光明
けたたましい絶叫が天蓋のように空を覆う木々を引き裂いた。
ゼンの身体を包んだ黒い鎧がどす黒い煙を上げていた。
セレンの亡骸に近づいた
苦痛と怒りに顔を歪める吸血鬼を黒い怪物が真っ二つに引き裂いた。
ゼンは墨色の液体が垂れる兜の頭をもたげる。
ざわめくような鳴き声を交わし、一斉に飛び立とうとした吸血鬼の一体に、黒い怪物が飛びかかった。
***
崩落がほど近い砦の空に吸血鬼の羽ばたきが響き出した。
「次から次へと……」
クラーレは顔の左半面から手を離し、石畳を這う。
血とともに砕けた硝子体が溢れ、赤い頰を拭うように透明の粘液が流れ落ちた。
彼女が釘を手にしたとき、防壁に乗り上げる
何かを振り払おうと必死にもがく吸血鬼の頭が沈み、黒い腕に握りつぶされる。
首を失った吸血鬼の死体を投げ捨て、先ほどまでその背に鉤爪を突き立てていた黒い怪物が砦に着地した。
怪物が雄叫びを上げる。
「ゼン……」
クラーレの掠れた声に怪物が一瞬顔を上げた。
間に割って入るように飛来した吸血鬼を怪物が叩き潰す。
千切れた羽が石畳を跳ね、怪物が痙攣した。
暴走。
洋館で粘魔を倒した後、我を忘れて暴れ続けたゼンの姿がクラーレの頭をよぎる。
次々と襲いかかる吸血鬼を殺すたび、苦しみに耐えるように怪物の四肢が荒れる。
クラーレは震える上体を起こし、腰の剣に手をやった。
吸血鬼の放った蹴りが怪物の兜を砕いた。
亀裂から白髪が覗き、黒い鎧が解けて現れたゼンの身体が石畳に倒れる。
追撃を加えようとした魔物を、クラーレの剣が斬り伏せる。
すぐにもう吸血鬼が横から薙ぐような攻撃をしかけ、クラーレは地面に転がった。
魔物が一斉にゼンに群がる。
「殺すな」
遠くから聞こえた声に吸血鬼たちが動きを止めた。
「やれやれ、思いの外手こずったな」
クラーレの歪む視界に四本の足が映る。
白髪の少女を連れた青年が溜息をついて歩み寄ってきた。
「
痛みと疲労が限界に達したクラーレの身体はわずかにも動かない。
「魔王の心臓を取り出そう。これでもう何も心配いらない」
少女が青年の肩に頬を寄せる。
「死んでも、させるものか……」
クラーレが力を振り絞って錆びた釘を握りしめた瞬間、一直線に飛んできた矢がゼンの周囲の吸血鬼たちを刺し貫いた。
「やめなさい、お前まで死ぬことはないよ」
幼いが力強い声が響き、
その足元に銀の矢が突き刺さった。
「子ども……?」
青年が目を細める。
視線の先に、まだ十代に見える少年が白い法衣と干し草色の髪を風になびかせ、
その後ろに長身痩躯の赤毛の男が立っている。
「こっちは私が。負傷者を頼んだよ」
「貴方も気をつけて」
少年が肩越しに言い、男が腰まである赤毛を翻して駆け出した。
矢に貫かれた吸血鬼たちが高熱に焦がされたように焼け溶ける。
「勇者陣営か?」
クラーレが顔を上げ、また地面に倒れ伏す。
少年は彼女を一瞬見てから、視線を青年と少女に戻した。
「
少女が青年から離れ、獰猛な牙を剥き出した。
犬歯から迸る唾液が弾けると同時に、少年が弩を放り捨て、腰のレイピアを抜いて地を蹴った。
法衣の少年は少女の攻撃を刺突で相殺し、返した刃は
ひっ先が喉元に触れる寸前に飛び込んできた少女の爪がレイピアを弾く。
「勇者の援軍は来ないと聞いたぞ、航路が凍っていると」
「あぁ、そうとも。だから、走ってきたのさ。凍った海の上を!」
剣を突き出した少年の靴からは、水と滲んだ血が染み出していた。
「有り得ないだろ……」
青年が口元を歪めた。
少年の法衣の裾から弩用の矢が落ち、彼の周りに円陣を作る。
「勇者陣営の
矢が強く発光し、光と熱の束が少女の爪を焼き払った。
くぐもった悲鳴を上げた少女を庇って青年が手をかざした。
「こっちにはまだ手札が残ってる……!」
そのとき、瓦礫の間から陽炎のようにひと影が現れた。
明らかに致命傷を負った兵士たちが欠けた身体を引きずって前進する。
「
動揺を露わに辺りを見回した
「くそっ、
