死闘

 騎士団駐屯所の事務室の扉が叩かれ、肩から血を流した兵士が飛び込んでくる。


「緊急です! 西部国境の砦に複数の魔物の襲撃、巨人サイクロプス吸血鬼ヴァンパイアです!」

 既に兵士と事務員が入り乱れている事務室の中央で、ロクスターが叫ぶ。

「被害は?」

「死者三十一名、もっと増えています!」

「援軍は?」

聖騎士パラディン姫騎士プリンセスが向かっていますが、航路が凍結して……」

 彼は机上に広げた地図と羅針盤を睨んだ。

「ただの襲撃じゃない、首謀者は召喚士サモナーか。やってくれるね……」



 ***



 そびえ立つ巨人が眠りから覚めたようにゆっくりと上体を持ち上げ、両の拳を振り下ろした。


 わずかに残っていた防壁が砕け、砲台に取りついていた兵士が瓦礫とともに吹き飛ばされる。


「クラーレが来るまで持ち堪えろ。セレンを頼んだぞ」


 オレアンが剣を手に駆け出した。


 垂直に砦の兵士たちを薙ぎ払おうとした手の平を鞘で受け止め、岩のような骨が隆起した巨人の手の甲に飛び移る。

 オレアンは巨大な腕を駆け上がり、その肘を二度斬りつけた。

 巨人が苦痛に呻き、身を震わせる。宙で回転したオレアンは砦に着地し、兵士たちに向き直った。

「砲撃を再開しろ!」



 セレンが小さく唸って薄く目を開いた。

「セレン、聞こえるか!」

「今どうなってる……」

 彼女は血が流れる額に手をやった。

召喚士サモナーって奴が魔物を呼んでるらしい。巨人サイクロプス吸血鬼ヴァンパイアが来て、ヘムロックが……」

 ゼンが言い淀んだのを見て、セレンは立ち上がった。

「わかった」


 砦の上空を埋め尽くす吸血鬼の群れにセレンが指を構える。

 閃光が暗雲のような群れを貫いて、数匹の吸血鬼が撃ち落とされた。



 ふらついて後退した彼女の肩を支えてゼンが言う。

「なあ、ナイフあるか!」

「あるけど……」

 ゼンは差し出されたナイフを奪い取り、自分の喉元に突きつける。

「駄目!」

「死ねば魔王の力を使えんだよ!」

「戻れなくなるかもしれない」

 セレンはゼンの片手ごとナイフの柄を掴んだ。

 指の力強さにゼンは舌打ちして刃を下ろす。


 ゼンはひっ先で自分の腕を切り裂いた。

「手だけなら平気だろ!」

 静脈を破って黒い血が凝固し、腕を覆う。

 ゼンの後方に迫った吸血鬼をセレンの閃光が撃ち抜き、黒い鉤爪がセレンのもう一体を貫いた。



 次々と飛びかかる吸血鬼を撃ち破る中、砦の向こうで轟音が響いた。

 巨人の攻撃で砲台ごと削り取られた防壁が煙を上げる。


 ゼンの真横を影が掠め、地面に投げ飛ばされたオレアンが喀血した。


「くそっ……」

 ゼンが駆け寄ろうとしたとき、ひとりの兵士が覚束ない足取りで近づいてきた。


 落とされた砲台の兵士か、右半身が焼け焦げ、溶けた軍服が肌に貼りついている。

「女を連れた奴が……白髪の男を連れてこいって……あんただよな?」

 煤と火傷で黒くなった顔で兵士が薄笑いを浮かべる。

「連れてきたら攻撃をやめるって……なぁ、あんた騎士だろ……」


「行かせない」

 ゼンが口を開く前にセレンが鋭く言った。兵士が全身を震わせる。ゼンは崩れそうな男の身体を睨んで目を伏せた。

「俺は、行くだけ行ってもいいけどな……」

 セレンが強く首を振った。

「駄目だよ。魔物の言うことを聞いたら奴らが有利になるってこと。騎士のやることじゃない」

 ゼンは口を噤んだ。兵士を見据えたまま、セレンが言った。

「大丈夫、見捨てないから」



 爛れた頰をひきつらせて何か言いかけた兵士の姿を黒い羽根が掻き消す。

 吸血鬼の群れが兵士を一瞬で包み込んだ。


 セレンの放った閃光が群れに穴を開けたが、すぐに修復される。

