客の来る家

ドント in カクヨム

Gさんの話

客のいる家



 役所の福祉課にお勤めだった、Gさんに聞いた話。

 特定される恐れのある情報は全て改変した上でなら、という条件で、公開することを許していただいた。

「わたし、今でも怖くて……なにせ、生きている人が関わってる話ですから……」



 夜中に、騒音を出す家があったそうである。

「2か月ほど前から、10人くらいが夜中に大声で話したり笑ったりする。うるさくて眠れない」

 そんな苦情が役所に届いた。


 ただ妙なことに、その家にはおじいさん一人しか住んでいない。 

 数年前に奥さんを亡くし、息子夫婦とも折り合いが悪く一緒に暮らせず、近所付き合いもない80を越えた老人であるらしい。昼に友人や旧友が来ることもないし、買い物以外は出かけることもない。


「おかしな話でしょう。じゃあ誰が来てるのかってことですよね。しかも、夜に」 


 いやがらせ目的でテレビの音を大きくしているのではないかとも考えられた。だがその老人、騒ぎの翌朝になって近所の人とすれ違う時に「昨晩はすいません」と一言、謝るらしい。

 変な宗教やマルチまがいの販売員が、夜中に騒ぐわけがないだろう。しかも楽しそうに。

 加えて、大騒ぎが繰り広げられているのに、家の電気は消えたままらしいのだ。真っ暗である。

 いよいよもってわからない。気味が悪い案件だった。



 ……で、これ、誰が対応するの? と役所内でたらい回しが発生した。

 それで最終的に「独居老人だから」「認知症かもしれない」などとの理屈で、福祉課のGさんの元に流れてきたというわけである。 

 Gさんはとりあえず、「独り暮らしのお年寄りの健康診断」との建前で、その老人宅へと出向いてみることにした。



 昼過ぎ、Gさんは役所を出て、その家に出向いた。

 住宅街の中にある、ごく普通の一軒屋だった。

 インターホンを押すと、「はぁい」と返事が聞こえて、老人が出てきた。


 Gさんは驚いた。

 老人は、セーターを着ていた。 

 季節は夏、8月である。特に暑い日だった。

 そのセーターも、よそ行きか来客用のような小綺麗なものだ。部屋着には見えない。

 不精髭もなく、髪型も整っている。まるで今日、客が来ることを見越していたような服装だった。 

 老人の挨拶も奇妙だった。「どなたですか」でも「ご用件は」でもなく、いきなり「いらっしゃい」と笑顔でGさんを迎え入れた。

 偏屈な爺さん、騒がしい老人のツンケンした出迎えを想像していたGさんは、とにかく不気味に思ったという。




 男の老人の独り暮らしにしてはよく掃除してある玄関を上がる。少し萎れているが花まで飾られている。このおじいさんの趣味という感じではないのだが。

 廊下を通って、居間の和室へと通された。 

 ごく普通に麦茶を出された。暑いのに、部屋には冷房がついていない。Gさんは薄着なのでかまわなかったが、老人の方は額に汗をにじませていた。

 年をとったり認知症になると、気温の変化や体温がわからなくなることがままある。Gさんは形ばかりの問診票や血圧計を準備しながら、様々な可能性と選択肢を思い浮かべた。


「健康診断」をやりながら、世間話をしていく。

 なるほど、どこか会話が噛み合わない感触がある。それにちぐはぐなくらいに明るく、やけに闊達な受け答えだ。「躁」の症状かもしれないが、断言はできない。

「夜の騒ぎ」のことは、初回の面談では判断がつきかねる。

 家の中はしぃん、と静まり返っている。老人以外の生活臭も、人の気配すらまるでない。間違いなく独り暮らしだ。

 ひとりで騒ぐならともかく、この老人の元に10人近い来客があるものだろうか。それも夜半まで。


 Gさんはごくさりげなく、「夜の騒ぎ」について話を持ち出した。

 無論、苦情があった旨は伏せておく。「そういえば最近、夜にこの道を通ったことがあるんですが、大変にぎやかで……宴会? か何か、されてたんですか?」



「あぁ、あれですか。あれねぇ、よくお客さんが来るんですね」

「あぁ、お知り合いの方が集まって。それは楽しいですよねぇ、みんなで盛り上がるのは」

「いえ。そうじゃないんです。知り合いではないんですよ……。どう言ったらいいかなぁ……」

 Gさんの言葉を否定しつつも、老人は何故か少し、嬉しそうな表情を見せた。



「最初はねぇ、花だったんですよねぇ」


 最初? 花?

 どういうことですか? とGさんは尋ねた。


「お花がね、捨てられてたあったんです。道に」

 そんな乱暴なことをする人がいるのか、とGさんは思った。ひどい話ですねぇ、この近くですか? 

