魔女修行
雲に覆われた空に、身に降りかかる低気圧。
そして止まらないくしゃみと咳。花粉の影響だろうけれど、本当に今日は堪える……。頭もぼんやりしちゃって。
今朝、茨木のり子さんの詩集を読んでいた。そしたら、とても素敵な作品がありました。汲む、という作品。
大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
発音の正確な
素敵な女性のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
私はどきんとし
そして深く悟りました
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外に向かってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年齢になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
汲む ーY•Yにー (童話社おんなのことばより引用)
この詩中に現れる素敵な女のひと。
最後まで詩を読んだときに頭に浮かんだのは、梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』に出てくるまいのおばあちゃんでした。
まいのおばあちゃんが、そう話してくれているような気持ちになって、わたしはすぐに
ああ、この大人になってから抱えていた小さな戸惑いすらも、魔女修行なのね。
そう、腑に落ちる感覚になりました。
わたしは物語を書きながら、よく大人になった人間の人となりを振り返るようになりました。
わたし自身とは、二十歳のあたりからずっと向き合っていて。
それこそ悲しくなるくらい「大人」とは到底思えない姿しか見えなくて。自己肯定感は下がるばかりだった。
なのに、他人に対しては無条件に完璧なひとしかいない。そう思い込んでしまう節があって(ある意味、自分だけが特別とか、異質とか……思っていたんでしょうね)。
あらゆる本を読んで、色々な「ひと」を見ていたのに、現実の世界と物語の中に生きる人間は別物、と、どこかで思い込んでいた。
ノンフィクションとして描かれる作品さえ、わたしにとっては、フィクションでしかなかったんです。
現実に生きるひとは、大人はきっと、わたしのようなこんないびつで不出来なひとはいないんだーー。
そう、今思えば自分で自分を追い込んでいたように思います。ひとりよがりとも言える。
それが今では、物語の中に描かれる人間も、現実を生きる人間も。そしてわたしも。
皆一様におなじであるのだ、と。
やっとそう思えるようになりました。
孤独の中で迷子だった自分が、ようやく長いトンネルから出られた。
そんな気持ちでした。
この『汲む』という詩は、大人になれないと背伸びし……でも思うようにいかなくて心が苦しく感じている方に、ぜひ一度読んでみてほしい。
捉え方はきっとそれぞれだと思うけれど、何かヒントが得られるのでは。と、そう思います。
茨城のり子さんの詩で、もうひとつ惹かれた作品があるのですが、それはまた次の記事で。
ぼやぼやっとする意識のままでは書けるものも書けないし、やることも進まないので。
少しストレッチをし、からだを動かしてから1日を始めたいと思います。
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