不安をモノで消そうとする
花の芽吹く季節。
それは旅立ち、出会い、別れと言ったことが一度に訪れる。
暴力的だーー。
そう表現する方がいて、まさにそうですよね、と赤べこのように何度も首を縦に振ったのは記憶に新しいこと。
そんなこの時期、例年の如くわたしは物欲を拗らせている。
ずっと使っていた化粧ポーチを新調したいだとか、気に入ったデザインのフラットシューズを色違いで揃えたいだとか、今までシーズンものは慎重になるというのに無性に籠バッグが欲しくなってしまったとか、普段新作にすぐ手を出したりしないのに、本屋大賞に選ばれた『52ヘルツのクジラたち』を手にしたいだとか(この書籍に関しては、前々から気にはなっていたんだけれど)。
まあここに書ききれないほどの物欲に、正直自分でも驚いている。
これ、なんでかなあ……?
そう自身を客観的に見るようにして、わたしは考えていた。
そんなときに出会った山本ふみこさん著書の『子どもと一緒に家のこと。おてつだい12か月』に、すごく腑に落ちる言葉が綴られていた。
ーー人生の節目のとき、新しいものをはじめようというときには、不安をモノで埋めたくなる。ほんとうはモノに頼っていないで、人生の大事に、その本質に目を向ける場面なのだ。そうして、本質というものは、案外、不足の中で見えてくるようでもある。(不足という価値より抜粋)
そう、この時期この季節、特に息子が小学生に上がった今年は、とにかく環境の変化があって、本人以上にわたしが不安になっていた。
もうどきどき。入学するのはわたしじゃないのに。
でも、なんといっても今まで幼稚園に行って当然のように顔を合わせていたはずの親子たちに会えなくなるというのは、やはり寂しかった。こういうとき、やはり家から1番近い幼稚園にいれるのが良かったのかな、と悩むこともある。そうすれば、小学校に上がって離れ離れになることもそうなかったのかも知れない……。
まあでも、そんなifの話をしていても仕方のないことなのは重々承知。
今をしっかり歩いていくしかない。
それに、別れがあれば出会いもある。
その言葉の通りに、今では新しい交友の輪も広がり、落ち着かずさぐりさぐりなところもあるけれど、まあ順風満帆と言えるのだろう。
そうして広がった人脈に、関係に今まで以上に助けられている。彼らがわたしに「甘える」きっかけを、勇気をくれたりして。
社交性の少し欠ける不器用なわたしを、出会う人みんなが大丈夫大丈夫と助けてくれるから、こと大きく困ってしまいどうしようもない、なんてことは全くない。
……なんて恵まれているんだろう。
今まではともかく、今のわたしのこの物欲は自分を武装するのに必要な欲で、その出費は経費なのかも知れない。
だって、よくよく先ほど書き上げた欲しいモノたちは、単なる物欲として処理するには少し違うような気がするのだ。
読書はわたしの糧だし、籠バックは1シーズンしか使えないからと控えていたものだし、化粧ポーチはその中身を断捨離したことで今までのではサイズが大きいからだし……。
言い訳にも聞こえるかも知れない。
でも、わたしの中では納得のいく理由のもとで手にしたいモノたちなのだ。
不足の中で見えてくる本質と向き合って理解した上での物欲は、悪いモノではないんじゃないかと思う。
何も考えず、欲のままに流されなければ、それはもう山本ふみこさんのいう言葉の真髄を理解したことにつながるのではないかーーそう思う。
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