「えぇ。この近くの、●●スーパーのある交差点の、電柱の下に」


「えっ」

 Gさんは絶句した。

 そこは数ヵ月前、女性が車にはねられて亡くなった場所だ。自分と同い年だったから、よく覚えている。 


 老人は続けた。


「買ったばかりのお花ですよ。綺麗な菊の花束で。どうしてこんなところに捨てるのかな、と悲しくってね。

 これじゃあ枯れちゃうし、可哀想だなとね、捨ててあるものだからいいかなって、私、拾ってきたんです。

 そうしたら、不意にね。いらっしゃったんですよ」



「いらっしゃったんですよ」

 の瞬間、Gさんは背筋がゾッとして振り返った。


 家の中が、一瞬で人の気配でいっぱいになったからだ。


 さっきまでからっぽだった屋内のそこかしこに、「何か」の存在感が立ち現れた。 

 物音や声などはなかった。Gさんにはそれが、肌身の感覚で確信できたのだという。

 誰かがいる。

 たくさんいる。


「あぁ、ほら。いらっしゃいましたね」

 老人が穏やかに言う。


 居間の中が一気に寒くなった。エアコンも扇風機も何もないのに。とてもではないがこの夏の薄着では──と考えてGさんは気づいた。

 だから老人は、セーターを着ているのだ。

「客」が来ると、家の中が寒くなるから。



「妻を亡くして寂しかったんですけれど、久しぶりに家に来客があったもので。私、嬉しくてねぇ」 


 老人は気恥ずかしそうに、微笑みながら言う。


「しかもね、朝になるまでいてくれるんですよ。ほら、一人じゃないだけで、家の雰囲気が全然違うでしょう。

 ああそうか、捨ててあるものを拾ってあげると、お客さんが来てくれるんだな、とわかったんです。お礼に来るんだな、って。

 それで、車で市内をぐるぐる回ってみたんです……そしたらねぇ! 本当にたくさん捨ててあるんですよ!!」


 老人はいきなり激昂した。大きな机の端を平手で叩く。


「ひどい世の中ですよ! 花とかね! お菓子とか! 火のついた線香まで捨ててあって! 危ない! 火事になります!!

 そういうのもひっくるめて全部ね! 僕が回収したんですよ!! 町中のそういうポイ捨て! ね!?」


「えぇ、えぇ、本当に、ご苦労様です」Gさんは腕をさすりながらなだめた。震えが来るのは、寒さのせいばかりではない。


「町のためを思ってね! やってるんですよ! お菓子はちゃんとゴミとして捨てて!! 花は枯れるまで生けてあげてね!!  

 ……そうしたら、たぶん私の行動に心打たれた人たちがねぇ、家に毎晩のように、来てくれるようになったんです」


 老人は再び、穏やかな口調に戻った。


 このタイミングしかない、と思った。

「あの、血圧も問診も終わりましたので、今日は、私はこれで」


 挨拶を簡単に切り上げようとしたその時、

 ごとん、と居間の隣の襖が鳴った。

 隣はたぶん座敷だ。

 誰かいる。いや、何かがいる。 

 襖の真ん中が、ぐうっ、ぐうっ、と膨らむ。向こう側から押しているのだ。出てきたがっている。

 襖が外れそうだ。いま倒れてもおかしくない。


「ああ、こちらの方もいらっしゃったんですね」

 中腰になって固まっているGさんを尻目に、老人はよっこいしょ、と言いながら立ち上がった。襖に近づく。


 

「こちらがね、最初の花を拾った時に、いらっしゃった方なんです」 

 老人はなんの気負いもなく、襖を開いた。


 ぬっ、と女の顔らしきもの出たのを、Gさんは見た。

 女が不自然に大きな口を開けた。

 大声で笑った気がした。


   




 ──そこからは、あまり覚えていないという。

「気づいたら、すごく離れた街角の壁に手をついてて……死ぬんじゃないかってくらい息が切れてて。すごい勢いで走ってきたんですね」


 偉いもので鞄は小脇に抱えていたし、靴は片手で握り潰すように持ってきていた。



 役所に戻る道すがら、どう報告したものかと悩んだものの、うまい言い訳も思いつかない。上司にありのままを伝えることにした。 

 上司はさほど驚かなかった。ただ、「あぁ、それでかぁ」とだけ言った。

「最近さ、交通事故の現場に備えられてる花やお菓子がなくなる、って話が上がってきてたんだよね。ホームレスかなと思ったんだけど、そうかぁ」

 納得したようにそう呟くだけである。


 あのう、どうしましょう。

 Gさんは震えながら聞いた。

「どうするって?」と上司は平然と聞き返してきた。

 あのおじいさん、あのままでいいんでしょうか。近所の方には、どうお知らせすれば。あと部長にも……


「いいっていいって。適当にやっておくから」

 上司の答えはそれだった。


 じいさんには「夜は静かにしていただけますか」って手紙を出したらいいし、近所には注意したって言えばいいし。

 それでも騒がしいようだったら、警察なり心療内科なりに頼んだらいいじゃない。ひとまず、様子見だよね。

 報告書もまぁ、こっちで適当に作るよ。君は大変だったろうから、俺がうまいことやっておくよ。

 あのね、そういう変なの、役所だとたまにあるから。覚えておいた方がいいよ。



 そのようにして、家の一件は実質、放置された。



 あれからあの家がどうなったのか、老人や「客」たちはどうしているのか。

 Gさんは気にはなっているものの、ずっと調べられずにいるという。


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