模造された輝きを装着して
コンタクト、写真でも実際見ても目がキラキラになる!なんて謳い文句の品を見て、すごいなあと思った。
どんな気持ちのときでも、そのコンタクトをつけただけで瞳がキラキラとしてイキイキするのなら、それは誰もが手を伸ばしたくなると思うのだ。視力が落ちてしまって、眼鏡やコンタクト生活を余儀なくされた大人なんかは特に。
そんなとき、急にばーっと過去の出来事が蘇ってきて、「こはるさんはいつも先生の話をちゃんと聞いてくれて、目がキラキラしているね」と評価してくれた小学校の頃の担任の先生を思い出した。
学年はいつのことだったか……担任を持ってくれた先生は、3年生と5.6年生のとき同じだったから、きっとこの学年のどれかなんだけど。ちょっとそこまでは思い出せない。でも、その先生はいつも本当によく、私を見ていてくれたと思う。
今思えば複雑なのだけれど、手を抜かずきちんと決められたことに向き合う姿勢を認めてくれた先生は、毎回わたしを女子トイレ掃除に任命した。
誰もが嫌がるトイレ掃除。ついついサボりたくなる生徒たちがいるなか、自分で言うのもなんだがわたしはきちんと取り組んだ。
当時私の通っていた学校は、上履きを脱ぎ変えて便所サンダルを履くスタイル。当然上履きでの侵入禁止だし、その床はタイル張りでどことなくひんやりとし薄汚れたイメージがつよい。
そこをしっかり掃き掃除をし、水を流しブラシでこすり、再度水を流して水切りをする。便器もしっかりサンポールで磨き上げて、陶器の部分をきちんとくまなく拭きあげた。
「汚い」「濡れたくない」
一様に男子も女子も及び腰の中、黙々と掃除に取り組む姿勢は、きっと先生の目に入っていたんだと思う。それは嬉しい。純粋に。
でも今思えば、当時のわたしは教室掃除の箒係に強い憧れがあったから、一度でもいいからやらせて欲しかったなあ。
万年トイレ掃除なんて、なんかの罰ゲームにすら思えてくる。
……まさか、罰ゲームだったのか??
ふとそんなことを思い出して、幼い頃のわたしはある意味単純でよかったなあと思った。
どんな理由であれ、今のわたしだったら不平不満タラタラである……。そこは均等に振り分けしてほしい。
それを思ったら、今の学校の先生ってとても優しくて親切で理解しようとしてくれる節がすごい感じる。少なくとも、息子をきっかけに出会った学校の人たちはみんな息子を協調してくれるし、とても安心して任せられる。
それこそ、息子の目はいつもキラキラと眩しい。汚れのない美しさ。純粋さ。無垢だなあと思う。
それでも息子は、わたしが息子くらいのときと比べたら間違いようもなく大人だ。わたしが単に幼稚だったのもあると思うのだが……。
夢見る少女だったわたしも、今じゃ世知辛さを知ってしまった悲しきかな残念な大人だ。でもそれが全部悪いなんて言うつもりは毛頭ない。
今の方が責任は自分で取らないといけないけれど、とにかく自由だ。親の庇護下にないこの今が、すごく楽しくて気楽で、そうだな。キラキラしてる。
でもきっと、今のわたしの瞳はあの頃の瞳に比べて輝いてはいないのかもしれない。
だって、息子の瞳には到底敵わない。あの眩しさ。目を背けたくなる時があるもの。
わたしは、コンタクトのメーカーを調べてネットで検索した。度数、わたしのものはあるだろうか。
自発的にあの頃の輝きを生み出せなくなったわたしは、物の力を借りてあの頃の純粋無垢な瞳を取り戻そうとしていた。
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