四:最果ての島流し

青面獣

 王都に冬が訪れ、早朝の騎士団駐屯所の庭に霜が降りていた。

 空は霜と同じ奥行きのない白で広がっている。



 ゼンはかじかんだ指先を息で温めた。

 その温度でまだ自分は人間だと確かめているだと思い、思考を振り切るように煙草に火をつけた。


 呼気との境が曖昧な煙を吐き出すと、白い空にもう一筋の紫煙が溶けている。


「ロクスター」

 黒い法衣から覗く指に煙草を挟んだ彼が微笑みを返した。

「あんたも吸うんだな」

「冬になると吸いたくなるんだ。火の温かさが恋しいのかな……」


 ロクスターは煙を吐く動作で、そびえ立つ王都の防壁を顎で指した。

「あっちに騎士団員の墓地があってね、戦勝報告に行ってきたんだ。君も落ち着いたら行ってみるといい」

 ゼンは無言で吸い殻を捨て、踵ですり潰した。


「なぁ、あんた前世でも仲間だったんだよな」

 ゼンの声にロクスターが首を傾げた。

「一回死んで、生き返ったって。じゃあ、三回目もあるのか。死んでった奴らが転生してくることも……」

「僕は、そう願ってるよ」


 ロクスターは眉を下げて笑った。

「どうしても会いたいひとがいるんだ。非力だけどずっと戦場に身を置いてるのはそのためかな」

「へえ……」


 照れを打ち消すように手を振ったロクスターは立ち去ろうとしてから、足を止めてゼンを見た。

「そうだ。すまないけど、君、しばらく左遷だから」

「今それ言うかよ、クソ人事……」

 ロクスターは透明な息を吐いて去っていった。



 ***



 ゼンとクラーレが招集されたのは、いつもの事務室ではなく、修行に使った地下室だった。


 湿気と陰鬱な空気に満ちた廊下をカンテラを持って進みながら、ロクスターが言う。


「今回の件で上層部がゼンを王都に置くことに難色を示していてね。ちょうど辺境で魔物の動きが活発化しているから、ほとぼりが冷めるまでその討伐に行ってほしい」

「私は同行できるのですか?」

 クラーレの問いに彼は首を振った。

「君には別件に当たってもらうよ。その代わりゼン君のお目付役はつけておくから」

「はあ……?」


 ゼンが睨んだ先に、橙の揺れる光に照らされたひと影があった。


 腰に手を当ててこちらを向いている若い男は、服の下からでも引き締まった筋肉の輪郭がわかる。

「極北のリアン山要塞の最高責任者、辺境特別守護部隊のスルク隊長だよ」


「あんたが俺の監視につくのか?」

 黒髪と褐色の肌を持った彼は、答える代わりに吊り気味の青い目でゼンを見据えた。

 頰から鼻にかけて凍傷のような青黒い痣が広がっている。


「お目付役なんてなくても大丈夫だろ。俺は死なねえし」

 スルクは軍靴を鳴らしてゼンに一歩近づく。

「口の利き方も姿勢もなってねえな。不死身なんだって?」

「おお……」

 言い淀んだゼンの身体が宙に浮いた。

 次の瞬間、ゼンは濡れた石畳に叩きつけられている。

 床にぶつかったときより、スルクに一瞬で足を払われ片腕で投げられた衝撃の方が遥かに大きかった。


「魔王っていうからどんな奴かと思えばクソガキじゃねえか」

 呆然と天井を見上げるゼンにスルクが吐き捨てる。


「待ってください、スルク隊長。不死身といえど彼には痛覚があるのです」

 駆け寄ったクラーレを彼は平然と見返した。

「そりゃあ都合がいい。ガキは痛みがないと学習しないからな。貴女が教えてない礼儀まで全部教えますよ。行くぞ!」


 スルクは床に伸びていたゼンを引きずって、暗い地下室の奥へ進んでいく。


 その背を見送りながらクラーレは立ち尽くして呟いた。

「あれは、いいのでしょうか……駄目なのでは……」

 ロクスターは労わるように彼女の肩に手を置いて首を振った。



「おい、離せよ! 師匠がまだ––––」

「師匠は関係ねえ! 今日から俺がお前の指導者だ。言っとくがお前より厄介な奴まで押しつけられてんだからな」

「はあ……?」

 引きずられながら辿り着いた廊下の先に、牢獄のような小部屋が並んでいる。


 スルクの手が離れてつんのめりかけたゼンは、錆びついた堅牢な鉄格子の奥に、見覚えのある砂色の髪の少女を見とめて声を上げる。

「お前……カルミア!」


「陛下、ねえ、助けて!」

 カルミアは鉄柵に鼻を擦り付けて叫んだ。

「何でここにいるんだよ」

