セカイ

 こだまする破裂音と吹き抜ける爆炎が、要塞を地獄の入り口のように縁取っていた。



 クラーレはひとと魔物の脂を吸った黒い風に髪をなびかせて言った。

「お前は魔王をその吸血鬼ヴァンパイアに食わせると言っていましたね。それに何の意味があるのですか」


「俺たちが生き延びるためだ」

 召喚士サモナーは眉ひとつ動かさず答える。

「今、死霊術師ネクロマンサーはそこかしこで魔物を復活させている。俺と彼女も叩き起こされた身だ。そして、魔王が復活し、この世界での力の均衡が崩された」


 白髪の少女の赤い瞳は、青年の横顔だけを映していた。

「魔王はその名の通り、全ての魔物の上に君臨する存在。俺たちが他の魔物やお前ら勇者陣営に殺されずに生きるためには、その力を手に入れるしかない」


 クラーレが首を振った。

「魔王の力がそんなにいいものだと思いますか? 世界を滅ぼす力です。それを手にした者がどんな人生を強いられるか考えたことは?」

 眼帯に覆われた彼女の左目をゼンは盗み見る。


 召喚士サモナーは少女の肩を引き寄せた。

「構うものか。俺はミナのためなら世界を敵に回したっていい」

「ミナってのがその化けモンの名前かよ」

 ゼンは吐き捨てるように言った。

「そうだ。お前ら勇者陣営が殺してきた魔物たちにも名前があるんだ」

「じゃあ、墓石にそう刻んでおいてやるよ。俺は字書けねえけどなぁ!」



 召喚士サモナーとゼンの視線が衝突した。

「起きろ、ミナ!」

 青年の声に少女が震える。白髪が血に浸した絹のように毛先から赤く染まり始めた。

 少女の身体が凝固した血液のような紅玉の外郭に包まれる。


「ゼン!」

 師の声にゼンは剣を抜き、ひっ先を喉元に向けた。

「呪殺を打つ。俺の命を代償に、俺を殺せ!」

 ゼンの身体から漆黒の液体が噴き出した。液体は宙で王の衣を紡ぐように蠢き、ゼンの身体を包む。


 黒い鎧を纏った最後の弟子をクラーレは見やった。

「よし、問題ねえ」

「気をつけて。貴方の弱点は毒と窒息、死に続ける状態が続くことです。吸血鬼ヴァンパイアの血にも毒性があります」

「わかってる、そっちは頼んだぜ!」

 師弟は同時に地を蹴って、黒煙の中に飛び込んだ。



 女吸血鬼ドラキュリーナが悲鳴に似た咆哮を上げる。

 クラーレの剣が緞帳のように広がった羽の関節を狙って刺突した。

 砕けた赤い破片が血飛沫になって宙に散る。


「王都騎士団仕込みか!」

聖騎士パラディンは私の師でもありますから」

 忌々しげに唸る召喚士サモナーに、クラーレは返答とともに剣撃を放った。


 庇うように立った女吸血鬼ドラキュリーナの脇腹にゼンの鉤爪が食い込み、二体の怪物がぶつかり合う。


 乱反射する光のように飛ぶ赤と黒の体液を掻い潜り、クラーレが外套の裾を払った。

 腰に帯びた剣の鞘に重なるように、中央がくり抜か紺碧の液体が波打つ、奇妙な刀が鈍い輝きを放つ。


「あれは、魔物殺しの……」

 召喚士サモナーがわずかに息を呑んだ。

「ミナ、足場を崩せ!」



 砦に漂う煙と熱を切り裂いて、竜巻が起こる。

 ゼンとクラーレを風圧で牽制して飛翔した女吸血鬼ドラキュリーナは、空中で旋回し、巨大な矢のように要塞に飛び込んだ。


 赤い嚆矢を撃ち込まれた防壁が音を立てて砕ける。

 師弟の足元に走った亀裂が口を広げ、砦の中央を走る道が瞬く間に崩落した。



「消耗してもらうぞ……」

 召喚士サモナーが手をかざし、両脇から金切り声が湧き上がった。

 無数の吸血鬼が滑空し、砦の空を黒く彩る。


「くそっ、まだそんなにいやがったのかよ」

 鎧の中で毒づいたゼンに女吸血鬼ドラキュリーナが哄笑を返す。

 魔物が背後の砲火を写したような赤の羽根を再び広げた。


 羽から放たれた血の雨が硬質な刃になって降り注ぐ。

 鎧を纏った全身でそれを弾き、反撃に移ろうとしたゼンを正面から吸血鬼が襲う。


「上を失礼」

 静かな声と背に触れた手の平の温度にゼンが膝をつくと、眼前の敵が勢いよく吹き飛んだ。

 ゼンの背を台にして、吸血鬼を蹴り飛ばしたクラーレが軽やかに着地する。


 ふたりは視線を交わした。

「ロクスター!」

