殺気なギャングが港を回す
王都の騎士たちはラジアータに先導されて活気のない漁港を抜けた。
「こうなる前は貿易を担う貴族と彼らの擁する私兵が賑わう港だったんだ。だが、魔物が訪れて、金持ちは皆出て行ってしまった。残るのは行き場のない者が、この土地を守る気のあるごく僅かな貴人だけだ……」
彼女は沈鬱に首を振った。
「かつてポロニア港の五大貴族と謳われたうちの三家はもう出て行った。代々ここに居を構えるソーヤー家も最近荷造りを始めたらしい」
閑散とした大通りに蓋をするように夕陽が垂れ込める。
「お前は何の後ろ盾もなく戦っていたのか?」
オレアンが口を開いた。
「前世の記憶が戻って間もない頃はな。今は五大貴族の最後の一家、アミティ家のお嬢様が私を保護してくださっている」
「高潔なことで……」
ゼンが皮肉交じりに言うとラジアータは照れたように笑った。
「褒められるようなことじゃない。王都から遥々援軍に来てくれたお前たちの方がずっと高潔だよ」
カルミアが「通じないね」と囁く。
「ヘムロックみてえな奴……」
そう呟いてゼンはわずかに俯き、クラーレが一瞬瞑目した。
空き家の前に置かれた銅像の首から上がへし折られているのを横目にホーネットが言った。
「自警団とは協力しないの? 彼らは貴女のような人材を欲しがると思うのだけど」
「とんでもない!」
ラジアータが目を剥く。
「奴らはまだ貴族たちがいた頃、港の警備を全任する契約書を書かせたのをいいことに、土地全体の支配者を気取っている。まだここに残るお嬢様が邪魔だからと嫌がらせまでしているんだぞ!」
「貧民街でよく見たタイプだな」
ゼンが肩をすくめた。
「自警団の団長をしている兄弟。あれは本当にろくでもない。兄のサリドはまだ実力があるが、弟のマイトは兄の権威を盾にするゴロツキだ。今も奴の忌々しい顔が浮かぶ……」
「浮かぶというか、そこにいますね」
クラーレが通りの先を指差した。
逆光が地面に落ちる小さな影を長く伸ばしていた。
「いたぞ、奴らだ!」
漁港で会った少年、マイトが腕を組んで立ち塞がっている。その背後に侍る男たちは昼間よりはるかに多い。
ラジアータの褐色の頰が白くなる。
「貴方たちは顔を知られていませんから、他人のふりをしてください」
進み出たクラーレの肩をオレアンが掴んだ。
「やめろ。ロスクターが自警団にも協力を仰ぐかもしれないと言ったのを忘れたのか」
「これはもう無理でしょ」
カルミアはすでに踵を返しかけている。
ゼンは肩を回しながら言った。
「ラジアータ、あのガキは兄貴の腰巾着つってたよな」
「そこまでは言っていないが……」
師弟は視線を交わした。
「自警団の長がいる場所はわかりますか?」
クラーレの問いにラジアータが困惑気味に頷く。
「オレアン、ホーネット。彼女とともに急行し、弟を止めるよう伝えてください。カルミアは船に戻ってロクスターに連絡を。ゼン」
クラーレが右目で彼を見る。
「時間を稼げってことだな!」
ふたりは同時に大通りの先へ駆け出した。
「来るぞ!」
少年の声を合図にゼンとクラーレが急に踵を返し、それぞれ両脇の路地に飛び込む。
「二手に分かれやがった!」
土煙と怒号を残して彼らを追った男たちを眺めながら
ホーネットが呟いた。
「何を考えているの……」
「何も考えてないんだ! 仕方ない、自警団の方へ急ぐぞ」
呆気にとられる仲間を引き連れてオレアンが姿を消した後、カルミアは溜息をついた。
「あたしは
見上げた夕暮れの裾は既に黒ずみ始めている。
***
ゼンが積み上がった腐りかけた木箱と塩で固まった縄紐を越えたところで、クラーレが路地から飛び出してきた。
硝煙の黒い痕の残る壁と壁の間を駆けながらゼンが言う。
「師匠、ここ土地勘あんのか?」
「いえ、全く」
「そんなこったろうと思ったよ!」
路地裏に蓋をするように重苦しい夜闇が垂れ下がり、遠くから少年の声と男たちの足音が聞こえる。
羽虫がたかる干魚を吊るした棚を蹴り飛ばし、路地から出ると目の前に夜空の色を映しこんだ運河が広がっていた。
背後の怒号は別世界のように遠く、水の流れる音だけが響く。
「もう戻って殴っちまったら駄目か?」
「駄目そうです」
ゼンが舌打ちして声との距離を測ったとき、櫂が水面を叩く音がした。
「乗っていく?」
下流から水音に混じって穏やかな若い男の声が聞こえる。
「追われてるんだろ、無料でいいよ」
笹の葉のような細い小舟が川面に白い線を引きながらゆっくりと現れた。