「逃げ遅れたの! ずっと閉じ込められるし、魔術は使えないし、どんどん警備が増えて大変だったんだよ」


 ゼンがスルクを見上げると、彼は呆れたように言う。

「警備が増えたのはお前のせいだろ。見張りが来るたび鍵盗んで逃げようとしやがって」

「だって、盗れそうなところにあったら盗っていいのかなって思うでしょ!」


 スルクは溜息をついて、奥から現れた兵士たちに牢の鍵を開けるように示す。

「ちょっと待て。あんた、コイツも押し付けられたって言ってたよな。俺と一緒にコイツも来んのか」

「あぁ、そうだ。こうなったらまとめて根性叩き直してやるからな。おい、衛兵。馬車まで連れてこい」



 兵士たちを残してスルクが立ち去った後、ゼンは鉄格子にもたれかかって独り言のように言った。

「若えし、柄悪いし、本当にアイツが責任者かよ……」

「本当らしいよ。ほら」

 格子の奥から伸びたカルミアの痩せた手に銅貨のような勲章が連なったリボンが握られている。


「お前、いつ盗んだ?」

「今さっき」

 事もなさげに言ってみせるカルミアを横目にゼンは白い頭を掻いた。

「特技通り越して病気だな……」



 辺境からの迎えの馬車は雪に溶け込むような白い塗装が施され、荷車の後部には背後の敵を牽制するためか銃火器の筒が突き出していた。



 迷う暇もなく、ゼンは荷台に押し込まれる。

 次いでカルミアが放り込まれ、最後に乗り込んだスルクが座席に頭を預けて言った。


「手ぇ出せ」

 カルミアは戸惑いながら手を受け皿のように差し出した。冷たい音がして、細い手首に手錠が降りる。

「気づいてねえと思ったか」

 スルクは青ざめたカルミアから勲章を取り上げ、目の前にぶら下げた。


「別にいいぜ。お前らは俺を信用してないように、俺もお前らをまだ信用してないからな」

 勲章を制服の胸に戻して、彼はゼンに視線を移す。


「手錠はひとつしかない。お前が妙なことしたら関節外すからな。基地に着いたら戻してやる」

「何もしねえよ……」

 ゼンは助けを求めるカルミアの視線を無視して窓の外を眺めた。


「師匠に何も声かけてねえや……」

 車内の体温で窓ガラスが曇り、騎士団駐屯所の景色が霧に包まれたように霞んだ。



 ***



 クラーレは事務室の窓から門を潜り抜ける馬車の後ろ姿を見つめていた。


「心苦しいけれど、上の意向でね」

 ロクスターが机の縁をなぞって呟いた。

「優秀な戦士ほど魔物に狙われやすい。王都を守るため、ひとつの場所に留まれないのは勇者ブレイブ聖騎士パラディンも同じですから」


 クラーレは表情を作って向き直ると、資料の山に視線を落とした。

「今回は私単独の任務と伺いましたが……」


 机上に広がった地図は所々を補うように、地形のスケッチや掠れた魔法陣、何かの生物の解剖図のような資料が貼りつけられ、中央に円が描かれている。



「大事な任務でね。勇者と魔王、僕たち全員の在り方に関わる問題だよ」

 ロクスターは人差し指と中指にピンを挟んだ。

「“賢者セージ”を探してほしい」


 クラーレの顔にわずかに驚きの色が浮かぶ。

「先の戦争で一度も目にしたことはありませんが、噂ではなく実在するのですか?」

「勇者の最後の切り札として隠されていたそうだね。だが、彼というか彼女というか……ともかく賢者セージについて気になることがある」


 ロクスターが眼を鋭く細めた。

「僕たちは魔王の危機が訪れたため、再びこの世に生を受けた。君もそう思っているだろう?」

 クラーレは言葉の意図を測りかねつつ、頷き返す。

「だが、今回の転生が人為的なものだったとしたら? 」


 クラーレは地図上の不穏なスケッチに視線を走らせながら慎重に言葉を紡ぐ。

死霊術師ネクロマンサーが魔物を復活させているように、我々も何者かに転生させられたと?」

「答えを知るのは賢者セージだ。真実を探ってくれるかな。結果次第では、対象の処刑も視野に入れてほしい」


 ロクスターが地図の一画にピンを突き刺す。

 ガラス玉に反射する彼の眼光が鈍い輝きを放った。



 ゼンの乗った馬車とクラーレの馬車はそれぞれ別の時刻に王都を離れ、正反対の方角へ進んだ。


 ただひとつ共通していたのは、行く先がどちらも最果てと呼ばれる場所ということだけだった。

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