暴力的な春
春って暴力的。
そんな言葉をどこかで目にしたけれど、本当にそうだと思う。
別れがあったと思いきや、すぐに新たな出会いが訪れる。切なさと不安の波が一度に押し寄せる。……いやもちろん、期待と高揚もある。けれどわたしの場合は前者がまず優位に立つので、どうしても後者の感情を噛み締めることはできない。
中学の卒業式、高校の入学式と卒業式、専門学校の入学式はもう吐きそうなほど緊張して気がおかしくなるかと思ったくらいだ。
春色の桜はその花びらを開くけれど、ひとたまりもなく散っていく。その様が、わたしの中にあったわずかな期待の気持ちが消えていくようにして見えた。儚いなんて言葉では語り尽くせない絶望に似た喪失感がただよう。
そんな春。
わたしは少し、苦手だ。
なのにどうして、わたしのペンネームこそ、その『春』をイメージできるものにしたのか。
そんな話をしたいのです。
結咲こはる。
この名前にするまえは、結咲りとだった。
小さな、少し軽やかなその名前が好きだった。けれどもなんとなく、2文字の名前というのが落ち着かなくなってしまった。
そこでペンネームを変えた。
結咲、というのはとても気に入っている。
結び、咲く。
その言葉のたどる輪郭にどうにも惹かれてしまって、わたしはその漢字を使うことにした。
ゆいさき、と読む。この「ゆいさき」というのは、わたしが小学生の頃読んでいた漫画の大好きだったヒロインから頂いた。
そして、こはるという名前。
先の、結咲から連想する言葉を探していて、そこで浮かんだのが「こはる」だった。
話が逸れるけれど、わたしが1番好きなのは生命の高鳴りが最大になる夏。そして、静かに眠りにつく秋が好き。
春と冬は、どちらかというと……苦手意識がある。
その理由はなんだろう?と考えてみる。
それはたぶん、はじまりとおわりだからだ。
はじまりとおわりは、別のもののようで同じだと思う。だからきっと、言い方を変えたらきっと冬の季節も暴力的、なのかも。
命が眠る。
寒々しい世界が広がる。
そんな、景色の色をした、冬。
少なくともわたしはそう思う。
それなのにどうして「こはる」なのか。
たぶん、憧れ。
結び咲くは、春。
その春という季節に、わたしは苦手だと言いながらもーー期待している。
今までわずかしかなかった期待と高揚の気持ちを、感じたい。
ずっとうずくまり震えていたような自分の殻を脱ぎ捨てて、新しいわたしになって、この暴力的な季節を穏やかに感じてみたい。
それはこの春という四季に限らず。
物事に対して保守的でいた自分を打ち破りたいという意味合いも兼ねている。
こんな今までとは違うわたしへと変わりたい気持ちを、なんらかの形にして視覚化しておきたかった。
それが、このペンネーム。結咲こはるという名の生まれ。
まだ、わたしはそのペンネームに見合う自分にはなれていない。だからこそ、少しの違和感やズレはあって。
今現在、本当にわたしの名前?と疑問符を浮かべてしまうこともある。
けれど、ゆくゆくは馴染むときがくる。
そのときはきっと、この日本という国にある四季というものを、人間に与えられた人生というものを素直に楽しめるんじゃないかと。
そう思っている。
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