第2話 ニューゲーム
広大な青空と草原が目の前に広がっている。
俺は、右手をさっと上げた。
空中にいくつものメニュータブの並んだウインドウが現れる。
俺は、一番上のステータスのボタンをタップした。
ウインドウに自身のアバターのステータスが表示される。
そこにはさらにいくつかのボタンが表示されており、それを叩くことで、装備や設定中のスキルなどの詳細が分かるようになっている。
俺はボタンを一つずつ押し、切り替わる表示の内容を確認していった。
全て確認し終えた後は、ステータスのウインドウを閉じ、今度は上から二つ目のボタンをタップして、同じように一つずつ表示を確認していく。
そうやってウインドウに並んでいるほぼ全てのボタンの表示を確認した後、俺は声を上げた。
「表示に問題はありません」
「よしわかった。ログアウトしていいぞ」
空から声が聞こえる。
俺はその言葉通り、メニュータブの一番下にあるログアウトボタンを押した。
ウインドウに『ゲームからログアウトしますか?』という文章と、『はい』と『いいえ』の2つの選択肢が現れる。
俺はまだ唯一押していなかった『はい』のボタンを押した。
最初に感じたのは、体の背面への柔らかい感触。次に光。
俺はゆっくりと目を開けた。
白い天井が目に入る。
俺は上体を起こし、ヘルメット型のインターフェイスを外した。
「お疲れ。お前今日は午後から有給取ってたな。もう上がっていいぞ」
横から先ほど仮想空間で聞いたものと同じ声がした。
さっきまで俺がプレイしていたゲームの開発主任の菊池さんだ。
また、なにか調整をしているらしくPCのキーボードを慌ただしく叩いている。
「お疲れ様です」
俺は寝ていたベッドから立ち上がり、開発チームの面々に挨拶してから部屋の片隅に置いてある自分のバッグを取って、部屋を出た。
そのままエレベーターで1階まで降り、会社を出る。
正午のオフィス街は、多くの人々でごった返していた。
俺は駅前を目指して歩き始める。
呼吸をする度、様々なにおいが鼻孔に流れ込んできた。
日に照らされたアスファルトのにおい。自動車の排気ガスのにおい。人のにおい。
それら全てが複雑に合わさり、街の匂いというものを形成している。
外に出てこのにおいを嗅ぐ度、俺は現実に戻ってきたのだと、自覚する。
三千人以上のプレイヤーが、仮想空間内に囚われた『アスガルド事件』。
その内の2割がコクーンの放つマイクロウェーブによって脳を焼かれ命を奪われた、フルダイブ型ゲーム機による史上最悪の大事件の首謀者は、アスガルドのゲームプランナーであり、コクーンの開発者でもある、『明神明』という人物だった。
彼が一体何のために、こんな事件を起こしたのかは分からない。
彼は、プレイヤーをアスガルドに幽閉した後、その行方をくらました。
そして、アスガルドがクリアされ、プレイヤーが解放されてから、一週間後、某県の山奥の山荘で、首を吊った状態で見つかった。
真相は闇の中だ。
アスガルド及びそのゲームハードであるコクーンの開発会社『ニューワールド』は、事件の責任を問われ、被害者への莫大な補償金を請求されたことで、倒産した。
あれだけの事件を起こしたことから、一時期はフルダイブゲームそのものが規制されそうになったらしいが、それでも仮想世界での新たな体験を求める人々の欲求を止めることはできず、『完全な安全性』と銘を打たれた新たなフルダイブ型ゲーム機が発売され、それに対応するソフトも作られ続けている。
あれから1年、衰えた筋力を取り戻すためのリハビリを終えた俺は、三神の口利きで三神アーツにデバッカーとして雇って貰い、実家を出て一人暮らしを始めた。
俺ももう21歳だ。大学に通っているわけでもない以上、いつまでも親の脛をかじって生きていくわけにもいかない。
しばらくして、ふと人混みの中に見知った顔を見つけて俺は足を止めた。
向こうもこちらに気付いたらしく、目を丸くして、こちらに向かって歩いてくる。
「よう、久しぶりだな」
「芹名!」
俺は、目の前の男の格好に目を向けた。
私服姿の────ゲーム業界ではそれほど珍しいことではない────俺に対して、芹名は紺色のビジネススーツを身に着けており、革製の黒いカバンを右手に下げていた。
かつてアスガルドで毎日のように顔を合わせていたアバターとまるで顔つきは違うが、長身で全体的にひょろ長い手足などの印象は、あの頃と同じである。
VR-MMORPGでは自身のアバターの容姿を設定する際、現実の肉体と動かし方に差異が出ないよう、体格だけは現実と同じ設定にするからだろう。
最も当然中には、身長などある程度サバを読んで、設定する者もいるにはいるのだが。
「仕事中か?」
「ああ、朝から取引先回りだ。お前は?」
「今日は、早上がり。今は予備校行くところ」
「そうか。にしてもお前結局三神のとこで、デバッカーやってるんだよな? よくあんな目に遭っていながらフルダイブゲームやれるな」
「芹名は、もうフルダイブゲームはやらないのか?」
「一生やらねえってほど、深いトラウマになっているわけじゃあねえが、当分の間はいいわ。毎日忙しいしな」
そう言って、肩でも凝っているのか、芹名は左肩を回す。
「それにしても、芹名が営業かあ。マルユウ商事って言ったら、けっこう有名な上場企業だろう。よく受かったな」
俺は再びまじまじとスーツ姿の芹名を見た。
アスガルド事件の後、芹名は三神アーツには入らず、自力で就職した。
