第12話 退:タイムカード

 翌日、待ち合わせの駅に着くと改札を出たところで宮野さんが待ってくれていた。ライトグレーのボトムスに、白のトップスと水色のジャケット。春らしくて、さわやかな彼にぴったりなコーディネートだった。いつもスーツをビシッと決めているギャップから、思わず見つめてしまった。


 「ワンピース、すごく似合ってる!髪も巻いてるの新鮮だぁ。とっても可愛いです。」


 「宮野さんも凄くカッコいいです。私、張り切りすぎじゃないかってちょっと心配だったんですけど…」


 「俺のために張り切ってくれたんだったら、それこそ幸せです。」


 すらすらと出てくるなぁ。恋愛経験値の差だろうか、私だってもっと沢山褒めたいのに、彼の言葉に素直に喜びたいのに、もじもじと顔を赤らめるので精一杯だった。  


 

 デートは先に映画とランチを外で済ませて、最後に宮野さんの家へ行く予定だった。観たのは無難に恋愛映画。本当は別のミステリー映画が気になっていたが、スプラッターシーンがあると聞いて最初のデートには相応しくないと思いとどまった。今度1人で観に行こう。


 カフェでパスタを食べ、食後のケーキを戴きながら映画の感想を話し合う。


 「記憶喪失はベタでしたね。」


 「ね、でも隣から鼻をすする音が聞こえた気がしたんだけど、気のせいかな?」


 「気のせいです。」


 映画の登場人物と自分を重ねて、宮野さんが私のことを忘れてしまったらなんて、こちらもベタな事をして涙腺が緩んだなんて絶対に知られたくなかった。何食わぬ顔で、ガトーショコラに生クリームをつけて頬張った。宮野さんはいたずらっ子の顔をして何か言おうとしたが、思いとどまって優しく笑うだけにしてくれた。


 「この間もケーキ買ったって話してたけど、甘いもの好きなの?」


 「そうですね。太りやすいので、ご褒美にちょっとお高いやつを食べることが多いです。そういうのをモチベーションに生きていると言いますか…」


 言いながら後悔した。折角のデートでこんな話をするつもりは無かったのに。楽しい雰囲気に水を差してしまっただろうか。スマホを忘れた夜に見た、あの居心地の悪そうな宮野さんの顔が過ぎった。変われた気でいたのに、こんな事が自然と口から出てくるぐらいには私の人生には仄暗い影が染み付いているんだ。


 「そういうの、大事だよ。俺もあるもん。月一のご褒美。それを生きがいにしてる。」


 「宮野さんにも?どんなものですか?」


 「…まだ秘密。すぐに分かるよ。」


 貴方の生きがいになれる日がいつか来たらいいのに。そう思うのは欲張りすぎだろうか。

 



 そしてついに宮野さんの自宅に着いた。緊張でカチコチだった。心なしか宮野さんも表情が固いよう

に見えて、少し安心した。


 コーヒーとお茶どちらが良いか聞かれ、私はお茶をお願いした。リビングのソファーに通され腰掛ける。白や黒を基調にした清潔感のある男性の部屋だった。目の前のローテーブルには綺麗に並べられたリモコンと使い古された長方形の缶の箱があった。


 宮野さんが2人分のお茶を入れて持ってきてくれた。緊張からか喉が渇く。そしてまたこれも緊張からか、味がよく分からない。


 ふと伸ばした足に何か当たる。テーブルの下に茶色い封筒があった。それをみた宮野さんが立ち上がる。


 「あー!!!朝から何か忘れてる気がしてたんだ。それ今日中に出さなきゃいけないやつ!見つけてくれてありがとう。ごめんね、急いで出してきても良い?」


 「もちろん、いってらっしゃい。」


 バタバタと宮野さんが出て行く。静まり返る部屋に1人。


 いってらっしゃい


 自然と口をついたが、どんどん恥ずかしくなってきた。彼が帰ってきたら、今度はおかえりなさいと言えば良いのだろうか?


 「何馬鹿なことっ!」


 恥ずかしさで飛び上がった拍子にテーブルの上の缶が落ちてしまい、中身が散らばってしまった。やってしまった!戻ってくる前に直さないと…


 そうして手を伸ばし、今散らばったものが何なのかを頭で認識した瞬間、心臓が激しく脈打った。




 それはタイムカードだった。




 何枚も何十枚も… 日付は何年も前から付けられている。古い日付のものは最早ボロボロで、一度破ったものをセロハンテープで貼り付けているカードもあった。名前の欄には宮野みやの爽真そうまと書かれている。


 何だこれは


 古い日付の出勤欄は月に4,5日しか記入されていなかった。少ないものだと1日。数字も殴り書きと言って良いものだった。


 何なんだ、これは


 それが、ここ半年近くから出勤欄の記入が劇増していた。そして月の終わり頃に1つ、赤丸が付けられていた。毎月月末ごろに発生する隣町の女性失踪事件…


 『俺もあるもん。月一のご褒美。それを生きがいにしてる。』


 やめろやめろやめろ。何で今そんなことを考えるんだ。そして、いつかの夜に見たニュースを思い出す… 親の介護のために田舎へ引っ越す予定だった女性。会社を辞め、引っ越すまでの間に起こった事件だったため発覚が遅れてしまった。


 今思えば、意見交換とは名ばかりのお茶会というのは、余りにも都合が良すぎるのではないか?私が辞めることが決まってから話しかけてきたのは何故?曖昧な口実、お近づきになりたい、その真意とは何だ?冷や汗が出て、耳鳴りがする。


 『バーで知り合った男がしつこくて困っている』


 お洒落なバーが似合うと褒めた時、気のせいだと思って見逃した… あの時確かに、彼の表情は曇っていたのではないか?


 コーヒーが合わないんじゃない


 が合わないのだとしたら?


 吐き気がして、頭がクラクラした。気がつくと、手元には今月のタイムカードがあった。神様どうかお願いします… 願いは届かなかった。くっきりと、赤い丸が、26日を囲んでいた。


 逃げないと


 そう思って立ち上がると、背後から声がした。


 「加賀さん…」


 貴方には名前で呼んでほしかった…




 私の意識は





 そこで途切れた

 


 

 

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