 怪物は兵士の残骸を投げ捨て、血に濡れた真っ赤な口を開いた。


 吸血鬼が閃光を避け、瞬く間に距離を詰める。

「これならどうだ….…」

 横転した砲台の横に山積みにされていた砲弾が宙に浮いた。

 見えない手に持ち上げられたような砲弾がひとりでに加速し、吸血鬼の群れを直撃する。

 爆風と黒煙が舞い、魔物たちが防壁から墜落した。

 セレンの鼻から血が流れ落ちた。


「大丈夫かよ」

「平気、それより––––」


 背後から掠れた叫びが聞こえた。

 崩落しかける壁にもたれたオレアンが声にならない声を上げる。

 口の形が逃げろ、と動いたとき、ゼンとセレンの頭上がにわかに掻き曇った。



 巨人の一撃を避けて飛び退いたゼンの足が宙を蹴る。

 拳が卵の殻を破るように砦を砕いた。


「ゼン君!」

 景色が反転し、重力が消える。

 崩れ落ちる瓦礫とともに落下するゼンの視界に、伸ばされたセレンの手が映った。


 風が重たい壁のように全身を押し、剣山のようにそびえる木々と黄土色の地面が迫る。

 セレンの指がゼンの手首を掴んだ。


 空気の抵抗の中、ゼンはセレンを引き寄せる。

 助かるか? 俺が緩衝材になっても、この高さじゃ––––


「ごめんね」

 真っ逆さまに落ちるゼンの耳元でセレンが囁いた。

 後頭部に温かい腕が回される。

 鼻先に彼女の髪が触れたとき、全身に強い衝撃が走り、全てが闇に包まれた。



 ***



 散弾のように降り注ぐ瓦礫をかいくぐり、クラーレは倒壊しかける砦に飛び込んだ。


 剥がれた壁に押し潰された兵士と吸血鬼の血痕が、赤い幕を引いたように広がっている。

 クラーレは周囲を見回し、唇を噛んだ。


 呻き声に振り向くと、地を這うように立ち上がろうとするオレアンの姿がある。

 クラーレが駆け寄ると、彼は力無く首を振った。


 視線の先に、石畳に投げ出された血の気のない手が投げ出されていた。

 乾いた血で茶色く染まった金髪と、虚ろな目。

 風が制服の裾を巻き上げ、抉られた腹部が露わになる。


「ヘムロック!」

 その後ろに、横転した馬車と削り取られた防壁の残骸があった。

「ゼン、セレン……」


 クラーレの髪の毛先が逆立ち、衝撃波に似た巨人の咆哮が響き渡る。

 彼女は茶色の目を歪ませ、勝利の雄叫びのように両手を振り上げて吠える巨人を見た。


 怒りに震える指先が巨大な金の眼球を指す。

「呪殺を打つ……」


 クラーレの左目が波立つ湖面のように揺れた。

 毛細血管が膨れ上がり、赤く充血し、眼球が膨れ上がる。

「私の目を代償に、巨人サイクロプスを殺せ!」

 クラーレの左目が破裂した。


 巨人の金の眼球が水風船をついたように弾け飛ぶ。

 壮絶な断末魔とともに単眼を失った巨人の身体が崩壊した。


 眼窩を抑えるクラーレの腕を血の筋が蛇のように伝う。

 彼女は押し殺した悲鳴を上げて地面にうずくまった。



 ***



 鼓膜を啄ばむような耳障りな鳴き声が聞こえる。


 鬱蒼とした森を穿って差し込む仄かな明かりにゼンが目を開いた。


 黒い網のような霞が覆う視界の端にセレンの白い指があった。ゼンは手を伸ばし、その指を掴む。

 指は軽く、吸い寄せられるようにゼンの元に辿り着く。


 指の先に繋がる、黒い服の袖は肘から上がなかった。

 千切れた腕の向こうに、太い三つ編みと、白い歯の欠片と、赤く濡れた塊が見えた。


 騒がしい羽音を立てて着地した吸血鬼が、それを見て凶暴な笑みを浮かべる。


「くそったれ……」


 ゼンの身体から黒い奔流が噴き上がった。

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