 腹の底から張り上げたゼンの声が空気を震わせた。


 召喚士サモナーが訝しげに眉をひそめる。

 次に彼を襲ったのは強烈な腐臭だった。


 とっさに振り返ると、大砲の撒き散らした黒い煙を掻き分けて、無数の兵士たちが進んでくる。


 その足取りに闘志はなく、知らない場所を彷徨うように覚束ない。

 徐々に輪郭を表した兵士たちはある者は首が折れ曲がり、ある者は腹から乾き始めた内臓を零し、汁を啜りに来た蝿がたかっている。


「まさか……死霊術師ネクロマンサーが……!?」



 ***



 石畳を覆う絨毯のように、砦の端に長い布が広げられていた。布の下はわずかに隆起し、その凹凸がひとの形だとわかる。


「これが現時点での第一から第四部隊で出た、頭と四肢の半分が残った死者全員だ」

 即席の死体袋を見下ろして、第一部隊の隊長が苦々しく呟いた。

「ありがとうございます」

 ロクスターは一礼を返して顔を上げた。


「私の部下たちだ。だが、お前がそれをどう使うか、私には聞く権利がない」

 隊長は兜の中の目を細める。

 ロクスターが何か言いかけるのを彼女は冷たく遮った。

「理由も用途も聞かない。私が聞くのはひとつだ。わかっているな、ロクスター」

「必ず勝利の報告に参ります」

 顎を引いて答えた彼の目が赤く輝いた。



 ***



 砦を蹂躙しようと飛び交う吸血鬼の群れに死者たちが組みついた。

 ゼンの脳裏に馬車で見たロクスターの横顔が浮かぶ。


 ––––「先に言っておくよ、ゼン君。君には嫌なことを思い出させるかもしれない」

 ゼンは片方の眉を上げてロクスターを見た。


「僕の魔術は魔物の探知以外にもあってね。本当に嫌なもので、勇者にも教えてなかったんだ……」

 彼は沈鬱な面持ちで手を組んだ。

「僕のもうひとつの魔術は模倣。それも一度見た魔物の業を使うものだ。今回は君から得た、死霊術師ネクロマンサーの魔術を使おうと思ってる」––––



「わかってても苛つくもんだよなぁ……」

 魔物の羽を引きむしり、黄ばんだ歯で貪る生き死人アンデッドたちにゼンは顔をしかめた。


「ですが、これで仕切り直しです。ここは私が」

 再び剣を構えたクラーレに視線をやって、ゼンは駆け出した。

 終わりのない捕食を繰り返す吸血鬼と死者の群れを掻き分け、その塊を足場に跳躍する。



 黒い口を開けて待ち構える亀裂を飛び越え、ゼンは召喚士サモナーの懐へ飛び込んだ。


 黒い鉤爪を召喚士サモナーの剣が受け止める。

 剣の峰がゼンの兜を割り、白髪と片目が露わになった。


 衝撃に飛び退いたふたりが同時に構え直し、双方が向かい合った。

「凶悪な面だな、魔王。殺戮は楽しいか」

「手前はどうなんだよ」

 召喚士サモナーは視線を逸らさずに首を振る。

「楽しいものか。世界を敵に回さなければ、愛する者も守れない者の気持ちを考えたことがあるか」

「わかんねえよ」

「無知は幸せだな」

 召喚士サモナーは鼻で笑う。


 兜の亀裂を修復するように黒い霧が蠢いた。

「そうだな、俺は貧民街の馬鹿で墓暴きで、ずっと見下されて嫌われてたからな。誰かに対抗心燃やされたり、庇われたことなんかここに来るまでなかった……」


 ゼンの顔を覆い隠した禍々しい兜をが震える。

「手前が世界だなんだと戦うなら勝手にしろ! けどなぁ、手前の言う世界は、俺の身内だったんだよ!」


 どっと吹き抜けた黒い風が召喚士サモナーの全身を押した。

 一瞬気圧された彼は、無理に皮肉な笑みを繕う。

「結局はエゴのぶつかり合いか」


「エゴが何なのかわからねえが……」

 黒い兜の奥から眼光が放たれた。

「くたばった方が馬鹿で間違ってたってことでいいな!」



 空気が爆ぜる音が響く。

 石畳を削って突進したゼンの鉤爪と、召喚士サモナーの振り抜いた剣が互いに炸裂した。


 その真上に赤い影が閃いた。

 墜落する女吸血鬼ドラキュリーナにクラーレが飛び乗っている。

 薄く引き伸ばされた赤水晶に似た羽を、突き立てた毒の刀が布のようにたわませ、クラーレがその鍔を深く押し込んだ。

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