第13話  :何で死ななきゃいけないんだろう

 目を覚まし、辺りを見渡す。体に力が入らず、首を動かすことも出来ない。どうやら横に寝させられているようだ。辛うじて、近くに人の気配を感じ取った。視線をそちらへ向ける。そこには椅子に腰掛けたまま、やつれた顔で眠りにつく宮野さんの姿があった。


 あれ、てっきり血塗れの拷問器具とかが勢揃いの部屋にでもいるのかと思ったのに… もう一度辺りを見渡す。そこはどうやら、病室であった。少しではあるが体に力が戻ってきて、頭を起こすことができた。腕には管が通され、点滴を打たれている。一体どうなっているんだ?私が動いた音で、彼が目を覚ました。


 「か… 加賀さん…? 目を覚ましたんだね!ここ、病院だよ。覚えてる? 俺の家で突然倒れて、運ばれてきたんだ。 ま、待ってて、今先生とご両親呼んでくるから!」

 

 慌ただしく病室に入ってくる母。目にはたっぷりの涙をたたえている。その後ろに父と宮野さんの姿があった。皆悲しみにくれた顔をしている。ここら辺で、嫌な予感がし始めた。拍子抜けも良いところだった。私は殴られて気絶したわけではなかった。


 お医者様に告げられた


 私は、胃がんだった


 もう手術などでどうこうできる段階ではないそうだ。余命はもって1ヶ月、この眠りから覚めない可能性も十分にあったという。


 何を言っているんだろう? 頭の中がはてなマークでいっぱいだった。だって私はまだ二十代半ばで、人生の再スタートをいざ切ろうという時で、幸せにしたいと想う人が出来たばっかりなのに?


 何で生きなきゃいけないんだろうって、そればかり考えていたバチが当たったのだろうか。神様、あのように考えていたのは少し前の私です。お手元の情報が最新ではありません、今一度データの更新をお願いします。


 お願いします…


 一通り私の病気が何たるかについて、そしてこれから顕れるであろう症状、施されていく療法について等の話を聞いた。自分のことなのに、他人事のようだった。父と母には着替えをとりに行くという名目で、席を外してもらった。昼下がりの病室に宮野さんと2人きり。


 訪れる沈黙… 彼から切り出す。


 「タイムカード…」


 「…。」


 「俺もずっと付けていたんだ。加賀さんはさ、死にたいわけじゃないから生きているって言ってたけど、俺は逆だった。俺は… 死にたくて仕方がない人間なんだ。


 パワハラとか、この世に絶望してるとかそういう深刻な話じゃないんだ。子供の時からなんだ。俺、すごいお婆ちゃんっ子でさ。そりゃあもうベッタリで。優しくて、けど悪いことをしたらしっかり叱ってくれる、何でも知ってる婆ちゃんが大好きだった。


 そんな婆ちゃんが、俺が6つの時に亡くなった。葬式が済んでもいつまでも泣く俺に、母親が言ったんだ。「おばあちゃんは天国に行ったの。温かくて明るくて、幸せな場所だよ。おばあちゃんは天国から爽真が頑張ってる姿を見守ってくれてるから、泣かないで笑ってあげて。」って。そこからだった。死後の世界に憧れを抱いて、この世が色褪せていったのは。


 大人になって、あんなのは親が俺を慰めるために言ってくれた嘘なんだって理解はしてるのに、でもダメなんだ。ダメなんだよ… 死ねば幸せになれるって気持ちがどうしたって拭えないんだ。」


 彼はどんどん俯き、声はだんだん震えていった。


 「2年くらい付き合った彼女がいたんだ。ある時彼女に言われてね。「この先10年、20年と貴方の隣で歩んでいきたい。私達お爺ちゃんお婆ちゃんになっても仲の良い夫婦になれると思うの。」ってさ。


 その時痛感したんだ。俺は毎日を「今日も死ななかった」とやり過ごすことに精一杯なのに、他の人達は何十年も先の未来に思いを馳せているんだって。彼女のことは好きだった。だけど、彼女と一緒に過ごす未来はもちろん、四十、五十まで生きている自分さえも思い描けなかった。