マルユウ商事は知名度が高く、業績も安定していることから人気の高い企業だ。この間まで、引きこもりをやっていた人間が内定を貰えたのは奇跡としか言いようがない。
「ああ。アスガルド事件の当事者になって人生観変わったとか、生まれ変わったとか面接で言いまくってたら、運よく受かってな。あの事件でもそうだが、その前からも大分心配かけさせてしまっていただろうし、いい加減地に足つけて生きねえとな。ま、俺なりの親孝行ってやつだ」
遠い目をして、芹名は笑う。
「まあ、でも出世具合ならあいつの方が上だろう」
そう言って、芹名は俺の背後を見上げた。
俺は後ろを振り向く。
背後に建つビルに街頭ビジョンが設置されており、そこにニュース番組が映し出されていた。
『フルダイブ型ゲーム機の今後について考える』という議題で司会者と何人かのゲストが討論をしている。
そして、ゲストの一人が、狩野だった。
「狩野ももうすっかり時の人だな」
俺はしみじみと呟く。
現実に戻った狩野は、宣言通り、アスガルドでの出来事を本にして、出版した。
世間の関心を大いに集めていた事件の当事者の自著というのもあり、初版は3日の内にほぼ売り切れ、それから重版に重版を重ね、売り上げ200万部以上のベストセラーとなった。
そうして、一躍有名人となった狩野は、そのお調子者キャラによって人気を集め、今やフルダイブゲーム関係の番組だけでなくバラエティー番組などにも数多く出演している。
ちなみに、その本には俺達オラクルナイツのメンバーも登場しているが、プライバシー上の問題から当然実名は伏せさせている。
「っていうかあいつ、マジで最終的には政治家目指す気なのか?」
呆れ気味に芹名が言う。
「しっかし、皆、前までニートかフリーターだったのに、変わるもんだよなあ」
「まあ変わっていない奴もいるがな。佐藤の奴は、まだ引きこもってるらしいし」
「ああ、でもいい加減、貯金も底をついたみたいだから、まとめサイトの運営を始めるとか前言っていたぞ」
「結局、引きこもりなのは変わってねえじゃねえか」
「いいんじゃないか。自分で生活費稼ぐ気があるんなら」
確かに世間一般的に言えば、健全な生活とはいいがたいだろうが、などと考えていると、芹名が聞いてきた。
「それで、お前の方はどうよ。受かりそうなのか?」
「うーん。一応模試の判定ではギリギリ合格可能圏には入っているんだが、これからもっと上げないと厳しいな。やっぱり、丸々数年サボってたのがでかい」
俺は、眉をしかめる。
もう今年のセンター試験まで半年を切った。
大学入試に年齢制限は無いとはいえ、できることなら、今年で受かりたい。
「しっかし、東応大学つったら日本の大学の中でもトップクラスの難関校だろう。もうちょいレベル下げてもいいんじゃないのか?」
「いや、やるからには本気でやりたいからな」
「フルダイブ技術の研究か......」
芹名の言葉に俺は頷く。
「ああ、フルダイブ技術の発展によって、アスガルド事件が起き、多くの犠牲者が出た。あんなことはもう二度と起こしてはならない。でもやっぱり俺はフルダイブ技術は、正しい使い方をすれば多くの人達を幸福できるものだと思ってるんだ。俺はその可能性を追求したい」
現実に戻ってから、俺はどうすればより多くの人達の役に立てるか考えた。
そして、フルダイブ技術について学ぶことにした。
元からフルダイブ技術の研究には興味があった。しかし、フルダイブ技術は現代科学の最先端だ。自分なんかに務まるものじゃないと思って、挑戦する前から諦めていた。
だが、あの時、俺は誓った。
自分の人生を本気で生きると。
俺は、もう自分の本心から目を背けたくない。
だから、フルダイブ技術の研究が盛んな東応大学への進学を決めた。
「ま、お前の人生だからな。好きにすりゃあいいさ。......っと、そろそろ行かねえと。じゃあな」
芹名は、オフィス街の中心部へと向かって歩き出した。
しかし、途中で振り返って言う。
「そうだ。また、皆で集まって飲み会しようぜ」
皆というのは、一緒にアスガルドを攻略した、仲間達のことだ。
現実に戻って、リハビリも済んだ後、俺達は一度集まって、打ち上げをした。
今でも、皆とは定期的に連絡を取り合っている。
「うーん。声はかけてみるけど、全員集まるかな。皆前みたいに無職かフリーターってわけでもないし。井下とかバックパッカーになって本当に世界を回っているみたいだからな」
「まあ、すぐにとは言わねえさ。生きてさえいればその内機会はあるだろう」
そう言って、芹名は人混みの中に消えていった。
俺も予備校へ向かって歩き出す。
1年前、俺達のデスゲームは終わった。
だが、この先も俺達の人生は続いていく。
皆、これまでとは違う新たな道に進んでいるが、これからも俺達の人生には色々なものが待ち受けているだろう。
それは、試験だったり、現実だったり、恋愛だったり、自分の夢だったり、あのデスゲーム以上に大きなことがそうそうあるとも思えないが、困難に直面する度、きっと何度も悩んだり立ち止まったりするはずだ。
人生が続く限り、何かの後には、また何かが始まる。
そうやって、誰もがまた次の何かに向かって歩いていく。
デスゲームの終わり 赤佐田奈破魔矢 @Naoki0521
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