お礼参り

 クラーレは鋭く目を細めた。


「私たちと交渉したいということですか。信じるとでも?」


 アルキルは頭を掻いて溜息をつく。

「おれはしょうがなく従ってるけど、奴等に勝たれると都合悪いんだよなぁ。それに早いとこ決めないとあっちが保たないぜ」

 アルキルは顎で砦の方を指す。

 咆哮と地鳴りが混じり合った不気味な響きが聞こえてきた。


「で、手前らは俺に何してくれんだよ」

 ゼンの問いにアルキルが肩をすくめた。

「砦が邪魔で応援に行けないんだろ? こいつがお前らふたりを送ってやるよ。奇襲になるし、召喚士サモナーも飛んでくるだろうから探す手間が省ける」


 クラーレは横目で防壁を見やった。

聖騎士パラディンの結界で押し留める算段だったろうが、あの巨人サイクロプスは奴が特別に強化したもんだからな。言葉を喋るくらいの知能もあるし」


 森に沈黙が染み渡る。

「なぁ、喋るってことはさ……」

 ゼンが口を開いた。

「息してるってことか?」

 全員が呆然とゼンの顔を見る。

「そういうことになりますが……」

 意図を計りかねたクラーレが曖昧に答えた。

「馬鹿か、してるに決まってんだろ」


 ゼンは声を上げて笑うアルキルの後ろの少女を見た。

「なぁ、名前何だっけ」

「カルミアだけど……」

「ブスって呼ばれてなかったか」

「そんな名前つける親いないよね……」


 ゼンはこめかみに手をやって考え込むように言った。

「カルミア、この森に火薬が隠してあるはずだ。持って来れるか?」

「任せて、盗むのは得意だよ」

 少女は頷く。


「何をする気ですか?」

 クラーレが不安げに弟子を見つめた。

「盗んだ火薬を上から落っことして、この森を燃やす。で、煙をオレアンたちの方に流す」

「気でも狂ったかぁ? 陛下」

 アルキルが目を見開く。


「昔、貧民街スラムですげえ火事があって、バラックがほとんど燃えて、死人も山ほど出たんだ。そんとき……図体のデケえ奴から死んだんだよな」

 ゼンは凶暴な笑みを浮かべた。

「あんた、やっぱり魔王の器だね」

 苦笑したカルミアの顔に怯えはなかった。



 ***



 テトロの小柄な体躯を巨人の猛攻が襲う。

 彼は烟る荒野を駆けながら弩を引いた。


 光の反射のような軌道が埃の幕を抉り、巨人に突き刺さる前に払い落とされる。

 半円を描く刃に似た爪がテトロの脇腹を掠め、肉の代わりに汚れた法衣の布地を抉り取った。



 オレアンは呻いて身を起こそうとする。

 眼前に毒を仕込んだ刀が転がっていた。

 中心のガラスが砕け、地に染み出した紺碧の液体がホーネットの赤毛の先に触れようと侵食している。

 手を伸ばすが、全身に痺れが走り、思うように動かない。


 巨人が飛び込むように倒れ、衝撃波に弾かれたテトロの踵が土を削る。


 巨人がゆっくりとオレアンの方へ這い寄ってきた。

 ホーネットの白い指が地面に何かを描く。


 オレアンは必死で記憶を探り、舌打ちした。

 ホーネットがわずかに顔を上げ、振り絞るような声で言う。

「貴方、まさか……古代語が読めないの……」


 巨大な眼球が倒れたふたりの戦士を粘膜に映した。空に暗雲が垂れ込め、巨人の息がホーネットの髪を揺らす。


「読メナイノ……読メナイノ……可哀相……」

 巨人が嘲るように言葉を繰り返した。オレアンの握りしめた指が泥に食い込む。


 臓物のような感触の泥が、乾いた羊皮紙に変わった。



 ***



「オレアン、字が読めないのか?」


 懐かしい声に目を開けると、ヘムロックが労わるような表情で向かいの席に座っていた。


 王都騎士団駐屯所の図書室をまだ冷たい春の風が吹き抜ける。


「あぁ、そうなんだ。昔と文法が変わっていない部分はわかるんだが……何しろ貧民街で過ごした期間が長くて」

 オレアンの伏せた目に紙の上に並んだ虫のような文字の羅列が映った。

「気にするな。環境はお前のせいではないからな」


 慌てて手を振ったヘムロックの横で、セレンが頬杖をついたセレンが言う。

「うーん、言うか迷ってたんだけど、今のオレアンはちょっと柄が悪くなってるかな。言葉遣いとか仕草とか」

 オレアンはかぶりを振った。

「悪い、頑張って直すよ」


「ねえ、もうすぐ騎士団の集会があるでしょ」

 セレンがペンを指先で弄んだ。

「わかってる。ちゃんとできるようになるまで俺は顔を出さないから」

「違う」

 オレアンの言葉を遮るようにペンが鼻先に突きつけられた。


「私たちと一緒に行こう。貴族たちのパーティや定例会議も。一緒にいろんな経験をして、また少しずつ学んでいこうよ」

 オレアンは目を逸らした。

