セカイ
こだまする破裂音と吹き抜ける爆炎が、要塞を地獄の入り口のように縁取っていた。
クラーレはひとと魔物の脂を吸った黒い風に髪をなびかせて言った。
「お前は魔王をその
「俺たちが生き延びるためだ」
「今、
白髪の少女の赤い瞳は、青年の横顔だけを映していた。
「魔王はその名の通り、全ての魔物の上に君臨する存在。俺たちが他の魔物やお前ら勇者陣営に殺されずに生きるためには、その力を手に入れるしかない」
クラーレが首を振った。
「魔王の力がそんなにいいものだと思いますか? 世界を滅ぼす力です。それを手にした者がどんな人生を強いられるか考えたことは?」
眼帯に覆われた彼女の左目をゼンは盗み見る。
「構うものか。俺はミナのためなら世界を敵に回したっていい」
「ミナってのがその化けモンの名前かよ」
ゼンは吐き捨てるように言った。
「そうだ。お前ら勇者陣営が殺してきた魔物たちにも名前があるんだ」
「じゃあ、墓石にそう刻んでおいてやるよ。俺は字書けねえけどなぁ!」
「起きろ、ミナ!」
青年の声に少女が震える。白髪が血に浸した絹のように毛先から赤く染まり始めた。
少女の身体が凝固した血液のような紅玉の外郭に包まれる。
「ゼン!」
師の声にゼンは剣を抜き、ひっ先を喉元に向けた。
「呪殺を打つ。俺の命を代償に、俺を殺せ!」
ゼンの身体から漆黒の液体が噴き出した。液体は宙で王の衣を紡ぐように蠢き、ゼンの身体を包む。
黒い鎧を纏った最後の弟子をクラーレは見やった。
「よし、問題ねえ」
「気をつけて。貴方の弱点は毒と窒息、死に続ける状態が続くことです。
「わかってる、そっちは頼んだぜ!」
師弟は同時に地を蹴って、黒煙の中に飛び込んだ。
クラーレの剣が緞帳のように広がった羽の関節を狙って刺突した。
砕けた赤い破片が血飛沫になって宙に散る。
「王都騎士団仕込みか!」
「
忌々しげに唸る
庇うように立った
乱反射する光のように飛ぶ赤と黒の体液を掻い潜り、クラーレが外套の裾を払った。
腰に帯びた剣の鞘に重なるように、中央がくり抜か紺碧の液体が波打つ、奇妙な刀が鈍い輝きを放つ。
「あれは、魔物殺しの……」
「ミナ、足場を崩せ!」
砦に漂う煙と熱を切り裂いて、竜巻が起こる。
ゼンとクラーレを風圧で牽制して飛翔した
赤い嚆矢を撃ち込まれた防壁が音を立てて砕ける。
師弟の足元に走った亀裂が口を広げ、砦の中央を走る道が瞬く間に崩落した。
「消耗してもらうぞ……」
無数の吸血鬼が滑空し、砦の空を黒く彩る。
「くそっ、まだそんなにいやがったのかよ」
鎧の中で毒づいたゼンに
魔物が背後の砲火を写したような赤の羽根を再び広げた。
羽から放たれた血の雨が硬質な刃になって降り注ぐ。
鎧を纏った全身でそれを弾き、反撃に移ろうとしたゼンを正面から吸血鬼が襲う。
「上を失礼」
静かな声と背に触れた手の平の温度にゼンが膝をつくと、眼前の敵が勢いよく吹き飛んだ。
ゼンの背を台にして、吸血鬼を蹴り飛ばしたクラーレが軽やかに着地する。
ふたりは視線を交わした。
「ロクスター!」
腹の底から張り上げたゼンの声が空気を震わせた。
次に彼を襲ったのは強烈な腐臭だった。
とっさに振り返ると、大砲の撒き散らした黒い煙を掻き分けて、無数の兵士たちが進んでくる。
その足取りに闘志はなく、知らない場所を彷徨うように覚束ない。
徐々に輪郭を表した兵士たちはある者は首が折れ曲がり、ある者は腹から乾き始めた内臓を零し、汁を啜りに来た蝿がたかっている。
「まさか……
***
石畳を覆う絨毯のように、砦の端に長い布が広げられていた。布の下はわずかに隆起し、その凹凸がひとの形だとわかる。
「これが現時点での第一から第四部隊で出た、頭と四肢の半分が残った死者全員だ」
即席の死体袋を見下ろして、第一部隊の隊長が苦々しく呟いた。
「ありがとうございます」
ロクスターは一礼を返して顔を上げた。
「私の部下たちだ。だが、お前がそれをどう使うか、私には聞く権利がない」
隊長は兜の中の目を細める。
ロクスターが何か言いかけるのを彼女は冷たく遮った。
「理由も用途も聞かない。私が聞くのはひとつだ。わかっているな、ロクスター」
「必ず勝利の報告に参ります」
顎を引いて答えた彼の目が赤く輝いた。
***
砦を蹂躙しようと飛び交う吸血鬼の群れに死者たちが組みついた。
ゼンの脳裏に馬車で見たロクスターの横顔が浮かぶ。
––––「先に言っておくよ、ゼン君。君には嫌なことを思い出させるかもしれない」
ゼンは片方の眉を上げてロクスターを見た。
「僕の魔術は魔物の探知以外にもあってね。本当に嫌なもので、勇者にも教えてなかったんだ……」
彼は沈鬱な面持ちで手を組んだ。
「僕のもうひとつの魔術は模倣。それも一度見た魔物の業を使うものだ。今回は君から得た、
「わかってても苛つくもんだよなぁ……」
魔物の羽を引きむしり、黄ばんだ歯で貪る
「ですが、これで仕切り直しです。ここは私が」
再び剣を構えたクラーレに視線をやって、ゼンは駆け出した。
終わりのない捕食を繰り返す吸血鬼と死者の群れを掻き分け、その塊を足場に跳躍する。
黒い口を開けて待ち構える亀裂を飛び越え、ゼンは
黒い鉤爪を
剣の峰がゼンの兜を割り、白髪と片目が露わになった。
衝撃に飛び退いたふたりが同時に構え直し、双方が向かい合った。
「凶悪な面だな、魔王。殺戮は楽しいか」
「手前はどうなんだよ」
「楽しいものか。世界を敵に回さなければ、愛する者も守れない者の気持ちを考えたことがあるか」
「わかんねえよ」
「無知は幸せだな」
兜の亀裂を修復するように黒い霧が蠢いた。
「そうだな、俺は貧民街の馬鹿で墓暴きで、ずっと見下されて嫌われてたからな。誰かに対抗心燃やされたり、庇われたことなんかここに来るまでなかった……」
ゼンの顔を覆い隠した禍々しい兜をが震える。
「手前が世界だなんだと戦うなら勝手にしろ! けどなぁ、手前の言う世界は、俺の身内だったんだよ!」
どっと吹き抜けた黒い風が
一瞬気圧された彼は、無理に皮肉な笑みを繕う。
「結局はエゴのぶつかり合いか」
「エゴが何なのかわからねえが……」
黒い兜の奥から眼光が放たれた。
「くたばった方が馬鹿で間違ってたってことでいいな!」
空気が爆ぜる音が響く。
石畳を削って突進したゼンの鉤爪と、
その真上に赤い影が閃いた。
墜落する
薄く引き伸ばされた赤水晶に似た羽を、突き立てた毒の刀が布のようにたわませ、クラーレがその鍔を深く押し込んだ。
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