騎士たちはバーにいる

 港のほど近くにある自警団の拠点は墓標のように並ぶ空き家の中で唯一橙色の光を放つ酒場だった。



「鯨油が豊富なんだな」

 軒先で揺れるランタンをオレアンが指すと、額にバンダナを撒いた大柄な女が首を振る。

「鯨じゃない、魚魔マーマンだよ」

「脂を煮て、剣とか弾丸とかに塗って魔物を倒してんのか」

「よく知ってるじゃない」

 ゼンの呟きに女が頷き、木板で頑丈に補強された扉を押した。



 両脇を自警団員に囲われながらゼンたちは店内に入る。

 所々にブイや麻縄や船の部品を施した内装の奥にサリドが座っていた。その肩越しに目覚めたマイトが騎士たちを睨んでいる。



 全員が席に着いてから、ロクスターは机に羊皮紙の束を置いた。

「お返しします。まずは諸々の謝罪を。こうでもしないとお話できないかと思いまして」

 サリドは煙管をひと口吸い、甘く重い煙とともに吐き出した。

「どうやって盗み出した? ザルな警備じゃなかったはずだぜ」

「王都には戦闘だけではなく様々な技巧を持った騎士がいます」

 カルミアは目を逸らして、ゼンの影に隠れた。


「同盟を結んで損はないってか」

 音を立てて椅子から立ち上がった弟をサリドが手で制する。

「少しは反省してろ。勝手に団員連れ出しやがって」


 マイトはバツが悪そうに座り直し、ラジアータを指した。

「そいつはどうするんだ、騎士でも自警団員でもないんだぞ」

「彼女も王都に招き、正式に騎士として登録する予定です。そうすれば我々の管轄になる」

 ラジアータは無言で頷いた。



 ゼンは壁に張り付いている団員たちを眺めた。男も女も皆太く黒い腕をして、身体中に傷か刺青がある。

 視線を動かすと、魚の骨や船の模型が詰まった酒瓶が海を切り抜いたような多い光を放っていた。


「お前らの目的は何だ」

 サリドが机の端で煙管を叩き、ロクスターが口を答えた。

「ポロニア港からの魔物の排除です」

「絵空事だな。お前、事務か何かだろ。現場の奴らはそれがどんな無茶かわかってるはずだぜ」

 サリドの視線の先にクラーレがいる。

「魔物の強襲には指揮者がいます。それを叩けば無理な話ではありません。過去にそれを退けた仲間たちもいます」


 ランプの灯りで薄く光る痛々しい眼帯を一瞥し、サリドは椅子に深く背を預けた。

「ここにお前らに報酬を払える奴はいない。それでもやるか?」

「魔物の討伐は王都の義務ですから」

 クラーレの答えにサリドが吐き捨てるように笑う。

「金を欲しがらない奴が一番信用できない。無償の愛が騎士道ってやつか?」

「資金は力のために必要です。騎士道はその使い方を知る手段ですよ」



 サリドはもう一度煙を吐き出した。長い沈黙の後、彼は煙管を置いた。

「条件がふたつある」

 ロクスターが片方の眉を吊り上げた。

「ひとつはここから最も近い山にいる魔物の討伐だ」

「山ですか?」

「物資の補給が海路だけじゃ立ち行かなくなってきたが、山に昔からデカい魔物がいて道が使えない。お前らで山の主と言われる蛇魔ラミアの首を取ってこい」

「もうひとつは?」


 サリドは顎に手をやって答えた。

「ポロニア港五大貴族の最後のひとり、アミティ家の当主カリスから自警団に港の保護を全任すると言わせろ」

「お嬢様にまだ手を出す気か!」

 ラジアータが身を乗り出す。

「お前の雇い主なんだからお前が説得すれば何とかなるんじゃねえか?」

 彼女はゼンの言葉に何か抗議しかけたが、口を噤んで目を伏せた。



「手段は問わねえ。とにかくこのふたつをやり遂げたら協力してやるよ。それでいいな!」

 長の声に自警団の団員たちが一斉に首肯を返す。

「温情に感謝します」

 ロクスターが頭を下げると、サリドは唇の端を吊り上げた。

「仲間は近くに置き、敵は更に近くに置くのが俺の信条だ。今夜の飯と宿は俺が手配してやる」



 自警団の拠点は食卓代わりの酒樽が運び込まれ、一瞬で酒場の様相を取り戻した。



 サリドとロクスターが静かに酒杯を交わす近くで、マイトがクラーレにまとわりついている。

「なぁ、俺を倒した技どうやったんだよ。一瞬でひっくり返って何かわかんないうちに気絶してた。兄ちゃんでもできないぜ」

「コツがわかれば簡単ですよ。もう一度見せてあげましょう」

 食事と酒を平らげていく船乗りたちの間から激しい音と少年の悲鳴が響いた。



「すっかりゴロツキたちに馴染んでるな」

 オレアンが煙草を片手に苦笑した。

