主役はわたしじゃないのに。
曖昧なお天気。ひんやりとする足先をみて、まるでわたしの心みたいだなって思った。
近頃、わたしの心は深く“感じる”ことを拒否している節があるような気がしている。まあでも全面的にそうできるかと言ったら、やっぱりHSPの気があるのでそうでもない。
受ける刺激は受けているのだけれど。
今日みたいな天気や空模様、食べることの幸福感、温かい湯に身を浸した夜、まだ眠りから覚めない早朝の朝、風と戯れる木の葉、蛇口から溢れ出す透明な水。
そういった日常の些細な一節に対して、なにも感じられなくなっている。感じたいものに対して、1番感じられなくなっていることが悲しくてならない。
それは息子を出産したばかりの新生児の頃の暮らしに似ている。
あの頃は確かにいつも、余裕がなかった。
結局今、まさにそれなのである。
新一年生は、1週間と少しの間は保護者が登下校の引率を行う。そのため、親であるわたしは常に息子と同じ時間の中で動かねばならない。
幼稚園まではずっとバス登園させていたから、そのギャップは大きく荷も重い。
まだ午前授業なので、帰宅もお昼前と早いため、買い物に出るにも家のことをするにもなかなかに忙しなくなる。
それは本当に言葉通り、気が休まらない。
手を抜かなければなー。
そうは思いつつも、なぜか抜けない体の力。
ずっと緊張していて、ずっと体が強張っている。
もともと冬から春先はひどく心を患った時期というのもあってか、毎年弱くなる。なので無意識にこの感覚があることが当たり前にも思っていたりして。
でも、いい加減解放されたいのが本心。
物語を書くための感受性が、大きな力で押さえつけられている感じ。
その感覚がずっとある。
だから思うように物語の中に沈みこめないでいる。海面で、ずっと溺れているような。
新生活って、わたしは苦手。
何度も言うけど、主役はわたしじゃないのに。
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