蘇るのは幸せな記憶か、悲しみの記憶か1/2です

息子に今朝言われた言葉。


「大人は家で仕事できたりしていいよね」



この言葉に類似した台詞をわりと最近よく聞いていた。



「ママは決められたところに行かなくていいね」(いや、毎週ちゃんと仕事に行っているんだけれど)


「パパはいつも(息子の名前)が学校の日に休みでいいね」(その代わり休日祝日はいつも出勤しているよ)


などなど。後半の言葉に関してはどうもちょっと筋違いなところがあるかも知れないけれど、一応記録として。



学校。人間の子どもたちが家族の次の居場所となる社会の世界。とても狭くて窮屈で、でもその面安全穏やかに過ごせる守られている(はずの)場所。


別に学校というものを批判する気はない。

教員の先生たちだってとても尽力してくれているのがわかる。まだ息子に直接かかわっている方のみしかよくよくわかってはいないのだけれど。


でもこうして大人になってから客観的に学校を見つめるのと、子どもの目線で見るのとは大いに違う。わたしはとにかく学校が嫌いだった。行かなくていいなら行きたくなかった。もちろん、結果的にはちゃんと行っておいて良かったと思っている。


依然に『夜の帳がおりたランプの下で』のエッセイにも書いたと思うのだけれど、とにかくわたしはど田舎のクラスが1クラスしかないような小さな学校に通っていたので、友達との交友関係に泣くほど苦労した。


幸い、小学校も中学校も心底頼れる先生がいてくれたので、いじめなんてものに発展してしまった関係はすぐに先生に打ち明けて助けて貰った。


……今思えば、後のことを考えない怖い行動であったなあと思ったりもするが、それはこの時代の子どもたちのように24時間繋がっていられる電子機器がなかったことがひとつの要因として良かったのだと思う。学校で陰口を叩かれることはあったけれど、でも帰ってからもずっとネットの裏世界で叩かれることはなかった。家に、自分の部屋に帰りさえすれば、逃げられたのだ――。


学校での生活はやはり穏やかではなかったけれど、理由をわかってくれている先生がいてくれたから、なんとかやれた。それに、だいたいわたしは仲の良かった保健室の先生と図書室の先生、成長がゆっくりさんの学級にいた。そこにいる先生はもちろん、そのクラスの子どもたちは後輩から先輩まで、本当にやさしかった。対等に、いつもわたしを尊重して接してくれた。



……と、わたしはとにかく学校生活がすべていい思い出ではなく、時間が経つにつれ色濃く辛かった思い出の方がじわじわと良い思い出を侵食しつつあるので、時々こうして良かった思い出を掘り起こす作業をしないといけない。あったはずの思い出がなかったことにならないように。


けれどやはりすぐに出てくる思い出は良いものではないものばかりで、わたしは最近まで息子の通う学校に足を踏み入れると過呼吸になることが多かった。本当、それでも誰に悟られることなくうまく隠し通せたわたしを褒めたい。ちなみにこの症状、今はだいぶ落ち着いた。



話が逸れてしまったが、そんな経緯からわたしは息子によくこう返す。



「そうだよねえ。子どもは大変だよ。ずっとっ学校って言う狭い社会の中で上手くやり抜ける努力をしないといけないんだもの。大人は、責任はつきまとうけれどそれさえできれば自由だからね」


逃げることもできるし、逆に気になる世界には飛び込んでいくことができる。



ちなみにわたしも息子と同じ年の頃、似たような言葉を母に言ったことがある。まあでもそれは「学校へ行きたくない」それ以上の以下でもない。母はわたしが学校でいじめにあったことすら知らなかった。知ってて見て見ぬフリをされたのかもしれないし、子どもの中のことは自分で解決しなさい、という指針だったのかもしれない。それも今となってはなんとなくわかるけれど、もう少し耳を、感心を傾けて欲しかったな。気にして欲しかった。


……まあ時代と環境もあるだろう。

なんせ田舎。無駄に思える習慣が残るど田舎だ。今では珍しい、同居する祖父祖母が農作業をして、その手伝いの傍ら母が家事と子育てをするような環境だ(うちは核家族だったけれど)。そんな環境に囲まれていたら、放任育児にもなるのだろうな。きっと……。


そんな母の答えは「怠けたこと言ってないで学校行きなさい」だった。この台詞一択だ。



そうして思い返すと、わたしが息子に言った言葉は、当時わたしが言われたかった(教えて欲しかった)言葉なのだと気がつく。母を反面教師にして、わたしはなるべく息子に寄り添えるよう努めているのだと気がついた。


今わたしが居住する環境に、囲まれるひとたちに刺激を受けて新しい考え方が開けた、受け入れられたというのもある。母にはなかっただろう。なんせ過疎化が進む地域だ。


昔から「こはるは恵まれてる」とずっと母に言われ続けてきた。ときに嬉しそうに、妹と比較して悲しそうに、憎らしそうに。わたしはずっと、そう母に言われることが嫌で仕方なかった。今だって嫌な気持になる。



そんな母のようにならないように必死なのかもしれない。



だって、息子に寄り添った返事をするたび幼い頃の母に言われた言葉と比較して、自分はちゃんとできてる、って優越感に浸ってる。比べても仕方ないってわかっているのに、もう無意識に思ってる。


娘としては、不合格だろう。きっと。こんな風に思われてるなんて、母としては悲しいに違いない。でも、子はそうやって大人になり親になり、自身の親を越えていくのだとわたしは思う。


でもごめんね、やっぱり母だって不合格だよ。

姉妹平等に育てられなかった。そこはきっと、減点だと思うんだ。



「(妹の名前)には内緒だよ」

「(妹の名前)には黙っててね」


こういう、内緒ごとにしていいことの度合いが、だいぶ超えてた。親になって、わたしはそう考えるよ。







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