 彼女とはそこで別れたよ。それ以来、子供の頃からの死への憧れが、溢れるほどに膨らんでいった。そこから付け始めたんだ、タイムカードを。


 どちらかといえば生きていようと思った日は、出勤時刻を記入する。月に一日も記入できなきゃ死のうって思ったんだ。仕事に打ち込んでみたり、習い事をしてみたり、始めた時は楽しいと思っても、すぐに死にたいって欲が勝った。


 けど周りから見た俺は、仕事ができて多趣味で、まさに人生を謳歌している人間に見えるみたいで… 馬鹿にするのも大概にしろって思った日もあった。鏡に映る俺は、虚で魂の抜け殻みたいな人間なのに。誰も俺を理解してくれない、なんてガキみたいな事を考える時期もあったよ。」


 そこでつい口を挟んでしまった。


 「けど、半年くらい前からは出勤回数がとても多かったです。」


 「あ、全部見られちゃってたか… それはね、加賀さん、君のお陰だよ。」


 私?私と彼が話すようになったのはここ2ヶ月くらいの話だ。私の疑問がお見通しだというように、彼が続けた。


 「今の家に引っ越して少し経った時、たまたま加賀さんと帰りの電車が被ったことがあったんだ。混んでる車内で分からなくて、気づいたら俺の目の前にいたんだよ。


 あ、支店の子だ〜って、その程度だった。そしたら、申し訳ないんだけど… 本当にたまたま、加賀さんのスマホの画面が目に入っちゃってね。SNSの投稿画面だった。


 「何で生きなきゃいけないんだろう」


 そう打って、少し考えてから全部削除してた。見たのは本当にそこだけ。けど、それ以来加賀さんのことが頭から離れなくなった。上手く言葉に出来ないんだけど、何故だかあの瞬間からすごく楽になったんだ。


 赤い丸も見たでしょ?あれさ、支店に行く日なんだよね。加賀さんに会える日。気持ち悪いな俺っ!けど、俺には加賀さんに会うっていうのが何よりのご褒美だった。俺は今日も生きてます、貴方もどうか生きてください。そう願って会いに行っていたんだよ。」


 何よりも欲しかったものは、最初から手の中にあったのかもしれない。


 「辞めちゃうって聞いて、どんな結果になっても後悔したくないと思えたんだ。そういうの初めてで、でも勇気を出したら加賀さんとの距離がもっと縮まった。


 手放したくないと思った。そうしたらまるで俺の気持ちが通じたみたいに、東京に残るって言ってくれた。


 俺… 俺ね、加賀さんとなら何十年先の未来だって思い描けたんだ。加賀さんと… ずっとずっと、2人並んで生きていきたいと思ったんだ。


 貴方が… 俺の生きがいだったんだ…」


 涙で顔をぐしゃぐしゃにしている。あぁ、貴方のくしゃっとした笑顔が大好きだった。それをこんなにさせているのは、他でもない私なのだな。


 「…泣かせてしまってすみません。本当に夢のような時間を過ごせました。宮野さんのおかげでこの数ヶ月、私は息をすることができました。宮野さんの方こそ、私の生きる希望だったんです。


 天国は、思ったよりつまらない所かもしれません。生前仲の悪かった同僚だとか、しょっちゅう小言を言ってきたお隣さんとか、そんな人達とまた顔を合わせて気まずい思いをするんですよ、きっと。


 宮野さん。宮野さんなら大丈夫。これから先も別の生きる希望を見つけられます。絶対です。私には分かるんです。」


 「…やっぱり優しいね。謝ることない。ごめん、俺が泣いちゃ加賀さんが泣けないね。


 今日は気持ちの整理とか必要だろうから、俺はそろそろ帰るよ。」


 「はい、さっき母から連絡来てました。もうすぐ戻ってくるそうです。本当にありがとうございました。」


 宮野さんが部屋を出ていこうとして、振り返る。


 「また明日来ます。」


 「はい、また明日。」




 扉が閉まった瞬間には涙が溢れ出していた。なんでなんでなんでなんで。何でこんな若さで。何で私が。何で今。


 全部全部嘘だった。夢ならば醒めてほしい。宮野さんに出会わなければこんなに命が惜しくはないのに。あの日、あの時、彼の申し出を断っていれば、私はこんなに泣いていないはずなんだ。