亡者たちの腕を避けながら青年が呻いた。
***
騒然とした王都騎士団の駐屯所で、兵士たちが事務室の扉を叩く。
「ロクスター様、開けてください! 砦の砲台が落とされて死者数が!」
ロクスターは机の上で手を組んだまま、冷たく言い放った。
「駄目だ。何人たりとも今この部屋には入れないと伝えてくれ」
卓上には血で描かれた魔法陣が広がっている。
「
ロクスターの目が赤い光を放った。
***
「同士討ちか……?」
レイピアを構えた
死した兵士たちの間で青年が何かを叫んだ。
少女の背が盛り上がり、現れた白い羽が死者たちを振り払う。
「逃すか!」
次の矢をつがえた聖騎士の足元でクラーレが呻く。
彼は弩を下ろし、クラーレに歩み寄って脈を確かめた。
弱いが確かにまだ脈動があるのを調べてから、
***
ゼンが目を覚ましたのは王都騎士団の医務室だった。
白い天井にひといきれとむせ返るほどの薬品の匂いが漂っている。
ベッドの傍ら、半分だけ開いたカーテンの横にロクスターが立っていた。
「クラーレとオレアンは……」
「生きているよ」
掠れたゼンの声にロクスターが背後のカーテンの向こうを指す。
「セレンとヘムロックが死んだ」
ロクスターは沈鬱に頷いた。
「あぁ、わかっているとも。あの砦での死者は五十三名。遺体はできる限り回収したかったけれど……」
ベッドの脇の机に、二着の擦り切れた制服が畳んで置かれていた。
「話せるかい? 勇者陣営の仲間が来ているんだ。君を連れてきてくれたんだよ」
カーテンが開き、少年が年にそぐわぬ威厳ある足取りで現れた。
「私は
「まだガキなのに……」
「これでも前世では勇者陣営の最年長でね。ガキより老いぼれの部類さ」
テトロは表情を変えずに言った。
「君のことは聞いているよ。魔王の魂の器だとか。君に聞きたい。君たちを襲った召喚士一味と戦うつもりはあるかい」
ゼンはベッドから身を起こして頭を振った。
「あんたはいいのかよ……」
テトロは片方の眉を吊り上げる。
「話は聞いてんだろ。奴らの狙いは俺だ。俺のせいでセレンもヘムロックも死んだようなもんだ……」
テトロは大人のような溜息をつき、しばらくの沈黙の後言った。
「彼らを殺したのは魔物だ。勇者の敵はいつだって魔物だよ。君は魔物かい?」
ゼンは自分の傷ひとつない腕を見下ろした。
「違う、と思いたい……」
「じゃあ、君は殺していない」
ゼンは顔を上げて少年を見た。
「少し休んでいなさい。回復したらこれからについて話すよ」
テトロがカーテンを引き、彼と隣に侍っていたロクスターの姿を隠した。
ゼンはカーテンに向かって声を上げた。
「クラーレが起きたら伝えてくれないか。あんたから呪殺を習いたい、って」
返事はなかった。
テトロは隣のベッドのカーテンを開けた。
横たわるクラーレは死人のように微動だにしないが、右目だけは開いて天井を見つめていた。
左目と身体中に巻かれた包帯にはどす黒い血が滲んでいる。
「すみません。呪いは使いすぎるなと言われたのに、目を片方使ってしまいました」
抑揚のない声でクラーレが呟いた。
「まあ、君の性格で今まで両目が残っていたことが奇跡だ」
テトロの答えに彼女は無理に笑みを作ろうとする。
「話は聞いていただろう。お前も自分を責めることはないよ」
クラーレは何も答えない。
「ヘムロックの私室から回収したものだ。お前が持っていなさい」
テトロは彼女の枕元に汚れたノートを置いた。
「お前が教えを丁寧にまとめてあった。これからゼンに教えるときにも役立つはずだよ」
クラーレは縋るようにノートに手を伸ばした。
表紙は縒れて、頁には何度も折った跡がつき、歪に膨れている。
「新しい弟子に情けないところは見せられないだろう。今のうちに済ませておきなさい」
クラーレの左目の包帯が膨らみ、血の混じった赤い水が染みて枕に伝い落ちた。
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