと共に、このような豪勢な食事を口にしてしまうことに対する謝罪も。


 今、この瞬間、領民たちが餓死しているというのに。

 きっと、私にあてがわれたお金を必死に工面して領民に渡したって雀の涙にすらなっていないと思うわ。


「どうだ、うまいだろう」

「ええ、とても美味しいわ」

「でも、ちょっと味が濃すぎない?」

「そうか?」

「アリスもそう思うわよね?」

「少し濃いとは思いますが、冷たいお水の美味しさが活きてちょうど良いですわ」

「ははは! 水がうまいなんて、君も面白いことを言うな」

「そうね、あんな味気ないもの」

「アリスの好みを悪く言わないでくれよ、父様、母様」


 領民には、こんな透き通った水だって手に入らないのに。

 ……だめよ、アリス。顔に出しちゃダメ。もう少しの辛抱じゃないの。料理長、早くメインを運んできて。いいえ、全部一気に運んできて!


 そう思いながら、クールダウンさせるために水の入ったグラスを傾けた。



 それが、私の人生を終わらせるものだったなんて、思いもしなかったの。



「……っ!?」

「お嬢様!!!」


 冷たい水を飲み込んだ瞬間、食道から胃にかけて火傷するほどの熱さを感じた。……と思った瞬間、視界が真っ赤に染まっていく。


「あはは! やったわ! やっと、この日がきたわ!」

「これで、うるさいやつがいなくなるぞ!」

「アリス、お前が悪いんだぞ! もう聞こえてないだろうが!」

「熊も一撃の猛毒だ、もう死んでいるさ!」

「口うるさいお前には、お似合いの最期だな! 口から存分に吐くが良い!!」


 悪いけど、全部聞こえてるわ。

 でも、私はそれに反論できない。口を開こうとするけど、出てくるのは言葉じゃない何か。


 真っ赤に染まった視界が、徐々に黒く塗りつぶされていく。

 先ほどまで握っていたグラスは、ちゃんとテーブルの上に置けたかしら。あんな繊細な彫刻がされているグラス、高価なものに決まっているわ。それを壊すなんて。もう、領民にも皇帝陛下にも顔向けできない。


「お嬢様! お嬢様!」


 アレン、グラスが割れてないか確認してくれる? それに、私の着ているドレスが汚れてないのかも。私には、見えないの。


 あと、今日締め切りの貴族会の予算と会場の配置、今すぐ持ってきて欲しいわ。ああ、ペンもね。

 何だか、身体が重くて動けなくて。いつも頼ってばかりでごめんなさいね。


 こんなことになるなら、昨夜のうちにやっておくべきだったわ。

 


 

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