「でも、お前たちに恥をかかせる訳には……」

「あーあ、悲しいなぁ。私たちそんな権威主義者だと思われてたんだ」

 席を立とうとしたセレンを追って腰を浮かせたオレアンに、彼女は八重歯を覗かせて笑う。

「冗談だよ」


 ヘムロックが強い眼差しを向けた。

「困難は一緒に乗り越えるものだ。俺たちは仲間だろう!」

「ヘムロック……」

 オレアンの口元が緩んだ。

「図書室では静かにな」

 ヘムロックの狼狽に、ふたりの笑い声が重なった。



 ***



 巨人の赤黒い喉が迫る。


 オレアンは膝で地を蹴るように立ち上がり、ホーネットの腰を掴んで引き寄せた。

 石臼のような歯が宙を噛む。



 オレアンは痺れの残る手で刀を掴んだ。

 息をするたびに肺胞が握りつぶされるように痛む。

 刀の鍔を引くと、ひびの入った空洞のガラスが現れた。

 毒薬を啜った泥を掬い、ガラスに詰めて再び鍔を取り付ける。


 横から割って入ったテトロの射撃に巨人の意識が逸れた。

姫騎士プリンセスの毒なんか、お前には勿体ない……」

 オレアンは腰を低く落とし、刀を突き出した。

 ひっ先は吸い込まれるように巨人の口の先に差し込まれた。


「化け物は泥でも啜ってろ!」

 刀の鍔を強く押し込む。

 巨人の顔が歪に膨れ上がり、内側から無数の手に殴られたように青黒く変色した。


 絶叫が大気を震撼させた。


「やったか!」

 剣に縋るように立つオレアンを見やって、テトロが叫ぶ。

「まだだ、毒が足りてない!」


 痛みに荒れ狂う巨人が顔を突き入れた暗雲から、黒い塵のような何かが降り注いだ。

「これは何だ……燃え滓……?」

 テトロが訝しげに空を睨む。



 ***



「おぉ、効いてるみてえだなぁ」

 防壁の上から覗く巨人が悶えるように浮き沈みするのを見ながらゼンが呟いた。


「熱い空気は上に行きますが、何というか……」

 燃え盛る森を横目にクラーレが呆れたように苦笑した。

「性格最悪だって言われない……?」

 カルミアは上空に開けた穴へ黒い空気の塊が流れていくのを薄めで睨んだ。



 ***



 巨人の身体が徐々に地表に近づいていく。

 咆哮が苦悶の叫びに変わる。


 熱で白く変色した眼球が膨大な涙を滴らせた。


「ともかく好機だ!」

 子どもの癇癪のように拳を振り回す巨人の四肢に、テトロの放った矢が突き刺さった。


 支えを失って傾いた巨躯を銀色の光が貫く。

 オレアンの肩にすがったホーネットが刀を投擲したままの形で虚空に手をかざしていた。


「オレアン、行って」

 彼はホーネットと視線を交わし、煤塵の降り注ぐ中を疾走した。


 体表に矢を飾った巨人が首を差し出すようにその身を地に投げ出す。


 オレアンはその腕に飛び乗った。

 骨の輪郭を縁取る凹凸を駆け上がり、肩まで到達する。


 振動する足元を確かめ、太い筋と血管が浮き出した喉首を見つめて、オレアンは呼吸を整えた。

 目を閉じて静かに息を吸い、剣を掲げ、目を見開く。


 剣が、巨人の頸椎に振り下ろされた。


 全身の体重をかけて圧し切るように差し込まれた刃が巨人の首を切断する。


 熱い血潮が噴き出し、雨のように降り注いだ。

 刃が幕を上げたように、切断面から真っ赤な肉と中央の白い骨が現れる。


 切り落とされた巨人の首が衝撃とともに地面に落下し、それを追って空中で花開いたように舞い散る血の雫が荒野を濡らした。



 ***



 絶えず響く砲撃の音と兵士たちの怒号が埋め尽くす要塞の上を、颯爽と歩くふたりの影があった。


巨人サイクロプスが殺られたか」

 召喚士サモナーを気遣うように白髪の少女が彼を見上げる。

「大丈夫だ。ここを落とせば––––」


 青年の横面を鋭い何かが掠めた。

 彼の頰に赤い線がさっと引かれ、背後の壁に抜き身の剣が突き刺さる。


 威嚇の声を上げた少女の前の空間が、引き裂かれたように口を開けた。



「久しぶりだな、糞野郎」

 穴から一歩踏み出したゼンが召喚士サモナーを睨む。

 その後ろから現れたクラーレが腰の剣に手をかけた。


淫魔インキュバスめ……」

 召喚士サモナーが喉を鳴らし、平静を装うように姿勢を正す。

「殺されに来たのか?」

「ぶっ殺しに来たんだよ」


 クラーレがゼンの背にそっと触れて囁く。

「これが大詰めです。気を引き締めて行きますよ」

 ゼンは首肯を返した。

「あぁ、師匠。ヘムロックとセレンのお礼参りだ!」


 向き合ったふたりとふたりの視線が、要塞を吹き荒れる黒い風の中で交錯した。

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