「タダより高えもんはねえって知ってんだよ」
吐き捨てるゼンの肩をクラーレが軽く叩く。
「私は時間を稼ぎながらオレアンたちと合流します。貴方は少しの間ここから離れてください」
闇の中で真っ直ぐに向けられた視線に、ゼンはかぶりを振った。
「後で払えつっても払わねえぞ!」
防波堤を駆け上がり、川めがけて飛び込んだゼンの影が小舟に吸い込まれ、派手な音と水飛沫を上げるのを見送ってクラーレは踵を返した。
船腹を波が打ち付け、小舟の中に土と草の匂いが混じった水が浸み出す。
ゼンは船の振動が収まってから、わざと音を立てて座った。
船の先端に乗る男は驚くでもなく静かに櫂を繰り続けた。
川の両脇を囲む家々に明かりはなく、夜空と水面の境が見えない。
「寂しい通りだよね」
船乗りらしくない物静かな声で言った男の顔は闇の中に包まれて見えない。櫂を握る男の白い指だけが時折浮かび上がった。
「お前は誰だよ」
「名前はイドロ、君の乗る船の漕ぎ手だよ」
「そういうことじゃねえ」
「慌てないで、もうすぐわかるから……」
苛立ったゼンに構わず、男は手の細さに似合わない櫂水を掻く。
船は真っ直ぐに進み、雲の切れ目から月が光の梯子を下ろす方へ辿り着いた。
闇に包まれていた男の姿が徐々に露わになる。
港町とは思えない線の細い面差しで、瞳だけは海の色をしていた。
ゼンは息を呑む。
男の髪は月光に透けるような純白色だった。
「まさか、手前……」
腰を浮かしたゼンを船の振動が阻む。
波間から一斉に鱗に包まれた指が現れ、船端を掴んだ。
ゼンが剣の柄に手をかけたのを見て、イドロと名乗った若い男が呟いた。
「おれと戦うの?」
「手前が魔物引き連れてきたんだろうが」
黒い水面に
「君にとって魔物は敵なのかな」
ゼンは答えずに歯を軋ませた。
「正解は敵でもないけど味方でもない、だよ。人間もね」
ゼンは剣から手を離さず彼を睨む。
「魔王の仲間は魔王だけだよ。ひとも魔物も都合よくおれたちの力が欲しいだけだ」
船が再び暗がりへ進み、イドロの頬を闇が撫でた。
「おれはさ、
「奴を知ってんのか!」
ゼンが立ち上がった衝撃で船が傾く。魚魔たちの腕がそれを押し返した。
「協力するなら奴のことを教えていいって言ったら?」
船は暗闇の中に進行する。ゼンは低く唸った。
「……協力ってのは」
そのとき、水面を激しい光が駆け抜け轟音が鳴り響いた。
ゼンのすぐ側を何かが貫き、巻き上がった波が船を覆う。
「今度は何だよ!」
水辺を埋め尽くすように屈強なひと影が並んでいた。その先頭に鉄の筒と雷管を無理矢理束ねたような武骨な銃を構えた男がいる。
「厄介なことになったな」
イドロは身を翻して水に飛び込んだ。
ゼンが振り向いたとき、イドロと
「お前が弟の言ってた奴か。本当に爺みたいな白髪だ」
日焼けしてなめした黒革に似た肌の長身の男は、潮風で荒れた長髪を払って船を見下ろした。傍らに俯いたラジアータの姿がある。
「あいつ捕まってんのかよ……」
男が再び銃を構えた。
「待て!」
駆けつけたオレアンの声が飛ぶ。
「自警団のサリドだな。そいつは王都騎士団だ」
「私たちへの攻撃は王都への反逆よ」
ホーネットがわずかに遅れて追いついた。
「権威には疎くてな」
サリドはふたりを一瞥して笑う。
「では、脅しには疎くありませんか?」
闇の中から鎧の擦れる音とともにクラーレが現れる。その脇には彼女を追っていたはずの少年が抱えられていた。
サリドが引き金にかけた指を緩めた。
三勢力が無言で睨み合う。
沈黙を破ったのはサリドの低い声だった。
「大体、ここじゃ反逆者はお前らだぞ。俺たち自警団はここを統治する貴族から港を任されてるんだ。念書もある」
「詐欺師め……」
唸るラジアータをサリドが銃口で小突いたとき、静かな足音がした。
「念書というのはこれかな」
夜闇と同じ色の法衣を翻して進み出たロクスターが羊皮紙の束を持ち上げた。
サリドの目が小さく見開かれる。
「あたしのせいじゃないよ! このひとが盗めって言ったの」
ロクスターの陰に隠れたカルミアが彼を指差す。
「どうだろう、これで話をしてれるかな」
ロクスターは口元に笑みを浮かべた。
「お前らが騎士か、せいぜい高級なギャングだな」
サリドが頭を振って銃を下ろす。
「何かもう、めちゃくちゃじゃねえか……」
ゼンは闇の濃い方へ連れ去ろうと揺れる小舟から水辺を眺めて溜息をついた。
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