大人になるということ①
【主婦 家出】
そのワードで検索をかけていた。
横に眠る息子が、わたしの脇腹あたりに頭を突き刺したまま(寝相が悪い)の状態で、スマホの画面を見つめた。
とある記事にたどり着いて、その文章を追いかける。色んな意見があるだろうけれど、少なくともわたしは、本当に苦しかったのだろうと、辛かったのだろうと第一に思った。
まだ息子が未就園児だった頃。
ほぼ仕事で家にいない(いる時は眠っている)夫に代わり、わたしはほぼ1人でワンオペで子育てをしていた。
わたしの実家は近いのだけれど、両親共働きで、なおかつあまり母と上手くいっていないため、手を借りることはおろか帰ることもできず、とにかくなんでも1人。
わたしがなんとかするしかなかった。
持病による体調不良もあって、それはもう情緒不安定な中でやっていたので、毎日がギリギリで、毎日生きることを挫折しそうになっていた。
その頃、何度もよぎっていた言葉がその【家出】。
全てを投げ出して、ひとりになりたい。
そのときはこうした創作に尽力する気力もなくて、本当に孤独だった。創作、なんてことを思い出すことすらなかったくらいに。
息子の成長は嬉しいけれど、それは母親としてのわたしであって、何者でもないわたしはそれだけでは気持ちが満たされない。
空っぽのわたしはどこまでも地中深く沈んでいって、今にも消えて無くなってしまう……そんな瀬戸際に立たされた日々。
……そう言ったことを思い出しながら、その記事を読み終えた。
続くコメント欄には、多くの方たちが共感を募らせてメッセージを残していた。それらにも目を通して、わたしはスマホの画面を落とす。
脇腹に刺さっている息子の頭はジリジリとわたしに食い込んでくるのに、それがおかしく思えて笑える今は、だいぶ落ち着いているんだなあと思った。
でも、気持ちが重たくなるときは、今でもやっぱりある。ひとりになりたい、なんてしょっちゅうだ。
こうした苦境の中にいるひとたちの心を救うような言葉を、物語を書けないだろうか。
救うなんて烏滸がましいから、せめて拠り所になるような物語でいい。
そんなことを考えてみる。
けれどわたしは、成人した大人の人間を主人公に据えて描く物語をまだ、書いたことがない。
それはまだわたしの精神が達観していないからで、感情と経験を辿ってかける年齢が低いからで。
単刀直入にいえば、まだわたしが子どもなのだ。
けれど、子どもと揶揄しつつも実際にはこの“子ども”とする基準の年齢が上がりそうな位置にはきている。
前向きに言ってしまえば、もう少し熟成させれば–−書ける。
後ろ向きに言えば、急がないと幼少の頃の瑞々しさ、苦しさ、痛々しさを表現するには−–色褪せてしまいそうになっている。
ここ最近身に染みて思うのは、息子も小学生になるこの頃に、わたしもまたその分人間として成長したな、ということ。
わたしにとってこの成長は目まぐるしくて、恐ろしく早いスピードに気持ちがついていけていない状態。
それはきっと、ずっとわたしが『少女』だったからで(これは自他ともに認めていることで、身近な夫にも「(いい意味で)高校生みたいだね」なんて言われたことがある)、今は少しずつ、でも確かなスピードで『女性』になっていっているということなのかもしれない。
そうなることで、悲しいこともあるけれど良かったこともある。
それはまた、次回に。
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