 目をつけてくるお局は、誰よりも私を気にかけてくれていたんだ。隠し通せていたと思っていた悩みは、全部両親にはお見通しだったんだ。キラキラと輝く爽やかイケメンは、誰よりも死に向きあっていたんだ。


 だから、だからきっと、つまらないと決め付けていたこの世界も、きっともっと美しいんだ。


 だから、私は生きたいんだ。


 何で死ななきゃいけないんだろう


 教えてください


 教えてください…

 




 

 「また明日」、その約束は果たされなかった。私が宮野さんの見舞いを拒否したのだ。両親は最初こそ「散々ご迷惑かけたのに」と説得したが、状況が状況だけに、最後の我儘になるかもしれないと受け入れてくれた。


 お互いの為だと思った。私との別れが辛くなればなるほど、彼はまた死への渇望で苦しむと思った。最初の2、3日は受付で粘った様だが、何かを悟ったのか今は両親を通じて私の状態を聞いているようだ。


 本当は、死にたくないと言いたかった。愛していると言いたかった。涙が止まるまで抱きしめて欲しかった。目覚めた時に隣にいて欲しかった。あのくしゃっとさせた顔で笑って欲しかった。名前を呼んで欲しかった。ずっと一緒にいたかった…


 けど、全部全部飲み込んだ。私のことなど忘れてくれたらいいんだ… そう強く願った。


 入院して半月、私はベッドから起き上がるのも人の手を借りなければ出来ないくらいに弱っていた。


 隣で母が新聞のクロスワードを解いている。一面には連続失踪事件の解決の記事が載っていた。犯人は私にも関わりのある人物だった。それは、あの出張買取店の店員だった。家具や家電の査定で家に上がった際の犯行。自宅には押し入った形跡がなかったので、外での犯行の線であらっていたことが犯人逮捕を遅せた。


 「他人の命を奪うことで、生きている実感を味わいたかった。」それが犯行動機だった。私が犯人を殺したら、生きた心地がするのだろうか。


 二十歳の頃から眼鏡を掛けるようになった。視界がぼやけて褪せた世界が、涙で霞んで見えなくなった。


 私が泣いているのに気づいた母が優しく背中をさすってくれる。何か気を紛らわせられないか、そんな気遣いが手にとるように分かる。


 「あ、そうだ、しーちゃん。外出許可証もらってきたよ。川沿いの桜見たがってたもんねぇ。」


 以前何かしたい事は無いかと聞かれて、桜が見たいと言ったのを思い出す。「時間を巻き戻したい」以外の願いは無かったのだが、何も言わなければ両親を困らせると思って適当に応えたのだ。母は許可証に記入をするためのボールペンを探している。


 「シャーペンじゃだめよねぇ。この辺にあったと思ったのに…」


 「私の通勤バッグの内ポケットに入ってるはずだよ。」


 「そう? …あ、本当だ。あら、これ会社に提出するものじゃないの?」


 一瞬時が止まったように感じた。母が内ポケットから取り出したのは、あのタイムカードだった。最終出勤日は3月26日の朝、ドキドキして早く目が覚めてしまったんだ、時刻は6時25分。間違いなく、私の生きた証だった。



 私の人生そのものだった。



 「ああ、それ。」



 窓の外に目をやる。ここの患者だろうか。腰の曲がった女性が花壇に水をやっている。



 「捨てといて。」



 隣のアパートに咲いていた椿に思いを馳せる…



 「…もう必要ないから。」



 

 あの紅が




 思い出せない…


 

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タイムカード 鏡乃 @mirror_no

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