「私は前世でも王都でもこう言った場所の経験はないから新鮮だわ。慣れるまで大変でしょうけど」

 ホーネットが小さく微笑むと、机に倒れこむようにラジアータが現れた。

「本当に王都からよく来てくれた!」

 褐色の肌は真っ赤に上気し、呂律が回っていない。ラジアータは目の前にいたゼンに腕を回し、のしかかるようにもたれる。


「大変だったんだぞ……王都芸人ミンストレルなんて呼ばれてたけど、気がついたらこんな港町で仲間はいないし、めちゃくちゃだし……」

「酔うと余計面倒くせえとこまであいつと一緒かよ……」

 酒気の混じった息を避けながらゼンは辺りを見回した。

「そういや、カルミアはどこ行った?」



 ***



 夜の港に停泊する船は王都騎士団所有の一艘しかない。


 冷えた潮風に身を震わせて、カルミアは注意深く港の様子を見た。

 闇に紛れる黒い肌を男たちが数名波止場を行き来している。


 カルミアは彼らが行ったのを確かめてから足元に黒い輪を作り、吸い込まれるように消えた。



 空洞をくぐり抜けた先は船内に繋がっていた。

 巨大な生き物の胃の中のように生暖かく揺れ続ける壁を伝って、カルミアは手探りでランプに火をつけた。


 闇を一層際立たせるだけの明かりがカビの匂いがこもる船室を照らす。光が所狭しと詰め込まれた木箱の輪郭をなぞった。


「入るなってことは、相当高価なものを積んでるってことだよね……」

 カルミアは中央に鎮座する黒い漆塗りの箱に手をかけた。蝶番で強固に留められた箱は棺のような様相をしている。

 慎重にひとつずつ鍵を外し、蓋をずらした瞬間、むせ返るような腐臭が溢れ出した。


 カルミアが思わず飛び退いた拍子に勢いよく蓋が外れる。

「何これ……」

 干からびた人型の何かがある。

 子どもほどの大きさのそれは枯れ木のような色をして、敷き詰めた真綿に染み出した赤黒い液体が臭気を放っていた。その額には小さな角が突き出していた。



「閉めてくれるかな、ミイラの保存は大変なんだ」

 背後から響いた声にカルミアが悲鳴を上げる。

 音もなく現れたロクスターは淡々と歩み寄って棺の蓋を閉じた。

「特にこういう塩気の多いところだとすぐ駄目になるからね」

 カルミアは目を見開いて唇を震わせた。

「あたし……何も見てないから!」

 カルミアは弾かれたように駆け出し黒い輪の中に消えた。ロクスターは何も言わずに船内の明かりを消した。



 ***



 真っ青な顔をしたカルミアが酒場に飛び込む。

 酔客たちの体温でぬるくなった空気が冷え切った身体を撫でた。


「お前、どこ行ってたんだよ」

 ラジアータにのしかかられながらゼンが顔を上げる。

 カルミアは喉から呻きを漏らした。

「酷え面してんな……」


「死体を見たからかな」

 カルミアは咄嗟に酒場の柱に縋りついた。ロクスターは苦笑して飲みかけのグラスを手に取る。

「死体って?」

 ロクスターは椅子を引いて怪訝な顔のゼンの前に座った。

「僕は魔族の力を使うと行っただろう。研究のために魔物の死体を解剖することがあるんだよ。船に素材を積んであったのを彼女が見てね」

「また盗みに入ったのかよ」

 カルミアはまだ声もなく震えていた。


下等魔インプのミイラは貴重だからね。壊れなくてよかった」

「もし壊してたら……」

 カルミアの問いにロクスターが微笑する。

「代わりに研究を手伝ってもらったかな」


 ゼンはラジアータを振りほどいて煙草に手を伸ばした。

「積荷には魔王陛下の心臓もあるよ」

 ゼンの指先がぴたりと止まる。

「君から魔王の魂を切り離す方法は常に探してるよ。いつまでもこのままじゃ嫌だろう?」

「俺は……」


 ゼンは酒場の光景を見渡した。


 ラジアータが机に寝そべっている。

 クラーレはカウンターの側でサリドたちと魔物について議論を交わしているようだった。

 手前の席ではナイフとフォークもなしに出された魚の素揚げを持て余すホーネットに、オレアンが骨の取り方を教えているらしい。

 柱にしがみついたままのカルミアの背中をマイトが面白げにつつく。


 ゼンは俯いて、底に蜂蜜色の液体がわずかに溜まったグラスを見下ろした。

「このままでもいいんじゃねえかって、おもえてきちまったんだよな……」

 ロクスターは微笑んで酒を飲み干した。


 夜が更けるにつれて、喧騒はさらに増した。

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