モズの早贄が庭の木にあったので

モズの早贄が庭の木にあった。

まさかこんな住宅街の中にある家の庭の木に……!?と驚いた。図鑑などでは見た事があったけれど、思わずじいっと見入ってしまう。たぶん、ちょっとニヤニヤしてた。我ながら気持ち悪いなわたし。


幸い、獲物となったのは虫。たぶんバッタかな……(上半身は既になかったので判断しにくい)。これがさすがに鳥類などであったなら、わたしは朝から声をあげていたと思う。でもきっと、ニヤニヤして見ていたかもしれないとも思う。



これはモズの早贄に限らず、よくある事なのですが……。本やテレビなどのメディアなどで見た現象などを実際目の当たりにしたとき、わたしは思わず食い入るように見入ってしまう癖があります。

誤解を招きそうなのであえて捕捉すると、その現象というのは命に関わる危機的レベルのようなものではなくて、自然界における現象をベースにしたものに興味があると言いますか。うーん、うまく言葉が出てこない……。


じゃあモズの早贄なんて、虫であっても命に関わっているけれど?と言われたら、頷くことしかできない。まさにそれは事実だ。


でもなんというのか……。

このモズの早贄というのは、自然界で生きるモズが生き抜くためにしていることであって、自然の摂理の中のひとつであるようにわたしは捉えている。

だから、命に関わる危機的な現象というものからはちょっとズレている、と思っている。異論は認める。



あえてモズの早贄以外の例え話をすると、シュレディンガーの猫という方式がすごく気になっていて。

きっかけは好きなアーティストさんが曲名にシュレディンガーの部分を使っていたことから調べてたどり着いたこと。そこであの難解なシュレディンガーの猫の法則の意味をひたすら調べた。


その法則を語った説明書きをいくつも読んだけれど、なんともすんなり身になる試しはなく……。


そんなある日。すんごくわかりやすいシュレディンガーの猫の法則を写した写真を見つけ、ああこれはわかりやすい!!としっくりきた。


こういう知識として知っていたことを目にした。その瞬間が本当に気持ちいい。感動するのである。



最近はそういう瞬間が連鎖的に起きていて、日常の中に小さな喜びと感動がひしめいていて幸せを感じる。寒さとダルさで憂鬱となる日も、この瞬間があるからこそ、その1日素晴らしい日だったと思えるのだ。


ちなみにこの感動を夫と息子にも分かち合いたいと話をした。このときはモズの早贄の話を話題にしたので、「図鑑で見て知ったんだけど、モズの早贄がうちの庭にあったよ!」みたいに話をした気がする。すると夫、


「あーMOZUね!ドラマあったよねー。あれの殺人の惨さと言ったら……。え?あれがうちの庭にあるの…?」


……とまあ、なんだか思った方向に話は流れなかった。そもそもMOZUというドラマと関連づけてきたことにわたしはびっくりだ。わたしはドラマに疎いので、ざっくりとしかドラマの内容はわかっていない事がほとんどだが、夫は本当にしっかり欠かさず観ているひとなので、まあ当然と言えばそうなのかも……。



ちなみに息子の反応は、


「虫かわいそう!!」


感受性豊かな息子ならではの反応。自然界の厳しさをさらりと話してこの話題は終了した。




あとになって、夫に話の意図を伝えた。すると夫は眉間に皺を寄せながら言った。



「こはる本当に変わってるよね。そういうとこだよ」



変わってない人間なんてこの世にいないでしょう。


思わずそう口にするくらいには、共感してくれるひとがどこかにいることを期待している夜です。

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